「え?うちの婚約者に突き飛ばされて五体満足で済む?」
シャンデリアの輝き。有名な楽団による演奏。煌びやかなドレスに身を包む淑女達と、そんな彼女達をエスコートする紳士達。
絵に書いたような舞踏会の光景。今宵集まった爵位ある者達は、一見和やかに談笑を楽しんでいる様子だが、その実様々な思惑。ある者はより高位の者へとゴマすりを行い、またある者は憧れの人とお近付きになろうと虎視眈々と機会を伺う。大人達の陰謀も、思春期真っ盛りの少年少女達の青い春も渦巻く空間。
___さて、ここにも、一つの思惑を抱く少女が一人。
歳の頃は15か16歳ほどだろうか。淡いピンクを基調したドレスを身に纏っている。頭にはこの場に似つかわしくない包帯が巻かれている。
彼女の名はクリエ。この国の王太子に恋する夢見がちな少女である。
今日、彼女は、王太子の婚約者に冤罪を着せて婚約破棄にまで持っていき、空いた王太子の婚約者という席に自分が座ろうという計画を立てていた。
舞踏会というハレの場で、しかもたった一つの“冤罪”だけで王太子の婚約者を貶めようなどとは随分大胆かつ短慮な計画である。思春期故の暴走なのか、はたまた単に頭が足りないだけなのか。
兎にも角にも、クリエはそんな思惑を持って王太子に近付く。
「レオポルド殿下、ご機嫌よう」
「君は…フォンセーヌ家の」
名を呼ばれた王太子___レオポルドは紳士的な態度でクリエへ挨拶を返す。彼女の全身を視界に入れると、当然頭の包帯に目が留まる。
「おや、その怪我は?」
投げかけらた当然の疑問に、クリエは心の中でほくそ笑む。
しかしそんな心中などおくびにも出さず、大袈裟なほど大きく肩を震わせ、悲痛な表情を浮かべる。
「その…」
クリエはチラリとレオポルドの後ろに控えていた彼の婚約者___シルヴィアを見る。その瞳は、明らかな怯えが見えた。
「クリエ嬢?」
レオポルドが不思議そうに首を傾げる。クリエは意を決した様に顔を上げ、悲痛な叫びを吐き出した。
「実は……先日、シルヴィア様に………階段から突き落とされて___」
身を守るように自分の身体を抱き締めながら、クリエはまるで悲劇のヒロインの様に涙を流した。
クリエは小柄で、華奢であり、顔立ちも美少女といって差し支えない。そんな彼女が怯える様は、十分に紳士達の庇護欲を刺激する。
クリエの言葉を聞いて、レオポルドの周囲にいた紳士淑女達がザワザワと俄に騒ぎ立つ。ざわめきはあっという間に周囲に伝播し、『シルヴィア様がクリエ嬢を階段から突き落とした』という話は瞬く間に会場内へ伝わった。
クリエは心中で高笑いをあげる。これであの目障りな女もお終いだと、心の底から歓喜していた。
レオポルドがシルヴィアを見る。小柄なクリエ嬢と比べると大分背も高く、また美人ではあるが目付きが鋭く、無表情なのも相俟ってどこか近寄り難い。
レオポルドはもう一度クリエ嬢を見る。小柄で、子うさぎの様に愛らしい。包帯は頭にしか巻かれていない。ドレスで見えないだけかもしれないが、少なくとも立って歩ける程度の怪我ではある。
レオポルドはもう一度シルヴィアを見て、またクリエを見る。そして、心底驚いた様子で言った。
「え?シルヴィアに突き飛ばされてその程度の怪我で済んだの?」
・・・・・
さて、ここで王太子の婚約者、シルヴィアについて少し話そう。
彼女は代々優秀な騎士を輩出している家に生まれた。シルヴィアの父も、現在騎士団長として、国の為にその力を奮っている。家系図を辿れば、先祖は戦乱期の英雄だったらしく、先祖の肉体的な強さは、血と共に受け継がれてきた。
____そんな家系で、まさしく《先祖返り》とも称される程、強く、濃い血を受け継いだ子がいた。シルヴィアである。
シルヴィアは生まれつき武の才能に溢れていた。幼い頃からそんじょそこらの騎士顔負けの強さを誇っていた。
彼女の両親はシルヴィアの強さを大層誇らしく思いながらも、さりとて特別扱いする事もなく、ただ家訓に則り彼女を鍛え上げた。
シルヴィアもシルヴィアで、生来の真面目さもあって家訓に則り、ひたすら心身を鍛えた上げた。
