それはきっと夜咄
暗い暗い冥界の底。
波立たない水面の上で、正者の人と人ならざる死者とが声を交わす。
揺れぬ水面と空気とを、笑い声が響かせる。
空間がもたらす雰囲気とは裏腹に、朗らかに会話をしているようだった。
「────と、ここまで話したのも僕が本で読んだだけの知識なんですけど良かったんですか?」
「貴方の思いや感傷は本物でしょう?爽やかな風も、吹き抜けるような青空も、暖かな日差しに微睡むのも、貴方が体験して思ったことよ。私はそれで良いの」
「じゃあ次は──────」
少年は語る。
神話の終わりから現代までの出来事を
彼女が知らないであろう物語を
茂った草葉を滑る朝露のように、知識を彩る彼の体験は、女の耳に心地よい話だった。
彼女は聞く。
神々が消えてから人が紡いだ歴史を
彼が蓄積したであろう知識を
流れた雨が窪地に受け止められるように、体験を飾る彼女の知識が、少年を饒舌にさせる。
「じゃあメソポタミアが遺した文化は粘土や天体観測なんかの星そのものに関することが主なのね?」
「そうですね、水と土と木、自然の関係性や空の向こうの宇宙……特に星の距離を測る計算式まであったと書かれていたので」
「化学かぁ……当然ながら、神々とは全く違う理屈なのね」
「寧ろ僕からしたら化学が常識で神さまの存在の方が不思議なんですけど…」
「原初、理を決めたのは神々の方よ。そりゃあ、土地によって全然知らない神がいたなんて知りもしなかったけど…」
少年は知らず、世界を知る。
星の理
神と人との関係
それは、真理へ至れるほどの情報
人の歴史では辿り着けない。
神の領域では知り得ない。
神秘と化学の真実に、しかし少年は気付かない。
そのような戯れ事は、少年の知りたい事ではないが故に。
「───そうして聖剣を引き抜いたアーサーは王となりました。長い道のりと、永い旅を経て、数多の冒険を乗り越えた彼は国を統べるアーサー王となったのです」
少年は語る。
子どもらにしたように、慣れた口調で物語を紡ぐ。
目の前の、小さな子にお話を
夜のような深い闇に包まれた、暗い地の底で、穏やかに楽しんでいる。
そう、穏やかに……
不安と焦燥を押し殺し、凪いだ水底に沈ませるように、穏やかに
「アーサー王はブリテンを統べました。城壁を築き、兵士を鍛え、僅か数年で周辺諸国を唸らせる強国へと育て上げました」
不謹慎だと罵られるだろうか
冷血だと言われるだろうか
何も分からないナニカに襲われた村を放って、どことも知れない冥界で何をしているのかと、不安になる。
安否さえ分からない子どもらを忘れ、既に死んだ者たちに同情し、出られない事に焦燥を覚える。
そんな身勝手な自分を嫌悪して、結局は何一つ進展していない。
「しかし、ブリテンを大飢饉が襲いました。蛮族が村々を襲い、国民は飢え、王を批判しました」
「王は何をしている」
「我々は飢えて死すばかりだ」
「あの方は村を焼いた」
「私の村は蛮族に襲われた」
「国は疲弊し、アーサー王は救済の願いを賭け、ガラハッド卿を聖杯探索の旅へと派遣しました」
一縷の望みを、自分以外の誰かに託し、自分以外の何かに期待し、どうにかなってくれと無様に祈る。
「優れた王は、ブリテンがより存続するように舵をきります。廃村を焼き、軍備を増強し、蛮族や他国との戦争で全てを奪われることを防ぎます」
いつか、その内、きっとどうにかなる筈だ。
当てもない希望で、現状維持しか出来ない。
「冷血なる王に見えたことでしょう。無慈悲な王に思えたことでしょう。かつて、大陸にブリテンの名を、騎士王アーサーの名を馳せた円卓の騎士たちは、その半数が席を離れました」
きっと不安だろう
せめて無事でいてほしい
願わくば無傷で
