番外編 愛を失った男
カルロ視点。
オーレリアへの暴力描写、殺害描写。軽くですが戦闘からの殺人(未遂)の描写があります。苦手な方はご注意ください。
一話で纏めるぞ!となったら、かなりの文章量になりました。長くなってすみません。
カルロは、カルネアス次期国王となることに喜びも驕りも、不満なども一切なかった。
国王の子として生まれて相応しい能力が備わっているのであれば、王座に就くべきと考えていたからだ。カルネアス王国に対して愛国心があるわけではなく、役目ならば全うするのみと思っていた。
ただ、侮られてはいけないと背筋を正す。後継者として、知識も武道も身に付けるべきだと自身を研鑽した。
カルネアスの国王となるのは確定している。二歳下の、あまり顔を合わせない弟よりも秀でていると判断されていたからだ。優れた者が国を統治し、更に繁栄させるのが必定だと、多少独り善がりの善性もあった。
いずれ統治者となる彼には公私を支える妻が必要であると、まだ十二歳にも関わらず婚約者を選ぶことになった。王城でお茶会と銘打った婚約者選びの場。招かれた高位の令嬢達の所作や話術、知性や気品をカルロ自ら計り、自身に相応しいと感じた相手を選ぶようにと父親である国王から言われた。
言われた通りの娘を選ぼうとした。カルネアス王国の発展に貢献できる才能のある令嬢を選ぼうとした。それが国王になる彼の役目だからだ。選んだ令嬢と協力してカルネアス王国を盛り立てるのは、自国の王ならば当たり前のこと。我欲など湧き立つことなく、平静な心で、国の未来を担う令嬢達のお茶会の場に足を踏み入れた。
そして、一目で恋をした。会場の中で一際輝くように見えた美しい令嬢を目にした瞬間、恋に落ちた。
絹の糸のように艶やかな金の髪。アメジストのように煌めく紫色の瞳。その瞳を縁取る長い睫毛の大きな目は、下がった目尻が穏やかな雰囲気を強調している。陶器のように滑らかな白い肌に薄桃色の頬。厚めの唇は赤く色付いているように見えて、視線がそらせなかった。
他の令嬢に話しかけられるたびに、柔和な微笑みを浮かべている。だが、その会話が盛り上がると、恥じらうように口元を指先で隠しながら、花が綻ぶように笑う。
どの令嬢よりも、否、カルロが今まで目にした女性の誰よりも美しい少女がそこにいた。可憐、優美、儚い美しさ。どのような賛美の言葉でも正確には表せない類稀なる美貌の令嬢。
目がそらせなかった。微動だにも動けなかった。言葉を、息を出すことも忘れるほど、紫色の瞳の令嬢を見つめ続ける。
『・・・はぁっ』
窒息の手前、呼吸を思い出したカルロは、見定め役の官僚に言葉を投げかける。
『あの瞳の色はルヴァン公爵家だな。あの家にオーレリアという令嬢がいるとは知っていた。彼女だ、彼女を私の婚約者とする』
我欲などないはずだった。目先の美しさに惑わされるつもりなど毛頭になかった。ただ、一目で紫色の瞳の令嬢オーレリアに恋をした。愛してしまった。
急に湧き上がった熱愛は、その魂の奥底に眠る者の影響を受けているなど、自覚すらしない彼には分からない。
王族典礼の官僚から国王へと、カルロの婚約者選別の結果が伝えられる。父親である国王は、話もせず目にしただけで決定したことに訝しんでいたが、選ばれたのがルヴァン公爵家のオーレリアと知ると承諾した。
『ルヴァン公爵家はカルネアス王国の忠臣。古代期からある名家だ。子息のアルバもすでにお前の側仕えとなっている。ルヴァンの娘ならば優秀であろう。そなたを支える良き妻、良き王妃となるはずだ』
こうして、カルロとオーレリアとの婚約は認められた。
ただ、望みが叶った高揚感はあれど、幼馴染のアルバから何一つ言葉がなかったことをカルロは不可解に思う。
『妹は身の安全を優先させることで、ほぼ屋敷内で過ごしていました。所謂箱入りなのです。外界を知らない世間知らずですから少々心配ではありますが、俺の母はしっかりと教育を施していました。マナーも物事に対する知識も、カルロ殿下に遅れることはないでしょう』
