サルナンテのメイド、ディアルカ
マリアーナがサルナンテと言葉を交わす少し前。
アレンとアリエスは、東通り三番地区に到着していた。
貴族の町、第二城下町は、地区によって住んでいる貴族の爵位が違う。
一番から五番地区まであり、若い数から爵位の高い貴族が順に住んでいる。
それぞれの地区は壁で区切られており、上の地区へと入るには、身分証明書、もしくは通行が許可される書状が必要だ。
これは、もし魔物や国に攻めれれた時、国にとって重要な人物をなるべく危険から遠ざける為だ。
国の兵も常に監視をして、全く抜け目の無い──と言いたい所だが、アレン達はこれを楽々掻い潜り町に侵入している為、万全とは言えない。
闇魔法の【イリュージャ】を使い姿を隠し、風魔法の【フリート】で城壁の遥か上空まで浮かび上がり、南通りに降り立っている。
まあこれは初級魔法の、ただ風を吹かせるだけの魔法をを緻密な魔力操作と、膨大な魔力で人を浮かび上がらせる事が出来るのが前提条件で、基本的にアレンしか出来ないので、警備には基本的に問題は無い。
閑話休題。
それからアレン達は一度路地裏に入り、人気が無くなった所で【フォース】を使い脚に魔力を纏わせ、建物の屋根に飛び上がった。
フェイからの情報''青い屋根''を探す為だ。
勿論、既に着ていた服は脱ぎ、仕事の時の動きやすい服装に着替えている。
「「【力よ】」」
二人は身体強化魔法を今度は自分の眼に魔力を纏わせ、視力を底上げし、三番地区を見回す。
暫くすると、アリエスが声を上げた。
「アレン発見したぞ」
「ほんと?」
「ああ、恐らくあれだ。場所は八キロ先、丸い屋根だ。その上部には小さな騎士の銅像が飾ってある」
「えっと、八キロ先の丸い屋根。騎士の銅像が…あった。流石アリエス、仕事が早い」
「これくらい大したこと無い」
「充分凄いと思うけどな…まあいいか。さて、目標も見つけたし進もうか」
褒めるアレンに対して、当たり前だと言わんばかりにアリエスは応えた。
それから目標目指して屋根から屋根に飛び移りながら、今後成さねばならない事を確認する。
「それじゃあ今度は脱出経路の確認と邸内の調査。あと出来るなら不正の証拠の押収かな」
「毎度の事だが配達屋の仕事では無いな…」
「あはは…まあでも全ては配達の為だからさ」
アリエスの言葉にアレンは苦笑を浮かべながら応えた。
アリエスの言うことは最もだった。
こんな事は決して配達屋の仕事では無い。
アリエスも、フェイも。初めの頃、共に仕事をした時は訳が分からず、どうしてこんな事をしているのか?と、アレンに問う事があった。
アレンは、悲しそうに笑いながら言った。
──唯の自己満足だよ。
アレンはそう言うだけで、詳しい事は何も話さなかった。
しかし、いつからか二人は何も聞かなくなり、文句も言わずに仕事をこなすようになった。
暫くして、今度はアレンが二人に問うた。どうして何も聞かなくなったんだ?と。
二人は笑いながら答えた。
──だって答えたくないものを無理矢理聞こうとするのは迷惑でショ?
