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インモータルッ!!  作者: 小元 数乃
第一部 おふざけはここからや!!
17/21

16話

 まるで北極にでも行ったかのような絶対零度。自分の視界にあるすべてのものが真っ白な霜をおろし、凍てつく大地を形成する中にレインベルは立っていた。


 いま彼女が立っているのは総合実験研究所の模擬戦場区画。超能力者同士の模擬戦を行うこの空間で、レインベルはある能力者と対峙していた。


 第一学園都市に籍を置く、もう一人のクラス5超能力者――《氷河時代(アイスエイジ)》。レインベルは彼女に、完全敗北を喫したところだった。


「《弾幕皇女(ガトリング)》……ですか。その傲慢さに見合う能力を持つものかと思っていましたが、存外たいしたことないのですね」


 周囲の景色と同じ絶対零度の冷たさを持つ瞳で、彼女は凍りつきまともに動くことすら困難なレインベルを見下す。


「我々クラス5はその強さゆえに弱者を守る矛と盾にならねばならない。《尊き者の務ノブレス・オブリージュ》。大陸天草の支配者……天草一族が唱えた頂点に立つ者が必ず備えておかねばならない条件です。ですがあなたはその力を持ち合わせていなかった」


 そして《氷河時代(アイスエイジ)》は体温が下がり意識を失いかけているレインベルへと近づき、その髪を鷲掴みにして彼女の頭を強制的に自身へと向けさせた。


「強さがあるなら文句はありませんでした。傲慢に振舞おうが、他者を蔑もうが、私は黙って貴様を見逃した……ですが、貴様はそれを通せるだけの強さがなかった。見逃すことはできません」


 レインベルはうつろな瞳で自身を下した《氷河時代(アイスエイジ)》を映す。その瞳には抗うことができない絶対的な恐怖が刻まれていた。


「第一学園都市に貴様の降格を進言しておきます。クラス5第二位の私が告げるのです。おそらく受理されることでしょう……」


 そんな彼女の瞳を見てこれ以上の会話は無駄だと見切りをつけたのか、《氷河時代(アイスエイジ)》はレインベルを無造作に投げ捨てた。


「さようなら。張りぼてのクラス5」


 レインベルが最後に見たのは、自分に背を向けた空色のウェーブした髪を持つブレザー姿の……人の姿をした怪物だった。




…†…†…………†…†…




 体にわずかに走る痛みを感じとり、レインベルは意識を浮上させる。


 今のは、夢ですわね……。ええ……あんな悪夢が何度もあってたまりますか。たしか、私は……あの教師の一撃を食らって、


 レインベルがそこまで思い出した時だった、


「イッタ!? マジでいったぁああああああああああああああああああああああ!? あの教師大事な生徒を病院送りにする気かいな!? 軽く肋骨折れてる気配すらしてんねんけど!? まぁ、本気で折れてたら会話できひんらしいねんけどな!!」


 ギャーギャーうるさい一人漫才を聞き、ほんの少しだけ眉をしかめながら彼女はゆっくりと目を開けた。


「お? 目ぇ覚めた?」


「なっ!?」


 そして視界いっぱいに広がるシシンの顔を認識し、数秒の誤差を持って自分がシシンにお姫様ダッコで抱きかかえられているのを認識すると、反射的にその顔へと手のひらを叩き込んだ!!


「あっだ!? おまえ、命の恩人に対してなんやその態度は!? こちとら、先生の攻撃かすったせいで腕の骨にヒビはいっとるんやぞ!? って、あれ!? ちょ、まって……これなんてエロゲシーン!? ということはこれご褒美!?」


「何をわけのわからないことを言っているのですか!! 離しなさい、この無礼者!!」


「いやいや……そこは『あ! ご、ごめんなさい……つい』とか言いつつ顔を赤らめて謝罪すんのが正解やろうが!!」


「なんですかその意味不明な選択肢は!?」


 キャンキャン喚きながら必死にシシンの手から脱出しようとするレインベルをみて、自分が期待するシチュエーションには到底なるはずないと理解したのか、シシンはため息をつきながらレインベルを地面に降ろした。


「いたたたた……にしても急に呆けるからびっくりしたで。あの先生の一撃の前に棒立ちとか普通に死ねんで? って、あれ? これ普通の教育的指導のハズやのに何でこんな命の危険を感じなアカンのやろ?」


 激しく首をひねるシシンをしり目に、レインベルは慌ててあたりを見廻した。


 昼間だというのに辺りはほんの少しだけくらい。どうやら校舎の影に入っているようだ。自分の脳内に展開された校舎の地図から参照し、場所はおそらく前庭と裏庭へと続く小さく細い通路。シシンは山邑の攻撃を食らいかけ意識を失ったレインベルを抱えてここに引きずり込み、体勢を立て直すための時間を稼いだのだ。


「場所はばれてはいませんの?」


「そんなわけないやろ。あっちの方がおれらよりも長いことこの学校で生活しとんねんで? 校舎の構造の把握は俺らよりも深いハズや。多分ここに逃げとることもマルっとお見通しや。せやけど追撃してこーへんのは、俺らに猶予を与えられたつもりなんやろ……。降伏して怒られるか、最後まで抵抗してから怒られるか、選択する時間をもらった。それだけの話や……」


 シシンの意外とシビアな現状考察を聞き、レインベルは思わずうつむいてしまう。


 この厳しすぎる現状の落ち込んだのではない。本来なら見下すべき相手に助けられてしまった……自分に対する情けなさに、彼女は落ち込んだのだ。


「嗤いなさい……」


「んあ? なにを?」


 突然そんなことを言い出したレインベルを不思議に思ったのか、シシンは影の外にいると思われる山邑女史の様子をうかがいながらそう返す。


「あなたもあの言葉を聞いていたのでしょう? 私のクラス4への降格宣言を……。ですから嗤いなさい。あれだけ大口たたいた割に……全く役に立たないどころか、クラス4へと降格されてしまった私を……嗤いなさい」


「……………………」


 シシンはレインベルの言葉を聞き、ほんの少し目を見開いた後、


「プギャー!!」


 ……本当に指をさして爆笑し始めた。


「ブハハハハハハハハハ!! うわ、ダッサ!! 『私学園国家最強のクラス5ですのよ!!』とか言いつつあっさりと負けてもうたでこいつ!! 何が学園都市最強や……学園都市最嘘(さいきょ)の間違いやないんですか?」


「………」


「流石クロワッサン!! 俺たちにできないことを平然とやってのける、してのける!! そこに痺れない、あこがれな~い。『貴様は今日限りでクラス4に降格……。もう……帰らなくともいいそうだ』なぁ、似とった? 今の似とった?」


「…………」


 シシンの笑い声を聞きながら、うつむいたままプルプルと震えはじめるレインベル。泣いているのだろうか? しかし、シシンは笑うのをやめない。


「ねぇねぇ……今どんな気持ち? クラス4に落ちちゃったけど今どんな気持ち? ねぇ、どんな気持ち?」


「……………………」


 ウザい表情になり、レインベルの周りをクルクル回りながらそんなことを聞いてくるシシン。その光景を見て、レインベルの震えが臨界に達する!


「嗤いすぎですわぁあああああああああああああああああああああああああ!!」


「あべふっ!?」


 クルクル回っていたシシンにきれいなアッパーカットが決まった。まるでロケットのように宙を飛んだあと、空中で体勢を建て直しクルクルと体操選手のような縦回転を行いシュタット地面に着地する。なかなか美しい着地だったが、レインベルはそんなこと気にならないくらい怒りに燃えていた。


「どんだけ、嗤えば気がすむんですの!? いくらなんでも失礼すぎます!!」


「はぁ!? ふざけとんのかコラ!! 嗤えゆーたんお前やろうが!?」


「限度というものがあるでしょう!? 大体、女の子が落ち込んでいたらもっと丁寧に慰めてロマンチックな言葉の一つでも言ったらどうなんですか!?」


「……こんど、モンブラン食べにいこ?」


「《マロンチック》とでも突っ込んでほしいですか!?」


「ん~いや。自分でゆーててあれやけどツッコンでくれんでよかったわ……。さすがにこのギャグは……ない」


「自分でギャグ全否定!?」


「それにしてもなるほどな……そうやっとったらフラグ立ってたんや。ちょ、もっかいリテイクしていい?」


「人生にリセットボタンはありませんのよ!?」


「なかなか深い言葉やな……」


「ええ。何せ私が言った言葉ですから……って、そうじゃありませんのぉおおおおおおお!!」


 ぜはぁ……。と荒い息をつきながら、きっとシシンを睨みつけるレインベル。そんなレインベルにシシンは苦笑を浮かべながら、彼女の頭に手を置いた。


「ザ・ナデポチャンス!!」


「離しなさい!! そしてまじめにやりなさい!!」


 結局最後の最後までふざけきったシシンの言葉に、レインベルは怒り心頭といった様子でその手を払いのけた。


 しかし、シシンは笑うことをやめなかった。


「おうおう。そんだけ元気やったら問題ないやろ? いや~ビビったわ~。なんか突然シリアスな空気になったから『お、俺はこの空気についていけるんやろうか!?』と慄いたりしててな~」


 シシンはふざけきった態度で肩を竦める。そんな彼をきっと睨みつけながら、レインベルは怒声を上げた。


「私のことを馬鹿にしているんですか!!」


「え? 何その被害妄想……」


「能力クラスを下げられた私を……って、被害妄想!? が扱い酷くないですか!? せめて勘違いっていってください!!」


 心底不思議そうに首をかしげるシシンに、レインベルは思わず怒りをひっこめ顔をひきつらせた。


「いやいや……。まぁおちつこうや、レインベル・クロワッサン。まずはなんでクラス下げられるなんて事態になったんか教えてくれや。それによって爆笑するか、鼻で笑うか、説教してフラグを立てるか選択肢が変わってくるし」


「ヒルトンですわ!! そして、さっきからなんですかその選択肢とかいうやつはぁああああああああああ!!」


 なめきった、不真面目すぎるシシンの態度に激怒したあと、


「で? 落ち着いた?」


「いえ、むしろヒートアップした気が……」


「うん。でもまぁ落ち込んだりはしてへんみたいやな」


「っ……あなたまさか!?」


 私を元気にするためにあんなことを? シシンがポツリと漏らした言葉に息をのむレインベル。そんな彼女にシシンは「買いかぶりすぎやで?」と肩をすくめながらいつもの緩い笑みを浮かべた。


