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レジスタンス-それはありふれた絶望だった-  作者: アンリ
第三章 涙は何滴あれば悲しみを -ザック-
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1.あの日の反演繹法的状況が

 新築の研究棟、リノリウムの廊下は硬質なブーツの音がよく響く。


 向こうから歩いてくる白衣の女を視界に捉え、俺はゆったりと手をあげた。なんてことのない日常の一つ、どうということのない動作――そう見えるようにさりげなく。


 彼女――リンダはやや下を向き、何やら考えている顔つきをしていたが、俺に気づくと華やいだ笑顔を浮かべて同じように手をあげた。


「おはよう。ザックは夜勤だったの?」

「ああ。これから宿舎に戻るところさ」

「調子はどう?」

「俺はいつでも絶好調。決まってるだろ?」

「でしょうね」


 ふふっとリンダが笑った。


「君はどう? こんな時間に出歩いているということは」


 これにリンダが深い笑みを浮かべた。


「ええ。とてもいい感じなの。なかなか面白いデータが揃ってきているわ」


 彼女の青の瞳は今朝も宝玉のように美しく透き通っている。


「今は確か、髪をいじっているんだっけ?」


 ややおどけた調子で左右の人差し指の先端をくるくる回してみせると「何よその言い方」とリンダが口元に手を当てて笑い声をあげた。「まるで子供みたい」と。


 笑っている時のリンダはともすれば十代のように見える。はつらつとした表情、純度の高い宝玉のごとき青の瞳、肩の上で切りそろえた銀の髪は徹夜明けだというのに美しいカールの形を維持している。桃色に色づいた頬だけではなく、彼女は瑞々しい生気に満ち溢れていた。


 その口元付近にある手、白衣の袖には数点の血がついている。


 俺の視線に気づき、リンダが腕を持ち上げてみせた。


「被験者の髪を抜いていたら、同じ土台で皮膚を剥いだらどうなるかを検証してみたくなっちゃって。頭頂部を四つの領域に区分けしてね、前はそのままにして後ろは皮膚を剥いだの。でもって右の二つの領域には『私たち』の遺伝子を注入したってわけ」

「へえ。ドローンの頭に金や銀の色の髪が生えるかもしれないってわけか」


 やや大げさに、感心したそぶりで相づちを打つと、「どうかしら」とリンダが首を振った。


「今まで『私たち』の機能を移植できたことはないから、きっと今度も空振りね」


 そう口では言うものの、おざなりな様子は見られない。


「でもそれでいいのよ。なぜ不可能なのかを突き止めたいっていうのが本当のところだから。ああ、どんな結果が出るのかしら。今からすごく楽しみだわ」


 そう言うリンダの表情は言葉どおりの興奮で彩られている。


「サンプル数は五つだったよな」


 もう少し彼女の声を聞いていたくなり、覚えていることを敢えて捻じ曲げて口にすると、「いいえ。三つよ」と想定通りの訂正が入った。


「もっと用意してこようか?」

「いいえ、大丈夫。まずはこの三つのサンプルで色々と探ってみたいのよ。ああ、でも。興味深い現象がみられそうだったら増やしたいわ。その時はよろしくね」

「ああ」


 ふと見つめ合う。


 俺の金の瞳は彼女にどう映っているのだろう――そんなことを気にしながら。仕事に貴賓はないが、研究者であるリンダに守衛の俺はどのように映っているのだろう。人種間には明らかな差、次元の違いというものはあるが。


 だがまた別の話題を口にするよりも早く、リンダの手が俺の頬に伸びてきた。


 反射的に体が震えた。


 白く細い手は予想以上に冷たく、そしてなめらかだった。


 体の震えは腰のあたりを的確にくすぐった。ぐうっと喉が鳴る。こういう時は衝動のままに動くと決めている――そうしない『人間』などいない。


 頬に触れたままのリンダの手を取り、熱く見つめる。


 リンダは青い瞳をやや見開き――それからゆったりとした笑みを浮かべた。


「ええ。いいわよ」


 リンダの青い瞳にちろちろと炎がうごめきだした。



 *



 宿舎に戻ると、同部屋のジェイクはちょうど起きたところだったようだ。白いクリームを塗った頬に鋭利な剃刀を器用にあてている。細身の体躯はひどく中性的だ。学生の頃から今と同じ体躯と性格をキープしているそうで、物心ついた時から性別は『無選択』を貫いているのだとか。男寄りでも女寄りでもなく、中性でもなく、無選択を。