そんな希望には、大人である彼女が、子どもたちを守るために奮闘してくれていることを含んでしまう。
会って間もない大人に、会って間もない自分たちを、守ってくれることを期待する。
ああ、なんと傲慢なのだろう。
なんと厚かましく救いを求めるのだろう。
「国の破滅を恐れた王は、あらゆる策を講じました。
宮廷術師の占いを信じ、利のない者は捨て、より多くを救う為に食料の配分を厳格に取り締まりました」
「王よ、西の村に災いの兆しが」
「王よ、次期の産み子に怖れありと」
「王よ、病魔が吹いております」
「王よ、王よ、王よ……出来る限りを費やしました。あらゆる物を投げ打って、ただひたすら、国を守るために尽力しました」
少年は、かの王ではない。
才はなく、剣に選ばれてなどいない。
力は足りず、経験は詰めず、知識を活かせない。
それでも諦めきれない想いが、少年を縛る。
「王妃の不貞が明るみに出ました。ブリテン最強の騎士が、国を裏切りました」
「ランスロット卿が」
「ギネヴィア王妃が」
「どうなさるおつもりですか」
「ご決断を」
「「「「アーサー王よ!どうかご決断を!」」」」
「国が割れていくのを彼は実感していたことでしょう。信頼していた騎士たちが離反し、民は飢え、地は痩せ細り、国が荒れていく……アーサー王は、どのような心境でいたのか…エレシュキガル様はどう思いますか?」
「うぇっ!?わ、私?」
「……失礼。その、失言でした」
そう、失言だ。
荒れてゆく自らの領土を、立て直そうと足掻きながら結局、そうなっていくのを眺める事しか出来なかった。
そういった共通点のある彼女は、どう思ったのだろうかと、その感想にふと、興味が浮かんでしまった。
狼狽する彼女の表情を見て、少年は自戒する。
人の傷口を弄るような真似を、眼前の子に行ったことを自悔する。
「いいのよ?そんなに畏まらなくても」
「いえ、ですが…」
「どうせ、冥界もこんなだし、私が女神っぽく振る舞おうとしまいと、誰も見てないわよ」
見目麗しい少女は、年相応の見た目の通りの態度で、大仰にダラけてみせる。
神とも管理者ともそぐわぬ態度が、女王然と自らを律していた彼女の姿とかけ離れて見えたのか、少年には少し、ほんの少しだけ、彼女が無理をしているようにも思えた。
「そうね、気にするようだったら代わりに貴方のお話を聞かせてくれるかしら?」
「僕の…ですか?」
「ええ、あなたが自分の言葉を失礼と感じたなら、私もあなたに失礼なことを聞くわ」
ひとつ、ふたつ
深呼吸と呼ぶには浅く、半端に間延びした吐息で、唇の震えを誤魔化す。
少しだけ、彼女は緊張していたのだろう。
「貴方の、人生を私に聞かせて頂戴」
自らの伸ばした手が、その行先が、焼けた刃先に触れるようなものではないかと、緊張していた。
消え去った何もかもが、今一度蘇った理由すら分からないこの場所で、ただ1人孤独を埋めてくれる眼前の少年を、傷付けることを恐れていた。
肉体の傷とか、心の傷とか、そういった事ではなく
塞がった傷跡を、埋もれた闇を、矢鱈に穿り返すことの“いやらしさ”を、彼女は恐れたのだ。
そう、つまるところ彼女は、少年に嫌われることを嫌がったというだけに過ぎない。
嫌われたくない相手に、嫌われるようなことを問う。
独り善がりな欲求から来るそんな行為を、“神”でありながら嫌った。
たかだか人間の子どもに、あれこれと気を遣い、考えを巡らすその姿は、少年が感じたように、とても神とは思えないワガママな少女のそれだった。
少しずつ、神の感覚から只の少女の感覚に近付いていくエレシュキガル。
そこを意識して書いていますが、見返すと分かりづらい気がしたので補足説明としてヒントにしちゃいます。
この事の意味はまた後の話で判明しますが、勘のいい人なら分かったりするかもしれないですね