『お前はあまり関わりがなかったのか?言葉の端々に情を感じない』
『俺はルヴァン家の跡取りとして父から教育を受けていますから、跡取り候補でもない妹と話すことは特にありません。母が妹を見ていました。俺の母は妹のことがどうにも心配なようで、護衛騎士や侍女と守るように側にいます。四六時中一緒ですから、母には愛情があるでしょう。俺は特に、何も思うことはありません』
『・・・そうか』
アルバは、オーレリアと関わりがないことで家族の情を抱いていないのだろう。同じ屋敷に住む他人という感覚に近いのかもしれない。
アルバと幼馴染であるのに、その妹のオーレリアとは婚約者選びの茶会で初めて目にした。妹がいるとしか聞いたことがなかった。それが、今でも関わり合いのない兄妹だと裏付けていた。
そして、ルヴァン公爵家が今までオーレリアを隠すようにしていた理由も分かる。
誰もが目を奪われる美貌を持つ彼女から、か弱さを感じる。気軽に世に出れば、悪心を持つ者達の標的になるなど分かり切っていた。誘拐されて手籠めにされるのならば良い方で、愛玩奴隷や人体パーツ目当てに売りに出される可能性もある。
『仕方がない、人目に触れて奪われるよりはいい』
口から漏れた言葉は自覚する前に、空気に混じって溶ける。
深窓の令嬢、麗しくもか弱いオーレリア。カルロの妻となるべき人を「再び」手にすることができたのだと、自覚はできなかった。
『はじめまして、カルロ王子殿下。オーレリア・エドナ・ルヴァンでございます。カルロ王子殿下の婚約者になれましたことを喜びとし、驕りはせず、殿下に相応しい妃となるべく研鑽いたします・・・これから、よろしくお願いいたします』
初めての顔合わせで、貴族とはいえ十歳の少女には思えない挨拶を受けた。
ただ、その強張った顔から緊張していると分かり、年相応の少女らしさを感じて愛らしく思った。
まずは仲良くなるべきだと、カルロはオーレリアとの交流を重ねた。王妃になるべく王城で教育を受ける彼女と、休憩時間に茶会を開き、取り留めはなくとも会話を重ねた。
彼女は疑問を感じれば、一言断ってから質問をする。常にカルロの言葉に耳を傾け、談笑となるならば笑い、知識を得ると感じたのなら聞き入る。真面目で知識欲がある様子。学びに対する真摯な姿勢。
好感しか持てなかった。オーレリアと会うたびに、言葉を交わすたびに好意が高まっていく。
優秀で、努力を忘れず、弱音は吐いても挫けない。教育の辛さから泣いていても、頑張ろうと奮い立つ。そのような強さと弱さを併せ持つオーレリアに、カルロは夢中になっていった。
彼女と夫婦となり、並び立ってカルネアス王国を更に盛り立てる。愛し合うことで子を持ち、次代の王とするために二人で共に育てる。
未来を思って彼自身も高まった。オーレリアに相応しい、彼女の隣にいても見劣りしない王になるべく、知性を高めて知識を得るために勉学に取り組み、己の肉体を鍛えるために武道を極めようとした。日々努力をした。努力家のオーレリアに負けじと、並び立つために邁進し続けた。
弟のフレデリックが、恨めしい顔で睨み付けてくることがある。どうやら、オーレリアを手に入れたことを羨ましく思われているようだった。だが、カルロにとって関心のない弟など、どうでもよかった。
オーレリアはカルロの婚約者。片方が死亡か、犯罪者とならなければ婚約解消にはならない。婚姻は約束されて、二人が結ばれるのは必然。誰であろうとも、彼女との関係を断ち切ることなどできない。
そのはずだったが、カルロは出会ってしまう。十六歳となり、中央学園に入学したことで「最愛」に出会った。
二人の出会いは、階級を度外視にした生徒間の交流会でのこと。商人の娘であるバーバラ・バルザドールとお茶を共にしたことで、彼は本当の愛を知った。
