死に行く悪役令嬢の夢物語
「――おい、飯の時間だ」
「あら、こんな罪人にもご飯は提供されるのね」
「ふん、まったくだ。せいぜい感謝しながら食え」
私には興味がなさげな様子で、食事を持ってきてくれた翡翠色の瞳を持つ目つきの悪い監視さんは、得体のしれないおぞましい肉の塊が乗ったお皿を、私が投獄されている牢の中に押し込んでくる。
「無理やりうら若き乙女の部屋に得体のしれない物体を押し込むだなんて……女の子に対して礼儀がなっていないわね。貴方きっと、モテないでしょう」
「ふん、極悪非道の限りを尽くした罪人が、何をたわけたことを言っている。くだらないことを言っていないで、さっさと飯を食え」
「はーい」
監視さんに見守られながら、鼻を突き抜けるかのような悪臭を放つ塊を無理やり口の中に放り込む。
私はもともと、公爵家の一人娘として生まれ、華々しい人生を確約されていると言っても過言ではなかった。
そんな私が何故、こんな罪人のような仕打ちを受けているのかって? そんなの、簡単だ。
私――ティナフィール・ミイレシアは、悪役令嬢なのだ。
私には生まれつき、前世の記憶というものがある。
そのため、この世界が乙女ゲームの世界であることは理解していたし、自分がゲームの中の悪役令嬢ということも自覚していた。
ゲームの中のティナフィールは、どんなルートでも必ず死に行く運命。
しかし、前世の記憶があれば、運命だって変えられるって、そう思っていた。
でも、無理だった。
ゲームの絶対的ルールであるヒロインの前では、悪役令嬢という物語の一つの小さな歯車である私には無力であった。
結局私は前世の記憶を持っているというアドバンテージは生かせず、ヒロインに嵌められて、断罪され、五日後の死刑執行の日に備え、たくさんの犯罪者のいる刑務所の中に投獄されたのであった。
ぼぉっとしていれば断罪されたあの日のことを思い出してしまいそうで、監視さんがいるのも気にせずに私は首をぶんぶんと振る。
何も知らないのに、何もしていないのに、私を非難し、糾弾する視線や声。
食事の影響もあるのだろうが、私は猛烈な吐き気に襲われ、急いで口元を抑える。
生理的な涙が目に浮かび、どうして私がこんな目にと、考えずにはいられない。
死刑まで、残り五日。
こんな理不尽な仕打ちに、私は抗おうとは思わない、抗えば、死刑までの日数が縮むことを知っていたから。
最後の五日間なのだ。せめて、自分の人生に悔いのないように、胸を張って幸せだったと言い張れるように。私は、最後の一瞬まで、全力で生き抜いていたいのだ。
死刑まで残り四日。私の元には、昨日と同じ監視が訪れる。
暴れようともせず、ただ、虚空を見つめていた私をみて、監視さんは意外そうに目を見開く。
「意外だな。うわさに聞く罪悪姫ならば、牢の中で暴れまわっていてもおかしくないって思ってたんだけどな」
「あら、それは心外だわ。私、見かけによらずいい子なのよ?」
「冗談はよせ。いい子ならばなぜ、こんな薄汚い牢獄に入れられたというのだ」
罪悪姫とは、私の極悪非道な行動からつけられた、私のあだ名。いつの時代も、どんな場所でも、人間というものはあだ名をつけるのが好きな生物らしい。
「……まぁ、そんなことはどうでもよくて。わざわざこんな罪人の元に来たのだから、それなりの理由があるのでしょう?」
「ずいぶんと察しがいいじゃないか。罪人である貴様に一通の手紙が届いている。ま、受け取るも受け取らないも、貴様の勝手だがな」
「……ちなみに、誰宛かは、聞くことってできる?」
「俺が罪人の頼みごとを聞くとでも思ったか?」
監視さんの冷ややかな目線にシュンと顔を伏せると、彼は優しさからか、はたまた何かの気まぐれか、おもむろに口を開く。
「……プリズム様」
「!!」
監視さんの口から飛び出した予想外で、それでいてこの世の何よりも耳障りな名に、私は息をのむ。
プリズム様と呼ばれた子は、私の因縁の相手……ゲームのヒロインであり、私を破滅へと導いた張本人である。
そんな彼女が、今さら私に手紙を……?
