2-3話
「山邑女史っ!!」
シシンが怒声じみた大声を上げながら職員室に殴り込みをかけたのは、午後4時を回ったあたりだった。彼が乗った電車が宣戦布告によっておこった混乱により、大幅に遅れてしまったのが今回の時間消費の原因だった。
これだったら素直に走っておけばよかったとシシンは思ったが後の祭り。貴重な時間を優に三時間は無駄に浪費してしまった自分に舌打ちを漏らしつつ、シシンは職員室の扉を開けた。
「うわっ……」
……そこは正しく戦場だった。机や教師によってただでさえ狭くなっている通路を白衣やジャージを翻した教師たちが駆け回り、いつもは整えられておいてある書類たちは走っている教師たちが出した風圧によって吹き飛び、宙を踊る。しかも、ほかの教師たちはその書類を拾おうともせず、机に設置された電話や端末を同時に操作し、メールや通信によって生徒たちの無事を確認。生徒が混乱しているようならいったん話をして落ち着かせて、そのご生徒たちがいるいちばん近い避難場所を教えて早急に避難するよう伝えている。
例えるなら締め切り前の漫画家の仕事部屋……。そんなくだらない例えがシシンの脳裏をよぎるが、今はそんなくだらないことをしている場合ではないと思い出した彼は、あわてて首を振り意識を再生。目前を走りすぎようとしていた教師を慌てて捕まえる。
「ちょちょ、先生!! 山邑女史知らへん!?」
「っ!! 松壊か! ちょうどいい! 校長と山邑先生が呼んでいる。すぐに校長室に来なさい!」
しかし、話をしたかったのは彼ら教師も同じだったようだ。捕まえた教師はシシンに有無を言わせることなく一気呵成にそう言いきると同時に、校長室の方を指差し職員室を飛び出していった。
そのあまりの素早い動きにシシンは若干唖然とするが、
「あぁ……もうっ!!」
ほんのわずかな時間だが、再び時間をロスしてしまうことにいらだちをあらわにしながら、大人しく校長室へと向かった。どちらにしろ、これほど忙しそうに生徒への連絡や間接的避難誘導をしている教師陣に話を聞いても、ろくな話は聞けないと判断した。
「山邑女史!!」
「来ましたか。松壊生徒」
そして、扉を開く時間すら惜しいといわんばかりに、勢いよく無駄に豪華な扉を開けて校長室へと飛び込んだシシン。そして、来客用と思われる豪華なソファーに向かいあうように座って待機していた山邑女史と校長は、今まで読んでいた書類から顔を上げ苦々しげな表情をうかべた。
「山邑女史!! いったいどういうこっちゃ! 天草が日ノ本に宣戦布告って……原因はなんやねん!?」
性急に説明を求めるシシンの言葉。山邑女史は自身が呼んでいた書類をソファーに挟まれるように設置された机の上に置きながら、ひとまずそちらに座れと言わんばかりにシシンに余ったソファーを示す。
「それについては予想が大体立っていますが……。松壊生徒、ひとつ聞きたいことがあるですがいいですか?」
「なんや!?」
雑談している暇はないで。といわんばかりに、イラついた顔をしながらシシンはソファーには座らず立ったままだ。だが、そんな彼の態度を見ても眉一つ動かさないまま、山邑は率直に自身の質問をぶつけてきた。
「では、あなたたち天草大陸は……どうやって留学生の安否を確認していたのですか?」
「んぁ? 今そんな話してる場合と……あぁ、わかった、わかったからそんなおっかない顔せんとってぇや。話したらええんやろ!?」
戦争の原因を聞きに来たシシンとしてはそんな話をしている余裕はないと思ったのだが、山邑がのぞかせた『いいから話せ……』という鬼のような形相を見てあわてて意見をひっこめた。
「といっても、国家機密ゆーて詳しいことはよーしらんけど、うちの親父が言うには、留学生本人の魔力が関係している仕掛けで、それ使って安否確認してるみたいや。せやから、俺にだけはつけられへんし注意しとけよって忠告受けたし、それは間違いないで?」
「やはりそうでしたか……」
そんなん聞いてどないするん? と、シシンが首をかしげているなか、校長は無言で自分が読んでいた一枚の書類をシシンに渡した。
「これがつい数時間前……六花財閥本社から送られてきた今回の騒動の原因と思われる事件の詳細です」
「事件? いったい何が……」
シシンは素早くその書類をうけとり、目を通そうとした。だが、