「今度はちゃんと聞くから……なんであんなにヘコんだんか話してみぃや? レインベル」


 初めて自分の名前を呼んだことと、先ほどまでのふざけきった雰囲気が完全に消えた優しい笑みを浮かべたシシンの顔に、驚き思わず息を止めるレインベル。そして、


「ほ、ほんの数か月前のことです……」


 驚きのあまりガードが緩くなってしまった彼女は、ついシシンの口車に乗ってしまいポロリとことのいきさつを漏らしてしまった。


「私はその時クラス5になった新参者でした。ですが、クラス5というのはそれになったというだけで崇め奉られる最高クラス。私は周囲が瞬く間に私に媚びへつらい、従順にいうことを聞いてくれるのを見て……調子にのってしまいましたわ」


 もとより自分にはその気があったとレインベルは認めている。おだてられればすぐに調子にのり、誰かに尊敬されていると知ると高揚しすぐに図に乗ってしまうことを家族からも再三注意されていたのだ。


 だが、今回の彼女の有頂天具合はけた違いだったらしい。何せ彼女がなったのは学園国家最強のクラス5だ。家族からの注意も、長年彼女を見守ってきた黒江からの戒めの声も当時の彼女には届かなかったらしい。


 調子にのった彼女はまずクラスメイト達を自分の奴隷のように扱い、さながら女王のごとく好き勝手振舞っていたらしい。


「そんなときにワタクシはある先輩生徒に模擬戦を挑まれましたわ」


「だれやその命知らず?」


「流石に当時の私でも命までは取りませんわよ!? ……私と同じく第一学園都市に籍を置くクラス5――《氷河時代(アイスエイジ)》に、です」


 レインベルは喜んでその申し出を受けたらしい。自分はクラス5になったのだ。たとえ同じクラスの能力者が相手でも早々負けることはない……そう思っていたらしい。そして結果は、


「私の惨敗でした。みじめという言葉が生易しいほどの圧倒的な敗北を……私は経験しましたわ」


「……」


 自分が放ったレーザーはものの見事に無効化され、敵の攻撃は防ぐことかなわず、四肢を氷漬けにされ動けなくされた彼女は、走ることすらなく優雅に歩いて近づいてきた《氷河時代(アイスエイジ)》の一撃によって見事に撃沈させられたらしい。


「意識を失っていく私の耳に届いたのは《氷河時代(アイスエイジ)》の蔑みを含んだ辛辣な言葉でした。『第一学園都市に貴様の降格を進言しておきます。さようなら。張りぼてのクラス5』と……」


 シシンはその話を聞き、うんうんと頷いた後、


「要するにお前の自業自得やん?」


「うっ……。じ、自覚はしていますがもうちょっとオブラートに包んでくれてもいいではありませんの!?」


「でもまぁ、それやったら別にええんとちゃうん? 反省する機会が与えられたんやったら、それを生かして同じ失敗せんかったらエエだけの話やんか?」


 話を聞く限りそれができない人物だとは思えない。きちんと反省もしているようだし、《氷河時代(アイスエイジ)》が自分を叩きのめしに来たのも自業自得だと理解している。やり直す機会は十分にあったはずだ。


 だが、レインベルは悲しそうに首を振りその考えを否定した。


「いいえ。私はやり直す機会すら摘み取っていました。ほかならぬ自分自身の手で……」




…†…†…………†…†…




 模擬戦があったあと、レインベルはまず家族と黒江に謝罪し二度とあんなことはしないと誓ったそうだ。


 黒江は「ようやくですか……。まったく手間のかかるお嬢様ですね」と苦笑して許してくれたらしい。家族も同じように許してくれた。だが、長い間こき使われたクラスメイト達だけは違ったらしい。


「私が模擬戦に負けた翌日……学校に行って初めてかけられた言葉は『おやおや? 負け犬さんが登校している……よくは恥ずかしげもなく顔を出せたね?』という蔑みの言葉と、クラスメイト全員の嘲笑でしたわ」


 レインベルの言葉を聞いたシシンは思わず顔をしかめた。


「そら……」


「ええ。そうです……彼らはわたくしに復讐を始めましたの。でも私はその行いの反抗することはできませんでした……。当然ですわよね。だって、すべては私が引き起こしたこと……あなたが言うように『自業自得』なのですから」


 レインベルはそう自嘲の笑みを浮かべたが、ことはその程度で終わらなかったらしい。


 机に落書きや、物を盗まれていることなど日常茶飯事。ひどいときには過去をネタにゆすられ様々な脅迫が行われていたらしい。


「ですが彼らに逆らうことはできませんでした。悪いのは私でしたし……何より私が逆上して復讐を行えば次は《氷河時代(アイスエイジ)》が黙っていないでしょうし、家族や黒江と交わした誓いも裏切ることになると思いましたから」


 だから彼女は耐え続けた。すべては自分が悪いのだから、これは間違いを犯した自分に対する罰だから……と。だが、


「先週……《氷河時代(アイスエイジ)》の報告を受けた第一学園都市の研究会が、私のクラス4降格を本格的に決定したのです。その時私は……」


 情けなく、みじめったらしく、自分勝手に、その決定を恐れた。レインベルはどことなく空虚な笑みでそう言った。


 ただでさえ陰惨なクラスメイトのイジメが、名実ともに自分がクラス5でなくなることで苛烈になるのではないかと、彼女は恐怖したらしい。


 自分に対する罰だといっておきながら、自分が罪を償うためには必要なことだと納得しながら、彼女は最後の最後でその罰を受けることを恐れてしまったのだ。


「だから、私はここに来ました……。クラスメイトから逃げるため……そして、クラス5降格を何とか防げる圧倒的な手柄を立てるために」


 そこで考え付いたのが、現在有名になりつつある留学生の引き抜きだった。だが、ほかの学園都市に留学した留学生たちは様々な研究所に保護されたり、所属をすでにしていたりと、引き抜きはかなり難しい状況になっていた。だが、その中で一人普通の高校に通い普通の学生をすることになっている留学生を彼女は見つけた。


 その留学生こそが、


「俺やったゆーわけか」


「はい……」


 最後の最後で自分に関係してきたその話を聞き、シシンは困った風な笑みを浮かべながら頬をかいた。


「そんな大したものちゃうねんで、俺は」


「知っていますわ……」


「おいコラ……」


 自分で言うんは平気やけど、他人に言われんのは腹立つで? そう言わんばかりに笑顔を浮かべつつも額にくっきりと青筋を浮かべたシシンに、レインベルは苦笑を漏らす。


「でも……ほかの留学生を引き抜きに違う学園都市へ行く。そういった私を引き留めていた黒江が、あなたの名前を聞いた途端に賛成してくれました」


「え? 俺あの黒い女の子と知り合いやったっけ? ちょっとまって!! いつの間にフラグたてたんか記憶の中さらってみるから!! この試合が終わったらぜひとも俺に詳しいプロフィールの紹介を……」


「『あの人は……きっと、今のあなたに必要なものを教えてくれます』と黒江はいっていました」


「なぁ、ちょっと聞いてる人の話?」


 お前が言うなと内心で吐き捨てつつ、レインベルはシシンのセリフを徹底的に無視することを決めた。


「だからあなたには……今の私を救ってくれる何かがあるのだと思っていたのですが」


 気のせいだったようですわね……。レインベルの明らかに失望がにじみ出た言葉を聞き、シシンは苦笑を漏らした。


「おいおい、勝手に買い被っといてひどい言いぐさやな? まぁ、期待されたんやったら答えるんはやぶさかやないけど……」


 そしてシシン苦笑を浮かべたまま、


「さぁて、嬉しはずかし説教タイムやレインベル・ヒルトン!! できればフラグとか立ってくれたらうれしいで!!」


「は? ブッ!?」


 勢いよく、両の掌をレインベルの頬を挟むように叩きつけた!!


「イッハ!? イハイヘフハよ!! ひゃにをひゅるんですか!?」


「おぉ……ほっぺた変形するだけで人はこんだけ喋れへんくなるもんか?」


「きぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」


 バカにされたのは分かったのか、先ほどの落ち込み様はどこへやら。怒り心頭といった様子でレインベルは自分の頬を抑えている掌に爪を立てた。


「ぎゃぁああああああああああ!! 猫かお前は!? って、いたたたたた!? ゴメンゴメンゴメン!! と、とりあえず説教ぐらいは聞こか、レインベル!! それ終わったら手ェはなしたるから!!」


 説教? 


 説教する人間特有の威厳なんて微塵も感じられない悲鳴を上げ、ちょっとだけ涙を流したシシンがそう言うのを聞き、レインベルは憤然としながらも取りあえず爪を立てるのはやめた。


「ま、まず第一にお前の勘違いから指摘していくとやな……人殺したわけでもないお前が、過去の清算やからやゆーて苛められていい道理がどこにあんねん!!」


「ひぇ、ひぇも!?」


「シャラーップ!! ええか、レインベル。お前が高慢ちきなクロワッサンの状態でそれを受けたゆーんやったらそら苛めやない。れっきとした反抗や!! せやけど、お前が反省した後でネチネチ過去掘り返して苛めるなんて行いは反抗やない! それは昔のお前と同じ、苛められとったやつらがチョウシのっとんねん!! 『ふへへへへ!! 俺たちあのクラス5を苛めてるぜ!! 凄いんだぜ~』ってチョウシのっとんねん!! そんな反省したやつを許すこともできひん器のちっさい奴等にいちいち気ぃ使ったる必要はない!!」


 サクッとスパッとあっさりと、松壊シシンは独善的に、クラスメイト達の復讐行為を否定した。


「第一……俺は相手が強い間は息をひそめとったくせに、相手が弱くなって無抵抗になると叩きだす連中ゆーんが大嫌いや!!」


 そして、最後に自分の好みで善悪を断じたシシンに、レインベルは思わずひいた。な、なんて自分勝手なぁああああああああああ!? と。


 しかし、なぜかそれを口に出す気は起きなかった。この説教をもうすこしだけ、聞いてもいいかな? とレインベルは心のどこかで思ってしまっていた。だから彼女は先ほどのような抵抗は行わない。黙ってシシンの話を聞く。


「第二に……能力のクラスが下がったからって何そんなにへこんどんのや!? お前それでもトップクラスのクラス4やろうがっ!! なんやこら!? 俺に対するあてつけか!? 無能力で魔法も使えへんおれに対するあてつけなんかこらっ!?」


「ひ、ひひゃう……」


 何やら今度は私怨が混ざりはじめたシシンの説教。次第に強くなっていく頬を挟む力に、レインベルは冷や汗を流しながら必死に抵抗する。これだったら、引っ掻く手を放すんじゃなかった……と早速後悔してしまったのはあまりに情けないので秘密だったりする。