「ねぇ、監視さん。その手紙、貴方が先に読んでくれないかしら」
「はぁ!? なんで俺が貴様なんかの願いを叶えなくちゃ……」
「――ね? お願い」
眉間にしわを寄せながら私のお願い事を断ろうとする監視さんの言葉を笑顔で遮ると、逃げられないと感じ取ったのか、彼は無駄に豪華な手紙の封を渋々破く。
「…………」
無言で手紙に目を通す監視さんだったが、次第に彼の体はわなわなと震えだし、手紙をクシャリと握りしめる。
「こ、これは……いったい、どういうことだ!?」
取り乱した様子の監視さんに一瞬だけちらりと目を向けた後、私は彼から手紙を取り上げ、軽く目を通す。
手紙に書かれていたことは、ティナフィールのおかげで王国を守ったヒーローになれたことや、ずっと憧れていた王子の婚約者になれたことなど、自身がどれほど幸せな人生を送れているかや、私への皮肉たっぷりな感謝の言葉が長々と書かれていた。
ご丁寧に、何度もプリズムが私を悪役に仕立て上げようと頑張り、その努力がようやく報われたとまで書かれていたのだ。
こんなもの、プリズムが私を自らの意思で陥れ、私を破滅に導いたのだと言っているのと同義。
私が誰かにこの手紙を見せるかもしれないという危惧はなかったのだろうか。はたまた、今の私が他人に助けを求めることなんてできないと判断したのだろうか。
「自分が無罪だと、貴様は主張しないのか!?」
一人考えに浸っていると、私以上に怒りをあらわにしてくれる監視さんの声が耳に届いたが、私はふるふると首を振りながら、静かに口を開く。
「無駄よ。王国を守ったヒーローと、極悪非道のレッテルを張られた罪人。世間がどちらの言葉を信じるかなんて明白。それに、プライドが高く自身の間違いを認められない王族たちが、私を無実の罪で死刑にしようとしたなんて、認められるはずがないもの」
私がプリズムの手紙を持ち出して自身が無罪だと主張しても、きっと、だれも信用してくれない。信じてくれない。手紙の内容を馬鹿正直に信じている目の前にたつ監視が異常なだけなのだ。
「貴方は国の救世主であるプリズムのことを疑い、私のことを信じてくれるの?」
「それは……たしかに、この手紙の内容はにわかには信じがたいものだ。しかし、その手紙は俺が直々にプリズム様から手渡され、確実に貴様に届けたのだ。小細工をする隙など無かっただろうし、信じざるを得ないだろう」
「……ふふ、貴方ってばずいぶんとおかしな人ね」
「な!? 捕らえられている立場でよくそんなことが言えたな!?」
自分のことを素直に認められることなんてずいぶんと久しぶりのように感じて、私が思わず笑みをこぼすと、監視さんは顔を真っ赤にして言い返す。
失礼なことを言ったのは自覚していた。
でも、私の発言に彼を傷つける意図は一切ない。ずっと一人ぼっちだった私には、監視さんの言葉が胸に深く突き刺さったのだ。
「……あの、さ。貴様は俺らのことを恨んだりしないのか?」
「へ?」
つい先ほどまで取り乱していたなんて思えないほど落ち着いた声で意味不明なことを尋ねられ、私は素っ頓狂な声をあげる。
「だ、だってさ、俺らは……俺は、貴様が冤罪だと知ったのに、自身の保身のために貴様を殺すという判断に異議を唱えることはない。貴様には、恨む権利があるだろう?」
固く握った拳をふるふると震わせながら必死に声を紡ぐ監視の様子を見て、彼は本当に優しいのだなと思う。
監視さんだって、わかっているはずだ。私の処刑は王命。
権力なんて無いに等しい一人の監視が声をどれだけ荒げようが、王族の判断は変わりようがない。
最悪、私は監視を誑かしたということでもっとひどい仕打ちをされるかもしれないのだ。
「恨みませんよ。貴方は何も悪くない。それに、どうせ、抗えれば抗うほど、私は危険だと判断され、死刑までの日数は少なくなってしまう。どうせ少ない命ならば、最後まで悔いのないように生きるのみよ」
監視さんを……いや、自分を励ますように明るい声でそう言うと、監視さんは一瞬目を見開いた後、何かを決意したかのような強いまなざしで私を見つめる。
「…………俺の名前はライリア」
「え?」
「俺の名前はライリアだ!! 俺は今ここで、貴様に……ティナフィールに誓う!! 俺はいかなる理由があろうとも、必ず君の味方でいよう!! 助けることは、できない。それでも、俺にできることならなんだってする!!」
思いがけない監視さんの誓いの言葉に、私は目を見開く。
そして、しばらく経った頃。さすがに笑いをこらえられなくなって控えめに吹き出す。
「あはは……やっぱり、貴方はおかしな人ね」
罪人の私に肩入れするなんて、頭がどうかしていると思う。
……え? でも本当は、すっごく嬉しいんだろうって?
まぁ…………否定はしないわ。
「――ティナフィール……私は悲しいよ。5歳の頃からの婚約者が、まさかこんな極悪人だったとは」
「ち、ちが……」
ゼルリア様の悲しそうな声色の言葉に反論したいのに、喉が詰まって言葉が出ない。
そして、彼の陰に隠れるようにして、私に薄ら笑いを浮かべてくるプリズムに怒りを募らせる。
私は何もしていない。ただ、幸せになりたかっただけなのだ。すべてプリズムの自作自演。なのにどうして、私だけが悪者として一方的に断罪されなければいけないのだろうか。
……私のこれまでの努力は、いったい何だったのだろうか。
教えてよ。私はどうすれば、悪役令嬢としての道を歩まずに済んだのか。
どうすれば幸せな道に進むことができたのか。これでも私、一生懸命頑張ったんだよ?