──だから何時か、アレン自身が言いたくなったら言ってくれ。それまで、私達は待ってるから。
それから長い月日を、三人は共に過ごして来た。
三人の仲は、以前に比べてより深いものになっているはずだ。
しかし、アレンは未だに二人に詳しい事情を話せずにいる。
脱出経路を確認し終え、サルナンテ家の邸の屋根に到着する。
「それじゃあ粗探しを始めようか。僕は一階、アリエスは二階を頼むよ」
「対象を見つけた場合は?」
「取り敢えず助けに来る事だけ伝えて放置。ホントは助けてあげたいけど今回は邸内部の情報が一切無い。見つかった時が大変だ。その場合、魔法で記憶を消してもいいけど、此処は伯爵家だ。恐らく魔力感知機が仕掛けられてるから、邸内では魔法は使えない。使えば警報がなって逃げにくくなるしね」
「了解」
伯爵以上の貴族の邸には、魔力感知機と呼ばれる魔石が置いてある事が多い。
これは邸の近く、もしくは中でで何らかの魔法が使用されていると、それを探知し警報を鳴らす魔石で、暗殺やスパイ等を未然に防ぐ為のものだ。
現時点でアレン達は邸の屋根に居る為、既に魔法は使えない。
つまり、これから行う邸の調査は全く魔法を使わずに全てをこなさなければならない。
「よし、じゃあ行こう。一時間後に屋根の上に集合。早く帰らないとフェイがまた怒りそうだからね」
「了解、フェイが腹ペコが理由で怒ると面倒臭いからな」
二人は軽愚痴を叩きあい、それぞれの役割をこなす為に、屋根から飛び降りた。
────────────
アリエスは二階の窓の外にあるスペースへと降り立つと、懐をまさぐり、二本の先の細い鉄棒を取り出した。
ピックだ。
鍵を無くしたりして、開けられなくなった錠前を開けるためのもので、アリエスが持っているのは先端が少し曲がった物だ。
テラスに出る扉の前まで行き、屈む。
目の前の、扉に備え付けられている錠前に二本の鉄棒を差し込み、上下に割開いた状態でカチャカチャと鉄棒を動かす。
少しして両手を回転させると、カチャンと錠前の動いた音が聞こえた。
ドアノブを回して引くとすんなりと扉が開いた。
扉を閉め、部屋の中を見渡す。どうやら其処は資料室のようで、ずらっと並べられた棚には、本や紙の束が大量に置いてあった。
手当たり次第に、それらに目を通していくが、めぼしい資料は見つからない。
(此処はハズレか…)
全ての資料を調べ終え、アリエスは部屋を出て行こうとして、あるものに目が止まった。
それは棚の上段に並べられている本だった。
綺麗に揃えられている中で、一つだけほんの僅かに飛び出していた。
本来であれば気にならない程度のものだが、それが妙に気になった。
しかし、試しにその本を手に取ってみるが、特に変わった様子は無かった。
(私の思い過ごしか…)
そう思ったアリエスは取り出した本を、元あった場所に揃うように押し込んだ。
本棚の奥に本がトンと触れると、ガコッと何かが外れるような音が聞こえた。
音のした方を見ると、部屋の石畳の一角が浮き上がっていた。
浮き上がっていた石畳に近づき、手を掛け持ち上げる。
すると其処には、【極秘計画】と上部に書かれた一冊の本があった。
其処に書かれていた内容は、盗賊の雇用内容、所々線の引かれた他の酒屋のチェックリスト。違法奴隷の売場リストに、悪徳商法の計画内容が書かれていた。
完全完璧に黒と判断出来る内容だった。
盗賊の雇用内容は、他の酒屋を邪魔する為のもので、線が引かれていたのは、既に被害に遭わせた酒屋だ。
違法奴隷のリストは、恐らく無理矢理連れてきた女性達のものだろう。
必要なくなった女性を売り付け金にしてまた違う女性を毒牙に掛ける。
卑劣、卑猥、非道な行いにアリエスは顔を顰めた。
今すぐにでもサルナンテに制裁を与えたかったが、今は調査の途中だ。
アリエスは深呼吸をして気持ちを入れ替え、手に入れた資料を手に持ち、他の部屋を調べる為に警戒しながら部屋を出て行った。