「『お前に私の気持ちはわからへん』とか月並みなこと言うつもりはないやろうなレインベル? せやったら『お前は俺の気持ちがわかるんかい』と月並みな言葉をかえさせてもらうで。必死こいて剣術覚えて、それでも届かなくて歩法術覚えて、それでもやっぱり届かんくて、もう笑うしかない俺の気持ちが、お前にわかるいうんかいレインベル!!」


 そして、その言葉を聞いたレインベルは息を止める。その言葉には……確かに、シシンの本音が込められている気がしたから。


「あぁ……チョイ待ち。この説教フレーズは『わかるのだが何か?』って、師匠に論破されてもうたからもっとええフレーズ探すわ」


 台無しだった……。説教一つ真面目にできませんの!? と、若干怒気が込められた視線をレインベルから送られ、シシンは思わず目をそらす。


 どうやら気合の入った説教ターンは終わりを迎えてしまったようだ。つくづく自分は主人公に向かないと自虐的な思考をしつつ、シシンは再び笑みを浮かべる。


「と、とにかくや!! そんな能力なんて気にする必要あらへんて!! 無くなったわけちゃうんやろ?」


「そう……ですけど……」


「せやったら大丈夫やって!! 俺なんかなんもない状態で生身の体を使って戦わなあんかってんで? それに比べたらお前は恵まれとるって。それにイジメが怖いんやったらずっと第六学園都市におったらええやん? どっちにしろ帰れへんわけやし! ここなんかええ所らしいし、イジメとかもたぶんないで」


 来たところやしそんな詳しいことまで知らんけども……。と、意外と無責任な太鼓判を押すシシンの言葉に、レインベルは激しく首をふった。


「そ、それこそありえません!! 私は罪を償わないと……」


「アホ……」


 シシンはそういうと、昨日紅葉に叩き込んだ強力なデコピンをレインベルへと叩きこみ、その顔を勢いよくのけぞらせた!!


「っ!?」


 能力なしの純粋な筋力補正によって叩き込まれた打撃の痛み。最近ではめったに喰らわなくなったその鈍痛に目を白黒させながら、レインベルは驚いた様子でシシンを見つめた。


「こんなところに逃げてきた時点で、罪を償うもクソもあるかい。つらかったんやろ? 苦しかったんやろ? やったら、ここでいっぺん休んでも罰は当たらへんハズや。それに、お前がやっとるんは贖罪でもなんでもない、罪悪感に駆られて傲慢になったガキどもをいさめへんただの甘やかしや」


「では……いったいどうすれば、私の罪を償えるというのですか!!」


 今まで自分が贖罪だと思っていた行為が否定された。だから、レインベルは悲鳴のような声を上げて、シシンに問いただす。自分が一体何をすればいいのかを。しかし、シシンはへらへら笑ったまま肩を竦め、


「知らんわ。同い年のおれに一体何をめんどくさいこときいとんねん。同じような人生経験積んどるんやから、お前に出せへん答えがおれに出せるわけないやろ?」


「っ!?」


 『知らない』とレインベルの疑問を軽やかに切り捨てた。だが、


「せやから……一緒に考えたるわ。一緒に悩んで、一緒に泣いて、一緒に笑って、一緒に……苦しんだる」


「……」


 最後にやさしい微笑みを浮かべて、そう言ってくれた。


「せやから……お前の絶望はここで()まいや、レインベル・クロワッサン。悩んだんやったら立ち止まって自分見直せ。俺もお前もまだまだ若いんやし、こっからまた……始めたらええ」


 そんな笑みに……無責任すぎて、説得力なんて何もないへたくそすぎる説教に、レインベルは確かに、


「……ヒルトンですわよ。まったく、いい加減な答えですわね」


 救われた。




…†…†…………†…†…




 それから数分後。説教を食らいポロポロと涙をこぼしていたレインベルは、シシンから手渡されたハンカチで顔をぬぐった後、プイッと怒ったようにシシンの顔とは違う方向へと真っ赤になった顔を振る。


 しかし、その表情はどこか穏やかで先ほどのような絶望はきれいに消え失せていることが見て取れた。


 そんな彼女の様子に、シシンは安堵の吐息を漏らしようやく心からの笑みを浮かべた。


「よしっ!! これで俺にセキョポフラグが!!」


「とりあえず少しでもあなたの言葉に心を動かされた私を恥じていいですか?」


 と思ったが勘違いだったようだ。あくまで不真面目な態度をとり続ける半笑いのシシンに向かって、レインベルの絶対零度の視線と光り輝く光の収束が向けられる。


「や、ややなぁ~レインベルさん。ほんのちょっとしたジョークやないですか。そんなんやからクラス4に下げられるんやで?」


「冷や汗ダラダラ流しながら最後にケンカ売るとか……本当に死にたいんですね?」


「俺はそうあることを……世界に、強いられているんだっ!!」


「なるほど、そして私に殺されることも強いられているのですね。わかりましたわ……」


「あ、ちょ!? これも軽い冗談やねんて!?」


 悪鬼羅刹も裸足で逃げ出しそうな陰鬱な殺気を垂れ流しながら、レインベルはじりじりとシシンに近づきその胸ぐらをつかんだ。


「そういえば、被害妄想とか言っていましたけど……あなた説教の初め辺りは私のことを指差して笑っていましたわよね? 学園都市最嘘でしたっけ?」


「あ、あれは……ふ、雰囲気を軽くするための方便やんか!! マジでいったわけちゃうで!? ほんまやで!?」


 顔から血の気をひかせて、もう滝汗なんて表現すら生ぬるい冷や汗を流しながら必死に言い訳を重ねるシシン。


 しかし、レインベルはサディスティックな笑みを浮かべて、ジンワリと瞬時に作り上げた光の球をシシンに近づけていく。レーザーにして放っても辺り一帯を焼き尽くす熱量を持った光の球を……だ。


「いえいえ。べつにそれでもいいのですが、やはり私に心はかなり傷ついたわけですから、きちんと落とし前をつける覚悟をしていただきたく……」


「青春終わった瞬間、火サスの舞台に切り替えるのはやめてくれませんか? 私は若くないので空気についていけません……」


「「………………」」


 しかし、いまにも殺人事件が起きそうな陰鬱な雰囲気は突然かけられた声によってぶった切られた。


「あぅ……」


 ギギギと油が切れたブリキ人形にように絶望と、ほんのちょっと安堵がにじみ出た(レインベルから逃れられるから)顔で声の方向を振り向くシシンと、


「うぁ……」


 シシンとは違う、絶望一色に染め上げられた顔をむけるレインベル。


 その二人の視線を先には、先ほどまで二人を窮地に追い込んでいた暴力教師が腕を組んだまま仁王立ちの姿で立っていた。


 GTA総帥。山邑女史が……いい加減しびれを切らしてシシン達が隠れていた物陰を覗きに来たのだ!!


「とりあえず私の仕事をとるのはいただけませんね、松壊生徒。せっかくあそこからあなたと似たようなことをあなたの数倍はかっこいい言葉を選んでレインベル生徒を説教。好感度アップ。元クラス5の恩師という肩書を私の教師歴に刻みつけて万々歳となる予定だったのに、どうしてくれるのですか? この説教シーンをとられてしまったら、わたしがまるで生徒を痛めつけるためだけに生徒の心の傷をえぐった最悪の奴みたいじゃないですか。おかげで全校生徒の私に対する好感度は死滅状態ですよ……」


「この学園都市の人間は打算がないと説教すらしてくれませんの!?」


「ちょ、俺をあの人と一緒にすんなや!! あと先生、安心して!! 好感度なんて元々そんなに高くないで!」


「松壊生徒……あとでお話があります」


 オウ、ジーザス……。そう言わんばかりにレインベルから解放されたシシンは、四肢を地面につきうなだれるが、レインベルはそんなシシンにかまっている余裕はない。


「と、ところで山邑先生。私が心の傷を一つ克服して成長したわけですから、それを記念して無条件で校門通してくれたりしませんの?」


「成長した? よろしい。ではその成長した貴方を私にぶつけてみなさい、ヒルトン生徒!!」


「ダメですわ……。死亡フラグが立ちっぱなしです」


「うれしはずかし青春劇場を勝手に鑑賞したお代として俺らを無条件で通してくれたりしませんか? 山邑女史」


「『お前の絶望はここで終まいやレインベル。こっからまた……始めたらええ』でしたっけ? いや~かっこよかったですね。私が受け持った生徒達の名言の中でもトップに食い込むかっこよさでしたよ。それにしてもこんな臭いセリフよく恥ずかしげもなく言えましたね?」


「ヘンジガナイ。タダノシカバネノヨウダ……」


「致命傷!?」


 血反吐をまき散らしぶっ倒れるシシンに、驚き交じりのツッコミを入れるレインベル。中継を見ていた生徒たちが語るには、『なかなかカオスな光景だった……』らしい。


「さ、さて……レインベルくん。君は分かっているかな?」


「私がワトソン役なのが非常に納得いきませんが……。なにがだいシシン?」


「我々が君の罪を雪ぐためには、どうやらまだもう一つの難関を超えへんとあかんみたいや……」


「こんな時ぐらいは関西弁はやめなさい……。あとハンカチ返しますからそれで血をふきなさい、みっともない」


「ああ、そういうたらハンカチかしてたな……。あと、みっともないゆーな」


「こほん……では、その難関というのはいったいなんだいシシン?」


「決まっているじゃないか、レインベル君。我々の前に立ちはだかっている壁、それは……」


 そこでシシンは言葉を切り、三白眼を山邑女史に向けた後言葉を紡ぐ、


「空気読まずにまだ我々の邪魔をしようとするあそこの悪鬼羅刹だよ」


「………………」


 シシンの暴言を聞いた山邑女史はにっこりと笑った後、


「教育的指導を再開します」


 凄まじい速度で、横一閃に、己が平手を振りぬいた!!




…†…†…………†…†…




 横から再び飛来した重圧に、今度のシシンは完全に反応した。


 (あくまで自己申告で)いくつかの骨にひびやら何やらが入っているとは思えない速度で、彼はレインベルの腕をつかみ彼女ごと地面へと転がる。


 同時に、彼らの頭上を通り過ぎる思念場。


 その余波が、彼らが転がった地面にも影響を与え、凄まじい破壊力を持って地面をめくり上げるが、


「っ!!」


 先ほどまでシシンを脅迫するために使っていたレインベルの光球が、めくれあがり津波のように迫ってくる土砂に向かって炸裂! 衝撃波ごと、それらを吹き飛ばした!!


