復興は まだまだ続くよ どこまでも
畑の土壌を混ぜ返す作業も終わり、新たに野菜を植え、季節の変わり目がやってきた。
これまでは秋だった訳で、それが何を意味するかと言うと…
「…さっっっっむい!!」
そう、“冬”はとても寒い。
あの施設では常に気温は一定に保たれていた為、暑い寒いといった気候を体験するのは初めてだ。
僕らはこの村に来た時シャツの様な大きめの布地1枚だけしか着てなかったから、尚更だ。
一応村の人たちが子ども用の防寒具を作ってくれたが、寒いものは寒い。
防寒なんて一切気にしてない子も中にはいるけど…
「意地を張らずに小屋の中に居れば良かろうに…」
「畑長こそ、もう歳なんですから家の炉端でうたた寝してたらどうです?」
「ほっほ、言いよるの小僧」
「子どもからの厚意は受け取るべきですよ」
「お主こそあの子らの面倒は良いのかのう?随分と騒いでおるようじゃが?」
「昨日も服を脱がされたばかりですからね、流石にああいった危険性がある以上は遠慮しますよ」
子供は風の子と言ったところなのか、寒さに強い子達は元気を増してきている。
日に日に寒くなっていくことの、何が楽しいのかは分からないけれど、寒い寒いと言いながら遊びまわっているのだ。
昨日も、ガウスさんが寒中行水だとか言っているのを真似しようとしている子がいた。
流石に止めようとしたのだけど、その隙に他の子が僕の服を奪い、危うく水まで掛けられるところだった。
僕が寒さに弱いのか他の子達が強いのか…
「ふむ……しかし、土を混ぜただけでここまで変わるとはのう…」
「僕もこんな劇的に変わるとは思いませんでした…」
新たな野菜を植えてから暫く、畑は実りを豊かにその景色を一変させた。
ジャガイモ、キャベツ、白菜、大根、その他諸々
どれも順調に育っていて、もうすぐ収穫といったところだろう。
土壌の混ぜ返しの効果はこんなにあるものなのか、自問してしまうぐらいには野菜の生育が良い。
提案しておいてその結果に困惑するなんて、余りにもバカらし過ぎて、笑い種にもなりはしない。
ここに来てから2、3ヶ月程の月日が経った。
村での日々に慣れるに連れ、日数を数えなくなったからか、随分と長い間この村で生活していた気になってくる。
それこそ、警戒していたのが馬鹿らしく思える程度にはこの村を…村の人たちを信用している。
だからまあ、子どもたちの世話も、村の人たちに任せる事に抵抗がなくなった。
最近では、子どもたちの事ではなく村の人たちの事を考える時もある。
林でのゴブリン遭遇を振り返って、もしこの村が、ああいった魔物や獣に襲われた場合、どうなるのかを考えたりする。
老人や女性が多く、僕たち以外の村の子どもは10人もいない。
つまり、そういった場合には、男衆だけが頼りになるのだ。
ただ、魔物や肉食獣といった、外敵との戦闘経験があるのはガウスさんやアーカードさん、エドさん達3人だけで、戦闘用の武器だって、人数分ある訳じゃない。
狩猟用とは別にある弓が15本、これは人数分あるけれど、刀剣類は5本しかない。
アーカードさんに聞けば、ゴブリンはやはり群れで生活するらしいので、林での一部始終を説明した後、村周りの防護を固めるよう村長たちを説得してもらった。
森の方から木材を大量に運び、簡易的ではあるけれど、砦を作った。
建築に関して僕は、これといった知識を持っていないので実際の製作は村の人たち任せだ。
僕に出来たのは戦争について書かれた本にあった、殺傷を目的とした罠をいくつか、砦の前に仕掛けておくことだけ。
砦と罠に使った分で、森の一部が拓けてしまったけれど、村長に言わせれば森のほんの少しだけで、髪の毛一本抜かれたようなものらしい。
そう言った村長の髪は、あと数本といったところだったけれど……
砦の外に出て、こっそり作っておいた木刀を拾い、ここ最近始めた日課を行う。
村にある刀剣は、偶にくる行商から買い取ったものらしく、物語に出てくるような西洋風の、両刃の剣だ。
刀鍛冶なんてこの村にはいないから、大事に保管しておいても、否応なく劣化する。
それこそ本で読んだような切れ味は期待できないだろう。
きっと、“斬る”というより“叩く”といった扱い方になるはずだ。
……あの林での勝利は、色んな偶然が重なった結果でしかない。
あんな風に、何も考えず闇雲に振り回しているだけじゃ、本当は当たることすら無いと思う。
もっと冷静に、相手の動きに対処しながら、状況に即した判断をするべきだ。
その為に、平野方面と畑方面の、ちょうど中間地点ににある“おばけの木”で、特訓をしている。
