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レジスタンス-それはありふれた絶望だった-  作者: アンリ
第三章 涙は何滴あれば悲しみを -ザック-
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4.いつになったら真から満たされるんだ

 実家に戻ると多忙なはずの父がいて、優雅にもアフタヌーンティーに誘われた。


 そして問われた。


 次は何をするつもりだ、と。


「まだ決めていない。いつものようにバケーション中に考えるさ」


 最先端の学術書も娯楽もセックスも――ありとあらゆるものがこの街、ロサンゼルスにはある。ここはサピアリィアルの聖地であり、首都であり、そしてバケーションを過ごすのにもっともふさわしい街なのだ。


 己がすべきこと、したいことを見出す時間――バケーション――を多くの人間は生涯のうちに数回、多いと数十回取得する。そう、一口にサピアリィアルといっても個々人の違いはあって、死ぬ寸前まで転職を繰り返す者もいれば、その逆にまったく迷わない者もいるのだ。父のように。


「……父さん?」


 父は俺と視線が合うやほほ笑んだ。


 なのに――かすかな戦慄を覚えた。


 父は確かに笑っている。目を細め、口元からは白い歯をのぞかせている。――なのに笑っていなかった。少なくとも、表情と感情が完全に一致していない。


 これはいつもの――あれだ。


「ザック? どうした?」

「あ……いや」


 背筋にひやりとしたものを感じる。


 しばらくは何も言わず紅茶を口に含みつづけた。


 わざとゆっくりと干したカップをソーサーに置く。双方の重なる無機質な音が、沈黙の支配する空間にやけに響いた。とはいえ勝手に席を立てる雰囲気ではない。父はそういう空気を作るのを昔から得意としていた。


 金メッキをほどこした持ち手を無意味につまんでいると、父が唐突に口を開いた。


「ザック」


 声のトーンがいつになく重い。


「私達は何のために生きている?」

「満たされるためだよ。いろいろな見方はあるが究極的にはそれだけだ」


 どうしてこの年でこんな簡単なことを問われなくてはならないのか。


 その不愉快さを見つめ合う視線に込める。


 これに父が真っ向から見返してきた。


「ではお前はいつになったら真から満たされるんだ?」

「……は?」

「私がお前の年齢の頃にはすでに生き方を定めていた」

「それは父さんのことだろう。第一、他人の生き方に口を出すなんて下品だ」


 たとえ家族だとしても。


「意見しているわけではない」

「でも俺にはそう聞こえたけどね」


 みしり、と空気がひずんだ気配がした。


 俺達サピアリィアルは自らが満たされることを強く望み、なおかつ徳高く生きるべきだと信じているから、こういうパラドックスのような状況に陥ると途端に脳がフリーズする。何をすべきかがとっさに判断できなくなるのだ。


 このような時――無条件に選択するのは『より良い』ことだ。


 明るく、刺のない会話への転換こそが今すべきことだろう。


 それを先にしてみせたのは父の方だった。


「そういえば。ドローンとはどのくらい関わりを持ったんだ?」

「それほど機会はなかったかな」


 ややほっとしつつ答える。


「ドローンは命じられたことを淡々とこなすから問題が起こることはなくてね」


 だからこそ、数あるインフィアリアル〈劣位者〉の中からドローンが研究対象に選ばれているわけで。


 ああでも、と心の中で思い出す。リンダが語った一人の被験者のことを。そして衝動のままに殴りつけた男のことを。しかしどのように語ればこの話題が明るいものになるか検討がつかず、思いつきの発言で会話を締めるにとどめた。「さながら家畜のようだったよ」と。


 これに父が気のない口調でつぶやいた。


「ビーハイヴの中身なんてそんなものだ」


 硬く張り詰めた空気が一気にしぼんでいく――。


 無言で席を立った父のことを俺は黙って見送った。全身に汚泥をまとったような最悪の気分に陥りながら。



 *



 家畜――その何気なく口にした単語がなぜか頭の片隅から離れなくなった。高尚な詩も雅な交響曲も、ふとした時に思い出されるその単語のせいで美しさを濁らせた。ステレオから流れる音源を止め、詩集を閉じ、俺は幼少時から過ごしてきた自室で深いため息をついた。


「……今回は部屋に閉じこもっていても駄目だな」


 外に出て遊ぶのもいいが、それよりもバケーションを早々に終らせてこの家を出るべきだと判断する。そうしなければ、日がたつにつれて父と顔を合わせずらくなるだろう。誰かに飼われている動物を家畜というのならば、今の俺は完全に父の家畜に成り下がっていた。……主に精神的な意味で。からりと乾いたロサンゼルスの風は好きだか、父の放つ雰囲気や思想には年々なじめなくなってきている。


 結局、自宅に戻った翌日には求人サイトにアクセスしていた。


 無数の案件の中から『それ』を選び取ってしまったのは――偶然か、はたまた運命か。


 派遣先はビーハイヴ、ただし先日まで勤めていた特区のあるサウスエリアではなくイーストエリアだ。勤務先は大学とある。ドローンが通うことをゆるされている唯一の大学は、唯一であるがゆえに校名などない。職種はシステムエンジニアとあった。


