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レジスタンス-それはありふれた絶望だった-  作者: アンリ
第三章 涙は何滴あれば悲しみを -ザック-
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2.あなたはなぜ悲しむのか

 リンダと再会したのは熱く睦み合ってからはや一週間後のことであり、ジェイクの言葉を借りれば『たかが一週間後』のことだった。


 彼女の裸身を思い出すと腰がしびれるのは条件反射のようなものだ。


 だが今はそういう気分ではなく、声をかけずにそっと立ち去ろうとしたところで「あら。ザックじゃない」とリンダの方から声をかけてきた。


「やあ」


 そちら方面の話になるとやっかいだと思いつつも笑顔で応じると、「ね。悲しみってどういうふうに定量的に評価すべきかしら」とつかみどころのない話題を振られた。


「急にどうした?」

「いえね。この前の被験者がすごく興味深かったのよ」

「へえ」


 興味深い――その言葉を俺達は非常に多用する。俺達の本質である知的探求、成長欲求のほどを表すのにもっともふさわしい言葉だからだ。同じ二足歩行の他人種と一線を画すこの特徴ゆえに、自分達のことを故意にグロウィング〈成長途上〉と呼ぶこともあるほどだ。サピアリィアル〈優位者〉、グロウィング〈成長途上〉――他にも俺達に関する呼称はいくつもある。たとえば、この特区に収容されているドローン〈怠け者〉は俺達のことをアルファ系と呼んでいる。


「どんなふうに?」

「死の受け入れ方が違っていたのよ」


 まだ話の流れも行きつく先も不透明だ。


「死の受け入れ方? ドローンにとっての死とは無になることだろう?」

「ええ。あのね、ドローンって普通、おとなしくしていても実験されるときは暴れたりうるさかったり、やりたい放題じゃない?」

「らしいな」


 まだ赴任して間もないので現場に直接立ち会ってはいないが、そういうものだと聞いている。


「その被験者なんだけど、彼、全然抵抗しなかったのよ」

「へえ」

「とっても楽だったわ。だから体の隅から隅まできれいな皮膚を採取することができたの」

「それはよかったじゃないか」

「そう、よかったのよ。でもね、ずっと泣いていたの」

「泣いていた? ああ……ドローンには痛いという感覚があるからか」


 ドローンと違って俺達には痛覚はない。触れられていることは認識できるし、過大な力を受ければ肉体は損傷するが、それだけだ。だから痛みの本質は俺達の誰にも理解できていない。ただ、痛みとは恐怖の根源にほぼ近く、無尽蔵の痛みはドローンのみならずすべてのインフィアリアル〈劣位者〉――つまり俺達以外の人種にとって致命傷になり得ることは既知である。


 痛みとは死に繋がるもので、死ねばインフィアリアルは無になるほかないのだ。


 だがリンダは俺の推論に首を振った。


「いいえ、違うわ。悲しいっていう表情をしていたのよ」

「悲しい、ねえ」


 俺達は痛覚のみならず悲しみという感情も有していない。そしてこちらについては痛覚以上に研究が遅れていた。


 なぜリンダはそのドローンが悲しんでいると思ったのだろう――それについて尋ねるよりも先にリンダがつぶやいた。「皮膚がなくなることが悲しかったのかしら」と。


「なるほどね。インフィアリアルは一度体のパーツを失うと二度と再生できないから」


 俺達ならば、たとえば火傷で皮膚がただれてもなんら問題ない。その足で病院に行き、その痛んだ部分をごっそり剥いでもらえば済む。すると一時間もたたずに元の滑らかな肌が再生される。これは何も皮膚だけのことではなくて、基本的に体のほぼすべてがそういうふうにできている。だから欠損や損傷の類は一時の不便でしかない。


 俺にもドローンの有する『悲しみ』という感情は理解できていない。体の一部を未来永劫失ったら……そんなこと、考えたことすらない。息を吸って吐くのと同じくらい自分達にとって当たり前の事象について、『もしもそれがなければどう思うか』などと考えても、得るものは何もないからだ。


 だが研究者であるリンダにとっては違うだろうことは容易に想像がつくわけで――。


「今度、その被験者に直接訊いてみればどうだ?」

「もう死んじゃったから無理よ。ほら、インフィアリアルってひ弱だから。でも意識があるうちに訊いておいたことがあるのよ」

「なんて?」

「あなたはなぜ悲しむのかって」


 リンダの話がこれほどまでに『興味深い』ことはめったになく、だから肉体的欲求以外で無意識にリンダに近づいていた。


「それで?」


 この傾聴の姿勢を好ましく思ったのか、リンダが満足げに一つうなずいた。


「それがね、何度訊いてもなかなかしゃべってくれなかったの。ただ……」

「ただ?」

「黒く濁った瞳でわたしを見つめながら、静かに涙を流し続けていたわ」

「静か……? 涙にうるさいとか静かなんて違いがあるのか?」


 悲しみを理解できない俺達も生理現象としてならば涙を流す。目にゴミが入った時、目が乾いた時――そういった時だ。


 ますます興味を惹かれたが、これにリンダが首を振った。


「そんな気がしただけなの。今のは忘れて」


 落胆の色を隠さずいると、「そうだ!」とリンダが突如胸の前で両手を合わせた。まるで一晩で花開いた薔薇のように、あでやかにほほ笑みながら。


「ね。その被験者のチームメイトに話を訊いてみてくれない?」


 この特区ではドローンに最大四名で一つのチームを組ませている。そして同じ部屋に住まわせ、同じ仕事に従事させている。


「マイクに頼んだ方がいいんじゃないか」


 ドローンの居住エリアの巡回を担当する男の名を出したところ、これにリンダがわかりやすく鼻の皺を寄せた。


「駄目よ。マイクはすぐドローンをいたぶるんだもの」


 いわく、マイクはこの特区でも指折りの裁判官、兼執行人らしい。ドローンの行為の善悪をその場で判断し、悪と判断するや躊躇なく罰を下すそうだ。


「正義感に厚いのはいいけど、それだと貴重なサンプルを失うかもしれないから」


 どうやら研究者にとって、マイクはちょっとした厄介者らしい。


「じゃあジェイクは?」

「ジェイクも駄目。彼、ちょっと頼りないから。ねえザック、お願い」


 その澄んだ青い瞳は相変わらず美しい。


「わかったよ」


 拒みがたく了承すると、これにリンダが満面の笑みを浮かべた。


「ありがとう、ザック」


 キスしてあげるわ、というや迷いなく柔らかな唇が触れてくる。薄く開いたリンダの瞳にはあの日見た炎が灯りつつあった。


 俺は硬く目を閉じた。


 もう二度とその炎にこの身を投じることがないように。



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