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レジスタンス-それはありふれた絶望だった-  作者: アンリ
第二章 愚かでもよかったの -ニコ-
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エピローグ

 それからの私はあなたとずっと行動を共にしてきた。


 そしてあなたはとうとう最大にして唯一の目的を果たした。


 それはとあるよく晴れた日のことだった。



 *


 あなたが幼い頃に一時期収容されていたというその特区は、一言でいえば宇宙の彼方で見捨てられた異空間のような場所だった。


 私達の同胞が押し込められていた十の建屋は、まさに朽ち果てる寸前の廃墟のようだった。数十年前にとある製薬企業が撤退して以来使われてこなかった工場を改造したものらしいが、長い間無理をして使い続けてきたことは一目見て分かった。


 あなたの指示の元、レジスタンスの仲間たちが建屋の扉を一つずつ開けていく。鍵なんてかかっていなくても誰もがおとなしく幽閉されていたのは、ここが圧倒的な絶望で支配されていた所以だろう。


 建屋の向こう、草原のような敷地の向こうには、すでに無人となったアルファ系の研究棟が陽炎にほのかに揺れて見えた。


 よく晴れた、朝から強い日光がまぶしい日のことだった。


 十の建屋、開け放した扉から一人、また一人と黒髪黒目の男達が出てきて、その数は時間とともにぐんぐん増えていった。声が声を呼び寄せ、やがて歓声になり、うねるような感情の爆発がいたるところで沸き上がっていった。どこからか歌声も聞こえた。とても厳粛な気持ちになるのに、心温まる不思議な歌が――。


 敷地内に足を踏み入れたあなたは、まずは天を仰いだ。次にそびえたつ一本の煙突をじっと見つめ、その目を潤ませた。初めて見たあなたの涙に、驚きと同時に悟った――やっぱりあなたは私を愛することはない、と。


 見つめる私に気づき、あなたがほほ笑んだ。


「ニコ? どうしたの?」

「ううん、なんでもない。ただ……」

「ただ?」


 私を見つめ返すあなたの瞳は、今も昔も変わらず優しい。


 けれど、その目が熱く燃え、私自身を求めてくれたことは一度もなかった――。


「ようやくこの日が来たんだなって思ったら、感極まっちゃって……」


 特区を解放する日が来たら、きっと私は最後の希望を失う――。


 それはずっと分かっていたことだった。


 だから覚悟はしていた。

 けれど……覚悟なんてしていてもいなくても、実際にこの時を迎えたら苦しくて仕方がなかった。


 あなたはそんな私の葛藤も絶望も知る由もなく、笑みを深めてうなずいた。


「そうだね。僕も嬉しいよ。すごく嬉しい。ニコ、今までありがとう」


 その一言は私の胸をためらいなく刺した。ありがとう……その一言がこれほどまでに胸を痛めることがあるなんて、私はちっとも知らなかった。


「ニコ……?」

「あ……」


 何を言いかけたのだろう、それは自分でもわからない。ただ、言葉が発せられるよりも先にあなたの視線がすっと脇に逸れたから、その謎を解く機会は永久に失われた。


「オオノだ……! ごめん、ちょっと行ってくる」

「ええ。いってらっしゃい」


 小さく手を振り、私はあなたを見送った。


 相変わらず天空の太陽は力強く輝いている。ただ、そよそよと吹く風はどこまでも優しい。草花の揺れる気配が肌の表面を緩やかに滑っていく。――大丈夫。今日はこんなにもいい日だ。こんなにも素晴らしい日だ。


「……大丈夫か?」

「大丈夫よ」


 背後に立ったザックに私は振り返ることなく答えた。


「彼が喜んでくれてとても嬉しいわ」


 あなたが中年の男となにやら言葉をかわし始めたのがこちらからでも確認できる。耳につんざくほどの喧騒の中では二人がどんな会話をしているかは聞こえない。――だから私が今から言うことも聞こえやしない。


「私ね……ほんとに彼のことが好きだったのよ」

「ああ」

「初めて見たときから好きになっていたの」

「ああ」

「デルタ系だって恋はするのよ?」

「ああ。知ってる」

「ザックが前に言っていたでしょ? 失恋なんてよくあることだって」

「あ、ああ」


 あれほど完璧に思えるアルファ系でも失恋をするのだと知ったときは、泣きたいような、笑いたいような……そんな不思議な気持ちになったものだ。ザックも昔、失恋したことがあるらしい。