だんまりを決め込み、頭の中でグルグルと考えを巡らせる私に、ゼルリア様は失望したように深いため息をつき、そして……。
私に、運命の裁きを下したのだ。
「……どうして今さら、あの日の夢を見るのだろうか」
死刑まで残り三日。
私いつの間にか頬をつたっていた涙をぬぐいながらポツリとつぶやく。
断罪された、あの日のこと。ゲームと全く同じ展開で、私の努力はすべて無駄だったのだと嘲笑われた瞬間でもあった。
私の幼いころからの婚約者であるゼルリア。プリズムは彼に何を吹き込んだのかは知らないが、ゼルリアは私の弁解の言葉すら聞き届けてはくれなかった。
ゼルリアはゲームの攻略対象。彼もプリズムの身勝手な思いに踊らされたうちの一人なのであろう。
……それでも、憎たらしいと思うことに変わりはない。あんなに悲しい目をするのなら、少しでも私のことを信じてほしかった。
「……駄目ね。一人でいたら、悪い考えに頭を支配されてしまうわ」
今さら考えたってどうしようもない記憶を必死に振り払いながら、残りの三日間をどう生きようかと考える。
まぁ、どうしようも何も、この牢屋の中で過ごすほかないのだが。
「せめて、暇つぶしになるものがあるといいんだけれども……あ!」
ピコンと頭の中にとある物が浮かんできて、私は身動き一つ取るたびにギシリと悲鳴を上げるボロボロのベッドから身を起こしながら、この二日間のように食事を持ってきてくれるのであろう監視さんを今か今かと待ち続けた。
「――ティナフィール、これで良かったか?」
監視さんの言葉に笑顔で頷きながら、私は差し出された本へと手を伸ばす。
世間にはあまり認知されておらず、有名ではないシリーズ本の最新刊。
発売されたらすぐに入手して読むほど大好きな作品なのだが、ここ最近はずっとバタバタしていて、読めずじまいでいたのだ。
「ありがとう……!!」
満面の笑みを浮かべていることを自覚しながら、私は監視さんが持ってきてくれた本をギュッと抱きしめる。
「……そんなに嬉しかったのか?」
「えぇ!」
照れ臭そうに頬を掻きながらぽつりとつぶやく監視さんにいまだ笑顔を向けながら大きく頷く。
「どういう話なんだ? その本は」
心の底から喜ぶ私を見て、ほんの内容が気になったのかただの気まぐれか、監視さんは私にそう尋ねてくる。
「……よくあるお話ですよ。ずっと一人ぼっちだったお姫様が、運命の王子様に会って恋をする。なんのひねりもない物語」
言い終えるや否や、私は薄汚い牢屋の床に座り込み、膝に顔を埋める。
「私ね、ずっと信じていたんです。私の運命の王子様はきっと、ゼルリア様のことなんだって。でも、違った。私は所詮、物語に出てくる悪い魔女でしかなくて。物語のお姫様であるプリズムには、どうあがいたって敵わないんだって」
「ティナフィール……」
監視さんの憐みの声が耳に届いてしまい、私は顔を上げるのが怖くなってしまう。
人の怒りや失望の声と同じくらい、憐れむ声もたくさん聞いてきた。憐れむくらいなら助けてほしい。誰でもいいから私を救って、運命の王子様になってほしかった。
「――ごめんな。俺は君の味方でいると誓ったのに、結局は何もできない。君の王子様になんて到底なれないよ」
あぁ、彼もやっぱり、他の人たちと同じなのかと絶望に陥りそうになった瞬間、頭の上にぬくもりを感じて、反射的に顔を上げる。
「俺はな、ガキの頃に親に捨てられて、ずっと一人で生きてきた。数年前に王族に拾われてここで働きだしたはいいものの、たくさんの人々をこの手で傷つけてきたし、たくさんの人に恨まれたりしてきた」
突然の監視さんの自分語りを半ば放心状態で聞いていると、彼は口の端をわずかながら上げながらも、今にも泣きだしそうな顔で私を見据える。
「ここの牢屋に入れられた者の中には、王族の策略に嵌められた無実の人も大勢いた。俺もこの仕事についてからしばらくの間は、冤罪を押し付けられた人々を救い出そうと、必死に王族に働きかけた。でも、無駄だった。諦めるしかないってわかった時にはもう、俺の心は壊れてしまっていたんだ」
震える手を私の頭から離し、監視さんは胸元をはだけさせる。
「なっ!?」
監視の突然の行動に驚いたのもつかの間、彼の胸元に刻まれた、痛々しい印が目に留まる。
「奴隷紋……?」
「うん。俺は王族に奴隷として拾われたうえに、祝福をかけられた。王族に決して歯向かえないように。そして、自ら命を絶てないように。……奴隷には自由が与えられなかったんだ」
……あぁ、そうか。なにも、私だけが不幸なわけじゃない。私だけが、苦しんでいたわけではない。目の前にいる監視さんも、ずっとずっと苦しんできたのか。
「俺は、決して君の望む王子様にはなれないよ。きっと、君が物語のお姫様だと語ったプリズム様にだって、ただのモブとしか認識されていないんだろう。でも、君が自分のことを悪い魔女だというのなら、俺は悪魔にだってなってやる……ま、俺は君が悪い魔女だなんて思わないけどね」
監視さんの言葉に私はどこか救われたような気持になって、泣きたくなるのを必死にこらえながら彼を見据える。
「……死なないでね。絶対に」
「え?」
間抜けな声を漏らす監視さんにクスクスと笑いながら、私は必死に言葉を紡ぐ。
「貴方は何一つとして悪いことはしていない。ただ、自分の役目を全うしただけ。無理に私と同じ所へ落ちなくても、正しい私の姿を覚えて生きてくれれば、それだけで十分なの」
「……そんなこと言われたの、初めてだなぁ」
監視さんはその場に急にしゃがみ込み、前髪をクシャリと乱暴につかむ。
「……ティナフィール。君は俺に生きてほしいって、心の底から願っているのか?」
「え? ……思ってもいないことをわざわざ口にしないわ」
「…………そ、っか!!」
顔を上げて無邪気に笑う監視さんは、前髪が崩れているのもあってかずいぶんと幼く見えた。
これが本来の彼の姿なんだと思うと同時に、頬に熱が集まるのを感じ、急いで頬に手を当てて監視さんに悟られまいとする。
「……生きてほしいなんて言われたの、初めてだ」
「え?」
「いや、何でもない!!」
監視さんの小さなつぶやきを聞き逃してしまったが、明るく笑う彼にこれ以上追及する気も起きなくて、私は監視さんのつぶやきを聞き流すことにする。
「ごめん。ティナフィールを慰めようと思ったんだけど、逆に俺の方が慰められることになっちまって……」
「いいえ。私も貴方のことを知れて嬉しかったし……とっても楽しかったわ。ありがとう」
はにかみながら監視さんに感謝の言葉を伝えると、彼は一瞬だけ泣きそうな表情になりながら「うん」と頷く。
この世の何もかもが恨めしいと思ったことがある。この世界中のすべての人間が地獄に落ちてしまえばいいと望んだこともある。
でも、今この時だけは。私の命に変えてでも、目の前の彼の生きていく世界が、ずっと平和であればいいと願った。
「センパイ……ティナフィールは本当に、処刑されるほどの罪を犯したんすか?」
仕事の休憩時間に俺、ライリアがぼぉっとしながらその辺を歩いていると、偶然仕事のセンパイと鉢合い、俺は脳を介さずセンパイにティナフィールのことを尋ねる。
すると、センパイは何かを見透かしたかのように目を細めながら俺を見据える。
「なんだ? ライリア。まさか王族の判断に不満でもあるのか?」
「い、いや。そういうわけじゃ……」
「いいか、ライリア。俺らはあくまでも罪人を監視することが仕事。お前はずいぶんとティナフィールに肩入れをしているようだが……。間違ってもこれ以上、あいつに絆されることは無いように。いいな?」
「……」
センパイの言葉に俺は頷くことも否定することもできなくて、そんな自分に心底うんざりする。
「ライリア。お前はティナフィールに何かを吹き込まれたようだが、あいつの言うことを本当に信用できるのか? お前を利用するために都合のいいことを抜かして、死刑を免れようとしているんじゃないか?」
「そ、そんなわけ……!!」
「どうして違うと断言できる? お前はティナフィールの何を知っているんだ」
「……」
今度こそ黙るしかなくなって、俺はつま先に視線を送る。
「はぁ……ライリア、俺らは仕事で罪人たちを監視しているんだ。長い間働いているお前ならわかるだろう」
「……どうして、どうしてあんなにいい子で幼い少女が、死ななくちゃいけないんすか……?」
何もできない自分が悔しい。仕事仲間に言いくるめられ、反論すらできない、不甲斐ない自分が憎い。
ティナフィールの方がずっと苦しいはずなのに。彼女の痛みをほんの少しでも理解できないはずなのに。こんなことで涙を流してしまう、弱い自分が大っ嫌いだ……!!