バーバラは皆に愛された。アルバも宰相子息のチェスターも、将軍の三男ロノヴァも彼女の虜になって愛を乞うていた。他の高位の貴族令息達も、学園の教員すらバーバラの恋人のように侍っている。
本当に愛する人が他の男と関係を深めても、カルロは気にしなかった。
『あたしが皆に愛されるのは当然のことだから、嫉妬なんてしないで。気にしても駄目。この国のお偉いさんの坊っちゃん達はみーんなあたしのものなんだから!』
言われたから従った。バーバラを愛しているから、彼女の思う通りにさせた。
『ねえ、カルロ。あたし、この国の王妃になりたいわ!あんたと結婚したら王妃様になれるんでしょ?父親に会わせて!王妃にするように命令するから!』
『私も君を妻にしたいが、私には婚約者がいる』
『はぁ?』
魅力的な提案だったが、カルロにはオーレリアがいる。バーバラと愛し合ってからは顔を合わせることもなかったが、婚約解消とはなっていない。以前の彼が一目惚れで選んだ相手。王家と公爵家の同意の下、結ばれている。今更、覆すことなどできない。
『その婚約者は邪魔よ。虐めて向こうから婚約破棄をさせるの。あっちに有責があるようにして、慰謝料も奪い取りましょ』
『ああ、そうだな。邪魔だ・・・』
バーバラを膝の上に乗せながら、ぼんやりとした思考で口を開く。自身が発した言葉が聞こえ、脳に浸透することでカルロの目尻は吊り上がっていく。
邪魔なオーレリアに対して、怒りが湧き上がってきた。
『カルロ殿下の婚約者は俺の妹だ』
『そうなの!?じゃあ、あんたも妹を虐めなさいよ!公爵家のご令嬢様だから暴力は無し。見える所に怪我をさせたら厄介だからね・・・ああ、そうだわ!皆で虐めましょ!』
バーバラを抱くカルロの周辺にはアルバを含めて何人もの男がいた。チェスターもロノヴァも虚ろな顔で彼女の提案に頷き、他の男達も賛同する。
まだ社交界に出る前の十四歳の少女に、学園に入学する前の箱入りで無垢なオーレリアに対して貴族令息達は噂を流布する。王家とルヴァン公爵家の当主の耳には入らないように、カルロとアルバが情報統制をして令息達から親に、親から他の貴族に伝わり、貴族達は娘達にも伝えた。
知恵の足りないオーレリア。人の心の機微にも築かない家柄だけの娘。公爵家とは思えない醜さ。心の醜さが容姿に表れている。カルロ王子殿下とバーバラの愛を妨害して、自身が婚約者だと居座っている恥知らず。バーバラを苛み、カルロに媚びを売る悍ましい性分。アルバの妹とは思えない無知。美しいバーバラに対抗するという生き恥を晒している。バーバラではなく、なぜオーレリアが次期王妃なのか。頭の足りない女では国が腐る。頭が足りないから理解できていない。
言いがかりも甚だしい文言であったが、集団で流布すれば瞬く間に広がっていった。
王家とその準ずる家系、ルヴァン公爵家と分家の人間には耳に入らないように統制するのは困難だったが、それはバーバラの魅力のおかげもあって熟すことができた。
公爵家と王城を往復するだけのオーレリアに、貴族の間では酷い人物像が作られていくが、当然のことだとカルロは納得している。
彼とバーバラの愛を妨害する邪魔者なのだから。
オーレリアにも噂が、すでに批判の声となって届いたようだった。王城にて、暗い顔をした彼女にカルロは話しかけられた。
『カルロ様、私、謂れのない批判を受けています。王城務めの貴族達にすら厳しい目で見られ、口で責められることもあるのです。何より、あなたがバーバラ様という女性と恋仲だと言われました。私が二人の愛を引き裂く悪女だとも言われて』
腹立たしい声だった。バーバラとの愛の妨害者が、媚びを売るように囀っていて。
───・・・カルロ、あんたはオーレリアが嫌いなの。話しかけられたり、顔を見たら虐めて。嫌いな女だから暴言を言っても構わないのよ・・・───。
バーバラの言葉が心の芯にある彼は、不快感からオーレリアの顎を掴み上げる。呻き声を出す醜い顔を睨み付けた。