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時は遡り、サルナンテ邸の玄関前。
一階担当のアレンは、玄関の前に堂々と立っていた。
上では今しがたアリエスがピッキングに成功し、窓から中に入っている所だった。
「よし、それじゃあ此方も始めますか」
アリエスが邸内に入るのを確認し終えたアレンは、そう言って玄関に近づき、│呼び鈴を鳴らした《・・・・・・・・》。
甲高い鐘の音が響きわたる。
呼び鈴を鳴らし終えるとドアに顔を近づけ、耳を澄ませる。
すると中から少しだが、トットットッと歩いて来る音が聞こえた。
そして音が途切れた瞬間、上に飛び上がり、扉の上の邸の壁に│張り付く《・・・・》。
ガチャ、という音と共に、黒地の長袖ワンピースに、白のフリルがあしらわれたエプロンを付けたメイド服に、藍紫色のストレートロングの髪を後頭部で一つにまとめた、アレンより少し年下くらいのメイドの少女が一人出てきた。
「どちら様で──あれ?」
メイドが少し外に出て辺りを見渡している間に、膝を使い、音も無く飛び降りて邸の中に入った。
中は真っ赤で高そうなな絨毯が廊下や階段にも敷かれており、中の装飾や置物も爵位に恥じない様なものばかりだった。
メイドが戻って来る前に右側にある一番近い部屋に入る。
入った部屋は唯の客室だった。
特に調べるものは無さそうだったので、軽く見て回るだけにして部屋を後にした。
それから順番に部屋に入っていくが、客間ばかりで、これといって特筆するものは何も無かった。
そして右側の一番奥の部屋の前に来た。
邸を調べ始めて五つ目の扉は今まで見た扉と明らかに違うものだった。
警戒しながら、音を立てないようにして中へと入った。
「これは……っ!?」
アレンの顔が驚愕に染まる。
しかし、それは仕方の無い事だった。
アレンが今しがた入ったその部屋は──
──更衣室だった。
「ハズレ、か…」
アレンは少し落ち込みながら呟いた。
実際、こんな所に不正の証拠なんてある筈もない。
これで右側の部屋は何も無し。無駄足になってしまった。
アレンは小さくため息を零した。
「はぁ…それじゃあ、気持ち切り替えよう。次は左側の部屋を──」
──調べにいこう。と言おうとしたところで、アレンの耳があるものを捉えた。
それは一定のリズムで耳に届いていた。
トッ、トッ、トッ、トッ……
音の正体は徐々に近づいてくる。
確実に、この更衣室に向かって。
「まさか…」
こんな所に知らない人がいれば必ず不味いことになると考えたアレンは、どうするかを模索し始める。
(どうする、逃げる?いや逃げ場なんて無い。今から出て行っても鉢合わせになるだけだ。じゃあ事情を説明する?相手がサルナンテに従順だったらお終い、却下だ。あとは…)
そうしてアレンが思考を一所懸命に巡らせている間にも、音の正体は着実に此処に近づいてきていた。
トッ、トッ、トッ、トッ。
段々と近づいて来ていた足音が止まった。それも、案の定、扉の前で。
(隠れるしかないっ)
アレンは部屋の一番奥にあったロッカーを開け中に飛び込んだ。
そしてロッカーを閉めたと同時に、ドアノブが周り、扉が開いた。
入って来たのは呼び鈴を鳴らした時に出てきたメイドの少女だった。
(やっぱりか…)
アレンにとっては、少女が入って来るのは予想通りだった。
玄関で耳を澄ませて聞いた足音と、先程の足音が一緒だったと気付いていたからだ。
しかし、気付いていたからといって、この状況がどうにかなるという訳ではない。
唯、取れた選択の中で一番最善の策だというのは間違いない。
次はどうするか、どの行動が一番最適かをアレンは既に考え始めていた。
しかし、その思考は唐突に停滞を強いられた。理由は簡単だ。
(ちょっ!?)