「なっ……」
読む必要すらなかった。すべては報告書の題名に書いてあったから。
すなわち、
《超能力開花によって発生してしまった魔力消失現象について》
と。
そんなアホなことがあるかいな……。シシンはその報告書の題名が信じられず、あわてて報告書を読み進めていく。
『我々超能力者は体内に脳の演算を補助する演算機会をミクロン単位で形成することによって、世界の常識を改変するに足りえる……すなわち、超能力を発動するに足りえる演算能力を獲得することができる』
だが、読み進めれば進めるほど、
『今回の一件が発覚し、原因究明のために我々は奔走した。そして、大規模な失態を犯し戦争にまで発展しうる外交問題は今回行っている『留学生制度』以外ありえないと断定。第一学園都市に籍を置いている、『逝竹神楽』生徒に協力を仰いだ。だがそのさい、逝竹生徒が魔力を消失し一切の魔法を使えないようになっていることを確認した』
この信じられない悪夢のような出来事が、
『解析能力者の演算結果、体内に形成される演算機関と魔力の共存は不可能と結果が出た。魔力は突如として形成された演算機関に押し出される形で消滅し、魔力の生成も一生涯不可能と解析された。すなわち、6名の留学生のうち、昨日行われた超能力発現実験を受けた留学生5名のすべてが、現在魔法が使えないタダの能力者へとなり下がったことが確認されている。天草大陸はおそらくこれが原因で、当大陸への宣戦布告を発布したものだと思われる』
事実だと、シシンに突きつけてきた。
…†…†…………†…†…
「待ちやがれ、四郎!!」
島原の大聖堂を凄まじい怒声が埋め尽くした。その怒声の発生源は、銀色の長い髪を振り乱し、怒りに燃える視線を士郎に向けているシオンだ。彼は、執務室へと行くために自分の前を歩く四郎に怒声を浴びせていた。
「くどいですよ、松壊卿。もう決まったことです」
「まだ本当に殺されたかどうかもわからねェだろうが!! せめて、結界を解け! 今から確認の通信をすればまだ……」
「それはできない相談ですなぁ、松壊卿」
「っ!!」
自分の提案を否定する声に、シオンは怒りに満ち溢れた視線を声が聞こえてきた方向へと飛ばす。
そこにはいつの間にか真っ白に染めあがったカソックと神父服を着た、一人の神経質そうな男が立っていた。しかし、その両腕には物々しい十字架が刻まれた手甲を装着しているところを見る限り、ただの神父というわけでもなさそうだ。
「おやおや、それほど怒りに燃えた視線をむけるのはやめていただきたい。心臓に悪いではありませんか」
「黙れ、四条……お前に聞いてはいない!!」
「わが弟をないがしろにするのはやめていただこう松壊卿。戸籍上は義理の弟とはいえ、彼は私のれっきとした家族です。それに、彼は現在私の執務の4分の一を手伝ってくれている将来有望な青年だ。政治も少しは話すことができますよ」
「っ!!」
しかし、そのシオンの怒りに満ちた叱責は四郎の手によりかき消された。思わず舌打ちを鳴らしかけるシオンをしり目に、神経質そうな男――天草四条はその爬虫類のような印象を受けさせる顔に、不気味な笑みを浮かべながら今回の処置についての説明を行っていく。
「ただでさえ、うちと相手の通信技術には開きがあるのですよ、松壊卿。我が大陸は魔力文明とはいえ、科学文明の利器を使っていないわけではない。コンピューターはすでに政府の中枢まで行き届いていますし、携帯情報端末はもはや我が国の国民必須の品。そんな状態であるにもかかわらず、インターネットを使った情報戦で一歩も二歩も我が国は後れを取ってしまっている。そんな状態で、通信回線など開けば何をされるわかったものではありません。表面上はにこやかな交渉であっても、相手は留学生を、わかっているだけでも四人殺した凶悪な国家。その通信回線を使って我が国のコンピューターをハッキングされないという保証が一体全体どこにあります?」
「だからっ! その殺されたっていうのも事実がどうかわかってないだろうが!! ただ魔力が切れただけかもしれないし、何らかの理由で魔力の生成ができなくなっただけの可能性も……」
「松壊卿!」
あくまで食い下がろうとするシオンに、四郎から鋭い警告が飛んだ。
「可能性……ですか。確かにあなたが提示した可能性もあるのでしょう。ですが」