 その姿には先ほどのように諦めきった、絶望しきった雰囲気は見受けられない。自信に満ちて傲慢で、しかしどこか上品なそんな気品あふれる超能力者がそこにはいた。


「流石は()クラス5! 一瞬惚れそうになったで!!」


「いりません、そんな何の役にも立たなさそうな情報は!!」


 渾身の告白をレインベルに拒絶されたことにショックを受けつつ、シシンは思念場が通り過ぎると同時にはね飛ぶように立ち上がり、レインベルの手を引きながら神行を行った!!


 学校の壁に一つの残像を残しながら、山邑女史の背後へと再出現するシシン。どうやら狭い通路で山邑女史を抜いて背後に回るために、一度校舎の壁に着地した後、ボールが反射するかのように跳躍し、彼女の背後に着地を決めたらしい。


「見事です」


「どうも……」


「ついでに私も褒めてくれたらうれしいですわ!!」


 シシンの速さについていけず若干目を回していたレインベルは、それでもしっかりと山邑を見据え自分の能力を発動する。


「撃ち抜きなさい!!」


 射出されるのは光の雨。《弾幕皇女(ガトリング)》の全力全開……光の弾幕が再び発動した!!


「効かなかった攻撃を再び繰り返すとは……クラス5の名が泣きますよ?」


 しかし、その攻撃は山邑が巻き上げた土煙で再び迎撃され……


「っ!!」


 今度はそれをやすやすと貫いた!!


 あわてて思念場を操り校舎の屋根を掴んだ山邑は、思念場を瞬時に収縮。その思念場に引っ張られる形でとんでもない速度をもって校舎の屋根へと跳ね上がり、その攻撃を回避する。


「お忘れかもしれませんが……本来私の攻撃は、そのような環境変化によって易々と防げるものではありません。土煙やら何やらで、私のレーザーを防ぐにはある条件が必要なのです」


 その条件とは……。と、レインベルがいつもと変わらぬ自信にあふれた笑みでそうつぶやくのを見て、シシンは不敵な笑みを浮かべた。


 もう彼らは……負ける気がしなかった。


「私の光が対応できないほどの特殊な大気環境変動をすぐに起こせること。ですがあなたの能力では、せいぜい土煙を上げることによって遮光性の高い空間を作り上げるか、池の水を使って光を散逸させるかの二択しかありませんわ。あの男性教師とは違って、あなたの能力はそれに特化していないようですし……」


 気づいたか。そう言わんばかりの山邑の表情の変化を見て、シシンとレインベルは同時に勝利を確信した。


「その程度の阻害パターンしかないのであれば、その阻害を無視する光を作り出すことなど私にとっては造作もありませんわ!!」


 その言葉と同時に打ち放たれたレインベルのレーザーはまるで光の津波のごとく、校舎にぶら下がっている山邑へと襲い掛かった!!




…†…†…………†…†…




 場所は移って、激戦繰り広げられる裏庭。


 体中にはしる凄まじい衝撃。


 顔への被弾を回避するために、目の前に腕をクロスするように組んでつき出した健吾は、脳内に組み込まれた超演算速度を持つスーパーコンピューターが、弾丸よって与えられたダメージを計測し表示してくる脳内文字へと目を通した。


『損傷軽微。俺の鋼の体にダメージを与えるにはちょっと役不足だZE!!』


「相変わらず報告の仕方がうぜぇええええええええええええええ!!」


 別に固有の人格を持っているわけでもないのだが、なぜか報告で上がる文章プロトコルがやたらと人間臭い。そのくせ健吾のツッコミには一切反応を返さないので、まったくもって主人思いでないスパコンだ。


 そんな無駄な考えに思考を割いている健吾に向かって、衝撃が再び走る!


「ああ……もう。こっちも結構ウザいし!!」


「こっちも同じ気持ちですが?」


 健吾に直撃した弾丸が再び火花を散らせてあらぬ方向へ弾き飛ばされるのを見て、この学校に襲撃を仕掛けてきた無謀な人――東は舌打ちを漏らした。


「能力を使っているわけでもない……。魔術師というわけでもない……。なのに、超能力者用に加工された超加速弾頭を防ぎきる体の硬度。あなた一体何者ですか!?」


「いきなり人様の学校に襲撃かけといてその質問はないだろう? 俺の説明を聞きたいのならまずはあんたから話すのが筋じゃねェの?」


 不敵な笑みを浮かべた健吾にそう返され、東は再び舌打ちを漏らす。


「いいです。だったら……自力で調べますよ」


「?」


 健吾が東の不穏な言葉に首をかしげたときだった。


「気を付けてください!! そいつはクラス5の《千里眼》です!!」


「なっ!? おいそれって……」


 後ろからぶつけられた黒江の注意の叫び。その内容を正しく理解した健吾に、脳内のスパコンが先に答えを出す!


全知認識(ラプラス)の秘書長か!! とんでもなくクールなやつが出てきちまったYO!!』


 クラス5の千里眼として有名なのはやはりその人物だった。成人したクラス5の一人で、この日ノ本大陸のすべてを知るといわれた六花財閥社長が率いる数十人近くいる秘書のトップ。


 秘書長……《全知認識(ラプラス)》!!


「なんでそんな『偉いさん』がこんなところで女の子殺そうとしてんだよ!?」


全知認識(ラプラス)は確か数ヶ月前に行方不明になっているZE! おそらくその間に何らかの事情でなんかあったのかも?』


「ほんとに俺の脳に組み込まれているの、スパコンかよ!?」


 コンピューターらしくない予想だらけの答えを返してくる脳内文字に、健吾が怒声を上げる中、東は素早く能力を発動し健吾の強さの秘密を解析した。


「っ!? これは……鉄? いや、ダマスカス鋼の外骨格!? あなたまさか、あの欠陥実験体のなれの果てですか!?」


「あぁ……そうだよ、クソッタレ。俺は、サイボーグだ!!」


 数年前に実験を行い……被検体の超能力の消失という最悪な結果を残して凍結された人体改造実験。人体の内側にパワードスーツの機構と同じものを組み込み、一部の能力を除き身体(フィジカル)的には全く人間と変わらない超能力者の体を強化しようとして行われた実験だ。その被験者は超能力を失った体に絶望しことごとく自ら命を絶ったと聞いたが……。


「まさか生き残りがいるとは……驚きましたよ」


「死んでなきゃいけない道理がどこにあんだよ……サイボーグなめんな」


 悪態交じりに自分を睨みつけてくる健吾を見て、東はひとまず安堵の息をついた。


 なぜなら、サイボーグには具体的な戦闘手段が存在していないからだ。


 特殊弾頭を通さないほどの硬度を持つ外骨格。それは確かに脅威だ。少なくとも、今の東の装備では到底彼に致命傷を与える自信はなかった。


 だが、サイボーグは具体的な専用武器を搭載する前に超能力が消滅するのがわかったため、専用武器が作られる前に実験が凍結されてしまっている。


 その事実から考察するに、彼の性能はたったの一つ。運動神経を阻害しない頑丈な外骨格を持つ。それだけだ。


 身体能力は人並み。体重は多少重いだろうが、あまり重くすると動きを阻害するとあの実験の初期段階から予想されていたことなので、それそのものが武器になるほどの違いはあえて作られていないはず。脚力を跳ね上げる細工も施されていなければ、腕力を強化する機構も見られない。


 本当にただ硬いだけ。それだけが彼の力。


「そんなもの……恐れるに足りませんね」


「っ!!」


 正体不明の力だからと警戒していたが、ネタが分かればたいしたことはない。この程度の力なら、いくらでもあしらえる。東は表情が険しく変化した健吾の態度を見てその予想を確信に変える。


「わざわざたいした知り合いでもない少女のために、戦場に身を投げ出したその勇気だけは評価しましょう、少年。ですが君には、圧倒的に……」


 力が足りない。それだけ言い放つと同時に、東の拳銃からは弾丸が吐き出された。


 再びやってくるはずの衝撃に、健吾が力を入れ受け止める姿勢をとる。


 だが、


「は?」


 その弾丸はことごとく健吾の近くにある地面や校舎の壁にぶつかり火花を散らした。


 失敗か? 信吾が首をかしげようとした瞬間だった、


『警告・後ろの嬢ちゃんが超危険だNO!!』


「っ!!」


 脳内に大きく表示された警告文に、健吾はあわてて黒江に向かって振り返る。


「お忘れですか? 私の目的は君の後ろにいる少女の討滅だと?」


 健吾が振り返ったころには、数十発の弾丸が彼女の体に食いつかんとする軌道を描いていた!!


 跳弾!? まさか、あれだけの数の弾丸を、俺を回避してこいつだけを狙うように跳ねさせたっていうのか!! 健吾の思考が驚愕で埋め尽くされる。すさまじい銃撃センスなどという言葉では済まされない。明らかに人外じみた曲芸銃撃。


 これが、クラス5の実力!!


「目を閉じておいたほうがいいですよ? 一般人には少々酷な光景でしょう」


 明らかに弾丸によって黒江の体がはじけ飛ぶことを前提とした警告。健吾はそれに、


「うぁあああああああああああああああああああああああ!!」


 腹の底から出した気合いの怒号によって返事を返した。


『外骨格変形申請受諾。肉体的破損……一切無視だZE!』


 脳内に描き出されるふざけきった言葉。しかし、さすがはコンピューター。実行された行動は機械じみて迅速かつ正確だった。


 外骨格が変形し、健吾の腕を無理やり50センチほど伸ばした(・・・・)


 関節が外れ筋肉が悲鳴を上げる。皮膚すら引きちぎれかけ……いや、確かに一部が変形した腕が生み出す張力に耐えられず破れてしまいそこから鮮血を噴出させた。


 しかし、健吾はその腕を無理やり動かした。どちらにしろ、健吾にとって先ほど破損した肉体は大して意味がないもの。外骨格さえ無事なら、後は内蔵されたモーターやら何やらで、日常生活と変わらぬ動きをとることができるのだから。


 ただ、めちゃくちゃ痛いが……。


「いたたたたたたたた!?」


 普通の高校生の男子らしい悲鳴を上げ、涙をにじませながら健吾は言葉通り必死に手を伸ばし、黒江の体をつかみなんとか自分のほうへと引き寄せた。


「あっ!」


「わりぃ……後で謝るから今はじっとしていてくれ!!」


 無理やり引き寄せられたため、黒江の体は勢い余って健吾の胸へと飛び込む。まるで抱きとめられるような体制になった自分の姿に、黒江は目を見開くが今の健吾にはそんなことを気にしている余裕はなかった。


「うぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 黒江の体をきつく抱きしめ、自分の体で少しでも覆い隠す。


 黒江の体が動いたため、彼女を狙っていた弾丸のほとんどを回避させることに成功したが、それでもいくつかはしつこく黒江の体を狙っていた。


 おそらく、回避されることも予想して東がある程度広い範囲を貫くように弾丸を意図的に配置したのだろう。


 それらの弾丸の軌道を三次元の図にして提示してくるスパコン。赤く塗られたその軌道を妨げるように、健吾は腕や脚を配置し……


「ぐっ!!」


「きゃっ!?」


 その衝撃を受けとめた!!