目の前の少女が、纏めていた髪紐をほどき、着ていたメイド服を脱ぎ始めたからだ。
アレンは咄嗟に顔を背けようとして、出来なかった。
唯でさえ狭いロッカーに入っているのだ。顔を動かせば、服を掛ける為のハンガーに顔が当たってしまう。
そうしている間に、少女は背中のチャックを降ろし終え、そのままストンとメイド服を床に落とした。
「なっ……」
その瞬間、アレンは小さく声を漏らしながら、少女の半裸姿に釘付けになった。
それもその筈だ。
少女のその肌には、幾つもの│鞭で叩かれたような傷があったからだ。
恥ずかしいなどという思いは微塵も無くなっていた。
唯、少女の肌に刻まれた傷に視線を寄せた。
すると、不意にパタッという小さな音が聞こえた。
アレンは身体の傷から視線を少女の顔に向ける。
彼女は半裸のまま泣いていた。
俯き、長髪で隠れて表情は読めないが、頬を伝って床に落ちていく涙だけで、少女の辛さは痛いほどアレンに伝わった。
恐らく、ミスをする度にサルナンテに鞭で、それも乗馬鞭で叩かれているのだろう。
普通の鞭なら彼処まで酷い痕はつかない。
アレンは拳を握り締め、湧き上がる怒りを必死に堪えていた。
乗馬鞭は思いっ切り叩けば服の上からでも裂傷になる。普通に治せば必ず痕が残る。
それをあれだけ付けられた少女は、辛いなんてものじゃないだろう。
(サルナンテ……お前は…っ!!)
アレンは、思わず自分が入っているロッカーを殴りつけた。
ガンッ!!という衝撃音が、辺りに響いた。
「っ!?…誰かいるんですか?」
「あ」
その声を聞いて正気に戻る。
我を一瞬忘れた時、完璧に忘れていたのだ。この更衣室に、自分ともう一人が居る事を。
少女は下に落としていたメイド服を胸の前で掻き抱き、自分の半裸を隠している。
「誰、ですか?」
(あちゃあ…)
少女はアレンの方をジッと凝視しながら──主に見ているのはアレンが入っているロッカーだが──声を掛けてくる。
此処で出ていけば、少女は混乱して、アレンの言う事など聞く耳を持たなくなる可能性がある。
叫ばれたりしたら一巻の終わりだ。
(取り敢えず話し掛けるしかないな…)
アレンは意を決して目の前の少女に声を掛けた。
「ごめん、驚かせるつもりは無かったんだ。出来れば落ち着いて話を聞いて欲しい」
「えっ、お、男の人?は…え…?」
目の前の彼女は目に見えて動揺してあたふたし始めた。
アレンはそれを見ながら自分が慌てないように、あくまでも落ち着いているように言葉を投げ掛ける。
「混乱するのは判る。でもお願いだ、ゆっくりで良いから深呼吸をして」
「ふぇ!?は、はいっ。す、すぅ…はぁ…すぅ…」
少女は変な声を上げながらも、アレンの言うことを聞いて深呼吸をした。
暫くして、再び少女に向かって声を掛ける。
「落ち着けたかな?」
「え、は、はい。取り敢えずは落ち着きました」
「良かった。取り敢えず出ていいかな?この中狭くて」
「は、はい。どうぞ」
アレンはゆっくりロッカーを開けて中から出た。
少女はまさかこんなに若い人が出てくると思ってなかったのか、目を丸くしていた。
その見開かれた瞳は、宝石のように綺麗で、透き通った髪と同じ藍紫色の瞳だった。
「あ、あの。どうかされましたか?」
「え?あ、いやごめん。髪と眼が凄い綺麗だなって思って」
「ぅえ!?」
「あ、ご、ごめん。嫌だった、かな?」
「い、いえ!そんな事は無いです!…唯、そんな事言われたの初めてだったから…」
アレンが髪と眼の色を褒めると、少女は真っ赤な顔をしてあたふたしていた。
そんな姿がとても可愛らしくて、アレンはつい笑みを零してしまう。
「そっか、良かった。それで、僕がここにいる理由なんだけど…って、その前に。はいこれ」