四郎はそこで言葉を切り、長老会議では見せなかった絶対零度の瞳を持ってシオンを睨みつけた。
「それと同じくらいに、留学生が殺された可能性もまたあるのです」
「っ!!」
「その可能性が捨てきれない以上……私は国民の安全を守るため結界を解くことは決してしません」
四郎がきっぱりと告げた決定事項に、シオンは歯ぎしりをしながら黙り込んだ。
松壊一族の代表とはいえ、所詮シオンは6人いる長老の一人でしかない。しかし、目の前の男は違った。
たった一人でこの大陸を総べる神格級魔導師。彼が黒だといえば……白いものですら黒くなる。彼の権力はそれほどまで強大なものだ。彼が決定だといったからには、覆ることはもうない……。
「では、四条……荒楠一族の皆様に、指示を」
「はっ!」
四郎の命令に、嬉々として従いながら、四条は大聖堂の外へと向かった。そして、
「我らが信頼に血で答えた日ノ本大陸に……神罰を与えよ!!」
荒楠一族、進軍せよっ!! 朗々とした四条の指示が終わると同時に、大聖堂の外からドンっ!! と、体の芯に響き渡る鈍い衝撃音が鳴り響いた。
あれは荒楠一族たちが跳躍する際に、あまりの強力で地面が踏み抜かれてしまったために発生する《跳躍震》といわれる小規模地震だ。おそらく、進軍の指示を受けた瞬間、彼らはとんでもない勢いで浮遊大陸を飛び出し、はるかかなたにあるはずの海面へと着地しているだろう。
彼らの魔術はそういう魔術だ。体を極限まで鍛え上げ、魔力による補助をもってして鍛え上げられた身体能力をさらに強化し、あらゆる場所を踏破する魔術――修験道。
彼らにとって、天草と日ノ本を隔てる大海など、そこらへんの水たまりと変わらない意味しか持たない。
天草大陸、午後5時。日ノ本への報復行動をとるために、神速の魔術師たちが電撃戦を展開する!!
…†…†…………†…†…
「おいおい……冗談やろ」
普段のふざけきった軽い声音は顔を顰め、悲痛なうめき声がシシンの口から洩れる。
彼は生まれながらに魔力がなかったため、魔術師の家系の人間にとって魔力を失うことがどれほど苦痛になるのか知っている。そんな状態に、あの気のいい連中が陥っていると思うと、シシンとしては内心からあふれ出る苦い思いを押し殺すことができなかった。
だが、事態はそんなシシンの心配していることよりも深刻だった。
「シシン、ひとつ聞きましょう。相手がこちらの留学生の状態について正しく把握している可能性はありますか?」
「え? あ、あぁ……そうやな。ない……というたらウソになるんやろうけど、たぶん限りなく低い。うちの連中の魔力がなくなっとることには気付いとるはずやろうけど、海越えてまで遠視を展開できる一族は限られとるし……。例えそれができて留学生の安否が確認できたとしても、一人の君主に六人の領主がつき従う形の政治体制をとる天草では、一度君主に報告を通すという形式上、どうしても全体にその報告がいくのに時間かかる。おまけにうちの国は結構早い段階で結界を張ったみたいやし、宣戦布告をする際に相当あわくっとった可能性が高い。内側からの魔力放出を通すような気のきいた結界になっとるかは五分五分やろうな……」
シオンが言うには戦時ともなると天草全土にはられる結界はかなり強力なものが使われ、内通者がいる可能性にも備え内側から外への干渉も一切封じる結界が張られるらしい。万が一それでなかったとしても、これほど距離が開いた日ノ本大陸から、留学生だけを見つけ出すような精密な遠視術を成功させるのは至難の業だ。
「では続いての質問です。もし仮に天草がこちらで起こっていることを正確に把握していた場合、彼らはどのような判断を下しますか?」
「留学生の魔力が失われたくらいで宣戦布告はあり得へんと思う。いちおう、魔力はうちの大陸では必須技能やけど、さすがに人死にが起こってへんのに戦争するほど短気な判断をする上層部やない……はずや」
それならば、留学生の魔力消失をネタに日ノ本へと賠償金の要求と、留学生家族に対して慰謝料の請求をするくらいでとどめるだろう。最高責任者である天草四郎の人柄や、それを固める長老会議の人格を考えるとそこらへんで落としどころをつける可能性が高い。