____最高の才能を持った人間が、最高の環境でひたすら己の才を磨いたらどうなるか。その答えは明白である。
斯くしてシルヴィアは、見た目は淑女、中身は立派なゴリラへと成長した。もしこの世界がゲームの中ならば、攻撃力・HPのステータスがバグみたいな数字になってるだろう。
とは言っても、彼女は何も筋力しか取り柄がない訳ではない。家訓では“文武両道”をモットーする為、学もある。加えて、最低限の淑女としてのマナーも身に付けている。
力もあり、教養も高い。完璧に感じる彼女の唯一の欠点は、力加減が滅茶苦茶に下手くそだという事だ。
幼い頃は何人、いや何十人の大人を、意図せず病院送りにしたものか。
大人ですら簡単に倒せてしまうのに、同年代なんて彼女にとっては触れれば直ぐに壊れてしまうもの。だから、シルヴィアの幼少期は基本的に一人だった。まぁ、彼女の才能をいたく気に入ったレオポルドは、危険も厭わずシルヴィアの周りをウロチョロしていたが。
さて、訓練を重ね、成長するにつれ大分力加減も上手く出来るようになってきたとはいえ、シルヴィアの強さは健在である。
そんな彼女が、嫉妬や怒りといった負の感情を持って人を____しかもクリエの様に小柄で愛らしい少女を突き飛ばしたらどうなるか。
少なくとも、頭に包帯一つ巻いて終わり、程度の怪我ではすまないだろう。
そして、婚約者の物理的な強さをよくよく知っているレオポルドは、心底驚きながら、先程の言葉を口にした。
クリエの主張が嘘ならば、社交界でも有名なシルヴィアの強さを知ってか知らずかそんな嘘を吐いた短慮さに。
クリエの主張が本当ならば、頭の怪我一つで済ます事の出来たシルヴィアの力加減に。
・・・・・
レオポルドの言葉で、会場は静まり返る。
やがてシルヴィアのゴリラっぷりを知っている者達が口々に「確かに…」と小さな声を漏らした。
疑惑はあっという間に会場内に広まり、クリエに懐疑の目が集まる。
「えっと……その……」
まさか疑われるとは微塵も思っていなかったクリエは、途端にしどろもどろになる。涙の代わりに頬に汗が伝う。
「クリエ嬢はこう主張しているが、君に弁明はある?」
焦るクリエには目もくれず、レオポルドは冷静に、もう一人の当事者へと尋ねる。
シルヴィアは、暫く押し黙って記憶を探る。階段ですれ違いざまに、うっかり風圧で吹き飛ばしてしまった可能性もあった。最近クリエとすれ違った事があったかどうか思い出しているのだ。
「いいえ。私にそのような記憶はございません」
いくら記憶を探っても出てこなかったので、シルヴィアは淡々とした口調で事実を述べる。
「ふむ。シルヴィアはこう言ってるけど?」
「う、嘘です!わたしは、本当にシルヴィア様に突き落とされて___」
どうやらクリエはゴリ押しでいくらしい。なんの証拠もない主張でも、悲痛な顔を作って訴える。その演技は素晴らしく、その気になれば女優として活躍出来るだろう。
___とはいえ、いくら演技が素晴らしくとも、今回ばかりは相手が悪過ぎた。
「うーん…。でも幼い頃から彼女を知ってる身としては君の主張は信じられない。シルヴィアが感情のままに暴力を振るったとして、君みたいな小柄な女性なら、良くて意識不明の重体、悪ければ全身ぐちゃぐちゃになって死ぬ可能性もあるからね」
まるで雑談の様な軽さで怖い事を言うレオポルド。クリエの頬が引き攣り、顔色が悪くなる。
「そうだ!いっその事試してみようか?シルヴィアが階段から人を突き飛ばしたのならどうなるのか」
「え」
「名案!」とでも言わんばかりに良い笑顔でとんでもない事を言うレオポルドに、クリエのみならず周りの貴族達まで固まった。
「では訓練用の木人形を用意しましょう」
渦中にいるはずのシルヴィアは、何故か他人事の様に淡々と準備に入る。
「え、あ、待って」
クリエの静止の言葉も届かぬまま、着々と準備が進められた。
そうしてやってきた実践の時。会場内の螺旋階段を借りて、レオポルド、クリエ、その他野次馬の貴族達の前で、シルヴィアは木人形に向き直る。