「ちょ、なにを!? 無理をしないでください!!」


 無理な体勢で弾丸を受けたためか、先ほどのように耐えきることができず大きく揺られる健吾の体。まるでダンプカーの直撃でも食らったかのような凄まじい衝撃を体に感じ、黒江は思わず絶叫する。


「私のことはもういいですからっ!! 何も知らない貴方が、わざわざこんなことしなくても……」


「はぁ? 何言ってんだコラ!!」


 必死に自分を見捨てることを勧める黒江の言葉を、健吾は鋭い怒声でかき消す。


「たとえ何も知らなくても……常識的に考えて目の前で誰かが殺されんのは、気分が悪いだろうが!!」


 ドンっ!! それだけ言うと健吾は揺れ動く体を再び支えるため力強く地面を踏み締め、右手を黒江の体から離し勢いよくスイングさせた。


 それと同時に最後の弾丸が、スイングされた健吾の腕に弾き飛ばされ、勢いよく東に向かって撃ち返される。


「っ!!」


 その弾丸が自分には当たらないと能力によって知っていた東は、あえて回避行動をとることなくその弾丸を素通りさせた。が、それでも頬をかすめるように戻ってきた弾丸は、彼にとっては驚愕の品だった。


 そして、その驚愕が過ぎ去った時東の顔がさらに鋭い色を増す。


「どうやら、侮っていたようですね……サイボーグ」


 所詮硬さだけの相手だと思っていたが、拳銃使いの彼にとってその硬さこそが一番のネックだった。なにせ、現在の手持ちの武器で対象だけ(・・)を殺せるのはこの拳銃と加速弾頭のみ。それがここまで完全に防ぎきられたとなると、それはもう立派な敗北と言ってもいい結果だった。


 相性が悪かったといえばそれまでですが……。東は内心でそう吐き捨てながら、今回の任務では絶対に使うまいと思っていた切り札を切る。


「仮にもクラス5がそんな言い訳で敗北していいわけないでしょう?」


 彼が取り出したのは、学園国家の最新技術が詰め込まれた歩兵兵器。


「っ!?」


「なっ!? ありえねぇ……ここには一般生徒もいるんだぞ!?」


 空を切りながらこちらに向かって飛来するパイナップル型の物体を見て、黒江と健吾は息をのんだ。


 そう。その兵器の名は手榴弾。ただの手榴弾ではない。学園国家の最新鋭の改造を受けたことにより《クリーンな核兵器》と呼ばれるほどの爆発による発熱を確保した、超高温度熱波放出型の手榴弾!!


 とうぜんそんな凶悪なものが爆発したら、黒江たちだけに被害を出すなどという都合のいい被害ではすまない。少なくともこの十メートル範囲にある教室や施設にいる生徒たちは黒こげになって絶命してしまうはずだ。


「かまいません。僕は彼女を殺すためだけにこの任務に就いた。失敗するわけにはいかないんです」


 切羽詰まったわけでも、トチ狂ったわけでもない。まるで、こうするのが絶対の正解だといわんばかりに、どこまでも冷静な瞳でその光景を見つめている東に健吾は初めて恐怖を覚える。


 たった一人の少女を殺すためだけに、数十人の生徒を犠牲にしてみせると言い切ったこの男に、彼は自分とは住む世界が絶望的に違うのだと思い知らされた。


 勝てねぇ。戦っているステージが違うと悟った彼は戦う意思を根こそぎ奪われたが、黒江だけは逃がそうと自分がかき抱いていた少女の体を突き飛ばした。


「え?」


「さっさと逃げろ。俺はサイボーグだから、この程度の爆発へでもねぇよ」


「そんっ……!?」


 そんなわけないと言おうとしたのだろう。だが、手榴弾はそんな時間は与えてくれない。振り返った健吾の前には、真っ赤に発熱しどろりと外殻の形を崩し始めた手榴弾が見えた。


 思考が驚くほどスローになっている。大方脳に搭載されたスパコンと本来の脳が死に直面するに当たりリミッターを解除してこの光景を作り出しているのだろう。どうやら死に直面すると思考が早くなるというのは本当だったらしい……と、くだらないことを考えながら健吾はクシャリと顔をゆがめた。


 当たり前だ。健吾の体がいくら丈夫だからと言って核兵器と同じ熱量を持つ熱波など耐えられるわけがない。だから、この時この瞬間……健吾の死は確定してしまっていた。


 本当は搭載されたセンサーが、黒江が張ったと思われる不思議な結界の効果を無視して、裏庭の異変に気付いたからちょっと覗きに来ただけだった。だが、黒江が殺されかけているのを見てつい助けに入ってしまった。


 本当にただそれだけ。健吾がこんな絶望的な戦場に身を投じたのはたったそれだけの理由だった。


 自分のどうしようもないお人好しさに嘲笑を浮かべながら、涙を流す健吾。自分から飛び込んだくせにどうやら今更死ぬのが怖いらしい。


 あぁ……。まだまだ生きたかったな……。そうつぶやきを漏らしながらも、信吾は目の前の爆弾から目をそらすことは決してしなかった。


 そして、


「はい終了」


 自分の目の前に皮ジャンを着たタバコ臭いにおいのおっさんが割り込んでくるのを見て、健吾は思わず息をのみ、悲鳴を上げる。


 何してんだ、死んじまうぞ!! 健吾が叫ぼうとした爆発するまでには絶対に言いきれないそのセリフは、


「そこまでにしておけ《全知認識(ラプラス)》。うちのクソリーダーから撤退命令だ」


「何してんだ、死んじまう……ぞ」


 あっさりと、はっきりと……言い切ることに成功してしまった。


 なんでだ、なんで爆発しねぇ!? 驚愕に目を見開く健吾と黒江だったが、おっさんと対面していた東はさらにその倍は大きく目を見開いていた。


「《万有掌握(グラスパー)》さん……。なんでこんなところに?」


「いったはずだ。撤退命令だと……」


 そして、東が告げたその名前に黒江と健吾はさらに目を見開き、息をのんだ。


 その能力名は、数年前に消息不明となっていた学園国家最強のクラス5・勇鷺盗屋(いささぎとうや)の能力名だったから。




…†…†…………†…†…




 東は目の前に現れた存在――《学園国家最強》万有掌握(グラスパー)・勇鷺盗屋を驚愕の視線で見つめていた。


 真紅に膨れ上がり、数十メートルにわたり死の熱波を放とうとしていた手榴弾が、まるでフュギュアのように小さく縮小されて固まり、その男の手の内に収まっていることもその驚愕を覚えさせた原因の一つだが、何より驚かされたのはこの男――学園国家最強の切り札がこの程度の案件で切られたことに対してだ。


 自身の上司の説明では、彼は現在学園国家暗部によってある人物を人質に取られ、仕方なしの協力体制を築いているらしい。使いこなせれば最強の切り札となるが、下手に隙を見せれば腹の中から食い殺されかねない。と、東の上司は常々言っていた。だからこそ彼は《失敗が許されない》《絶対に敗北してはいけない》任務にしか動員をかけられていなかった。


 クラス5とはいえ暗部に入ってまだ間もない東が担当している案件ごときに来ていい存在ではなかった。


 つまり、


「この案件が……あなたが出張るほどの重要度を持つものへと跳ね上がったとでもいうのですか?」


「そこまでは知らないな……。俺に出された命令は、お前の首に縄をつけてでも連れ戻せということと、そこの小娘に対する暗殺の一時凍結を申し渡すように言われただけだ。それにしても……やはりあいつはお前には甘い。なにせ任務に燃えているお前に対して《この作戦は中止だ》と言うことすらためらったのだからな」


 東はその言葉を聞き、電話の向こうで自分の上司が何を言いたかったのかを悟った。まぁ、さすがにその指令を出せなかった理由は予想外だったが。


「つまり……お前を人質にとれば、俺はあいつらと交渉ができるのかな?」


「っ!?」


 しかし、まるで物理的な力を持っているかのような錯覚を覚える殺気がトウヤから噴出されるのを感じた東からは、そんな驚きの気持ちはすぐに消え去る。代わりに現れたのは、圧倒的な強者に目をつけられてしまったという恐怖と、言葉と同時に盗屋が放った狂気ともいえる殺気に対して抱いた絶望だった。


 なにせ、暗部に入った……またそこからさかのぼって暗部に入る以前の20年にわたる彼の戦績は文字通り《常勝無敗》。大魔導師だろうが、クラス5であろうが数十年の間に彼に勝てた人間は現状誰一人として存在しないことが公式記録に記載されている。


 さすがにあの《英雄》シオンとは戦ったことはないらしいが、条件さえ整えば間違いなく勝ちを拾うことができるといわれてさえいる。


 そんな相手に、クラス5とはいえ最近暗部に入ったばかりの東が抵抗できるかと問われれば答えは断じて『否』だった。


 だが、彼も暗部の端くれだ。ただで負けるわけにはいかない……。


「くっ……」


 まるで叩きつけられるかのようにぶつけられる殺気の暴風に、ダラダラと冷や汗をかきながら再び拳銃を構える東。盗屋の背後にいたため殺気の対象から外れていたのだろう。先ほどまでと変わらない、涙の跡が見える少年やターゲットは、怯えきった東の気配に驚嘆の息を漏らした。


 しかし、


「ふっ……。冗談だよ。貴様程度がいくら大切であろうと、うちの国の命運がかかっていない限り、あいつは確実に人質ごと俺を切り捨てる。そんな不安定な交渉材料であの化物に挑むほど俺はバカじゃないさ」


 そんな東の態度を見た盗屋は肩を竦めあっさりと、東に向けていた殺気をひっこめた。


 まるで嘘のように静まり返る裏庭に東の荒い呼吸音がこだまする。そして、東は口をパクパクと動かし何かを訴えようとするが、どうやら先ほどの殺気を受け止めるのにかなり体力を浪費したらしい。声がかすれて何を言っているのかよく聞こえなかった。


 手の感覚がマヒして握っていた拳銃を離すことすらできないのか、殺気が消えると同時にだらりと下げられた片手には必死に動かそうとされている指と、安全装置がかろうじてつけられた拳銃がいまだに握られていた。