「では最後の質問です。仮にこちらの情報が正確に天草大陸へと伝わっていなかった場合、留学生たちの魔力が消失したとき、天草大陸は日ノ本でどのようなことが行われていると判断を下しますか?」
「そら、留学生が同時に殺されたと……」
そこまで行ったときシシンの顔から一気に血の気が引き、山邑女史と校長は険しい顔のまま頭を振る。
「えっと……つまり」
「勘違いで宣戦布告されたことになりますね……」
「…………………………」
シシンはしばらくの間、あんぐりと口を開けて絶句した後、
「おいぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!? うちのアホども何しとんねん!?」
と、絶叫を上げ、頭を抱えた。
それはそうだろう。仮にも戦争が起こるというとんでもない事態に発展しているのに、その理由が勘違いでは泣くに泣けない。おまけに、勘違いしている自分の故郷は完全に戦争をやる気満々で緊急事態用の結界すら張ってしまっており、それがこの誤解を解くための手段を一気に限定してしまっているのだから始末が悪い。
何が悪いって、そりゃ天草が悪いんだろう? といわれかねないほどの失態だ。いったい自分の故郷の長老会議はいったいなにをしているのか? と、シシンはへらへら笑いながら会議の席についているであろう自分の父親の顔を脳裏に浮かべ怒声を飛ばす。
しかし、事態はそんなシシンの内心など知ったことではないといわんばかりに悪化していく。
「とにかくシシン。お前天草の住人に顔はきくか?」
「くぅ……あの腐れ親父、帰ったらほんま一発しばく」
「シシン?」
「あぁ、うん。顔が利くかどうかやって? 親善大使交じりの留学生なめんとってや山邑女史。留学生の派遣は両国家の友好のための一大プロジェクトやで? こっち以上に天草では報道されとったし、そのおかげで街を歩いたらサインを求める女の子が雨あられ……」
「そうか。ならお前はうちの大陸に上陸した先発隊に接触して、すぐ誤解を解いてくれ。留学生のお前の口からならあちらの術者も話を聞いてくれるだろ」
「なぁ女史……あっさり流すんやめてくれへん。滑ったみたいでなんか辛いんやけど……」
原因がわかりいつもの平常運航に戻った二人の空気を引き裂くかのように、
『た、大変です! 校長!!』
「ん? どうしました?」
情報をかき集めるために各署と連絡を取っていたGTAが、震える声で通信をつなぎ報告してきた。
『さ、さきほど第一学園都市から通達があり……『《氷河時代》が天草迎撃のために貴校へと向かっている。援護されたし』と、要求が』
「っ!」
突如として出されたクラス5の名前を聞き、山邑女史と校長に緊張が走った。
「今すぐ止めなさい! この戦争の原因がわかりました。いま、シシン君が先発隊に交渉に行けば止められる可能性は十分にあります。ですが、こちらの最高戦力が先発隊を撃退したとなるともう言い訳はできません!」
宣戦布告が正式なものなりますよっ!! と、冷や汗を流しながら鋭い指示を飛ばす校長。しかし、GTAは沈痛な面持ちで、
『無理です』
その指示には従えないといった。
「なん……」
『いわれるまでもなく、まだ戦闘をするのは早すぎると判断した我々は何人かのGTAを《氷河時代》のもとへと派遣したのですが……邪魔をするなと一蹴されました。被害は派遣した六名全員。うち重症者三名。重症でない者も、とても戦闘をできる状態ではありません』
「……そんなバカな」
《氷河時代》はクラス5の中でも理知的な判断を下すことで有名な学生だった。自分が世話になっていないほかの学園都市の教師だからといって、少し邪魔をされただけで手を挙げるようない人物ではなかったはず……。
いつも穏やかな顔で笑っている校長が、珍しく顔を険しくしかめ歯噛みをする中、厳しい顔をした山邑女史はその報告を聞き小さくため息を漏らす。
「いくら理知的といっても所詮は学生です……。戦争が起こると聞いて浮き足立っているのかもしれません」
どうします? 山邑が視線でそう問いかけているのか、校長は山邑の視線を受けしばらく逡巡した様子を見せた後、
「シシン君」
「はい?」
シシンに話しかけ、
「レインベルさんと……あと、紅葉さんを介して風紀委員に招集を……」
断腸の思いで決断を下しかけたときだった。
ヴ~ッ!!
