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レジスタンス-それはありふれた絶望だった-  作者: アンリ
第一章 孤独を愛したはずの男について -オオノ-
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3.理解を求める

 当時、この特区で排出される死体を処理、もとい片付ける労役を俺の組では担っていた。何かしらで死亡した同胞の体を、日々、朝から夕方まで焼却場に運ぶのだ。ただ、そのほとんどが目も当てられないほどに痛ましいものだったが。


 初日、ナルセは大判のビニールシートに整然と並べられた死体を見ただけで、口を押さえあわや吐きそうになった。だが誰だって最初はそうだ。実際に吐いてしまう者、貧血を起こして卒倒する者、涙を流し始める者。そういう人間的な反応は誰だってする。だが慰めも労りもここでは不要で、生きていくためには自分自身で心を整え慣れていくしかない。


 この日の死体はどれも足を一本斬られていただけで、ナルセ以外の者、俺やその他二人にとっては全然大したことはなかった。切断面はいじくりまわされてぐちゃぐちゃにかき混ぜたトマトリゾットのようになっていたが、そこに目をつぶれば、いたってきれいな死体だ。


 これまで、酷い時は数千に分断された細切れの肉体を地を這って集めさせられたこともあるし、胸から腹、膀胱にかけて切り開かれ内臓が丸見えの死体を一度に三十体扱ったこともある。


 アルファ系というのはひとたびやり始めると熱中するタイプなのだろうと俺は思っている。死体の一つ一つに、残虐なだけではない確かな行為の意味が見えるような気がしている。そうであってほしいという俺の願いも、その判断には影響しているといえなくもないが。


 それでも、元大学院生だというナルセの知的好奇心は失われていないようで、死体を積んだ台車を曳いて焼却場へと向かう作業を繰り返している最中、「あの人達はどこへ行くんだ?」と突然訊ねてきた。


 ナルセが指差す方向には、一本道を不等間隔でのろのろと歩く三人の同胞が見えた。


 くるぶしの高さまで生えた緑の色濃い草原が一面に広がっている。ところどころで名も知らぬ白い花がひょろりと突き出すように伸びている。それらがそよそよと音もなく揺れている。天から降り注ぐ陽光はどこまでも柔らかい。ここに犬猫がいれば自然とまどろむことだろう。


 しかしここはデルタ系の収容所の一角であり、俺達はそのデルタ系だった。


 いくらここに牧歌的な風景があるとはいえ、昼間から何の仕事もせず歩くだけの同胞が異質に思えたのは正しく鋭い解釈だ。だが初めて棟外に出た者は決まってナルセと同じことを訊ねるもので、それに対する俺の答えも代わり映えのしないものだった。


「あいつらは研究棟へ向かっているんだよ」


 そう言い、一本道の先にある煌びやかな建物を指差してやる。俺達の住む棟が廃工場を改造したものであるのに対し、その一棟だけは先駆的な造りをした新設のものだ。


 そう、俺達が収容されているこの区域とは、アルファ系の趣味、もとい知能の結晶の一つ、思う存分俺達デルタ系について研究するための特区だった。


「ここがそのために作られた場所だってことは知ってたか?」


 当然ナルセは首を振る。知るわけがない。俺だってここに来るまでこんな猟奇的な場所があるなんて知りもしなかったし、想像すらしていなかった。ここに来るまで、俺は朝から晩まで畑と格闘するだけの、娯楽の一つもない、ただ食って寝るだけの日々を過ごしていた。それはデルタ系であればごく普通の日々で、ごく退屈な毎日の連続だった。


 だがあの頃の自分に会うことができるのならば、がつんと言ってやりたい。ただ食って寝るだけでよかった毎日、それがどれほど恵まれたことで、お前はどれだけ恵まれた存在なのか理解しなくてはならない、と。


「お前は昨日、ここが牢獄のようだと言ったよな。だが違う。ここはデルタ系の生態を調べるための場所さ。牢獄なんかじゃない。俺達は何も罪を犯してここに連れてこられたわけじゃない。被験者とするために連れてこられた、それが正解だよ」