 そんな東の惨状に苦笑をうかべたあと、学園国家最強はにやりと笑いながら自分の後ろにかばわれた二人の学生を振り返った。


「すまなかったな、二人とも。うちの後輩が迷惑をかけた」


「え、あ……い、いえ」


「め、迷惑というか……」


 まさか暗部の連中に謝られるとは思っていなかった二人は、しどろもどろといった様子で必死にベストな言葉を紡ごうとするが、盗屋はそれを苦笑交じりに止めた。どうやら時間がないのか、自分の話を進めることを優先したいらしい。


「というわけで、そっちの嬢ちゃんに対する暗殺命令は解除済みだ。しばらくの間は俺たちが嬢ちゃんを狙うことはないだろう。もっとも、いつ再発されるかは俺も知らんが……」


 盗屋の言葉を聞き黒江と健吾の顔があからさまに強張る。自分たち二人がかりですらまるで勝てなかったクラス5……それをただの殺気だけで戦闘不能にしたこの男が次は襲い掛かってくる可能性があるのだから。そうならない方がどうかしているだろう。


 そして、しばらくの間どのような態度をとるべきか迷った二人は、


「「ふざ……」」


 けるな!! と怒鳴り声を上げようとして、


「まぁ、つまりだ……お前たちがこの案件について世間様に公表しようとしても、もう対策はとっくの昔に打ってあるから無駄だぞ? ということが言いたいわけなんだが……」


 そして、続いて告げられた盗屋の釘刺しに二人は今度こそ完全に絶句する。


 いわれてみればその通り。現在進行形で襲われていた現場を抑えられたならまだしも、敵の上層部はすでに命令を撤回。それに伴い、今回の作戦の後始末と証拠隠滅をすでに終わらせているはずだ。


 そんな状態で学生が『暗部らしき人間に襲われた!』といったところで、証拠など何一つ残っていないのだから真実を言っていると思われるよりも、頭がおかしくなった方を疑われる可能性が高い。


「つまり……私たちに泣き寝入りしろと? いつか襲うかもしれないけど、今は平和にしておいてやるから、今回の件は水に流せと?」


「無駄な労力を省けと言っているだけだ。べつに水に流さなくても構わないが、教師などに頼るのはやめておけ……そう忠告しただけだ」


 時間の無駄だぞ? 「若いな……」といわんばかりの笑みを浮かべてそう返してくる盗屋に黒江は思わずホゾをかんだ。


 結局……彼女に対する脅威が完全に消えることはないのだと、言外に告げられてしまったのだから。


「っ……ざけんじゃねェ……いったいあんた達、何の恨みがあってこいつを!!」


 そんな黒江の態度を見た健吾が、初めて怒りをあらわにした様子でトウヤを怒鳴りつける。しかし、盗屋はそんな彼の怒声すら笑って受け流し、


「なぁ少年……一ついいか?」


「俺の質問に答えろ!!」


「そんなに弱いくせに……よくこの戦場に立っているな?」


「っ!!」


 たった一つの言葉によって、健吾の怒りを削り取り圧倒的な絶望を植え付けた。


「固くちょっと体の形が変わるくらいの力で、守れるものなんてあるわけないだろう? 身の程をわきまえておけ、小僧。だからお前は今……そんなみじめな顔を敵の前で晒すことになっている」


 盗屋が告げた言葉の意味を悟った健吾は、あわてて自分の眼もとへと手を走らせそこから流れ出ていた涙の残滓をぬぐう。


「く、くそっ……」


「死にたくなかったか? そりゃぁいい。正解だ……。人としてお前の態度は何一つ間違っちゃいない。だが、俺たちはそんな人間らしい感情を捨ててこの場に立っている」


 そして、悔しさのあまり悪態をつく健吾に対し、盗屋は耳元で辛辣な言葉をぶつけた。


「誰かを救いたいと思うなら……正義のヒーローじみた行き当たりばったりにすべてを救っていきたいと思うなら、まずはもっと力をつけろ。そして死に直面してなお『嗤って』いられるくらい壊れてみせろ。俺たちと戦っていいのは……それができてからだ」


 必死に涙をぬぐい再び盗屋を睨みつけようとした健吾が最後に見たのは、自身で言っていたような肉食獣のような凶悪な笑みを浮かべた盗屋の顔だった。


「じゃぁな。どうなるかはわからんが……せいぜい平穏を楽しんでおけ? ()スパイ殿」


 ひらひらと手を振りながら背を向けた盗屋は、こちらに向かって呆然とした視線を送る東の目の前まで歩いていくと、まるで水あめをゆがめるかのように空間(・・)を掴み取りゆがめ……その歪みの中に東と自分の体を滑りこませた。


 トウヤの手が離れると同時に、勢いよく元の形へと戻る空間。それと同時に小規模な衝撃波が辺りに撒き散らされるが、健吾と黒江に被害は与えなかった。おそらくそういう風に調整したのだろう。


 そしてその衝撃波が収まったころには、もう盗屋と東の姿はそこにはなくいつも通りの静かな裏庭だけが広がっていた。


 黒江と健吾の二人はその光景をかろうじて確認すると同時に、どちらからというわけでもなく、同時にその腰をペタンと地面に降ろした。


 そのときだった、


「おい! ここでいったい何があった!?」


 ようやく裏庭の惨状に気付いた一人の教師が校舎の窓から顔をだし、座り込んで茫然自失となっている二人に詰問を行うのだった。




…†…†…………†…†…




 前庭で校舎にぶら下がるようにして攻撃を回避した山邑は、自身に向かって放たれかけたレーザー群を見て即座に判断を下す。


 校舎を支えることによって自分の体を吊り下げていた能力を即座に切り、保険として地面を掴むように展開していたもう一つの手の能力を収縮。自由落下の30倍というとんでもない速度で落下を開始した山邑は、かろうじてレーザーの弾幕をよけることに成功する!


「やりましたか!?」


「ちょ……それ実は倒してへんフラグ!!」


 わけのわからない怒声を上げるシシンの声を聴き、再び念力場を調整し落下速度を軽減。華麗に着地をした瞬間、山邑は駆け出す!!


 自分の対レーザー戦略が意外と穴だらけなのを見切られた以上、山邑がクラス5相手にとれるのは速攻戦略ただ一つ。


 光速で撃ち抜かれる攻撃とはいっても所詮操っているのは人間だ。光速で思考するわけではない以上、能力者の反応速度以上の速度で攻撃を叩き込めさえすれば、クラス5に勝つことすら容易だ。


 理論上……の話ではあるが。少なくともレインベルはまだクラス5になってから幼く、この理論は十分通用すると山邑は踏んでいる。


 だからこそ山邑は老人が出していい速度を軽く超越するような速さでレインベルたちを肉薄し、


「ほらやっぱり!! 生きとったやん!! フラグ回収しに来よったやん!」


「私のせいではありませんわよね、それ!?」


 突然目の前に出現したシシンによって迎撃された!


「っ!」


 目の前に出現したシシンはすでに刀を振りかぶっている。構えからして峰打ちねらい。それも首と肩の付け根を強打することによっての一撃昏倒狙い。


近接戦(ここ)(おれ)のテリトリーやで……超能力者(せんせい)!!」


「なめられたものですね……」


 高々十数年訓練しただけのクソ餓鬼が……私に勝てると思ったのですか? 近接戦なら私に勝てると? 内心でそう吐き捨てながら、山邑はシシンの行動を予想しすでに展開していた念力場によって、シシンの構えられた刀を殴り飛ばした。


 戦略的に考えて、近接戦闘を行おうとする自分を迎撃するのは刀という武器を持ったシシンだと彼女は突撃を開始する前に予想をつけていたのだ!


「えっ!?」


 手を離れて天高く舞い上がる刀に呆然とするシシン。


 山邑はそんな彼の手を取り、無理やり上へと押し上げると、体を旋回させながらシシンの懐に潜り込む。


 これでシシンを巻き込むことを恐れたレインベルは、レーザーを使うことをためらう。そして、


「攻撃が直線的すぎますよ、松壊生徒? まぁ、あなたのその異常な高速移動は、早いがゆえに小回りが利かないためそういうことになっているのでしょうが……」


「はははは……。先生……実は近接戦でもメッチャ強い?」


「正解です」


 ひきつった笑顔を浮かべるシシンに対し、山邑女史はその腹部に掌底を添える。


「さて、松壊生徒に問題です。私はこの後どういう攻撃を放つでしょうか?」


「手から高速で射出される念力場によって……俺を砲弾のように吹き飛ばす?」


 シシンの答えに山邑は満足げに笑い、


「またまた正解」


 情け容赦なく、弾丸(せいと)を射出した!!


 しかし、弾丸(シシン)はトラウマになっているであろうその攻撃を食らいながら、なお笑みを崩さなかった。


「先生……先読みが先生の専売特許やと思たら、大間違いやで?」


「?」


 その言葉を告げたシシンは念動場によって吹き飛ばされる直前に、


「ほれ」


「っ!?」


 羽織るように着こみ、高速移動を行うために不自然にはためかせていた(おそらくかっこいいとも思われるはためかせ方を計算して行っていた……)羽織を山邑に向かって投げつけた。


 広がる羽織は空気の抵抗を受けゆっくりと遊泳し、山邑の視界を遮る!