 サピアリィアルは外見同様に内面も彩り豊かだ。性別についても白と黒、それにグレーしかなかったモノクロな時代はとうに笑い話となっている。


 ジェイクと鏡越しに目が合った。緑の瞳を一瞬煌めかせたジェイクだったが、おはようの挨拶もなしに「してきたの?」と単刀直入に訊ねてきた。


「さあな」

 

 どうでもいい質問だから返事は投げやりに返す。着ていたカーキの上着を脱ぎ、向かって左、自分のベッドに乱雑に放ってそのまま自分も寝転がる。事後特有の余韻、気だるさにこのまま身を任せて眠ってしまいたい。


 とはいえ、寝る前にやることはやっておかなくてはならない。


 ヘッドボードに手を伸ばし、常備しているサプリメントを指先でつまみ出す。


「水をくれないか」


 ジェイクに声をかけると、ジェイクは剃刀を動かす手を止め「やれやれ」とわざとらしく肩をすくめ、ミネラルウォーターのボトルを放り投げてきた。


 片手でキャッチし、半分を一気に飲む。


「相手はリンダ?」

「当たり前だろう。ここに赴任して以来、ずっと狙っていたんだぞ」


 残りの水も十個のサプリメントとともに胃に流し込む。


「ずっとって……たかが一週間のことじゃないか」


 ゆすいだ顔をタオルで拭きつつ、ジェイクが嘆息した。


「一週間も、だ。あのな」


 喋っていたらこのルームメイトにもっと言ってやりたくなってきた。


「俺は普通だ。逆に訊くが、どうしてお前はセックスをしない」

「は?」

「同じ部屋に住んでかれこれ一週間、お前がセックスしてきた気配を一度も感じていない」

「別にいいじゃないか」


 ぷいっとそっぽを向かれた。子供か。


「否定はしないんだな」


 呆れ顔になった俺に、ジェイクの背中がふるりと揺れた。その横顔はいつのまにかほほ笑みに変わっている。


 ジェイクの表情にふと既視感を覚えた。


 優秀な脳はあっという間に類似の記憶をいくつか手繰り寄せ、一つの記憶を選び取っていた。


 そう、ジェイクが見せた表情はあるドローンの四人が浮かべていた表情に酷似していたのだ。晴れ渡る空の下、自分達の同胞の死体を運んでいるくせになぜか満たされた表情をしていた彼ら――。悲しみを理解するドローンがなぜその作業中に笑えるのか?


 あの日の反演繹法的状況が、今も小さな刺のようにひっかかっている。


「どうした?」

「いや。なんでもない」


 まるでドローンのようだと言いかけ、とっさに口をつぐんだ。


 たとえ自分の記憶に自信があろうとも、それを口に出すことは他人を侮辱し貶める行為だ。だがそれは決してゆるされることではない。なぜなら、俺――俺達サピアリィアルはこの世界でもっとも優れた人種だからだ。優れた人間はそのようなことはしない。


 サピアリィアルの優位性を否定するデータはこの地球のどこにも存在しない。知能、技術、容姿に体躯、何もかもが他の人種と一線を画しており、それは精神面においても同様である。


 好奇心旺盛でとことん前向きな性格は、人生とは楽しむべきものと真に理解しているがゆえだ。


 しかし、逆説的だが俺達はこのことも理解していた。


 サピアリィアル〈優位者〉はこの世界、この社会をより良くすべく尽力しなくてはならないことを。


 たとえば他人を無意味に傷つけるような行為は、これに明らかに反するのだ。


「……もう寝るよ」


 会話を中断したいのも理由だが、実際、とても疲れていた。そう、完璧を自負していようがいまいが、サピアリィアルだって働きすぎれば疲れるし、疲れたら眠くなるのだ。


「そうか。おやすみ」


 目をつぶっていてもジェイクが静かに部屋を出ていく気配は感じられた。



  ◇◇◇


本章はこのような感じでR15的な内容ばかりですし、心理的に重めで難解な雰囲気で構成しています。

なぜなら、語り手であるザックがそういう人間だからです。



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