「っ!? ちょ、すんません!!」
突然マナーモードになっていたシシンの携帯が震えだし、着信が来ていることを教えてくれる。
「こんな時にだれやねん……んぁ? 紅葉?」
慌てて携帯を取り出したシシンは、着信した相手の名前を見て首をかしげとりあえず通話ボタンを押す。
「はいもしもし? 紅葉? 今ちょっとヤバいから校長とかと話してんねんけど?」
『ヤバいのは誰にとってもそうでしょうがっ!! それよりシシン、聞きなさい!! 今信玄が教えてくれたんだけど、クラス5がこっちに……』
「あぁ、《氷河時代》さんやろ? こっちでも話にのぼっとってどうするか迷ったはるみたいで……」
『違う!! 話は最後まできけっ!! クラス5の《氷河時代》が向かってるって聞いて、レインベルさんと黒江さん……そしてその二人を止めるために健吾がそっちに向かったらしいの!!』
「なっ!?」
…†…†…………†…†…
氷河時代――氷室雪はパニックに陥りあわてて避難をする住民たちが埋めつくす第六学園都市の中央道路をとんでもない勢いで駆け抜けていた。
本当に自分の足で走っているわけではない。足は第一学園都市を出てすぐに発見した、避難中の学生が乗っていた違法改造が施されたバイクだ。
雪としてはバイクの強奪などあまりしたくはなかったのだが、相手はどうやら素行がそれほど良くない学生だったようなのですぐに罪悪感など消し去った。
全力全開でアクセルを入れたバイクは、運転の邪魔にならないようにとまとめられた運転者の髪をわずかに揺らしつつ、車道を埋め尽くす避難民の車たちの間をまるで弾丸のように駆け抜けていく。
通常の人間なら間違いなく事故を起こしかねない危険な走行速度だったが、クラス5に至った能力者にとっては、この程度の障害ほんの少し演算領域を割くだけでいくらでも接触を起こさない軌道を算出することができる。
「それにしても何を血迷ったのですか……あの教師たちは」
雪は先ほど自分に留まるように指示を出してきた第六学園都市の教師たちを思い出し舌打ちを漏らしたあと、舌うちは下品だったかと思い直し、おほんと少しだけごまかすように咳払い。
数分前、自分たちに接触してきた生徒たちはてっきり自分に協力しに来たものだと思ったのだが、どういうわけか「おもどりください」といって自分の身柄を拘束しようとしてきた。
これから敵の迎撃を行わなくてはならない雪としてはほんの数分のロスですら致命的なものに思えた。なので、適当に能力をふるいその教師たちを一蹴したのだが……。
「少し被害を与えすぎましたか? まぁいいでしょう。この学園都市の教師たちはやたら頑丈なことで有名ですし」
確かGTAでしたか? 奇妙な組織もあったものです……。と、雪は鼻を鳴らし更なる加速を行うべくバイクのアクセルを限界ギリギリまでかけようとしたときだった。
「っ!?」
突然、車や人の行列が姿を消した。まるで一瞬で違う世界に放り込まれたかのような劇的な周囲の景色の変化に、雪は思わずアクセルから手をはなしブレーキをかける。
その数秒後、しまった。足を止めてる暇はないのに!! と雪が自分を叱責した瞬間だった。
「落ちてください!!」
「?」
突然前方から聞こえてきた聞き覚えのある声に、雪は思わず首をかしげ、
自分に飛来してきたレーザーをまるで鏡かプリズムを挟んだかのようにあっさりと屈折させ、交わした。
「何のつもりですか? 《弾幕皇女》」
「恩返し……という理由ではだめでしょうか?」
ジャリッ、という足音を響かせ雪の進行方向から一人の少女が姿を現してくる。
金色の髪をロールさせた、お嬢様風の美少女。しかし、その顔はまるで死地へと望む戦士のように険しく、恐らく冷や汗と思われる汗をダラダラと流していた。
「申し訳ありません。あなたが正しい行いをしていることは十二分に承知して入るのですが、でも私はもうこの学園都市の人間です。この学園都市が開戦を回避するために尽力しているというのなら私は命を懸けてそれを助ける所存ですの」
自分をクラス5の座から引きずり下ろしたトラウマに、レインベルは真正面から対峙した。
