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世界の検品 4(END)一時停止(ポーズ)の倫理

絶体絶命の窮地。

「腐りかけた何か」を吐き出す村人たちに囲まれ、九条が選んだのは、

手元の解析端末による、あまりにも不確かな「賭け」でした。


論理も法則も通じないはずの場所で、なぜか「応答」してしまった石碑。

そして、九条だけが目にした、信じられない「アクセス名」とは。


第1エピソード「世界の検品」、ついに完結。

不完全な僕らが、この壊れた世界で最初に下した「判定」を見届けてください。

第4セグメント:一時停止ポーズの倫理


 村人たちの口から溢れ出した「腐りかけた何か」が、生き物のようにのたうち回り、門倉の喉元へ迫った。


「くっ……近寄るな……ッ!」

 門倉は必死に距離を取り、歯を食いしばる。人間の形をしたものが、人間ではない中身を撒き散らしながら迫りくる。その生理的な嫌悪が、百戦錬磨の彼の野生を金縛りにしていた。


「九条、なんとかしろ! このままだと全員、この『泥』に呑み込まれるぞ!」

 門倉の叫びを受け、九条は震える膝を押さえながら、端末の全帯域スキャンを走らせた。

 逃げ場はない。周囲は笑顔のまま腐肉を振り回す村人に埋め尽くされている。


「……あかね! 数値の出処は!? どこかにこの『ノイズ』の心臓部があるはずだ!」

「わ、わかりません! 全部……全部狂ってます! でも、あの石碑だけ……針が振り切れて、戻りません! まるでそこだけ、別の世界の心臓が動いているみたいに!」


 あかねが震える指で示したのは、村の中央で赤黒く変色し、まるで呼吸するように脈動を繰り返す石碑だった。

 九条は石碑へと視線を走らせる。端末の画面に表示された「ある文字列」を見た瞬間、九条の指が止まった。

 

「……っ!? な、なんだこれ……どういうことだ?」

 九条の顔が驚愕に染まり、喉が引き攣った音を立てた。眼鏡の奥の瞳が、画面の文字を凝視したまま動かない。

 彼は半ばパニックに近い速度で、指を走らせた。


 一度目は、拒絶。

 二度目も、エラー。


「九条、何やってんだ! 早くしろ!」

 触手が目前に迫り、鋭い腐臭が鼻腔を突く。九条は冷や汗を拭い、ある「言葉」を入力した。


 ――認証成功(Connected)。


「……通ったのかよ、マジか……っ!」

 九条は一瞬、世界が裏返るような眩暈を覚えたが、迷っている暇はなかった。

「瑞希、座標固定! 遠隔じゃノイズが強すぎる、近づくぞ!」


「本気なの!? あんな気味の悪いものに、今から飛び込むっていうの!?」

「他に、何ができるんだ! 理屈で死ぬより、この不条理をぶん殴る方が、まだ僕らのエチケットに合ってる!」


 九条は石碑へと駆け出した。近づくほどに耳鳴りのような不快な高音が脳を掻き乱し、平衡感覚を奪っていく。石碑まであと数メートル。リンク強度が最大に跳ね上がった瞬間、九条は画面を乱暴にスワイプし、用意していた強制停止パッチを流し込んだ。


 直後、世界から一切の「音」が消えた。


 襲いかかっていた村人たちが、ポーズボタンを押された映像のように、その姿勢のまま静止する。振り上げられた触手も、歪んだ少年の口も、空中でその形を凍りつかせた。


「……止まった……?」

 門倉が、数センチ先で止まった「何か」を見つめて呻く。


「……いや、止めたんだ。無理やり割り込んで……エラーを起こさせただけだ」

 九条は石碑の前に膝をつき、激しく咳き込んだ。心臓の鼓動が耳の奥でうるさいほどに鳴っている。彼は自分の端末を素早く閉じ、画面を隠すように胸元に抱え込んだ。

(……今のは見間違いだ。あんな言葉が、こんな場所で機能するはずがない)


 奏は、静止した少年たちの間を、幽霊のように歩いた。死とも生ともつかない、不気味な静寂を指先でなぞる。

「蓮さん……。みんな、泣くことも許されないまま、ここで永遠に『幸せな役』を演じさせられていたんですね」


「……ああ。誰かが書いた、最低な物語の犠牲者だ」

 九条は石碑を見上げた。書き換えたはずの文字が、再びゆっくりと、赤黒い本来の姿に戻ろうと蠢いている。この「デバッグ」は、あくまで一時的な延命、この異常なプログラムに対する抵抗に過ぎない。


 その時。静止したはずの村の空が、ガラスのようにパリンと乾いた音を立てて割れた。そこから、巨大な「亀裂」が走り出す。


『――不具合を検知。アーカイブの整合性を再定義します』


 脳を直接揺さぶるような、無機質で慈愛に満ちた「意志」の声。

 その響きと共に、村の景色が、家並みが、そして動かぬ村人たちが、足元から砂のように崩れ始めた。

 5人を飲み込もうとする白い光の中で、九条は、自分の端末の画面の端に、再びあの不気味な文字列が浮かび上がるのを目撃する。


『WSIU、あなたたちのエチケットを、テストします』


 ――視界が、完全に白に染まった。


 気がつくと、九条蓮はどこまでも続く真っ白な「虚無の空間」に独り、立ち尽くしていた。上下左右の概念すら消失したその場所には、先ほどまで足元にあった村の残骸も、共にいたはずの仲間の気配もない。


「……瑞希? 門倉、あかね! 奏……ッ!」


 叫びは、反響することもなく白い闇に吸い込まれて消えた。この場所には空気の動きすらなく、ただ自身の心臓の鼓動だけが、暴力的なまでの現実感を伴って耳の奥を叩いている。九条は震える手で、いまだ胸元に抱えていた端末を開いた。


 液晶の青白い光が、九条の絶望を淡く照らす。先ほど消去したはずのログの最下層に、誰が書き込んだともしれない、血のように赤い通知ドットが明滅していた。


『エチケット・チェック:フェーズ1――完了。……検品を、継続します』


 その文字を目にした瞬間、九条の鼻腔を、甘ったるい死の香りが突いた。振り返ると、虚無の彼方から、重厚な鎧が擦れる不快な金属音と、何かが腐敗していく不気味な湿った音が近づいてくる。


「……これが、次の『脚本』だというのか」


 九条の目の前に、新しい文字列がノイズと共に浮かび上がる。


『第2エピソード:英雄の腐敗。……英雄の背中を、剥離せよ』


 白い虚無が、ゆっくりと「黄金の都」の幻影へと塗り替えられていく。

 それは、世界で最も愛された伝説が、最悪のバグによって腐り落ちるまでの、カウントダウンの開始だった。

第1話「世界の検品」を最後までお読みいただき、ありがとうございました。


九条蓮が手に入れたのは、世界への小さな「干渉権」でした。

しかしそれは、同時に「なぜ自分の知る言葉が通じてしまったのか」という、

誰にも言えない居心地の悪い問いを抱えることでもありました。


世界は砂のように崩れ、彼らは次なる「不具合」の地へと運ばれます。

次に待ち受けるのは、誰もが称える伝説の勇者。

しかし、その勇者の背中には、この世界で最も醜悪なバグが張り付いていました。


次回、第2エピソード『英雄の腐敗』。

検品を、継続します。

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