2話「Resource」
「脚の怪我はもう大丈夫?」
「うん、平気。狩りの時にも良くあったからね。そんなに深刻な物じゃないよ」
ベオウルフ、医務室。脚に包帯を巻いていた千瀬が、入ってきたタクマに向けて顔を上げる。
森の中を駆け抜けている際にすりむいたと思われる傷を、手当てしていたのだ。
「あの子はどうしてる?」
「医療カプセルの中で休んでるよ」
彼女の後方には、緑の液体の入ったカプセル。その中に、彼女が先ほど助けた少女が入っていた。
「ったく、オーエンもそんなに警戒しなくていいのに…女の子一人で何が出来るって言うんだよ、全く」
「それを千瀬が言うのもどうかと思うけどね」
苦笑いするタクマを尻目に、千瀬の表情は不満そうだ。その理由は恐らく……少女の怪我を見る為にベオウルフにつれて帰ろうとした際、オーエンが一度は拒否した事だろう。
『この少女の正体を俺たちは知らない。この世界の事を完全に把握していない以上、我等が本拠地でもあるベオウルフに危険要素を取り込むのは回避すべきだ』と言って、オーエンは少女の受け入れを渋った。『俺たちが常時監視する。何かあれば即座に艦外へ放り出す。それでいいか?』と言うタクマの取り成しで、オーエンは渋々了承したのだが……
「まぁ、オーエンの言い分も分かる。俺たちはこの世界についてあまりにも知らなさ過ぎるからね」
「どう言う事?」
不思議そうに見上げた千瀬に、苦笑いしながらタクマは答える。
「――考えてみてごらんよ。若しもこの世界が、少女でも僕たちの世界の百倍の力を持つ。そんな世界だったら?」
「それは…」
ありえない、とは千瀬には言えなかった。
今まで、『Ardent Armada』をプレイしている際にも、アップデートによるバランス調整で、今まで大した事の無かった敵が突如として強敵になった事が幾度かあった。故に、アップデートの直後、皆が寝静まった頃に、一人起きていたオーエンが密かに情報収集や実験を行っていたのを、何度か夜更かししてログインした千瀬は知っていた。
オーエンはギルドの中で最も慎重なメンバーだ。その慎重さに、何度も彼女らは助けられた。さっきだって、オーエンが機体の発進を常に準備していたのでなければ、千瀬は恐竜どもに群がられ食われていたかもしれない。それ故に千瀬はこの男に莫大な信頼を置いてしていたのだが――こういう時の決断は、どうにももどかしい。理解は出来るが納得はできない……そう言う感じだ。
「…けど、今回は僕たちはあの少女を受け入れるべきだと思った」
こうやって、ギルドメンバー同士に意見の相違がある際に、いつも決断を下すのが、ギルドマスターであるタクマ。
「どうして?」
「若しも本当にさっきの仮定通り、この世界の人間が100倍の力を持っていたとしよう。…僕たちはいつかはその事実を確認し、受け入れるか、敵対した場合は対策を考えなきゃいけない。
その時を先延ばしにするよりは、今、この子独りしかいない時に済ませるべきだと思わない?」
目線は、医療カプセルの中の少女に向けられる。
『スキャン完了だ。一般的に俺たちが『人間』と呼んでいる生物と違いは無い』
タクマの腕につけたデバイスから、声が響く。
「お、さすが早いな。もう使い方が分かったのか? オーエン」
『…ああ、医務室はゲーム時代は復活にしか使わなかったからな。少し使い方を検討する必要はあったが、インターフェイスさえ発見してしまえば後は簡単だ』
「ほら、あたしの言った通りじゃん!」
「居たのか、千瀬。……ああ、これで俺には彼女をここで治療する事に反対する理由は無くなった。さっきはすまなかったな」
「う…」
謝られて、少し調子抜けしてしまう千瀬。
「よう、あのガキの調子はどうだ?」
医務室に入ってきたのは、AC。その服には黒い油汚れがついており、何かしら機械仕事をした後のようだ。
「まだ医療カプセルに入ってるよ。それよりも、あんたはどうしたの?汚いから風呂入ってきた方がいいんじゃない?」
「んあ、確かにそうだな。オーエン、大浴場は使えるか?」
『システム上では問題はなさそうだが…一応注意しておいてくれ。……ゲームだった時なら自信を持って『問題ない』と言えたんだが、この世界では何が起こるかわからんからな』
ピッピッ、と言う電子音も小さく通信の向こうから聞こえて来る。恐らく会話しながらもオーウェンは艦内のシステムのチェックを行っているのだろう。
「わぁった。そんじゃま、ちょっと風呂っつー探検に行ってくるとするかね。…何か武器はねぇかなーっと」
『配管を抜いて武器にするなよ?この艦ごと落ちかねん』
「しねーっつーの!ったく、いつの話をしてるんだよてめぇは…。あ、千瀬、その子が起きたら俺にも知らせてくれ。聞きてぇ事もあるしな」
コントのようなやり取りをしながら、ACは医務室を出て行く。
「…ったく」
呆れたように溜息をつく千瀬。
「まぁ仕方ないさ。あいつらは長い付き合いなんだから」
ははっ、と昔の事を思い出しているのか、一瞬、遠い目をするタクマ。
「…そう言えばさ、そもそもどうしてタクマは、オーエンやACとつるむようになったの? あいつらは昔からの知り合い同士だったけど、タクマは違うんでしょ?」
「ん…ああ、そうだな。つるむって言うのもちょっと違うかな。オーエンやACとはリアルで会った事はなくて、『Ardent Armada』の中で知り合ったんだ」
「へー。どういったきっかけで!?」
身を乗り出しながら目を輝かせる千瀬に、少し苦笑いするタクマ。やはり女性はこういう話が好きなのだろうか……と、口を開けて過去の経緯を告げようとした瞬間。
ぐぅぅぅぅぅぅぅぅっ。
「…………」
「…………」
壮大に鳴り響いた音に、一気に部屋の空気が静まり返る。
「――取り敢えず、何か食べていこうか」
「そ、そうだね。あたし昨日、夜更かししすぎて夕食抜きだったし……」
そこまで考えた所で、二人は同時に、とある問題に気づく。
――『食べ物』は、どこにあるのだろうか?