「これは…?」
「マントだよ。着たら?」
「え?えっと…どうしてですか?」
アレンは少女にバックからマントを取り出し差し出した。
しかし、マントを渡された少女は、何故こんなものを渡されるのか判らない様子だった。
「その、何時までもその格好なのはちょっと…」
「ふぇ?……あっ!?」
目を逸らしながら言うと、少女も忘れていたのか自分の姿を見て顔を赤くして、けれど何処か悲しそうにしながらマントを受け取った。
沈黙が流れる。
「あの…何でこんな所に居たんですか?」
「ああ、それは…」
不意に少女が声を掛けてきた。
その質問に少し俯きながら考える。
アレンは悩んでいた。
サルナンテに然るべき罰を受けてもらう為の証拠探しと、自分は配達屋で、依頼者の母親を助け、娘に届ける為に此処に居る。と正直に伝えてしまってもいいのだろうかと。
もしかすると、目の前の少女は本当はサルナンテに従順で、この後報告をされリアの母親を助ける事が困難になるのではないか、と。
そんな時、アレンの眼に、少女の姿が映った。
身体の至る所に刻まれた痛々しい鞭痕。
頬には先程流したであろう涙の痕が残っていた。
そしてまだ少し潤んでいるが、色んな意味で透き通った、藍紫色の瞳。
それを再び見たアレンは、先程までしていた心の中の葛藤が馬鹿馬鹿しくなった。
(馬鹿だな僕は。こんな綺麗な瞳をしている子を疑うなんて…)
アレンは、はっと自嘲気味に軽く笑ってから、目の前の少女に説明を始めた。
嘘偽り無い、此処に居る本当の理由を。
「僕はある依頼者に依頼されて、此処に連れ去られた母親を助けに来たんだ。それで──」
それからアレンは此処に調査に来た事、サルナンテの不正の証拠を探す為でもあること、夜もう一度来て母親を助け出す事全てを話した。
少女はアレンの話を最後まで黙って聞いていた。
話し終わると、少女は顎に手を当てて、ふむと呟く。
「要するに貴方はサルナンテ様から依頼者の母親を取り戻し、更にサルナンテ様が二度とその人達に関わらないようにしたい訳ですね?」
「ああ、その通りだよ。それで何か知っていることは無いかな?何でも良いんだ」
「重要な資料などは恐らく二階の資料室だと思いますが…すいません。今日は屋敷中を清掃しましたが、貴方が言ったような女性は見掛けていませんね」
「掃除はいつも君が?」
「はい、この邸にメイドは一人しかいませんから」
「と言う事はいつも君が一人で?帰って大丈夫なの?」
「今日サルナンテ様は知り合いの貴族の邸に行くようなので雇った兵士だけ置いて行くようです」
「ありがとう。一人でメイドの仕事をするのは辛く無い?」
「辛く無いと言ったら嘘になりますけど、大丈夫です」
「…そっか、それならいいんだ。つまらない事を聞いた。そろそろ行くよ」
「そうですか…あっ」
それじゃあと言ってアレンが去ろうとすると、少女は何かを思い出したかのような声を上げた。
「どうしたの?」
「そういえば最近サルナンテ様の食事の量が増えていた様な気が…」
「食事の量が?」
「はい、大した量では無いんですが、パンと肉をいつもの二倍持ってこさせていました…って、そんな事どうでもいいですよね。なんかすいま──」
「サルナンテはいつも何処で食事を摂るんだ?」
「え?えっと、普段から一階一番奥の書斎で摂ることが多いです。仕事が忙しいからだと仰っていました」
「…それは多分マリアーナさんの食事の分だ。間違いないよ、彼女は書斎に居る」
「で、でも今日も料理を持っていきましたがサルナンテ様以外誰も居ませんでしたよ?」
「…多分隠し扉があるんじゃないかな、この邸の外には何も無かったし。助かったよ、ありがとう」
