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レジスタンス-それはありふれた絶望だった-  作者: アンリ
第二章 愚かでもよかったの -ニコ-
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9.あなたは私を拒んだ

 この時私が感じた恐怖を、あなたはきっと理解できていない。


 あの時も――こうして話している今も。


 それは私だけじゃない、デルタ系であれば誰もが義務教育によって刷り込まれている常識に反するものだった。あなたは小学校に通う前にあの恐ろしい特区に収容されてしまったから知らずに済んだのだろうけど、私は違った。


 私にとって、戸籍とは自らの命そのものだった。それなしではこの世界で生きてはいけないと、心から信じていたのよ。だから戸籍のないあなたのことがすごく心配だったの。戸籍がないということは、あなたが世界から拒絶されているということだと――当時の私は盲目に信じていた。


 だから私はあなたのことを護ろうと必死になっていたの。


 たとえ望まない結婚をさせられ、この世界の不条理をとことん見せつけられても――あなたのことは必ず救うと決めていたの。他の誰でもない、この私が。


 耐えがたい絶望の中でも、あなたという光のために生きてこれたの――。




 

 ずっと部屋に籠っている私を心配してあなたが様子を見に来た途端、私は鬱憤を晴らすかのようにあなたに思っていることをぶちまけていた。


 あなたはあっけにとられていたけれど、しばらくすると「ごめん」と言った。そして頭を下げた。


 その姿を見たら、しつこいほどに胸に巣くっていた怒りは消え、自然と留飲も下がっていた。あなたの言動は無知ゆえのものだとはっきりと分かったから。


「ううん、いいの。私の方こそごめんなさい。あなたが悪いわけじゃないのに」


 緩く首を振り、あらためてあなたに視線をやる。


「ね。私は今、死んだことになっているの?」


 それはずっと訊きたかったことだった。


 これにあなたがためらいながらもうなずいた。


「うん。そうすることであそこから連れ出すことができたんだ。でもニコはあの大学で働きたかったんだよね。迷惑だった……?」

「ううん、迷惑なんてことはないわ。動物の研究をしたかったのは本当だけど、もういいの」

「結婚相手のことは?」

「どうでもいい、あんな人。それより、これからは私にもあなたの手伝いをさせてくれない?」

「ニコが? でもこれはすごく危険なことなんだよ」

「分かってるわ」


 それはこの部屋に籠っている間に理解したことだった。


「僕がニコをここに連れてきたのは仲間にするためじゃない」


 真剣な面持ちで語るあなたに「それも分かってる」とうなずいてみせる。


 あなたの活動に役立てるような知識も技術も、私は何も有していない。あなたもはなから私に何も期待していない。それでもこの気持ちに嘘はつけなかった。あなたと同じ時を刻みたい、ずっとそばにいたいと思う気持ちには――。


 あなたに再会した瞬間、あらためて気づいたの。


 あなたのことがすごく好きだということに――。


「あなたがやりたいことを応援したいし手伝いたい。お願い、やらせて。邪魔はしないから」


 じっと見つめると、あなたは瞳を揺らしたものの、やがて根負けしたように目を伏せた。そして小さくため息をついた。


「分かった。ニコは言い出したらきかないもんね」

「ありがとう!」


 喜びのあまり抱きつこうとしたら、あなたは私の顔の前に手のひらを突き出して制した。


「ごめん」

「何よ」

「もうそういうことはしないでほしいんだ」


 せっかくの興奮に水をかけられ、私は途端に気分を害した。


「どうして? カラーズはこういうことを挨拶がわりにしているじゃない」


 あの団地に住むようになって何が驚いたかって、今まで住んでいた町ではまれにしか見たことのなかったカラーズを日常的に見かけるようになったことだった。滞在する医師や看護師、警備員――などなど。そしてカラーズが親しい者同士で抱きしめ合う光景を飽きるほど見かけた。デルタ系は他人にも家族にも気安く触れることは硬く禁じられているのに、彼らにとってそれは自然な行為だったのだ。


 抱擁の光景に、最初の頃は生理的に嫌悪感を抱いた。汚らわしいとすら思っていた。私の有する常識に相反していたのもそうだけど、他人に触れる行為の先に妊娠する行為があることを知ったばかりだったのも、この嫌悪感を助長したのかもしれない。


 でもしばらくしたら、抱きしめ合うカラーズをうらやましく思う自分がいた。


「私だってあなたとこういうことをしたいわ」


 そう――ずっとうらやましいって思っていたのだ。


 ほほ笑みかけたい相手に触れられることに。

 ほほ笑みながら触れ合える相手がいることに。


 同じ人間なんだから、私だって――。


「あなたは世界を変えたいんじゃないの? 同胞を自由にしてやりたいんじゃないの? それってこういうことも自由にできる世界にするってことでしょ?」


 それでもあなたはなかなか答えない。


「ね。どうして駄目なの?」


 しつこく食い下がると、あなたは目線を斜め下にやった。


「……苦しくなるんだ」

「苦しい?」

「……忘れたくないものを忘れてしまいそうになるから」


 それってイチのこと、と私が訊ねると、他に何があるの、とあなたに静かに返された。



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