『当然だ、お前は私の愛を妨害する邪魔者なのだから。被害者面をするな、虫酸が走る』
バーバラには暴力を振るうなと言われている。だから、低い声で威圧して、オーレリアを床に投げた。
『きゃあっ』
『二度と不快な鳴き声を上げるな、男に媚びを売る卑しい女が』
バーバラからオーレリアは体を売っていると言われた。不潔な売女だと言われたから不快感が増す。彼は顎に触れた手をハンカチで拭うと、そのハンカチを丸めてオーレリアに投げ付けた。
『クズの相手など時間の無駄だ。早く、バーバラのもとに行かなくては・・・』
王都の高級ホテルで何よりも愛する彼女との約束がある。バーバラがクズだと教えてくれた醜女などに目もくれず、カルロは立ち去った。茫然とするオーレリアをそのままに。
『あたしの家が懇意にしている貴族達もオーレリアを邪険にしているそうよ。その娘達が貴族の茶会に現れたオーレリアを貶したの。ルヴァン公爵家には関係のない家だから、誰も助けなかったって、あははっ!はははっ!!・・・はぁ〜、親の見ていないところで陰険ね。流石お貴族様!』
『これでオーレリアは婚約破棄を訴えるだろうか?』
『あんたも虐めたんでしょ?家の中でもアルバが虐めてくれているから、そろそろ心が折れて破棄を訴えてくるわ!あっちがカルロの気持ちを蔑ろにしたんだがら、あっちの有責になるはず。ねぇ、慰謝料貰ったら買って欲しいものがあるの。これくらい大きいダイヤモンドのネックレスなんだけど〜』
可愛いと感じた猫撫で声にすぐさま頷く。バーバラの望みは全て叶える。そう彼女に言われたから叶えなければならない。
そのはずなのに、ダイヤモンドのネックレスを買い与えることはできなかった。オーレリアが婚約破棄を訴えないことで、カルロは望みを叶えてあげることができなかったから。
なぜ、オーレリアは婚約破棄をしないのか。王家と公爵家の結び付きのため。親に命じられたから。体裁が悪いから。
どのような理由があろうとも、カルロが彼女に感じるのは怒りだけだった。最愛のバーバラと結ばれたいのにオーレリアという女が目障り極まりない。
彼はオーレリア呼び出し、激しい怒りをぶつけた。本当のことを言って心を引き裂いてやった。それなのに、弱々しい振りをした女は泣くだけで耐えてしまう。婚約破棄に踏み切らないことで腹立たしさが増していく。また暴言で傷付けるも耐えられてしまい、最初に戻ることを繰り返す。
邪魔な女は殺してしまえばいいのに、親を気にするバーバラに命じられたことで手が出せない。
『公爵家に気付かれたら厄介なの。いい?あの女に暴力を振るうのはまだ駄目よ。暴力だけは駄目だからね・・・事故なら大丈夫、かも?』
口端を吊り上げて笑う顔は、何とも艶やかで美しいと感じた。
すでに肉体関係にある彼女を貪るように抱いたあと、カルロは事故を装ってオーレリアを傷付けようとした。
王城にいる間が狙い目だと階段から落とし、図書室に火を付け、城内の地下牢に誘って囚人の餌食にしようともした。
だが、間一髪とオーレリアは助かってしまう。連れ立った侍女や将軍に宰相に、フレデリックが助けるときもあった。愛の障害たる悪女が守られる姿に何度も激昂した。
オーレリアを殺したい。邪魔なあの女がいなくなれば、バーバラにカルネアス王国を捧げられるのに。
いつしか、バーバラはカルネアス王国自体を強請ってきた。王妃として君臨し、自身の思うように国内を動かしたいと望まれた。
愛する人の望みは叶えなければならない。それなのに、オーレリアが原因で叶えてあげることができない。
アルバやチェスター、ロノヴァと協力してオーレリアの悪評を新たに作る。他の貴族も賛同して貶めていく。
彼女が中央学園に入学したことで、カルロは更に攻勢を強めた。彼が生徒会長として君臨する学園では生徒も教員も、バーバラのおかげで経営陣も味方だった。フレデリックさえ彼女の魅力を知って恋に落ちた。