「い、いえ。こんな事でお役に立てたなら良かったです」
謙遜な少女の姿を見ながら、アレンは疑問を抱いていた。その疑問をアレンはぶつけてみることにした。
「なんで君は何も言わないんだ?」
「え?」
「だってそうだろう?なんで僕みたいな素性も判らないような奴を相手にしていて怖くないのか?もしかしたら取り繕ってるだけの悪い奴かもしれないよ?それに、これから僕はサルナンテの罪を暴いて犯罪者にするんだ。そうすればサルナンテは貴族じゃなくなり君は此処に居られなくなる。仕事が無くなるんだよ?なんで止めようとしないんだ?」
「貴方はそんな事するんですか?」
「する訳無いだろ」
質問返しの内容に、アレンは間髪入れずに答えた。
この言葉を聞いて、少女は嬉しそうに微笑む。
「じゃあ大丈夫じゃないですか」
「そういう問題じゃなくてさ…」
「それに貴方から悪い感じがしなかった。悪い人に会った時に感じる嫌な感じ。それが貴方にはありませんでしたから」
「…はぁ、もういいや」
少女と話している内に大体の事を理解することが出来た。
彼女は純粋過ぎる。人を憎む、疑うという事が出来ない。
''嫌''と思う事はあっても、''嫌い''になる事は無い。
少女のそんな性格を知り、アレンは苦虫を噛み潰したような表情になった。
(なんでこんな人に限って酷い目に遭うんだ…)
アレンの頭の中に、ある光景がフラッシュバックする。
何処かのある一室。崩れた壁に、ボロボロになり色褪せた絨毯。窓は全て割れていて、辺りには硝子の破片が散らばっていた。
そしてその部屋の中央には砕けた木片と人が──
「──ですか?大丈夫ですか?」
声を掛けられ、回想から現実に引き戻される。目の前には少女が心配そうにアレンを見つめていた。
「──っ、ああ…大丈夫だよ」
「良かった…凄い形相で固まっていたのでどうかしたのかと思って」
「そっか、ありがとう」
アレンは少女に一言お礼を伝えてから立ち上がる。
時計を見ると、約束の時間まであと十五分しかない。
「さてとそれじゃあそろそろ行くよ。色々ありがとう」
「いえ……あ、あの!」
「どうかした?」
扉に手をかけた所で、再び少女は声を掛けた。
振り向くと、少女は何か言おうとしているのか、口を開けたり閉じたりしている。
声を掛けると、深呼吸をしてから少女は言った。
「…ディアルカ」
「え?」
「ディアの名前です。ディアルカって言います。また会うかわかりませんけど、礼儀として、一応」
「僕はアレンだ。じゃあディアルカ、これあげるよ」
アレンは腰に付けてある袋に手を突っ込み取り出したものをディアルカに渡した。
それは綺麗な純白の小さな玉だった。
「綺麗…これは?」
「プレゼントだよ。綺麗でしょ?その真っ白な玉は魔法の石って呼ばれてて、願いを込めたらその願いが叶うって話なんだ。あげるよ」
「そ、そんなもの貰えませんよ!」
「良いから、良いから。僕が持ってても意味無いし。それとその玉に願い込めるなら家に帰ってからにして」
「ふぇ?、あの、ちょっと──」
「時間無いから行くね。それじゃあ、また何処かで」
ディアルカが呼び止める前にアレンは外に出て行き、バタンと扉が閉まった。
部屋の中はディアルカだけになり、先程までの喧騒とした雰囲気は消え去り、静寂が訪れる。
ディアルカは此処がさっきまでと同じ場所だとは到底思えなかった。
「ああもうっ、ディアにこれをどうしろって言うんですか…」
ディアルカはアレンに悪態を付きながら、渡された小さな玉を眺めていた。
外から射し込む夕陽に照らされて、持っている玉がブロンズレッドに染まる。
「私の願い、か…」
──願い込めるなら家に帰ってからにしてくれ。