「やりますね!!」


 羽織による目くらまし。なかなか悪くない手だと山邑は評価する。羽織の向こうから差し込んでくる光量が飛躍的に増し始めたところから見て、山邑の視界が奪われているスキにレーザーのチャージを済ませ、羽織ごと吹き飛ばすつもりなのだろう。だが、その程度の反撃ぐらいなら予想はすでに行っている。だからこそ、山邑はシシンを吹き飛ばす時にある調整を行っていた。


「ん? ちょ!? なんでこっちに飛んでくるんですか!?」


「あ!」


 視界を遮る羽織の向こうからそんな言い争いが聞こえる。山邑はシシンを吹き飛ばす際にレインベルを直撃するようにその体を射出していたのだ。


 そうすることによって、レインベルは回避行動を行い必要が発生し能力制御が甘くなる。なにより、シシンを巻き込まないようにレインベルはいったんレーザーの照射を見送る必要が出てくる。それによって発生するわずかなタイムロス。コンマ数秒にも満たないわずかなロスだが、山邑が羽織を薙ぎ払い能力によってレインベルを排除するには十分な時間だ。


「射程が少々不安ですが……何とかなるでしょう!!」


 その言葉を発すると同時に片手で羽織を薙ぎ払い視界を回復する山邑。そして、彼女の視界に入ったのは、予想通りにシシンを回避し飛び退くレインベルと、悔しそうな顔をしたまましばらく飛行し重力に従い地面に落下したシシンだった。


 レインベルが先ほどチャージした光の残滓がゆっくりと消滅していく。


 山邑はレーザーのチャージが完全に消えてしまうという思わぬ誤算に『これは、チャージ持続の訓練もカリキュラムに入れた方がいいですね……』と、今後のレインベルの能力訓練に対する予定を立てながら喜ぶ。


 それと同時に山邑は腕を振りかぶり、


「「王手やで(ですわ)、山邑女史!!」」


 レインベルとシシンが同時に放った言葉で氷結した。


 彼女の背中から感じる圧倒的な光量。しんじられないとばかりに山邑が振り向くと、そこには無数の光の光球が待機していた。


「何もチャージが私の周囲だけでしか行えないといった覚えはありませんわよ、山邑女史。私はすべての光を操る『光使い(レイマニュピレイター)』。半径数十メートル以内にある光なら、どこでだってチャージできますわ」


 近接戦闘による最速の決着。それを狙っていた山邑はまんまとその範囲内に入っていた。


「なる……ほど。松壊生徒があえて前に出てきたのは、私の注意を背後に向けさせないためのフェイクですね。あなたのレーザーは初期のチャージにほんのわずかだが時間がかかる。背後でそんなことが派手に行われていては、私が過ぎに気付いてチャージの隙を狙いあなたを攻撃する可能性があった……。羽織による目隠しは、私の注意をさらに前方へ向けるためのダメ押し……。人は視界を奪われればまずはそれを何とかしようと思ってしまう生き物ですから、それ以外に関しての注意力が散漫になる」


 小賢しいマネを……。将来有望だという内心の声を押し隠しながら、山邑は二人に向かってそう吐き捨てた。高校生の子供がとる戦法としては少々小手先頼りだったのが気に入らなかったらしい。


 若いんですからもうちょっと無理をしなさい……。教師の言葉尻からあふれるそんな言葉に、シシンとレインベルは肩をすくめて不敵に笑う。


「でも、今は勝ったで?」


「ええ。今は勝ちましたわ?」


 たとえ課題が残ったとしても、二人にとってはその事実は何よりも重要な戦果だった。


「ほな山邑女史」


「無敗伝説に終わりを告げなさい!!」


 その言葉と同時に、背後の光球たちから射出される無数のレーザー。至近距離から、光速で射出されるそれらに山邑が行える迎撃手段など存在せず、山邑は今度こそ……光の嵐に飲み込まれた。




…†…†…………†…†…




 着弾と同時に凄まじい爆炎を上げるレーザー群。シシンはその光景を見て思わず顔を引きつらせる。


「おい……。さすがにあれは死んだんちゃうか?」


「殺しても死なないような化物相手取っていたのですから仕方ないではありませんか。それに安心してください……私のレーザーにはスタン設定というものが存在していますの。最悪でも殺すことはありませんわ」


「おまえ……その割にはすごい爆発しとんねんけど?」


 ゴゴゴゴゴギュボッバババジュギュグロロロロ……。なんて、ちょっと言葉で表現するのは無理そうな爆撃音を無数に響かせ、大地を揺るがすレーザー攻撃。


「これほどスタン設定という言葉に不安を持ったことはない……」と、シシンは恐怖を覚える。


 そして、数秒後……レーザーたちも十分だと判断したのか次第に爆撃音は少なくなっていき、最後には真っ黒な爆煙とその中央で倒れ伏す、山邑だけが残った。


 どうやらスーツが多少焦げてしまったようだが、本当に気絶しているだけのようだ。その光景にほんの少しだけ安堵の息を漏らした後、シシンは感極まったかのように、


「よっしゃぁあああああああああああああああああああああああ!! 終わったぁあああああああああ!! ていうか、教師下すだけで何でこんな時間かかっとんねん!?」


 現実の理不尽さに泣いた……。当然だ。たった二人の教師下すのに一体どれだけの被害を被ったと思っている。


「いやいやいや……ここはサクッと教師倒してクラス5との熾烈な追っかけっこしてフラグたてんのが定石やろうが!? なにこれ!? 教師が生徒に与えてええ被害とちゃうよ!? なんか途中シリアスな空気になっとったけど、本来ならここまで真剣になるシーンとちゃうよねこれ!?」


「いまさら何を言っているのですの? あと、小説基準で現実を語るのはやめなさい。現実なんて所詮こんなもんです」


「しかもフラグたてる予定やったクラス5はシビアな視線になっとるしぃいいいいいいいい!!」


 なんかもう絶望するしかないシシンだった。こんな状態でフラグなど立つわけもなく、いくつかの骨を損傷してしまった(私見)シシンに取って笑い話で済む話でもない。たとえほかの人間が笑い話にしても、シシンが全力で泣くからだ。


「ですが……すっきりはしましたわ」


 だが、そんなシシンに苦笑をうかべながらもレインベルは笑ってくれた。


「そんなに落ち込まないでくださいな、松壊シシン。あなたは……立派に私を笑わせてくれましたわ」


 昨日見たものとは違う、人を見下した笑みではない……太陽のような朗らかな笑み。シシンはその笑顔に少しの間目を奪われた後。


「そうかい……」


 痛みをこらえてやせ我慢をし、ほんの少し歪んではいたが……ちゃんと満足げな笑みを浮かべることに成功した。


 こうして、シシンとレインベルの激突は教師と生徒の激突へとすり替わり、相容れないはずだったクラス5と侍は和解を果たしたのだった。




そして、




「仲直りできたところで悪いのですが……」


「「!?」」


 再び立ち上がってきた山邑女史の姿に、その笑顔は一瞬で凍りついた。


「ま、まさかまだ戦うとか言わへんよな?」


「ま、負けたくせにさらに戦闘続行なんて、無様以外の何物でもないですわ……」


「あぁ……安心してください。さすがにそこまでみっともないことはしないですよ。私たちは教師であり生徒の鏡であるべき存在ですから……」


 こんな暴力的な鏡があっていいのだろうか? とシシンは首を傾げた後、


「あぁ……。まぁしゃーないか」


 初対面でもかなり暴力的だったレインベルの顔が視界に入り、思わずそうつぶやいてしまった。


「シシン……あとでお話があります」


 明確な悪口は何も言っていないはずなのに、どういうわけかシシンが何を言いたかったのかを的確に嗅ぎ当てたレインベルは、青筋を浮かべながらシシンを睨みつける。


 どうやらシシンにはきちんとレインベルとのフラグが立ったらしい。フラグはフラグでも死亡フラグだったが……。


「でもまぁ……今学校の外にでることは断じて許しませんが……」


「「へ?」」


 しかし、そんな怒りに燃えるレインベルも、レインベルに恐怖しガタガタ震えていたシシンも山邑のその言葉を聞いた瞬間目を吊り上げた。


「なんやそれ!? 言ってることとやってくことがめちゃくちゃやんか!!」


「そうですわ!! 負けたら潔く道を譲るのが常識でしょう!!」


 そんな風に食って掛かる生徒二人を呆れたような瞳で見つめつつ、山邑女史はため息をもらした。


「あのですね……確かに私はあなたたちとの戦いに敗れましたが」


 そのときだった!! 


 キーンコーンカーンコーン……。という、古式ゆかしいチャイムが学園全体に鳴り響いたのは。


「「……………………」」


 そのチャイムの意味を瞬時に察知し、思わず無言になる二人。そんな二人を見つめつつ、山邑の瞳はどんどん温度を下げてゆき絶対零度の冷たさはなってきた。


「レースの条件は確か……昼休みが終わるまでにコンビニで昼食を買ってくることでしたね?」


 そのチャイムが示すのは、自由の時間が終わり拘束の時間がやってくるということ。そう……彼らのレース(せんそう)の時間は過ぎてしまい、再び学生の本分に戻らないといけない時間がやってきたのだ。


 すなわち……授業の時間が。


「私は勝負には負けましたが……試合には勝ちました。あなたたちの敗北です……問題児二人」


 その言葉と同時に、山邑は念力場で二人の制服の襟首をつかみ、まるで猫か何かのように持ち上げた。


「さてと……編入と同時にA級戦犯とはいい度胸ですね二人とも。それ相応の罰を与えるので、職員室までご同行願いましょう」


 どちらにしろ、その怪我では授業を受けられないでしょうしね……。死んだ魚のような目で氷結する二人をぶら下げながら、焦げだらけ&破れだらけになったスーツを翻しながら山邑女史は悠々と校舎に帰還していくのであった……。




…†…†…………†…†…




「クラス5二人で構成された暗部の侵入ですか……」


 二人の生徒を伴いやってきたGTAの裏庭で起こった事件の報告を聞き胃が痛み出したのか、校長はおなかをさすりながら机の引き出しを開ける。


 結局教師につかまった健吾と黒江は、ダメでもともととばかりに教師たちに向かって『暗部と抗争』していましたと正直に告げた。しかし、教師たちの反応は彼らが予想していた『何バカなことを言っているんだ!!』といった現実の否定ではなく、少し真剣な表情になり授業そっちのけでGTAに招集をかけあわただしく動き始めた教師たちの姿だった。


 いったいなにがどうなって? と混乱する二人に、ようやくやってきたGTAの一人が「ちょっと校長に会ってもらうよ?」と告げ、わけもわからず目を白黒させる二人を校長室へと強制連行。そして今に至るわけだが……。


「正確には、侵入してきたのは一人でもう片方はそれを回収しに来たようですが……」


「同じことです。どちらにしろこの学校に暗部の侵入を許してしまった事実は揺るがない……」


 そして、完全に権力中枢から離れてしまったこの第六学園都市にわざわざ暗部を派遣してくるほど、あちらは切羽詰まっているということも……だ。唖然する二人の生徒に申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、机の引き出しから見事に胃薬を引き当てた校長は、ほっと安堵の息をつきながらそう漏らす。


 昼行燈。話が長い人。熱中症患者製造機……などと、生徒たちから揶揄されることの多いこの校長だが、実は現役時代、天草に対する外交のプロフェッショナルとして辣腕をふるっていた六花財閥の敏腕秘書だった。


 今ではすっかり隠居を決め込み、《辺境》などとバカにされているこの第六学園都市の中等部高等部の総括校長を務めているが、その実水面下で生徒たちから暗部を遠ざけるために様々な対策を施していたりする。