皆で一丸となってオーレリアを貶める。何をしていても嘲笑って罵倒する。彼女という存在が世にいることは許されないと、彼女に理解させようとした。
婚約破棄をしないのならば自害を求めた。自ら死を選ぶように皆で囲い、言葉を投げかけた。
それなのにオーレリアは耐えてしまう。みっともなく泣くくせに、最後の一線は耐えて、婚約破棄を選ばない。カルロの妃となることが、自身の使命だと恥知らずにも口にする。
彼は、そんなオーレリアを殺したくて堪らなかった。
オーレリアを追い詰めることで日々は過ぎ、学園を卒業すると王太子としての公務に集中することになる。ただ、バーバラ第一の彼は、バーバラの求めるように動いた。
配下となる王城の官僚達の入れ替えを行った。カルロと同じくバーバラを愛する者達を要職に付ける。国王夫妻である父母に気付かれないように、秘密裏に邪魔な前任者達を消していった。
ロノヴァは、暴徒に襲われたとして家族を皆殺しにし、将軍となった。チェスターも、父である宰相をバルザドール家秘蔵の毒薬で殺害し、宰相となった。愛の同志であるアルバとフレデリックも協力したことで、王城の内部の人材は代わっていく。バーバラが望む国になるべく、塗り替えていった。
最愛の人を頂点とする王城が出来上がりつつあるときに、遂にオーレリアが中央学園を卒業した。あの悪女がカルロの妻として、王妃となるべく王城に居を移す。
『頭の固い女よね、よく分からせてあげて』
オーレリアとの婚姻式のあとのこと。
顔が気に入らないと、母親である王妃の殺害をバーバラに命じられたカルロは、即断で上半身を大剣で両断した。悍ましい声の断末魔が耳に残って不快だが、王妃の死体を焼却して始末すると、次は父親の国王を捕らえた。
『本当、あんたにそっくりね。少し年はいってるけど守備範囲内だわ!そいつで楽しみたいから、どこかに捕まえておいて!』
愛しい人に命じられたから、怒号を上げる父親を縛り上げて、離宮に送った。バーバラが望んだときに会わせようと誓う。
『それで、披露宴だっけ?登城している貴族達に婚姻後のお披露目をする宴ってこと?あー駄目、そんなのはしちゃ駄目。あの女があんたに愛されているって勘違いするわ。披露宴は中止よ。あの女の体調不良とか理由を付けて中止にして。あいつが悪いと分かれば、貴族達もあんたに怒りの矛先は向けないわ』
『ああ、分かった』
『それと初夜だけど、やっとあの女の体を痛め付けられるようになったんだから、好きなだけ殴って・・・違う。殺すつもりで殴りなさい。蹴りなさい。骨も折ってやりなさい。勿論、顔もボロボロにしてね?』
頷いたカルロは、バーバラと深い口づけを交わすと、オーレリアの待つ寝室に向かった。
『カルロ殿下、私は妻の役目を果たしたいのです』
浅ましい欲を感じる言葉を聞かされた彼は、バーバラに言われた通り、今までの鬱憤を晴らすようにオーレリアを血みどろにする。殴り、蹴り、投げ捨て、骨を砕くように踏み付けた。醜い腫れた顔で泣き喚く姿に笑いながら、徹底的に痛め付け、彼女が気絶をすれば寝室をあとにする。返り血で染まる彼の姿に、使用人達が恐怖で顔を歪める。オーレリアの侍女に至っては、見苦しいほどの泣き顔を浮かべて、彼女の倒れている寝室に入っていった。
バーバラとの夜を楽しんだ次の日、オーレリアは重傷を負ったことで自室から出れないと聞かされた。邪魔な女の顔を見ずに済んだと安堵するも、死ななかったことを不満に思う。
それでも一年近くは姿を見ることもないと知り、晴れやかな気持ちで彼はバーバラとの愛を育んだ。
バーバラの望みを叶える日々。
麗しい彼女だからこそ、ドレスや装飾品は良質な物を身に着けなければいけない。最高級の物を捧げるために、まずは税収を上げて国庫を潤わせる。一度着たドレスは二度と身に付けることをしないと言われたから、毎日買い与えた。装飾品も、彼女は換金してしまうから新しく作らなければならない。