考えようとした所でアレンが言っていたことを思い出し、考えるのを止める。
それから帰る準備を始めようとして、ディアルカはあることに気が付いた。
「マント、返すの忘れてました…」
自分の身体に身に着けられているマントを見て、はぁとため息を付く。
しかしそのため息を付く顔は、何処か嬉しそうにしていた。
「し、仕方が無いから洗って保管しておきましょう。仕方が無くです、返す時に汚れていたら申し訳ないですから」
誰に言っているのか、ディアルカは一人で言い訳していた。
暫くして、準備を整え邸を後にする彼女の悲痛な表情は、すっかりなりを潜め、明るくなっていた。
────────────
「此処が書斎か…」
部屋から出て行ったアレンは、直ぐに書斎の前まで来ていた。
扉に顔を近づけ、聞き耳を立てる。中から音がしないのを確認してから扉を開ける。
中は至って普通だった。部屋の中央にはソファーとテーブルが置かれ、壁には本棚、部屋の奥にはサルナンテがいつも座っているであろう机があった。
唯、一つだけおかしい所があった。
其処は石で囲われた暖炉の横で、四角に穴が空いていた。
近づいてみると、其処には下に降りる為の階段があった。
「此処にマリアーナさんが…」
アレンは階段を降りようとして──止めた。
「クッハッハッハ…」
階段の下から、男の笑い声が響いてくる。
アレンは一度書斎の外に出て、扉を少しだけ開けて中の様子を窺う。
すると会談がある所から一人の男が出てきた。
男が階段を登りきると、階段のある穴が塞がった。
どうやら人が出てくると穴が塞がる仕組みのようだ。
思考を巡らせていると、ゆっくりと邸の入口から三つの気配が近づいてくるのを感じ取った。
咄嗟に近くの部屋に入り、ドアをほんの少し開けて息を殺す。
入って来たのはガラの悪い格好をした、三人の盗賊だった。
(なんで盗賊がこんな所に…?)
疑問に思っていると、盗賊達はそのままノックもせずに書斎に入っていた。
アレンがドアを開け書斎の扉に近づき聞き耳を立てると、サルナンテと盗賊の会話が聞こえてきた。
『例の奴は捕まえたか?』
『悪いな、捕まえ損ねちまった』
『なんだと!?お前らは一体何をやっているんだ!!』
『仕方ねぇだろ、邪魔が入ったんだ』
『邪魔だと?』
『そうだ、姿は見えなかったが部屋のドアを開けて中に入ろうとしたらいきなり煙幕だ。煙が晴れた時には入る時にいたガキもいなくなってたぜ。その上、下にいる奴は誰も降りてくる奴を見てねえと吐かしやがった。迫っても吐かねぇから腹立って店の椅子ぶっ壊しちまったぜ』
『何をしているんだお前らは!!みすみす逃しよって、此方は金を払っているんだぞ!?』
『そんな事言われてどうしろって言うんだよ。頼んだ癖に文句言うのは違うくねぇか?』
『五月蠅い!!いいからとっとと探しに行け!!』
『へいへい。ったく、うるせぇ野郎だぜ』
男達は悪態を付きながら扉に向かって来る。
アレンは再び近くの部屋に入り、男達が通り過ぎるのを待った。
ドタドタと音を鳴らしながら男達は邸を出て行き、バタンと入口の扉が閉まった。
「ふう…一応フェイに見張りを頼んでおいて良かった」
アレンは依頼者に何かあるといけないと思い、フェイに護衛を頼んでいた。
煙幕はフェイお得意のブービートラップだろう。
フェイは脚が速く、そんじょそこらの冒険者なら、人一人抱えながらでも余裕で振り切れる。
「エユレさんには帰ったら謝らないと…新しい椅子買って帰ろう」
店の椅子が壊されるのは完全に予想外だったが、そうならないようにしなかったアレン達に非がある。
内胸のポケットに手を突っ込み、時計を取り出して時間を確認すると、約束の時間の三分前だった。