「俺は、俺は……!! 誰にも望まれずに生きてきて、誰からも恨まれてきた。でも、ティナフィールは違った。あの子は俺を認めてくれた。生きてほしいと願ってくれた。生まれて初めて自分のことを認められて、嬉しかった。だから、ティナフィールが俺を救ってくれたように、今度は俺が、あの子を……!!」
「ライリア。」
自分の本心を包み隠さず伝えると、センパイは聞いたことのないような冷たい声で俺の名前を呼ぶ。
「これ以上一人の罪人に肩入れするようであれば、所詮は奴隷でしかないお前は殺されるだろう。私としては付き合いの長いお前が罪人のせいで世を去るのは不本意ではない。お前は良いやつだよ。だからこそ、くだらぬ罪を犯した罪人に同情してしまったんだろう」
罪人、罪人……。どうして、どうしてティナフィールだけが悪で、彼女一人で死ななくちゃいけないんだろうか。
「お前が今からどれだけ奔走しようが、ティナフィールの処刑は変わらない。苦しい思いをするぐらいなら、彼女の危険を少しでも減らしたいのなら、今は大人しくしていろ。お前が言うようにティナフィールがいいやつなら、きっと神が次の人生へ導いてくれるだろう」
変わらない結末。どうしても変えたい未来。
何が神だ。次の人生で幸せになったって意味がない。俺が幸せにしたいのは、俺が笑顔にしたいのは、今を生きているティナフィールなんだ……!!
「惚れた女を幸せにしたい気持ちはよくわかる。でも、お前はあの罪人の何を知っているっていうんだ。残り少ない者を思い続けるなんて、苦しいだけだろう?」
急に俺を諭すように話し始めるセンパイに顔を向けながら、俺はキッと睨みつける。
「恋だの愛だのくだらない。俺のティナフィールへの気持ちは、そんな不確定な見え透いた嘘のようなものなんかじゃない……!!」
俺自身も驚いているんだ。たった三日間、彼女と話しただけ。だけど、誰からも望まれなかった俺の生を望んでくれて。救いたかった女の子の言葉に救われて。
愛なんて信じられないものに自分が染まってしまいそうで、密かな恐怖を覚えるぐらい、ティナフィールを強く思ってしまうんだ。
ティナフィールは自分の運命を受け入れているのに、部外者である俺はそんな彼女の運命を受け入れたくはない。……なんと愚かなことなのだろうか。
「はぁ、もういいか? お前と話していたって埒が明かない」
呆れたセンパイの声に静かにうなずくと、センパイは俺の肩をポンと軽く叩きながらスタスタと仕事に戻っていく。
「……そういえば、もうあの子の食事の時間、か」
小さくつぶやきながら、俺はあの子の食事をとりに行くために厨房へと向かう。
今後、ティナフィールと今まで通り接せられるのかと、一抹の不安を抱きながら……。
「……少々良いか、ティナフィール嬢」
「!?」
時間を忘れて大好きな本を読んでいると、周りに注意を払うことがおろそかになっていたらしい。
私がバッと顔を上げるとそこには、どこまでも冷たい目で私を見つめる大柄な男性が立っていた。
「貴方は、いったい……」
「失礼。私はライリアの先輩にあたる者、アティレだ。……まぁ、私のことはどうでも良い。端的に用件を話そう」
そこで自分のことを監視さんの先輩と語る目の前に立つアティレさんは話を区切り、ただでさえ小さい瞳をさらに細める。
「ライリアのことを思うのであれば、もうこれ以上、あいつを誑かすのはやめてくれ」
「は?」
どんなことを言われるのであろうと頭の中で返答を志向しながらアティレさんが口を開くのを待っていると、想定外のことが告げられ、私は自分でもびっくりするほど低い声で不愛想な返答をする。
「あいつはお前に誑かされ、絆される前は、どんな罪人であろうと容赦しない、冷酷な人間だった。必死に強い自分を取り繕って、自分の弱さを悟られまいと努力を重ねていた。あいつの将来を思うのなら、これ以上、ライリアに関わろうとしないでくれ」
監視の先輩と名乗る人物が突然私の牢屋の前に来たかと思えば、一方的にそう告げられて。
私は馬鹿馬鹿しくて思わず微笑を浮かべる。
「嫌よ。私の人生に関わってきたのは監視さんの方。罪悪姫と呼ぶ私が、貴方なんかの言うことには従わないわ」
「……じゃあ、ライリアの方からお前を拒絶したら?」
「その時はその時。どうせ私はすぐ死ぬもの。私が嫌われるのは仕方ない事として割り切るわ」
「……お前は、ライリアのことが好きではないのか?」
「えぇ、好きよ。でもね、私は監視さんに幸せになってもらえればそれでいいの。……でもね、人生で一番つらくて、何もかもがどうでも良いとすら思ったころに救ってくれたんだもの。監視さんから私の元を離れない限り、自ら手放す気もないわ」
「……ふん、そうか」
「あら? もういいの?」
私の言葉を聞き終えると、アティレさんは勝手に満足したかのように一瞬だけ小さく笑いながら、私に背を向ける。
「そろそろライリアがお前に飯を届けに来る頃だろう。その時に私がお前のそばにいれば少々厄介なことになる。お前に聞きたいことも聞けたしな」
「私に聞きたいこと?」
「あぁ」
私の戸惑いの声に肩で笑いながら、アティレさんは軽く振り返る。
「お前の、いや――お前たちの未来が、どうか祝福あらんことを」
「……未来なんて存在しない罪人にそんな言葉を送るなんて、何かの皮肉?」
「さぁな」
