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レジスタンス-それはありふれた絶望だった-  作者: アンリ
第一章 孤独を愛したはずの男について -オオノ-
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14.真の心を理解する

「ナルセええっ……!」


 血を吐くようなソウの切なる声――。


 延々と暴れ続けるソウの体は熱湯のようだ。抱える俺の全身にも汗が噴き出している。


 だがふいにソウの動きが止まった。弛緩し、だらんと俺の腕の中に体を預けたソウは、もはやすべての気力を使い果たしていた。


「ナルセえ……」


 ソウが切なげにその名を呼び出した。


「ナルセえ……ナルセええ」


 もうそれしか言葉がないかのように、うつむきその名だけを呼び続けている。


 怒りを吐き出し終えれば、あとに残るものは悲しみしかなかった。


 ソウの悲しみは俺の胸の内に潜んでいた悲しみを芽吹かせ、膨らませていった。どうしようもなく辛くて苦しくて――とうとうソウを抑え込むことができなくなった。


 力が抜けたところで、ソウが俊敏な動作で俺の腕の中から飛び出しナルセに縋りついた。


「ナルセえ!」


 ソウがひときわ甲高い声をあげた。


「僕は……僕はナルセに、ナルセだけに生かされてきたんだよお……!」


 その瞬間、俺は震え――悟った。


 これまでソウのことを完全に誤解していた……ということに。


 ソウはナルセの存在、ナルセの優しさを当たり前のものとして享受しているとばかり思っていた。だがソウの叫びはそれは違うと言っている。


「ナルセが僕を生かしてくれていたんだ、ナルセだけが僕を生かしてきたんだ! ナルセがいなければ僕はもう死んでいたんだ! 僕が今日まで生きてこられたのは全部ナルセのおかげだったんだよおっ!」


 彼の日の記憶が蘇る。


 早朝、F棟の裏。この子供はか細い声をあげて泣いていた。


 そんな子供を抱きしめ、手を引いて立ち上がらせたナルセ。その手を握り返した時のソウの歓喜の表情。


 あの瞬間、確かに二人は喜びに包まれていた。


 その光景に、神を信じる者であればきっとこう思っただろう。それすなわち祝福であり奇蹟だ、と。神を信じない俺にはあの時は分からなかった。だが今なら分かる。神を信じない俺でも、今なら――。


 落とした視線の先にあったもの、無残にもぎ取られたナルセの腕を拾い上げたのは、取り立てて意味があったわけではない。なんとなく拾っていた。それは本体から引き離されているにも関わらずまだ温もりが残っていた。しかしナルセはもう死んでいる。死んでいるのだ……。その矛盾に心が痛いほどに軋んだ。


 ソウはナルセの胸元に顔を伏せ、同じことばかりをつぶやき続けている。


「逝かないでよお。僕を置いて逝かないでよお。ナルセがいなくなったら僕はどうしたらいいんだよお。ナルセなしで、僕はこれからどうしたらいいんだよお。ずっと一緒にいるって……約束したじゃないか……」


 ああ……やはり。


 ナルセがソウを大事にしていただけではなかったのだ。


 ソウにとってもナルセは唯一無二の存在だったのだ。


『ソウにはナルセ、お前が必要だ。ナルセにはソウ、お前が必要だ』


 ベンじいの最期の言葉が思い出される。


 ベンじいにはあの時から分かっていたのだ。


 昨夜のナルセの言葉が連なるように思い出されていく――。


『僕の生きた証、生きる願い、それはもうすべてあの子だけなんだ。だからお願いだ、お願いだよ……』


『僕はあの子に幸せを与えてやれない。だからせめてその苦しみを取り除いてやりたいって思うんだ。あの子は死に怯えている。だからその死を取り除いてやりたいんだよ……』


 俺は目を閉じ、それから決意を持って開いた。


「ソウ。いいか、よく聞け」

「ナルセえ……」

「いいから聞け! お前はナルセの最期の願いを叶えるんだ!」


 泣きじゃくる声がぴたりとやみ、ソウはぐしゃぐしゃになった顔で俺を見上げてきた。


「……オオノ?」


 俺はソウの隣、ナルセの体の前に膝をつき、先ほど拾ったナルセの片腕をソウに突き付けた。


「これを見ろ。ナルセの手がこんなに傷ついているのはな」

「ぼ、僕のせいなんでしょ……」

「ああそうだ。お前のせいだ」

「分かったよ、もう分かったからっ!」

「いいや、分かっちゃいない。ナルセはお前のために熊と素手で戦ったんだ。あのばかでかい熊とな」

「……え? どういうこと?」

「いいかよく聞け。昨夜あいつは俺にこう言った。あいつの生きた証、生きる願いはお前だけなんだ、と。お前の死を取り除いてやりたいんだ、と」

「……ナルセが?」


 意味を理解しきれないソウに、俺はまだ温もりのあるそれ――ナルセの片腕――を押しやった。


「今お前にできることは一つしかない。ナルセのためにできること、それは生き続けることだよ」

「ナルセのために……生きる?」

「あとこうも言っていた」


 昨夜、俺は最後にナルセに訊ねた。何かソウに言い残すことはないのか、と。


『そのままの君でいて……そう伝えて』


 それが俺とナルセが交わした最後の言葉だった。


 ナルセは本心からソウのことを愛していたのだ。


 ただの拾った子供ではなく、孤独以外に愛せる何かを求めていたわけでもなく、ソウだから愛したのだ。


『愛とはそれなしでは生きていけないもののことだよ。ここでは僕達デルタ系には孤独しかないだろう? ならばその孤独を愛さずして他にどうやって生きていくというんだ。この世界で、このアルファ系による牢獄そのものの世界で――』


 孤独の代わりにソウを愛してしまったナルセ。ならばその末路は定められたに等しかったのだ。こんな世界で、こんな無邪気な子供を愛してしまったら。


 ナルセの考えるような深い愛情を注いでしまったら――。


 なあナルセ。

 お前は生きるために愛したのか?

 それとも愛するために生きたのか?


 俺の問いに答えてくれる者は――もういない。


「お前はここを出ていくんだ。今から俺の言うとおりにしろ。それとその腕は持っていけ」


 戸惑うソウに、俺は強引にそれを持たせた。


「ここに置いておいても焼かれるだけだ。正直、お前がどうやってこれから生き抜くことができるのか確かなことは何もない。だがその腕は、お前を護ったその腕だけは確かなものだから……」


 ソウは震える両手で腕を受け取るとそれに静かに頬を寄せた。心から愛しい人に添うように――ナルセに添うように。まだ乾いていないナルセの血がソウの頬を赤く染め、つうっと垂れていった。やがてソウは静かに目をつぶり、先ほどまで嗚咽を繰り返していたのが嘘のように穏やかな表情になっていった。


「うん、そうだね。この手が僕を生かしてくれていたんだね。この手が僕を引っ張り上げてくれたんだよね……」


 甘えるように頬をすり寄せ、唇で触れ、ソウはいつまでもその腕を抱きしめていた。

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