シルヴィアがトン、と人形を押す。
_____人形は、突き落とされるどころか吹き飛ばされて宙を舞い、盛大に壁にぶち当たった。
あんぐりと口を開けて驚くクリエ。そんな彼女とは対照的に、パチパチと拍手を送るレオポルド。
「申し訳ありません、レオ。壁を壊してしまいました」
シルヴィアは人形の悲惨な末路には目もくれず、壁を破壊してしまった事に酷く落ち込んだ様子だ。
「気にしなくていいさ。やれと言ったのは僕だしね。
それにしても、相変わらずシルヴィアの力は凄いね!」
「何も壊さないようにしようと思ったのですが……緊張してしまい、力加減を間違えてしまいました」
そう言うシルヴィアの表情は変わらず無のままで、これぽっちも緊張していた様子もなければ、申し訳なさそうな感情も伝わってこない。
なお、シルヴィアは感情のままにその力を振るうのを防ぐため、自分を律し、感情を表に出さない訓練を行ってきたので、顔に出にくいだけで、内面は豊かな方である。今も心の底から申し訳ないと、恥じ入る気持ちでいっぱいだ。
しかし、当然ながらそんな事知る由もないクリエは、人形相手とはいえ、無惨な姿を見ても眉一つ動かさない冷徹な人間に見えた。可哀そうに思える程顔を青くして震えている。
「さて、実際に彼女が人___正確には人形だけど___を階段から突き落としたらこうなるけど?」
レオポルドがクリエに視線を送る。クリエはこれから捕食される子うさぎのように震えながら言った。
「も、申し訳ございません!う、嘘です!!」
どうやらあの光景を見てもなお、嘘をつき続ける度胸は無かったようだ。半泣きになりながら懺悔の言葉を繰り返すクリエに、周囲の人間は、身から出た錆とはいえほんの少し同情した。
・・・・・
王太子を謀り、彼の婚約者を貶めようとしたクリエは、本来なら重罪であるが、実質的な被害が無かった事、シルヴィアが彼女を減刑を訴えた事により、半年間の奉仕活動で済んだ。
シルヴィアにプチッと殺られる事も想像していたクリエは、その寛大な処置にいたく感激し、心を入れ替えて奉仕活動に励む事を誓った。
これにて一件落着。騒ぎも収まった会場で、レオポルドとシルヴィアは2人で談笑する。
「それにしても、まさかあそこまで派手な事になるとは思ってなかったよ」
「……申し訳ございません」
落ち込んだ様子___といっても他人から見れば変わらず無表情なのだが___を見せるシルヴィアに対し、レオポルドは楽しそうに笑う。
「いやいや、責めてないよ。さっきも言っただろう?相変わらず君は凄いと感心しただけさ」
レオポルドの言葉は本心だった。昔から、彼はシルヴィアの驚異的な力を見ても、怯えることも無く、ただ「凄い」と感嘆の声を漏らした。それは幼少期から同年代はおろか時には大人までもに怯えられ、「怪力女」などの陰口を叩かれてきたシルヴィアにとっては、確かに心の支えとなっている。この才能を存分に伸ばして良いのだと思える。
___そう、シルヴィアにとって、レオポルドは愛しい人であり、心から信頼出来る人であり、恩人であった。だから、彼の力となる事に喜びを感じる。どんな無理難題にも、この才を存分に奮って応えたい。
レオポルドは能力至上主義である。彼の前では、性別も身分も、貧富の差も関係ない。ただその者の能力を見極め、それを磨き、存分に発揮させる。それが彼のポリシーだ。
そんなレオポルドの性格を正しく理解しているからこそ、シルヴィアは知っている。
彼が自分を気に入ってくれているのは、偏にこの才能のお陰だと。
そして自分が今婚約者という立場でいられるのは、レオポルドがシルヴィアを気に入り、それが恋心故だと勘違いした国王達のお節介のお陰である事も。シルヴィアは理解している。
____だからこそ、彼女は研鑽を止めない。
武の才能だけでなく、教養も磨き続ける。
いつまでも、レオポルドにとって輝く宝石を持ち続ける為に。
王太子の婚約者は、その鉄仮面の下に大きな思いを抱きながら、明日も明後日も、その才能を遺憾無く発揮して、王太子の心を掴むのだ。