ニヤリと笑うアティレさんには私への筋違いな憐みも理不尽な怒りの感情も一切なく、私は悪い気にはならなかった。
「……あら? 監視さん、何かあったのかしら?」
「え……?」
ティナフィールの牢の前に食事を運びに行くと、彼女は何かを見透かしたかのように、蒼眼の瞳で俺を射抜く。
「いや、たいしたことでは……」
「たいしたことか否かは私が決めること。何を罪人に遠慮しているのよ」
ティナフィール自身から発せられる罪人という言葉に悲しくなり、俺は震える声を必死に押さえつけながら、
「本当に、何でもないんだ」
と、小さくつぶやく。
「……そう」
俺の言葉を聞き、ティナフィールは一瞬だけ悲しそうに瞳を伏せるが、瞬きする間には俺を確固たる意志を宿した両の目で見据える。
「監視さん。私は貴方ばかりに苦しみや悲しみを背負わせたくない。私の苦しみを和らげてくれた貴方のことを、今度は私が救いたい」
「ッ! 俺は君の苦しみを和らげてあげられていない!! むしろ、俺ばかりが君に救われて……!!」
「ずっと一人ぼっちだった。そんな私のそばにいて、私の味方にもなってくれて。どれだけ貴方が否定しようと、私は貴方の優しさに救われたの。だからどうか、私の差し出す手を拒絶しようとしないで。私に貴方を救わせて……!!」
瞳を震わせながら嘆願されてしまえば、俺にはこれ以上目の前にいる少女を拒絶することなんてできなくて……。
「君はえらいな」と小さくつぶやいた後、俺はぽつりぽつりと、先ほどの先輩との出来事を語りだした。
「……なるほど、ね。たしかに、貴方の先輩の言うことは正しいわ」
ティナフィールの言葉を聞き、やはり俺はおかしいのかと視線を落とす。
「――それでも」
しかし、彼女は俺の様子なんか気にも留めた様子はなく、はっきりとした声で言葉を放つ。
「貴方が私のそばにいてくれるというのなら、私は貴方を否定しない。貴方が私を認めてくれるのであれば、私は貴方の隣に、堂々と立っていたい……。ねぇ、監視さん。私はどうでも良い人にこんながむしゃらに手を差し伸べるようないい子じゃないの。私が知らず知らずのうちに貴方を救っていたように、私も貴方に救われた。残り少ない罪人が、こんなことを言うのも変かもしれない。それでも……」
「――明日もまた、会ってくれますか?」
毅然とした態度を貫いていたティナフィールだったが、最後の一言には僅かながらも確かな憂いも含まれていて……。
俺は彼女をこれ以上悲しませまいと大きく頷く。
「ありがとう」
まるで今にも消えそうなほどはかなげに笑うティナフィールを見て、俺はどうしようもなく胸が締め付けられる。
「……あのさ、一つ聞いても良いか?」
「え? まぁ、いいですけど……」
あまりにも唐突な俺の言葉に戸惑いながらも素直に頷くティナフィールに甘え、俺はセンパイと話をした時からずっと頭の中をめぐっていたことを尋ねる。
「――君は、次の人生というものがあると思うか? 次の人生さえあれば、幸せになれると思うか?」
真剣なまなざしを向けながらそう問う監視さんだったが、私は予期せぬ質問に少しばかし言葉を詰まらせる。
「……今世は不幸なことばかりだったもの。来世にでも縋らないとやっていけないわ。そうだ、もういっそのこと来世にでもたくしましょうか。私の幸せは」
きっと今世は、神様が私に与えてくれた最後のチャンス。今回を逃せば、もう一度なんてありえないだろう。
分かっていても、縋ってしまう。気づいていても、監視さんを心配させまいと嘘を吐き散らす。
……本当に、馬鹿馬鹿しくて身勝手だ。これじゃあ、処刑されても文句の一つすら言えないじゃない。
そんな私の憂いに気が付いたのか、監視さんは、
「悪い、変なことを聞いて」
とばつが悪そうな顔で謝罪の言葉を口にする。
「いいのよ。監視さんの質問に答えたのは他の誰でもない、私の意思だもの。……ただ」
私の言葉を聞いてもいまだ不安げな表情の監視さんに、私はニコリと笑いかける。
「次の人生でまた貴方と巡り合えたのなら、私は貴方の隣で笑っていたい……なんて、欲張りかしらね」
私の一言に監視さんは目を見開いたかと思ったら、次の瞬間、彼は牢屋の隙間から手を伸ばし、私の手を両手で包み込む。
「君が望むなら、俺は来世でも何でも君を見つけ出す!! 今度こそ、誰よりも早く君を見つけ出して、君の隣に堂々と立てるような、そんな男になって見せよう――ッ!!」
「!!」
監視さんの言葉を受け今度は私が驚く番だったが、彼の言葉が自分が思っている以上に嬉しくて顔をほころばせる。
監視さんの先輩と名乗ったアティレさんは、彼が私の絆されたと言った。でも、実際に骨の髄まで絆されてしまったのは……きっと、私の方なんだと思う。
「……あれ? 本はもういいのか?」
翌日、私が本を膝に抱えながら監視さんを待っていると、ここ数日と同じように良い匂いを漂わせる朝食を持ってきた監視さんが驚きの声をあげる。
「えぇ。すべて読み終わってしまったもの」
「はやっ!? ……そんなに面白いのか?」
想像以上に良い反応を示す監視さんに、私はクスリと笑う。
「ふふ、気になるなら読んでみればいいじゃない」
「そんなに分厚い本を読む気にもならないし、本を悠長に読む暇も……」
「あら。でもきっと、監視さんはこの本を読むんでしょうね。だって貴方は優しいもの」
「なっ!? 君は俺の何を知っているんだ!?」