「うわっやばっ」
アレンはポケットに時計をしまい、廊下に出て音を立てないように急いで二階への階段を駆け上がっていった。
────────────
「疲れたぁ…」
その後、ディアルカは宿に戻り、共同風呂に入って汗を流して部屋のベッドでゴロゴロしていた。
時刻はまだ五時前なのに、宿にある共同風呂に入ったのは身体中に刻まれた鞭痕を見られたくなかったからだ。
この痕を見れば周りの人は嫌悪を向けてくるし、悲壮感を漂わせてくる。
ディアルカはそれが堪えられなかった。
そういえば、とディアルカはふと思う。
「彼、一度もこの痕について触れませんでしたね…」
彼は絶対にこの痕を見たはずなのに。
ディアルカはアレンの視線が、最初に身体の鞭痕にいったのが判っていた。
しかし、アレンは一度もこの痕には触れず、顔にも出していなかった。
テーブルの上に置いてあるマントに目がいく。
私にこのマントを渡した時、彼は顔を背けながら渡してきた。
けれど、その時も彼の顔には嫌悪でも悲壮感でもなく、羞恥の色が浮かんでいた。
ディアルカは思う。
「この痕を見た上で普通に接してくれたんですか…?」
ディアルカは、此処には居ない相手に問いかける。
しかし、答えてくれる人は、今目の前に居ない。
「あ、そういえば…」
ディアルカはテーブルに近づき、それを手に取る。
取ったのは、アレンから貰った白い玉だった。
──その真っ白な玉は魔法の石って呼ばれてて、願いを込めたらその願いが叶うって話なんだ。
「願い…か」
ディアルカは考える。自分が今一番何を望んでいるのかを。
脳裏に浮かんだのは、自分の事を可哀想な子という目で見てくる人達のことだった。
──うわ、見てよあの痕。可哀想ねぇ。
──あんな痕があるなんて、奴隷か何かかしら。
──あんな痕があれば誰も貰ってくれないでしょうねぇ。
何でそんな目で私の事を見るんですか?私は何も悪くないのに…どうして?ねぇ、どうして?
そんな目で見ないでください…私は、私はそんな可哀想な人じゃないのに…
私だってなりたくてこんな姿になったんじゃない…
──この使えないメイドが!!何故ちゃんと出来ないのだ!!
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…
こんな思い、もうしたくない。
こんな思いが続くなんて、もう耐えられない。
こんな痕──
──消えて無くなってしまえばいいのに。
そう思った瞬間、手に持っていた白い玉が淡く輝き出し次の瞬間、玉は粉々に砕け散った。
「きゃっ!?え、え…?」
すると、今度はディアルカの身体を淡い光が包み込んだ。
ディアルカは自分の身体を見て驚愕した。
身体中にある鞭痕が、見る見る内に小さくなっていく。
やがて光が収まると、身体中にあった鞭痕は、まるでもともと無かったかのように消えて無くなっていた。
「嘘…でもどうして──」
と、其処まで考えて、この玉を渡した張本人をディアルカは思い出した。
きっと彼は全てわかった上でこの魔法の石を渡したのだろう。
──その真っ白な玉は魔法の石って呼ばれてて、願いを込めたらその願いが叶うって話なんだ。
「こんな事してくれるなんて、優しすぎますよ…」
ディアルカは涙を流しながら笑顔で呟いた。
心の中でアレンと再び逢えることを楽しみにしながら。
という訳で新キャラ登場です。
最初は玄関で登場したところで終わりだったんですけど…いつの間にかこうなってました。
今回も楽しんでいただけましたでしょうか。
エロ全く無いですね、入れたいんですけどね、戦闘シーンとかも。
次も頑張るんでお願いします!
次は三日か四日後までには出します。