「だったら私にだって耐えられるわ。失恋くらい。そうでしょ?」


 だったら――私は耐えなくてはいけないのだ。


 こんなありふれた悲しみのことは、誰も絶望とは呼ばない。


 あなたは初老の男の手をとり、その手を額に押し当てている。きっと私とでは分け合えない過去や感情を共有しているのだろう。


 ほら、あなただってすべてを理解していなかったのよ――この世界のことを。あなた自身を。


 あなたは何をしようが満たされてなんかいなかった。百パーセントの幸せに浸ってなんかいなかった。だからそうやって泣きたくなるのよ。涙せずにはいられないのよ……。


 自分の胸にそっと手をあてる。


 この胸にぽっかりと開いた穴は、もうずっと前からここにあった。けれど何も感じないように努めてきた。そうしなければあなたのそばにはいられなかったからだ。けれど今、私はあらためて空虚さをかみしめていた。たとえ見ないようにしていても、何も感じないようにしていても――虚しさはずっと前からあったのだ。『ここ』に。――あなたと同じように。


「私、今日から彼のことを名前で呼ぶわ」

「いいのか?」

「ええ。もういいの」


 デルタ系は個人名をもたず、家族で同じ名を使っている。だから子供達は生まれた順にイチ、ニコ、サン、シイ……と呼ばれる。どこの家でもそう呼ばれる。


 そして配偶者のことは――あなたと呼ぶ。



 *



 歓喜に沸くこの場において、一部の集団だけがひっそりと寄り添い合い、あの厳かな歌を歌い続けていた。そして静かに涙を流し続けていた。解放されること、すなわち喜びではない集団が確かにここにいる――そのことに私は奇妙な親近感を覚えた。


 私も彼らと同じだった。


 長くこの胸に抱いてきた恋心は私をいつも喜ばせると同時に苦しめてきた。レジスタンス活動には血と汗と涙を常に捧げてきた自負もあった。よけきれなかった爆弾で片目の視力は失われてしまったし、ストレスフルな生活のせいで生理も止まってしまった。


 なのに、ようやくこの苦行から解放されたというのに、一切の喜びを感じられないでいる――彼らのように。


「……命が救われようが救われまいがどうでもいいと思えてしまう私は、きっと愚かなんでしょうね」


 狂乱する群衆の熱気の渦の中にいても、一切共感ができずにいる――彼らのように。


「あなただってもっと愚かだったらよかったのよ――ソウ」


 でも私の方こそ、もっと愚かになるべきだったのかもしれない。理解のあるふりをして、一緒になってレジスタンス活動に打ち込んで……本当はそんなことしたくなかったのに。世界なんてそのままでもよかったのに……ただあなたに愛されたかっただけなのに。


「なんだって?」

「いいえ。なんでもないわ」


 私は小さく首を振るとザックのそばを離れた。


 ザックは追ってはこなかった。


 あなたの――ソウの姿はもうどこにも見当たらなかった。



 了

第二章をお読みくださりありがとうございます。

こちらの第二章は長岡更紗様主催の「アンハピエンの恋企画」参加作品です。


この企画名を知った頃、ちょうどそろそろこの作品の続き、連作短編を何か仕上げたいという欲求が起こっており、企画に便乗して本作を書き上げました。

長岡様、参加させてくださりありがとうございましたm(_ _)m

この企画なしではこの章は生まれていなかったと思います。


第三章と第四章は、実は一年前から八割がた書き上がっています。

その繋がりとなる第二章がなかなか思いつかずにいたのですが、今回書き上げることができてだいぶ前進しました^^


とはいえ、第三章以降はいつ投稿するかは未定です。

いったん本作品を検索除外にして公募に出してからか、もしくは気まぐれに投稿するか…。

まだ決めかねています。

そのため第二章終了に伴い、本作品はいったん完結にしました。

気長にお待ちいただければ嬉しいです。

ご感想お待ちしております。

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[良い点]  ニコー!せつなーい!(´;ω;`)ブワッ  同じような感想になりますが、ナルセの妹らしいというか。ナルセの家はひたむきに愛してしまう人々なのかもと思いました。  収容所を経験していない…
[良い点]  読み終わりました。密かな恋のアンハピでした。 [気になる点]  設定が難しいので、2章の最初の入りが混乱しました。 [一言]  続きがあるという事なので楽しみにしています。
[一言] ザックの、ソウを語るシーンがもう、重くて、悔しさも感じて……胸に来ました。 ラストが本当に良かったです。 目的が達成されるイコール別れ…… でも、止められない。 ソウがナルセの事をずっと考…
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