「ん~……優しい事、かしら」
「……ッ!!」
褒めたらすぐに顔を真っ赤にさせる監視さんをからかいながら、彼に本を返す。
「きっと、この本も偉い人には内緒で持ってきたんでしょ? だったら、早めに返した方がいいのよね」
「気づいていたのか?」
「死刑囚に対して時間もかからず、簡単に望んだものが与えられるなんて、到底考えられないから。まぁでも。ありがとうね、監視さん。私の願いを叶えてくれて。」
「……」
「え? なに……」
急に監視はだんまりになりながら私をジトっと見つめてきて、思わず狼狽えてしまう。
「俺、君に名前を名乗ったよな? いつまでその監視呼びなんだ?」
何を怒っているのかと思えば、そんなことか。
……私が監視さんを名前呼びしない理由なんて、つまらないものだ。
そもそも、私と監視さんは対等な立場ではない。私が彼と親しい仲になるだなんて失礼なことだ。なにより……。
「私の命は残り二日。……ここで貴方に気を許してしまえば、死への恐怖がより一層強くなるだけ」
どれだけ強がろうとしても、やっぱり死ぬのは怖い。これ以上死への恐怖を蓄積したら、死刑の日よりも前に狂ってしまいそうになる。
せめて最後は誇らしく。嫌われていようが、憎まれていようが。私は気の狂っていない、本当の自分として死にたい。
なによりも、自分が本当は弱いだなんて、認めたくはなかった。
必死に強い自分を演じて、監視さんだけには弱い自分を見せたくはなかったんだ――。
だからこそ今は、監視さん呼びを許してほしい。
「ね? お願い」
私が笑顔で念押しすると、君がそう望むならと、監視さんは不服そうながらもこくりと素直に頷く。
「……他に何か、俺に頼みたいことはあるか? 君の願いならば何でも叶えたいから」
しばらく監視さんは口を閉ざして私をじっと見つめた後、そう私に申し出る。
「あら、じゃあお風呂に入りたいなぁ……なんてね」
「あぁ、わかった」
「え!? いいの?」
冗談のつもりで言ったのにあっさりと首を縦に振られ、私は驚きのあまり大きな声をあげてしまう。
「ここ数日、君はずっと風呂に入れてなかっただろ? 女の子ならば風呂に入りたいと思うのは必然だろう」
「そ、そうね……ッ!!」
突然な監視さんの女の子扱いに、私は赤く染まっているだろう頬を彼に見られまいと掌で隠す。
「きゅ、急にどうしたんだ……? まさか、熱でもあるのか?」
「い、いえ!! ただ、女の子扱いに慣れてないだけで、少し照れてしまい……。あ、いや、女扱いはされてたわよ!? 魔女だとか罪悪姫とか……」
「言っただろ? 俺は何があろうと君の味方でいるって。世間の意見にはもう流されない。俺にとって、誰が何と言おうとティナフィールは一人の可愛い女の子だよ」
おふざけなんて一切なしの真剣な顔でそう伝えられれば、これ以上照れるななんて無理な話で……。
「あ、ありがとう……ございます」
失礼を承知の上で、私は監視さんからプイっと顔を背けながら感謝の言葉を口にする。
「ただ、今日中には無理かもしれない。もしかしたら処刑日の前日になってしまうかもしれないが……」
「お風呂に入れればそれでいい。入れなくても、貴方が私のために掛け合ってくれたという事実だけで十分だわ」
「……そうか」
再び監視さんの方へ顔を向けると、監視さんは四日前とは比べ物にならないほど、穏やかな目で私を見ている。
……きっと、彼のことを思うのなら。彼の今後を憂うのならば。監視さんには私を忘れて生きてほしいと願うべきだ。私なんかに入れ込むべきではないと突き放すべきだ。
でも、今の私にはそんなことできそうにはない。目の前の彼にだけは、私という存在がいたことを、どうか覚えていてほしい。そんなあまりにも身勝手な感情がふつふつと湧き上がってしまうのだ。
ま、いっか。どうせ私はあと二日で死ぬのだ。私を忘れて生きるのも私を引きずって生きるのも監視さんの勝手。
私が彼の今後の選択にとよかく言いたくない。……なんて、ただの綺麗ごとだけど。
「それじゃ、風呂の件について上層部に相談してくる。君の処刑日まで残り二日だから、あまり手間はかからないと思うが……少しの間だけ待っていてくれ」
そう言い残し、監視さんは私の元から去っていく。
――処刑まで残り二日……残り二日、かぁ。
分かっていたけれども、私の処刑日は確実に迫ってきていて。
もう諦めていたはずなのに、どうしても自分が生きる術はないのかと詮索しそうになってしまう。
いつだったが、監視さんに君はえらいなと言われたことがある。
でも、実際は私なんて醜くて、誰よりも負けず嫌いで、一度決まった運命に抗おうと必死で。……結局、何の成果もあげられずにこうなってしまったのだ。
「監視さん……好きだよ」
ぼそりとつぶやいた声は誰の心にも届くことなく、闇へと溶けていく。
一握りの孤独感。でも、今の私には相応しいものなのだろう。
握ろうとしたけれど、その距離はあまりにも遠すぎて触れることすらできなかった一番星。
私は、誰かを照らす存在になりたかった。誰かを導く存在になりたかった。……だれかに、必要とされたかった。
ジワリと自分の目元に涙が浮かび上がるのがわかる。
駄目だ。やっぱり……死にたく、ないなぁ。
放棄したはずなのに、認めたはずなのに、受け入れたはずなのに。気づくには遅すぎる自身の本当の気持ちに気が付いてしまい、私は現実から目を背けるためにそっと瞼を閉じるのであった。