 そんな彼の本質に気付いた教員たちはこぞってこの学園に集まり、GTAなどという組織を設立。彼の指示のもと生徒の指導とその外敵の排除に力をふるっている。


 もっとも、指導が行き過ぎたり過剰防衛しすぎたりと……いろんな事件を起こし続けるGTAたちに彼の胃壁はガリガリ削られていたりするが、まぁそれは些細な問題だろう。


「せっかく、辺境などと呼ばれるように仕向けて、学園国家の実験によって《失敗作》の烙印を押されて、切り捨てられた子供たちが平穏に過ごせるまちづくりをしてきたのですが……。どうやら今回ばかりは暗部連中も本気みたいですね。話を聞く限りしばらくは大丈夫そうですが……」


 敵は万有掌握と、全知認識。クラス5において分野は違うが、間違いなく最強クラスの能力を持つ二人組だ。


 唯一の救いは万有掌握が積極的に暗部に協力しているわけではないということだが、そんなもの雀の涙ほどの安心感しか得られない。例えそうだったとしてもクラス5がいないこの学園都市で迎撃できる戦力ではないのだ、クラス5というものは……。


「あの……」


 そんな風に眉間にしわを寄せながら今後の対策について考える校長に対して、今まで場の空気にのまれていた二人の生徒のうちの一人――健吾がおずおずと手を上げた。


「? どうしました? 丁嵐生徒」


「あ、え……その、黒江はいったいどうなるんでしょうか?」


 健吾の質問にびくりと不安げに震えるうつむいたまま黒江の肩を見て、健吾は痛ましげな視線を黒江に送る。


 教師たちが急にあわただしくなりGTAが来るまでの間かなりの時間待たされた彼らは、GTAが来るまでの時間つぶしとして今回の事件に関する事情を話していた。


 だからこそ健吾は知っている、黒江が元天草のスパイだったこと。本人はもう足を洗ったといっているがそれを示す証拠は何一つないこと。だから、彼女はこれからも暗部に狙われ続けるだろうということを……。


 普通に考えればこんな厄介な生徒は切り捨てる。一応暗殺命令は撤回されたらしいがスパイ容疑がかかっているような生徒だ。かくまうメリットなど何もない。


 下手に庇えば、庇った人間もスパイではないかと疑われる可能性すらある。そうなればもう国全体が公然とした敵になるといっても過言ではない。


 だからこそ健吾は畏れた。この計算高い校長が……第六学園都市のために黒江を切り捨てるのではないかと。


 しかし、


「ふむ……では丁嵐生徒。あなたはなぜ黒江生徒を助けたのですか?」


「え……そりゃ」


 ちょっとした知り合いだった。それが殺されかけているのを知った。だったら助けるしかないだろう? そんな単純な理由しか持ち合わせていない健吾の脳裏に『貴様にはそれを実現できるだけの強さがない』といった盗屋の嘲笑がよぎる。


 それでは……ダメなのだろうか?


 答えに詰まる健吾に、校長は苦笑をうかべて胃薬を飲み込む。


「ああ、言い方が悪かったですね。なぜあなたは今も黒江生徒をかばおうとしているのですか?」


 あぁ。なんだ……その質問に答えればいいのか。だったら答えは簡単だ。健吾は内心でそうつぶやきながら、よどみない口調で告げる。


「俺の眼には……こいつが人をだましているようには見えなかったから」


「っ!!」


 その言葉を聞いた黒江は目を見開き、健吾に向かって素晴らしい速度で視線を向けてきた。


 そんなに驚くことか? と、健吾は首をかしげながら視線でそう伝えてみる。普通の学生が人を信じるのには大した理由は必要ない。なんか信用できそう。学生はそれだけで人を信用するし、しないとやっていけない。大人のような人を見る目というのは、年を重ねないと手に入れられないものなのだから……まだ幼い自分たちは自分の直感を信じて人となりを予想するしかないのだから。


 その直感を信じることができなくなってしまえば、学生は人とのかかわりをもてなくなってしまうのだから。


「理由なんてそんなものです。俺はそうやって人を判断してきた。騙されたこともあったけど、それで信じることを忘れてしまったら俺たち幼い学生は孤立することしかできなくなる」


 だから俺は、こいつの言葉を信じます。騙されても……後悔しません。健吾の口からはっきりと告げられたその言葉に、黒江の顔がクシャリとゆがむ。


 レインベル以外に自分を信じてくれる人が出てきたのがよほどうれしかったのか、その目じりからはポロポロと涙が零れ落ちていた。


 そんな黒江と健吾をほほえましいものを見るような目で見つめながら校長は頷いた。


「私も同じ気持ちだよ、丁嵐生徒。もっとも私の場合は、今までの経験によって、嘘をついているかいないかの見分けがつくという能力があってこその信頼だがね」


 もとより外交官をしてきた彼はそう言ったことには敏感だった。その能力が黒江は嘘をついていないと校長に教えてくれていたのだ。


「黒江生徒……。安心しなさい。第六学園都市はあらゆる学園都市から見捨てられたドロップアウトが集まる都だ。ここに集まってきた生徒は、もうここ以外に居場所がない生徒が大半だ。だからこそわれわれ教師陣は……全力を持って君たち生徒を守る」


 そして、鋭い表情になった校長は、静かに涙をこぼす黒江に向かってはっきりと宣言してくれた。


「この学園都市にいる限り、暗部ごときに君を傷つけさせはしない。第六学園都市総括校長の名に懸けて……約束しよう」


「はいっ……。あ、ありがとうございます」


 おえつ交じりの感謝の声を聴き、校長は苦笑を浮かべGTAは肩をすくめる。そんな彼らを見つめながら健吾は強くこぶしを握りしめた。




…†…†…………†…†…




「よかったな……」


「……はい」


 校長室から『ここからは子供が聞く話ではないよ』とGTAに追い出されてしまった健吾と黒江は、ゆっくりと静かになった廊下を歩いていた。


 今は授業中。ほとんどの生徒は黙って机にかじりつき、真面目に授業を聞いているはずの時間だ(居眠りや、内職が多発していることは否定しないが……)。


 昼休みは賑やかに人が行きかっていた廊下は、まるで別世界のように静かで二人の足音だけが響き渡っていた。


「あの……ありが……」


「礼はいわないでくれ」


 そんな中、意を決したかのように口を開いた黒江。しかし、その言葉は黒江が何を言おうとしているのか察知した健吾によって事前にさえぎられてしまった。


「……っ?」


 どうして? そう言わんばかりに黒江の瞳を必死に見ないようにしながら、健吾は悔しさがにじみ出る口調で黒江に告げる。


「俺は……結局何もできなかった」


 黒江の危機に駆け付けた。弾丸を防いだ。彼女を生きながらえさせられた……。だからどうした?


 内心で激しい自責の念に駆られながら、健吾は衝動的に言葉を紡いでいく。


「俺は結局……君を殺されかけた。いや、もっと悪い事態にしてしまった……。あの時、あの勇鷺さんがこなかったら少なくとも数十人近い生徒が死んでいた」


 その被害は、健吾がもっと強かったら出なかった被害で……健吾が《全知認識(ラプラス)》を倒せるほどの実力があれば……または全知認識に抵抗さえできないほどの弱者だったら、必要のない被害だった。


「勇鷺盗屋の言うとおりだ……。無責任に突っ込んで、正義のヒーローを気取って、中途半端に助けたあげく……被害をでかくしかけた。そんな俺が、お前の感謝の気持ちをうけとることなんて……」


 できない。そう続けようとした健吾に、



「そんなことないですよ」



 黒江は笑ってそう言ってくれた。


「……なにを?」


「あなたは、私のピンチに駆けつけてくれました」


「偶然俺だけがあの異常を感知できる機能があったんだ」


「あなたは私を殺そうとした弾丸をはじいてくれました」


「たまたま、それができる体だったんだ」


「あなたはあの弾丸の雨から、必死に私をかばってくれました」


「だから……それはたまたま……」


「たまたま……万有掌握が助けに来てくれたおかげで、私たちは生きています」


「!!」


 黒江のその言葉に健吾は思わず言葉を詰まらせる。


「そんなたくさんの偶然によって私隊は生き延びることができたんです。でも、その偶然の綱渡りの中であなたは万有掌握さんと違って、私を助けるという目的のために動いてくれた」


 たまたま助けてくれただけの相手に黒江は決して感謝はしない。黒江は、そんな危ない偶然に支えられなければならない危険な状況に陥ってなお、黒江を助けるために行動してくれた健吾にだからこそ感謝の言葉を告げる。


「あなたがたまたま来てくれたことで……私は確かに、救われたんです。だから言わせてください」


黒江の言葉を呆然とした様子で聞いていた健吾は、


「ありがとうございます。健吾さん……」


 その言葉に、


「あぁ……。どういたしまして」


 ほんの少しの諦観と、ほんのちょっとの安堵を浮かべて小さく笑った。


 そして、


「次はもっとうまく助けられるようにする。またあの校長たちを出し抜いてあいつらが来たときは俺がお前を助けてみせる」


「期待しています」


 健吾は確かに、そう誓った。




…†…†…………†…†…




 そんな二人のやり取りを見ている影が廊下に二つ……。いや、廊下の壁に沿って二列に並んだ何かがじーっとその光景を見ていた。


「なぁ……あの二人一体何があったんやろ?」


「く、黒江に先を越されることになるとは……不覚ですわ」


「お嬢様キャラって傲慢さゆえに、総じて恋が実るのは遅いんだな……。あんな純情従者娘にだったら先を越されてしまうのは当然の摂理なんだな」


「そんなことはどうだっていいんだけど……あいつらだけ処罰を免れているのが気にくわない」


「ですよね、先輩……。この罰則が終わったらみんなでシメましょう……」


 昼休みのバカ騒ぎをセッティングしたメンバー全員が顔に『もう二度と先生に逆らいません……』と油性マジックによって落書きされた状態で、廊下に逆立ちさせられていた。


 逆立ちだった。山邑女史が言うにはより良い土下座のニューウェーブだそうだ……。


 主犯格二人……レインベルとシシンの額には『肉』の文字の刻まれており、なおのことその光景に哀愁を漂わせる。


 武士の情けのつもりなのか、スカート装備の女子生徒たちには絶滅危惧種のブルマの着用が許可されていたが、恥の上塗り以外の何物でもない。


 自分たちだけの世界に入った黒江と健吾がこの光景に気付き、赤面するべきなのか三白眼になって呆れるべきなのか悩むのはしばらく時間がたってからだ。


 結局、放課後までこの体勢でいさせられたシシン達は、昼休みの娯楽を提供したことやGTAを見事撃退したことに対する感謝と感心の声を生徒たちからかけられつつも、ガッツリ写メをとられてしまうという今世紀最大の屈辱を味わうことになる。


このときシシンはこんな名言を学校に残したのだそうだ。


「あぁ……喧嘩なんて、ノリと勢いで吹っかけるもんとちゃうな……」と……。


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