「研究……それは昨日オオノが言っていたようなことか?」

「そうだよ。それにこいつらもそうさ」


 顎をしゃくって後ろの台車を示す。ビニールシートで覆われたそこには、もがれた片足と共に三人の同胞が横たわっている。彼らの顔は一様に白く、妬ましいほどに静かなものだった。苦悩から解かれた分、こいつらは俺達に比べて確かに幸福なはずだった。


「実験というのはいつもこういうものばかりなのか? その、たとえば血液や皮膚を少し採取するだけで済むようなこともあるんだろう?」

「どうだろう。だがあそこに入って生きて出てきた奴は一人もいないから、そんな単純なものではないのは確かだな」

「だとしたらなぜあの二人は自分の足であそこへ向かっているんだ? 行けば死ぬんだぞ?」


 その疑問も想定内のことで、俺の声は自然と堅くなった。


「ナルセ、お前はここのことをきちんと理解しなくちゃいけない。ここに収容されたデルタ系で五体満足に外の世界に戻れた奴は誰一人としていないってことをな」

「だったら逃げ出せばいい」

「おいおい、そんなふうに簡単に言うがそれは無理な話だよ。ここは四方を高電圧の壁で囲まれているし、それでなくても腰にこん棒や鞭をぶら下げた守衛が至るところにいる。住んでいる部屋だって、一つ一つが完全に独立した構造をしているから、他の同胞と協力どころか話をする機会だってめったにない。いや、たとえ脱走できたって、俺達が収容者であることはすでに政府に把握されてしまっている。だから住む所も働く場所も……俺たちがあちら側に戻っても、もう何一つとして残っていないんだ」


 話好きの守衛が常々語るこの特区の状況、研究の進捗や結末を聞いていれば、今しゃべったようなことは嫌が応でも知ってしまう。ここがどういう場所であり、どうやっても俺達には明るい未来など望めないということも、抗えない事実として受け止めざるを得なくなるのだ。


 奴らは何も隠そうとはしない。通りがかるたびに気安く声を掛けてくる。それは俺達を同じ人間だとは露ほども思っていないからであり、また、つぶさに現実を周知することで、俺達の反抗心を簡単にそぐ効果すらあった。ここに入所して今まで、暴動も反乱も、そのそぶりすら起こった気配がないのがその証拠だ。俺自身にもそんな気概は微塵もない。すでに諦めの心境に到達している。


「いいかナルセ。俺達はな、二度とここから出られないんだ」

「……二度と?」

「そうだ。被験者となるか、守衛に殴り殺されるか、病死するか。理由はどうでもいいんだ。だが遅かれ早かれ、死体となってここから排出される未来しか俺達には用意されてない。そういうことだ」


 この時のナルセは死体に初めて触れたとき以上に茫然としていた。表情を失い、心に傷を負った悲しい目で、定められたフィナーレの一つに向かって歩む同胞を見つめていた。


「……オオノ」

「なんだ? それよか、そろそろ行くぞ」


 どこで守衛が見ているか分かったものではない。こうして立ち話に興じさぼっていると思われたら、俺達が即フィナーレまっしぐらとなる。だが、周囲をうかがう俺にかまわず、ナルセは同胞と一本道、その先の研究棟を眺めながら言った。


「……僕達は……人間じゃないのか?」


 それは昨夜の類似発言、『孤独を愛している』を嫌が応にも思い出させた。


「はあ? 何馬鹿なことを言っているんだ。じゃあなんだっていうんだ。獣か? 虫か鳥か? 植物か? だが俺達は二本脚で立つし道具も使える。話すこともできるし服だって着ている。そんなの人間にしかできないだろうが」

「だけどこれじゃあ……これじゃあ僕達はまるで家畜じゃないか。人間は誰かに飼われるものじゃない。そうじゃないのか?」

「いいか、元学生さんよ」


 俺は『元』をわざと強調し、興奮するナルセの骨の浮いた肩を抱いて精いっぱいの強面を近づけた。


「人間にもな、種類ってものがあるんだよ。それだけだ」


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