「――ティナフィール? 寝ているのか?」
「監視、さん……?」
私はいつのまにか眠っていたらしく、監視さんの優しい声によって起こされる。
「すまない、起こしてしまったか?」
「いいえ。貴方が謝る必要はないわ」
ニコリと監視さんに笑いかけると、監視さんは安心したように淡く笑いながら話を切り出す。
「君の願いの件、上層部に相談したところ、あっさりと許可が出たよ。ただ、今日はすでに先客がいるから、明日の夜なら良いと言われてさ……」
「お風呂に入れるのであれば、一日くらい待つわ。私のくだらないお願い事のために手間をかけさせてしまってごめんなさいね」
「くだらない事じゃないさ。君の頼み事は何でも聞き入れると言ったのは俺の方だし」
「……ありがとうね、本当に」
そこで監視さんとの会話は途切れてしまったが、不思議と気まずい雰囲気にはならない。
彼も私と同じことを思っているようで、おもむろに、牢屋の外に置いていたのであろう椅子に軽く腰掛ける。
監視さんと一緒に過ごせる、わずかな時間。それでも、今の私にとっては何よりも心地よいもので、私はこの幸せな瞬間に身を任せたいと思ってしまうのだ。
「……ふぅ」
処刑前日の夜。
私は何日ぶりかのお風呂を堪能し、あまりの気持ちよさに声を漏らす。
私のお願い事を叶えてくれた監視さんには感謝しなくては……。
もっとも、ここ数日間はずっと彼には感謝しっぱなしなのだが。
「……もう二度と、朝が明けなければいいのに」
朝が明けなければ、ずっと夜が続けば、永久に月が人々を照らし続ければ。
「私は処刑されることがないのに、なんてね」
気がつけば弱音を吐いてしまう自分自身に苦笑しながら、私は気合を込めるために己の頬を力強く叩く。
覚悟を決めろ、ティナフィール。最後まで自分らしくいると決めたのは他の誰でもない、自分自身であろう。
「よし」
もしかしたら、今日は監視さんと話せる最後の日かもしれない。せめて、悔いを残さないように明日を迎えたい。
監視さんのことが大切だからこそ、彼に向けるこの思いは胸の奥底にしまい込む。
監視さんのことが大好きだからこそ、彼に向けるこの気持ちは胸の奥底にふさぎ込む。
でも、思い人と話すことは……神様も認めてくれるよね?
「……もういいのか? 風呂は」
お風呂の前で私が出てくるのをずっと待っていてくれのは、監視さんではなく彼の先輩であるアティレさん。
監視さんは私を連れて逃げ出す可能性があると判断され、私の牢から風呂場への監視役はアティレさんに任されたらしい。
「えぇ。貴方にこれ以上迷惑をかけるわけにはいないもの」
「私としては、逃げ出す危険性が限りなく低いお前の監視は仕事が楽でいいのだがな」
嘘か冗談かわからないアティレさんの言葉に苦笑いを浮かべると、彼は逃げ出せないようにと私の手首を拘束する。
「さ、殺されたくなければ大人しく、さっさと歩け」
「はーい」
自ら処刑への道を歩かされているようでいい気分にはどうしてもなれないが、アティレさんの言う通り大人しく牢に向かって歩き出した。
その後、大して時間もかからずに私はこの四日間を過ごした牢へと押し込まれる。
「――ほら、拘束を解いてやるから大人しくしてろ」
そう言いながらアティレさんは私の手首の拘束を素早く解き、自身が牢の外へ出た後、極めて冷静に私の牢のカギをガチャリと閉める。
「じゃ、朝日が昇り次第、お前の処刑は開始される。それまで大人しく待っているんだな」
アティレさんは言い終えるや否や、早急に私のそばから離れていく。
「――ティナフィール」
そして、監視さんがアティレさんと入れ違いになるように私の牢の前に現れる。
「監視さん……こんばんわ。お風呂のことはありがとうね。おかげで、処刑前に身を清めることができたわ」
「……あぁ」
いつもよりもずいぶんと口数の少ない監視さんに、私はクスリと笑う。
「ごめん、俺は君の想いを少しも理解してやれないのに、俺ばかりが悲しんで……」
「ううん、ありがとう。貴方のその気持ちで、私は救われるの」
お決まりの笑顔を監視さんに見せると、彼は涙をこらえるよう眉を寄せる。
「でも、ごめんなさいね。私、疲れちゃったみたい。……もう眠ってもいいかしら」
監視さんと軽く話したら気が抜けてしまったようで、どっと眠気が押し寄せる。
「わかった。おやすみ、ティナフィール。……また、明日」
「えぇ、おやすみなさい。また明日」
名残惜しそうに時々振り返りながら去っていく監視さんの背が完全に見えなくなった後、私はベッドに倒れ込むようにして横たわる。
処刑されるのが怖いわけではない。眠るのが恐ろしくないわけでもない。
でも、今の私は不思議と満たされていて……。
今までで一番良い眠りにつけるような、そんな気がした。
処刑日当日。最後に監視さんと会えないかなとぼんやりと考えていると、私の願いが届いたのか、監視さんが私の牢の前に現れる。……たくさんの、見知らぬ男たちを引き連れて。
「ティナフィール・ミレイシア……。処刑の時間だ」
「……そう」
どうして、私の処刑を継げた本人が一番辛そうな声なのか。どうして、今にも泣きだしてしまいそうなのか。
私の牢のカギを開ける監視さんの手は可哀そうなほどに震えていて、私はキュッと胸が締め付けられるのを感じる。