「オーエンッ!!」
「聞こえているからそう叫ばんでも良い。どうした」
どたばたと、ベオウルフの艦橋に駆け込んだ千瀬の大声に、金髪の青年は思わず片手で耳を塞いだ。
「食べ物はあるのっ?このままだとあたしたち飢え死に――」
「先ほどからそれを解決しようと努力していた所だ」
先回りするように千瀬の言葉を遮るオーエン。
「…結論から言えば、食料はある。……だが、それが私たちの食べられる物かどうかは、別の問題だ」
「お、どうした。何してんだ?」
オーエンに先導されて、倉庫の前に立つ二人。そこへ、風呂上りと思われるACもまたやってくる。
「今から倉庫の『中身』を実際に調査する」
「そう言えば、ゲーム内ではボタン一つで、自動的に格納スペースに入ってたもんな…」
アイテムの個体の3Dモデルが作られて、観察できるようになっている物は実は『Ardent Armada』に於いてはかなり少ない。精々『アーデント』――彼らが操縦するロボット――に装着する装備品くらいだ。
だから、実際に彼らが格納スペースに数字やアイコンとして入れたアイテムを見るのは、これが初めてとなる。
「…ではいくぞ」
こくりと皆が頷くと、操作の扉のスイッチに手を当て、認証させるオーエン。
重厚な扉が開き、その中には――
「うわぁ!こんな感じになってたんだ!」
金属パーツを持ち上げて、いろいろな角度からまじまじと見つめる千瀬。
一方、ACは倉庫の中にある巨大な、アーデントサイズの斧に触れる。
「へぇ…さすが、ディテールがよくできてる…」
「ところでオーエン。さっき言ってた食料の話は?」
「そーそー。あるって言ってたよね?」
タクマのその言葉に空腹を思い出したのか、千瀬も手に持ったパーツを放り出し、駆け寄ってくる。
「それがな…これなんだが」
オーエンの指し示したその先には、大量の錠剤のような物が並んでいる。
「…これが食料?」
「ああ」
オーエンが、口の中に一錠、投げ込む。
「『Ardent Armada』でスタミナ回復と言えば、これだろう?」
ごっくん。
「…ふむ。俺が倒れていないと言う事は、即効性のある毒ではないようだ。……アイテムデータの解析結果は正確、と言うわけか」
「これが食事、ねぇ…」
一錠、手に取る千瀬。
――『Ardent Armada』に於いては、一定時間以上戦闘状態を続けると、『スタミナ』と言う数値が減少し、それに応じて、プレイヤーの操作が実際のゲームの中に反映されるまでの『ラグ』が長くなったり、或いは視野が狭まったりした。
賛否分かれるシステムで、『ゲームが楽しめなくなるからこのシステムを外して欲しい』と言う声もあれば、『これがあってこそギルドで経済的に互助する意味がある』『経済が回るようになる』と言う声もある。それ故に、システム自体は残っているのだが…
「まっず!!こんなもん食ってたの、あたしたち……」
錠剤を飲み込み、思わずべっ、と舌を出す千瀬。吐き出さなかっただけましな方な味、といった表情だ。
「まぁ、暫くは我慢するしかあるまい。……幸いにも、腹はふくれるようだからな」
「けっ、まぁ背に腹は変えられねぇか。…文字通りな」
「そうだな」
ACが漏らした愚痴に苦笑いするタクマも、また一錠飲み込む。
――確かに味はよくない。安い栄養錠剤のようだ。けれど……先ほどまで感じていた空腹感は、なくなっていた。
「まぁ、しばらくはこれで我慢するしかないか……」
「何週間も何ヶ月もこれを食うのは、あたしは御免だけどね」
そこで、ピピッ、と言う音が、オーエンの腕のデバイスから響く。
「……む。医務室の少女の治療が終わったようだ」
「ちょっと様子を見てくる!」
ピュー、と風のように一瞬でいなくなった千瀬の背を目線で追いながら。
やれやれ、とお互い顔を見合わせ、残りの三人も、またその後に続いたのであった。