この“おばけの木”、偶にぐにゃぐにゃと蠢いているらしく、その様子を見た村の誰かによってそんな名前がつけられたとの事だけど、木の大きさや枝の形状が特訓の都合に合致した為、全く気にせず、ちょっとだけ改造させてもらった。
“改造”と言っても、枝の随所にロープで木の棒を括り付けただけだ。
「そー…っれ!」
掛け声と共に、勢いよく棒を投げ飛ばす。
棒の動く範囲は、それぞれの棒の静止位置に重なるよう作っているので、どれか1つの棒を動かせば、互いにぶつかり合って暫くの間不規則に動き回るようになっている。
昔読んだ何かの冒険譚で、主人公がしていた特訓方法を、うろ覚えなりに再現してみたというわけだ。
「1、2、3…4、5…6…!」
手に持つ木刀を、縦横無尽…という程ではないけれど、動き回る棒にしっかりと当てていく。
「8……っと、わッ…は、8!」
かと言って、目の前の目標にだけ意識を割いていては他の棒にぶつかるし、“攻撃”を当てなければ意味がない。
棒の大きさや重さ、形は雑多に選んだから、偶にロープが絡まることはあっても、同じ動きをする事も無い。
この複数の棒の不規則な動きで、瞬間の判断力を鍛えたり、動き回る物体に正確に攻撃を当てるだけの技量を鍛えることが出来る。
……と思う…
どうだろうか…製作した当初は自信満々意気揚々と特訓を行えていたのだけど、日を追うごとに、冷静な自分が不安を呼んでくる。
本当に効果があるのか
「18……じゅう…9ッ、20!」
全くの無意味ではないのか
「34、35……36っ…」
しなくて良いのではないか
そう考えてしまう。
差し迫った問題が無いからか、余計な事を考え過ぎてしまっている。
そう分かってはいても拭えない。
所謂“マイナス思考”というもので、1度不安が的中したり、それに準じた事が起こると、他のことに対しても連鎖してダメな可能性を考えてしまい、それが新たな不安を呼び、また他の可能性を考えるという繰り返しをしてしまうのだ。
僕にとってはそれが子どもたちを守れるかどうかということな訳で…
「あだッ!」
意識が思考に偏っていたからか、真正面から向かってくる棒に反応できず、勢いよく顔面にぶつかった。
「痛ぅぅ…!」
丁度鼻の位置にぶつかったのだろう。
ジンジンと、一定の間隔で痛みを訴えてくるソコを、取り敢えず摘んで押さえる。
ダメな方へと考えが向かったりすれば、棒にぶつかる。
棒にぶつかればその衝撃で、思考も中断される。
特訓の意味を考えながらも、愚直に続けているのにはこういった理由もあるんだろう。
目を逸らしたいのか、それとも1つのことに邁進していたいのか…
どちらにせよ、平穏や安穏といった、悩み事がない状況。
これといって何かするべき事がない状況というのは、僕にとっては寧ろ悩ましい状況だ。
“した方が良い”と、漠然とした目的で日々を過ごすというのは、ある意味ではあの施設と変わらないのではないだろうか…
自分がしている事の結果が見えない。
進む道が見えないのに歩を進めている。
自分のする事がこうも不明瞭だと、いつかそれ等の不安に押しつぶされてしまいそうだ。
……いけない。またダメな方に考えが向いてる…
何か…結果が見えて、村や子どもたちの為になる事で、尚且ついつか来る不安への対抗策足り得る能力を獲得できる様な事がないものか…
…うまい話にも程がある。
差し迫った問題がない状況で、村の為も子どもたちの為もないだろうに…
………
………………
…………………………
あ、狩りを手伝えば良いのか。
村の文明レベルというか、発展度合いとしましては、謎多き数代前の村長が引いた水車によって、水周りの日常生活はかなり良いです。
流石に毎日とは行きませんが、週1程度で、大風呂に入れます。
飲み水に関しては、現村長の孫娘が大型の高性能且つ恒常性ろ過装置を設計しており、衛生面でも中々のレベルです。
男衆はそれぞれ狩猟をメインに行う狩人組と、農耕の力仕事や家畜の世話を行う農業組、木材の調達や道具の整備製造を行う職人組がいる。
女衆が担当するのは子どもたちの世話と日々の料理、布製品の裁縫。
農業組と職人組は仕事の内容上、女衆と協力し合う事が多いので、仲が良い。
なので、男衆の中で狩人組だけが女衆とソリが合わない傾向にあります。
ガウスさんとか、特にそうです。
後は作中で追々言及していきます。
それと言っておくべき事としましては、“流れ人”つまりは“転移者”ですが、彼らはは作中の言の通り、流れ星と共に現れます。
が、“転生者”はこれと言った現象もなく生まれます。
この世界の人が知らぬ間に、ひょいと生まれて文明改革の様なことをして、平然と日々の生活を謳歌している人もいる事でしょう。
時代レベルに合わない文明器具や、衛生基準の良さは、きっとそんな人たちによって支えられているのでしょう。