「――楽しそうに笑う、君が好きだ……」
「?」
手を引かれて無理やり牢屋の外に出されたかと思ったら、監視さんに耳元でささやかされ、私はこくりと首をかしげる。
「監視さん? いったい、どうしたの……」
「ッ! 世界全てを恨んでもおかしくない現状なのに、俺なんかの幸せを願ってくれる君が好きだ……!死ぬ間際まで、狂わずに自分を貫き通せる君が好きだ! 自分を見放した人々にすら慈悲を与える君が好きだ……大好きなんだッ!!」
人目もはばからずに半ば叫ぶようにして私にそう告げると、監視さんはボロボロと涙を流す。
一方の私は、唐突な監視さんの言葉に一瞬だけフリーズするが、本能的に彼と言葉を交わす最後のチャンスだと感じ取り、彼の頬に軽く手を添える。
「死ぬ間際まで、心の底からの笑みを浮かべられたのは貴方のおかげ。俺なんかじゃない。貴方だから、死ぬ間際まで監視さんの幸せを望めた。この五日間は、私の人生で一番充実した時間で。何度も狂いそうになったけれど、貴方がいたから、私は最後まで自分を貫き通せた。たしかに、私を見放した人たちはみんな憎い。でも、貴方の前で、醜い私をさらけ出したくなかった。貴方がいたから、私は私でいられたの。ありがとう……ライリアさん……!!」
「!!」
私は包み隠さずに監視さんへの……ライリアさんへの気持ちを口にすると、今度はライリアさんが驚く番であった。
しかし、目を見開いたまま動こうともしないライリアさんなんてお構いなしに、ライリアさんの後ろに控えていた男性たちはこれ以上待ってはいられないとばかりに私と彼を引き離す。
そして、私が抵抗できないようにと手を拘束され、断頭台のある場所へと強引に歩かせられた。
外には何の事情も知る由もないたくさんの民衆が集まっており、私の処刑を今か今かと待ち望んでいる。
あぁ、ついにかと思うと同時に、己の気分が一気に下がるのを感じ、私は断頭台へ向かうさながら、勢いよく後ろを振り返る。
視線の先にはライリアがおり、私は彼に向かってニヤッと笑って見せる。
最後に会ったのが、貴方で良かった。
貴方と話して、貴方と心を通わせて……私は、貴方に救われた。
もう、何も怖くない。だから、そんな悲しそうな、何もかも諦めたかのような目で見つめないでほしい。
どうか、死に行く私に、最後の情けをかけて。私が最後に目に焼き付けたいのは、他でもない、私が惚れた、貴方の笑顔だから。
私の気持ちが伝わったのか否か、ライリアは瞳を震わせ、歯を食いしばるようにしながら負けじとニヤリと笑みを浮かべる。
断頭台への歩みを止めた私の背を処刑人は容赦なく押し、極悪人の死刑執行の準備を始める。
……もしもまた生まれ変わることができたならなんて、あまりにもわがままで自分本位な考えが頭をよぎる。
罪人の私はこんなことを望んではいけない。そんなことは分かっている。それでも……。
次に会う時も、もう一度あの人に恋をして、あわよくばあの人と結ばれたいと、そう思わずにはいられなかった。
歓声の声が、辺りに響く。
あの子の――ティナフィールの首と胴が全くの別物になる場面が、瞼の裏に焼き付いて離れない。
俺はへにゃりとみっともなくその場に座り込み、絶望の淵に立たされる。
終わった。あんなに優しくて、他人を思いやれる女の子が、あまりにも短すぎる生涯を終えた。
ティナフィールのことを一方的に悪だと決めつけ、彼女を死へと導いた者たちは今ものうのうと生きているのに。
「あぁ……あぁああああ!!!!」
腹の底から絞り出した叫び声は、誰にも届かない。
(死なないでね。絶対に)
もう、いっそのこと死んでしまった方が楽なのかもしれない。そう思った矢先、俺の頭の中に、まるで呪いかのようにティナフィールの言葉が思い起こされる。
……ティナフィールが処刑されるまでの五日間。彼女は最後まで、少しでも長く、そして、幸せに生きようと努めたのであろう。
俺にはきっと、死んだティナフィールを思って泣く資格なんてない。俺は、死に行く彼女に何かしてあげられただろうか?
いや、何を考えたって、俺がどう行動したって、ティナフィールが生き返ることなんてない。
俺は、彼女のいない世界で生き続けなければならないのだ。
――でも、こんな俺にもう一度チャンスがあるとするのであれば。
きっと俺は、迷わずティナフィールの手を握ったのだろう。
…………愛おしい君へ、手紙を送ろう。
受取人のいない手紙に、意味が芽生える日が来ると願って。
何年、何十年と経っても。何度生まれ変わっても。
俺の心は、君だけのものだ。
……ねぇ、もうずいぶん生きたんだ。そろそろ、あの日の約束も時効だろう?
きっと君は、怒るのだろう。まだ来るには早すぎるって。
それでも、俺はもう限界なんだ。
君の眠る目の前で息絶えるのを、許してほしい。
今度こそ、誰よりも早くに君を必ず見つけ、俺の腕の中につなぎとめよう。
罪人として忌み嫌われた君を労うものなんて誰もいなかったから、俺がただの自己満足で立てた、君の名を刻んだ小さな墓石。
その墓石の横によっこらせと腰をおろせば、どうしようもない眠気に襲われ、俺はゆっくりと瞼をおろす。
目を閉ざす寸前、俺の目の前には怒ったような、それでいて心底嬉しそうな表情をした、何より愛おしい人の姿が目に映ったような、そんな気がしたんだ。
――これは、悪役令嬢と一人の青年の、始まりの物語である。