 無性に惹かれるものを感じ、すぐにこの案件を担当するエージェントにコンタクトをとると、ちょうど空き時間だったようで即ウェブカメラによる面談を行う運びとなった。いや、面談というと語弊があって、それは単なる確認、コミュニケーションだった。


「ザック・エヴァンズ。年齢は五十五、と。いいですね、まだ十分にバケーションを楽しめる年齢だ」


 これには曖昧に笑うにとどめた。


「なぜドローンの大学にシステムエンジニアが必要なんだ?」


 まずは疑問を口にすると、モニタの中の男は疑問に疑問で返してきた。


「ビーハイヴで行われている研究のうち、君はどの程度のことを知っているのかな」

「いくつかは」


 たとえば、と先日まで勤めていた特区のことを挙げると、男が小さくうなずいた。


「今もっともホットなテーマは『ドローンは我々を超えることができるか否か』なんだ」

「へえ」


 むくむくと好奇心がわいてくる。


「そういえば研究者の一人が言っていたな。俺達の遺伝子をドローンに注入していると。だが成果は出ていないようだった」

「注入後の生存確率はゼロだと聞いているよ。拒絶反応が強いみたいだね」

「ふうん。で、この仕事の目的は?」

「ドローンの言動はすべて監視されていることを知っているかい?」

「らしいね」

「だが大学の一部の建屋については対象外となっていたんだ」

「どうして?」

「興味がなかったからさ。そこで行われていることに」


 端的に言葉を区切ると、男はターコイズブルーの艶めく髪を大げさな仕草でかきあげた。


「ドローンごときの研究など、本来すべてはゴミに等しいからね」

「だろうね」

「だが優秀な人材とその他とを区別して管理したいという要望は昔からあってね」

「たかがドローンなのに?」

「たかがドローン、さりとてすべてが均等に愚かなわけではないよ」


 男が薄く笑った。


「全体のおよそ三パーセント、選ばれた上位者はある意味貴重なサンプルなんだ。そしてサンプルとして用いるべき時が来るまでは、そのサンプルが極上のサンプルとなるように飼育しておかなくてはならない。分かるかな?」

「極上のサンプル、ねえ」

「肉体労働や単純労働、子を産むことといったこと以外で『特別な彼ら』にふさわしい職業といえば……分かるだろう?」

「なるほど。だから大学に閉じ込めているというわけか」

「ご名答」


 インフィアリアル〈劣位者〉の中でも最下位にあるドローン。そんな彼らの中にも才能の差というものはあるらしい。特区で見かけたドローンは誰もが一律に同じ顔をしていたが。……いや、見えていた、が正解か。群れる雄バチの違いを見抜けるような、そんな無駄な才覚までは俺もさすがに有していない。


「ビーハイヴはビーハイヴでしかないってことかな」


 エージェントの発した台詞は昨夜父が発した台詞と同種の匂いがした。


 二世紀ほど前、ジャパンという名の国はサピアリィアルに未来永劫の服従を誓っている。


 この混沌とした世界から私達を守護してほしい――と。


 それ以来、ジャパニーズ〈二ホンの民〉はサピアリィアルの庇護の下で生きることとなった。


 強欲なシンプルトン〈欠落者〉の餌食にはなりたくなく、かといって原始的な生活を送るディジェネレイショニスト〈退化者〉のように文明を捨てる覚悟もない彼らには、ドローン〈怠け者〉――雄バチとなるのが最良の選択だったのだ。


 以来、彼の東方の地を俺達はビーハイヴ〈ハチの巣〉と呼んでいる。


「大学だなんて名前をつけても、結局はただの巣箱、中身はただのドローンってことさ。まともに働くこともできないんだからね」


 まるで今の俺の思考を読んだかのような発言をしつつ、エージェントが話を戻していく。


「まあ、そういうわけで。優秀なドローンの生態をより詳しく知りたいというニーズがあって、それで大学内の監視システムを一新することが決まったらしいんだよ。だが誰もやりたがらないんだ」


 実はこうして私にコンタクトをとってきた人間は君が初めてなんだとまで言う。理由は詳細を聞けば簡単に推測できた。これはサピアリィアルが嫌う典型的な仕事だったからだ。


 今回要求されているシステムはごく簡単なもので、関連テキストを半日も読めば誰でも取り掛かれてしまうような代物だった。だが、そんなやりがいの欠片もない、成長の機会のない行為には誰だって魅力を感じない。


 せめて環境や同僚に惹かれるものがあればいいのだが――勤務地であるイーストエリアは年中寒いし、この作業はドローンの生態を監視するためのものだから作業は秘密裏に行わなくてはならないし、しかも誰もやりたがらないということはすべて一人でやるしかないときたら。


 興味のないことは決してしない――それがサピアリィアルの長所であり、短所でもある。


 肉体的にも精神的にも、人との関わりを強く望むサピアリィアルにとって、単独行動を強いられることには強い抵抗を感じる。


 だが――。


「どうだい。やってくれるかな」


 男の問いかけに逡巡する。

 いくつもの項目を天秤にかける。

 しかし、それは束の間のことだった。


「やろう」


 ドローンについてもっと知りたい――。


 その強い欲求の前では他のことはどうでもいい、そう思った。


 それにこの家から一刻も離れたい。


 そして俺はもう一度ビーハイヴへと戻ったのである。


 

  ◇◇◇


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