…†…†…………†…†…
人払い。隠密を生業とする黒桜一族ならだれでも使える基礎術式の一つ。単騎での先週任務が多い黒桜一族では、基礎技術として教えられる魔術のレパートリーはかなり多い。それくらい汎用性が高くないと生き延びられないからだ。
「これで人払いの結界は何とか機能するはずです。さて、私も行くとしましょう」
そう言って小刀で道路に小さな傷をつけ終えた黒江は、一人淡々と言葉を刻みながら自分が張った基礎術式の人払い結界へと向き直った。
本来ならたーげとのみをおびき寄せ暗殺するための術式だったが、今は一般人に被害を出さないためのバトルフィールドを作るための術式だ。
人払いの結界は半径五キロ範囲ではったため、かなりの道路を通行不能にしてしまった。そのため避難民たちの進路方向は劇的に変わり、何とか自分たちがいける避難場所へと向かうために押し合い、へし合い、怒号をとばしながら今まで来ていた通路を逆走し始める。
人払いの結界ははられたこと自体を人の気づかせないため、彼らは黒江がこの騒ぎの元凶だとは気付いていない。だが、気づかれていないとはいえかなり罪悪感を覚える光景だった。
すいません。と、内心で謝罪をした後黒江はそっと自分が張った人払いの結界へと足を踏み入れようとしたときだった。
「待てよっ!!」
「っ!?」
突然黒江の手が掴まれ、人払いの結界から彼女の体がひき離された。
「ようやく捕まえたぞ!! レインベルはどこだっ!!」
「丁嵐さん……」
レインベルが振り向くとそこには、全力疾走してきたと思われる呼吸の荒い健吾が立っていた。
「どうして?」
「あぁ? 決まってんだろ……無謀なケンカ売りに行った友達止めに来たんだよ」
健吾の口さがない言葉に黒江は思わず唇をかみしめた。
確かに、レインベルが《氷河時代》に戦いを挑み勝てる可能性はゼロに近い。それは自分が援護に入っても同じことだろう。もとより自分は逃走、隠遁専門の忍。戦闘にはひどく不向きだ。
「ですが、ここで彼女を止めないと本当にこの大陸と天草の全面戦争になってしまうのでしょう?」
「っ……それは」
「私は……嫌です。そんなこと」
戦争なんてないほうがいいんだよ。黒江の祖母が何度も何度もつぶやいていた悔恨の言葉だった。
祖母の夫……すなわち黒江の御爺さんは戦争に参加していた。松壊シシンを始め数多の英雄たちが駆け抜けた華やかな表の戦場ではない。一つの情報が人一人の命よりも軽くなる真っ暗な暗部での戦争だ。
その戦いは熾烈を極め、超能力者の暗部と天草暗部『黒桜』は数千人近い死者を出しながら防諜、諜報戦を繰り返していたらしい。
おそらく先の大戦で一番被害をこうむったのは黒桜一族だと祖母は言っていた。
そして現在、自分もその黒い戦場に立ち、こうして日ノ本大陸へと置き去りにされた。おかげでレインベルに会えたので彼女としてはここに来たことは後悔していない。だが、
「もう、いやなんですよ……私みたいな子供が生まれるのは。私みたいに戦場に駆り出されて、死んでいく子供たちがいるのは」
「……っ」
「やっと、やっと戦争が終わって、私たちの戦場も小さくなって、黒桜一族はこれからまた元気になっていくんだっておばあちゃん笑っていたのに……また、こんなくだらないことで戦争が起きるなんて、わたし耐えられません!!」
黒江の切実な願いが込められた声に、健吾の手にさらに力がこもる。
この学園都市で、彼女に幸せを見つけてあげようとしていた矢先に、こんな事件を起こした運命とやらに腹が立った。
だから、
「わかったよ……。お前らの喧嘩はとめない……だが」
「っ!?」
黒江の願いを聞き届けた彼は、力いっぱい彼女を自分の方へと引っ張りその華奢な体を抱きしめた。
「俺も連れていけ。約束しただろう? 守ってやるって……」
「っ!!」
「連れて行ってくれるまで離さないからな?」
そっと告げられた力強い言葉に、黒江は大きく目を見開いた後、
「はい……守ってください」
一粒の涙をこぼしながら、笑った。
健吾が主人公に見えて仕方ない件……。
し、シシンが主役のはずなんだけどな……。