バーバラの勧めで、バルザドール家の支援をした。名のある商家だったが、更なる発展の後押しとして優遇する。国内市場において優先権を持たせれば、どの市場でも頂点に君臨した。美しいバーバラが広告塔になれば、どのような劣悪な商品であっても飛ぶように売れる。王家のお墨付きという文言が何より効果的だった。
彼女の食事に気を遣うのは当たり前で、長机一杯に料理を並べろと言われたから、料理人や給仕に指示を出して作らせる。食べ切らずとも、バーバラは捨てればいいと言ったから廃棄した。
下々が彼女の贅沢な暮らしに不満を言おうとも、兵士達を派遣して取り締まる。暴力で黙らせればいいと言われたからだ。
カルネアス王国の財はバーバラだけのもの。主導したのは宰相のチェスター。彼女に対して悪感情を持つ反乱分子は捕縛して拷問に処す。将軍としてロノヴァが取り仕切った。アルバも、フレデリックもバーバラのために動く。皆に愛される貴婦人は社交界の頂点に立ち、恋人である男達が侍る。
最愛の人に複数の愛人がいてもカルロは構わなかった。バーバラが「気にするな」と言ったから気にしない。愛しているからこそ、彼女の望むように場を整えた。
やがて、邪魔なオーレリアが回復したことで政治に介入してきた。醜く卑しい女から性交に誘われたことを思い出したカルロは、吐き気を催すほど不快感から朝議の場で詰った。臣下達は王妃に居座る愚女を嘲笑い、悍ましいと眉を顰め、貶している。当然のことだろう。バーバラを出し抜いて彼の妻に居座っているのだから。
小さく貧相な体を震わせて、涙を流さまいと耐える醜い顔。弱々しい振りが実に腹立たしかった。
どれほど縋られても、媚を売られてもカルロは悪女などに靡くつもりはない。常に抱き締めている最愛のバーバラがいるからだ。
『政治なんて臣下とか・・・あ!あの女に任せておけばいいのよ!仕事をさせておけば顔を合わせることもなくなるわ』
『ああ、そうだな』
バーバラの提案は素晴らしいものだった。自身の公務もオーレリアに押し付けて、彼は他の愛人達と一緒に彼女との快楽に耽る。
『国王陛下、この税収では民が飢えて』
オーレリアは震える声でか弱さを強調する。耳障りで腹立たしいとカルロは顔面を拳で殴った。うるさい声で囀った彼女が、醜い呻き声を上げて床に倒れ伏しても、馬乗りになって何度も殴る。顔が腫れ上がり、原形を失っても、血塗れになっても殴り続けた。物理的に黙らせた。
『いやぁ、やめっ、ぎゃぁっ!』
ロノヴァがオーレリア蹴り上げて壁に激突させるのを見かけた。背中を強打した彼女がずるずると落ちれば、彼が追撃だと何度も腹を足で踏み付けている。踏まれるたびに醜い声が聞こえた。どうやら、オーレリアは王都の警備について文句を言ったらしい。制裁を受けるのは自業自得だと鼻で笑った。
チェスターもオーレリアに迷惑をしているようで、政治に口を出す彼女を厳しく叱責していた。指示通り承認の押印も押さないようで、出来の悪さに声すら荒げている。役立たずの王妃は罵声を浴びせられて当然だった。
アルバも我儘なオーレリアに辟易して殴って躾をしている姿を見たことがある。怒鳴っても分からない無能に、呆れ果てていた。
『お前などルヴァン公爵家の恥だ!同じ血が流れていると思うと吐き気がする!死ね!今すぐ自害をしろ!自分の愚かさを詫びて首を切れ!!』
兄から死を願われてもオーレリアは従わない。顔を踏み付けられて、すっかり変形したその醜い顔で啜り泣くだけ。厚顔無恥に他ならなかった。
フレデリックはバーバラと愛し合う最中に妨害を受けたと苛立っていた。王妃として、人間として欠陥だと何度苦言を呈しても従わず、押し黙っているだけだという。愚女は人の言葉が理解できないのだろう。
役立たずで愚かで、我の強い性格破綻者。バーバラとの愛を妨害する悪女。生きる価値のない女。それがオーレリアだった。
