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世界の検品 1:因果律のノイズ

ようこそ、エリュシオンへ。


誰もが望んだ「理想の異世界」が、ここにはあります。 苦しみはなく、幸福だけがアーカイブされた、美しい箱庭。


ですが、そこに降り立った5人の「プロフェッショナル」たちは、その美しさに安らぐことはありませんでした。 彼らにとって、この世界は救いではなく、ある種の「検品」の対象でしかないからです。


論理(九条)、野生(門倉)、感性(瑞希)、執念あかね、そして啓示(奏)。


バラバラに解体された「かつての王道」の残骸の上で、彼らが何を見つけるのか。 現代の沼を切り裂く、静かなデバッグの記録を始めます。

第1セグメント:因果律のノイズ


 2026年、2月。東京。

 神田の路地裏、湿ったコンクリートの匂いが立ち込める雑居ビルの一室。WSIU(世界の歪み分析特務機関)のオフィスには、九条蓮が叩くキーボードの、乾いた音だけが不規則に響いていた。


「……まただ。渋谷の座標、因果律の整合性が下振れしている」

 九条の声は、どこか遠い。モニターに映る渋谷のスクランブル交差点は、色とりどりの傘が「渋い谷」の底へ吸い込まれていく、終わりのない祭りのように見えた。


 出雲奏は、窓の外の淀んだ空を、ただ眺めていた。


「蓮さん……。空気が、変です。何か、本来そこにあるべき大切なものが、ごっそりと抜き取られている。……吐き気がします。この街、生きているものの匂いが……もう、しません」


 奏がその不快な兆候を口にした瞬間、オフィスの空間そのものが、古いフィルムが焼けるように軋んだ。


「瑞希、門倉、あかね。バックアップを。座標を固定しきれん」

 九条がキーボードを叩く速度を上げる。画面上に走るノイズの群れは、彼の論理的な制圧を嘲笑うかのように増殖していく。


 オフィス全体の電力が、一瞬、ゼロになった。

 完全な静止。重力が、垂直の軸に引き寄せられるように逆流する。

 次の瞬間、網膜を焼くほどの白光が、5人を飲み込んだ。


---


 【異世界:エリュシオン村】


「……チェック。意識の継続を確認。バイタル、オールグリーン」

 九条の声には、混乱も驚きもない。彼は真っ先に、自分たちの装備と周囲の環境を見渡した。

「門倉、瑞希。周辺のスキャンを急げ。ここは日本ではない。……我々の定義するところの『外』だ」


「おい、冗談だろ。空の色が、誰かが子供の頃に見た夢みたいに、不自然に綺麗じゃねえか」

 門倉が地面の土を掴んで舌打ちし、そのあまりにも「正しい」感触に、顔をしかめた。


「通信、GPSは死んでるけど、空間の密度が異常に高いわね。命の痕跡だけを綺麗に洗い流したような……防腐処理された箱庭みたいで、なんだか寂しい。……ねえ、九条。この音、聴こえる? 波形に揺らぎが全くないの。まるで、録音された誰かの呼吸を、ただリピート再生しているみたい。……これじゃ、生きた世界じゃなくて、精巧に作られた標本サンプルよ」

 鷹司瑞希は、手首の端末に流れる、一定のリズムを刻む魔力波形を眉を潜めて凝視している。


 出雲奏は、ただ中央にそびえ立つ、真っ白な石碑を見つめていた。

 その足元で、あかねが地面を這う不可視の「流れ」を、使い古した計測器で追っている。

「九条さん。ここ、変なところに『裏口』がそこら中に開いてますよ。……出来の悪い箱庭だ。まるで、誰かが裏で一生懸命弄ってる古いサーバーみたい」


「……論理破綻だ」

 九条が、あまりにも整いすぎた村の情景を睨む。

「平時におけるこの魔力密度、そして異常なまでの静寂。現場の整合性が取れていない。これは、強大な呪術的な強制力によって、『そうある』と固定されている状態だ」


 その時、村の入り口から、眩い鎧を纏った騎士たちが、一糸乱れぬ歩幅で歩み寄ってきた。

「旅人よ。幸福なるエリュシオンへようこそ。ここでは、すべての苦しみはアーカイブとして管理されている」


 奏は、騎士を見ることなく、ポツリと、確信を持って呟いた。


「蓮さん……。聴こえます。ここは世界じゃなくて、お墓です。私たちがずっと前に捨ててしまったものの、死体安置所です」


 九条は、手に持った端末を仕舞い、冷たく言い放った。

「そうか。……検品、開始だ」

第1セグメント、お読みいただきありがとうございます。


瑞希が口にした「骸の音」、そして奏が感じた「お墓」という言葉。 皆さんの目には、このエリュシオン村はどのように映ったでしょうか。


私たちは普段、誰かの機嫌を損ねないように、あるいは「正解」から外れないように、薄い氷の上を歩くプロになってはいないでしょうか。 もし、この村の完璧な平和に少しでも「吐き気」を感じたとしたら、それはあなたの内側にある「野生」が、まだ沼に沈みきっていない証拠かもしれません。


答えはまだ、提示しません。


次回、第2セグメント。 騎士たちが誇る「絶対防御」という名の不格好な虚飾を、5人がそれぞれの作法エチケットで解体していきます。


ぜひ、彼らと共に「数えて」みてください。 この世界の因果が、どこで、どのように、嘘をついているのかを。

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