ある日、バーバラに強請られたから王家の秘宝、カルネアスが拝するクヴァネスから貰った神器「時の砂」を見せることにした。離宮に閉じ込めていた父親から、神器を納めている塔の鍵を得るための暗号を拷問することで聞き出した。バーバラが望んだから、バーバラ自ら性的なものを含めた凄まじい拷問の末に聞いていた。
衰弱した父親をそのままに、彼女を連れ立って神器のある塔に向かった。手にした鍵で扉を開けば、白い室内の真ん中にひっそりと置かれた砂時計が一つ。
『あれが「時の砂」?』
バーバラが駆け寄って「時の砂」を掴み取ると、躊躇いなくひっくり返した。ガラスの中の金の砂粒が、サラサラと音を立てて落ちていく。
『・・・別に時は戻らないわね?』
『「時の砂」は王族のみが使用できる。私も目にしたことすら初めてだから発動の詳細は知り得ていなかったが、この王族というのは王家の血が流れる者達のことを言っているのだろう。つまり、私が使えば発動するはずだ』
『何よ!欠陥品じゃない!』
バーバラが「時の砂」を投げ付ける。石の壁に当たったそれは、軽い音を立てて、そのまま床に転がった。
『何を、されて、っ!』
醜い声が聞こえた。日々の殴打で顔が腫れたせいで、くぐもっている声。オーレリアの声に間違えないと、カルロは振り返って、腫れでまともに目が開かない彼女の首を掴む。
『ぐ、っ・・・っ』
『醜女が醜い鳴き声を上げるな!悍ましい声に耳が腐り落ちる!』
首を締める手に、オーレリアの小さな手が向かう。カルロは彼女を持ち上げると、石材の壁に投げ捨てた。
『ぎゃ、っ・・・ぁ、あ・・・』
小さな体は弾み、床に落ちた。痛みで呻き声を上げるオーレリアに近付くと、彼は顎に向かって足を振り上げる。
短い悲鳴。彼女の口から血と、歯が吹き飛ぶのが見えた。当然の報いだった。神器のある塔は、王族のみが立ち入ることができる。許可なく踏み込んだ卑しいオーレリアは、侵入者に他ならないのだから。
『貴様、誰が神の塔への立ち入りを許可した?王から許可を受けたか?私は許可をしたか!!』
『へ、いか、私は、王妃で、「時の砂」を拝観されると、きいがぁっ、ぁあっ!がはぁっ、う、ぐぁっ!』
腹を蹴り続ける。苦悶の表情で呻き声を上げる彼女を、何度も蹴り続けた。
『貴様の不浄な血で神聖な場が汚れた!!全て貴様のせいだ!!自ら洗浄をしろ!!』
『が、ぁ・・・は・・・』
蹴り上げれば、オーレリアの体は浮き、壁際まで飛ぶ。硬く冷たい床に転がる彼女に、汚れの清掃を命じると、バーバラを抱き締めて塔から出て行った。
警備で控えていた無表情の騎士達に命じる。
『あのクズが清掃を終えるまで塔から出すな』
『・・・畏まりました』
その場を立ち去って、抱き締める愛しい人と夜を楽しもうと口元をニヤつかせれば。
『あの女、本当にウザいわね。あたしのためのカルネアス王国なのに、いちいち口を出して乱そうとしているんでしょ?今もカルロに無断で神器の塔に入ってきたし・・・王妃だからっていい気になってるんだわ』
不満と口を尖らせる最愛のバーバラ。彼女への愛情から、彼はその額に唇を落とす。
『ふふっ・・・あんたはあたしの味方だもんね。あの女をいくら痛め付けても、誰も止められない・・・あっ』
一変して弧を描くように口元を歪めたバーバラ。愛情しか感じないカルロには、美しい微笑みとしか思えなかった。
『もう虐めるのも飽きたし、いいこと思い付いちゃった!』
バーバラが毒殺されそうになった。オーレリアとの茶会の席で、紅茶に毒を盛られたらしい。喀血した彼女だったが、命に別条はなく、カルロは胸を撫で下ろした。その柔らかな体を抱き締める。
『あたしを殺そうとしたのはオーレリアよ!すぐに騎士達が捕まえてくれたわ。目障りだった侍女も斬り殺したから、あいつは今一人』
赤いルージュを引いた厚めの唇が、彼の耳元に近付く。
『オーレリアを処刑するのよ。まずは囚人達に暴行させてボロボロにしたあと、火炙りにするの。原型を留めないほど真っ黒焦げにしてあげて』
頷いたカルロは、すぐさま行動に移した。王城の地下にある独房に収監していたオーレリアを掴み上げて引き摺ると、不潔な囚人達が収監されている雑居房に放り込む。
囚人達は女に飢えているはずだったが、今までの暴力で顔の変形したオーレリアに欲は湧き上がらなかったようだった。収監に対する怒りを彼女にぶつけていく。渾身の力で殴り、踏み付けて、食事用の鉄の器を振り下ろしていく。
更なる暴力で血に染まっていくオーレリア。怒るカルロは弱っていく彼女を睨み付ける。最愛のバーバラを殺そうとした邪悪な女の無残な姿を、見つめ続けた。
どこから情報を得たのか知らないが、ルヴァン公爵家の前公爵夫妻と追従する分家から処刑中止の嘆願がされた。怒るカルロが聞き入れることなく、本日、オーレリアを火刑に処すと決定してしまう。
『私は、何もしていないのに』
木の十字架に括られてもオーレリアは罪を認めない。アルバが怒りのままに彼女を殴る。急遽作られた処刑場の周りにいる貴族達は、悪女に対して罵声を浴びせていた。控えているチェスターもロノヴァも、フレデリックだって死を願っていた。
カルロもそうだった。愛しいバーバラを抱き寄せて、悪女が罰せられるのを待つ。オーレリアの両親にも、如何に娘が罪深い女だと分からせるため処刑に招待した。二人はオーレリアを悍ましい者だと顔を強張らせ、睨み付けている・・・ように見えていた。惑わされている彼は、そう認識してしまっている。
『ぎゃあぁぁぁっ・・・っ・・・っ』
可燃剤の油を浴びせられたオーレリアは、松明を投げ付ければすぐに燃えた。醜い断末魔が聞こえたのは一瞬で、炎が全身を覆う。黒煙を出す赤い炎の中、もんどり打っているようだが、すぐに力を失って、頭と思しき部分が垂れる。
『オーレリアァァアァッ!!』
突然聞こえた大声は、オーレリアの母親である公爵夫人が発したものだった。滂沱の涙を流しながら、燃えるオーレリアへと近付こうとした。すぐにルヴァン公爵が腕で抱き留めるが、公爵夫人は必死に両手を伸ばす。
『オーレリアが!私のオーレリアがぁ!離してジルベール!オーレリアが、オーレリアがぁ!!』
『・・・これは、どういうことですか、国王陛下。なぜ、オーレリアが処刑されたのでしょうか?なぜ、殺したのです。オーレリアが何をしたというのか』
ルヴァン公爵は淡々と述べていたが、徐々に声の抑揚がおかしくなっていく。真っ赤になった顔をカルロに向けて、体を震わせていた。
怒っている。なぜ怒るのか、カルロには分からない。彼は邪悪な女の処刑を見せただけなのだから。
『貴殿の娘オーレリアは稀代の悪女であった。我が愛バーバラを害し、彼女のためのカルネアス王国を乱そうとしたのだ』
『貴方は何を言っている?オーレリアが悪女?その腕に抱いてる女は何だ?愛と言ったか?愛人のためにオーレリアを殺したのか!!』
常に冷静で無感情とすら言われていたルヴァン公爵が吠える。国王であるカルロに無礼な言葉を投げかけた。
不敬極まりないと控えている臣下達が声を上げる。
『黙れ!!貴様らは王の乱心も分からんのか!!愛人を害した?国を乱そうとした?まず愛人が公の場で王に侍っていることを異常と思え!!国を乱そうとしたなど、今まさに狂い始めている状態なのに戯言は大概にしろ!!』
『オーレリアが、燃えてしまう・・・わ、わたしの、オーレリアが・・・あぁ、オーレリア・・・』
力を無くして崩れ落ちる公爵夫人。ルヴァン公爵は膝を付くと、泣き続ける妻の肩を引き寄せて抱き締める。
『おかしいと思っていた。急な譲位と前国王夫妻の転居。妙な取締りと税収の増加に何度か抗議書を送ったにもかかわらず、返答は一切なかった。アルバも、貴様も私が何度オーレリアの様子を聞いたのに会わせもしなかった!!一体、何を考えていのか!!』
『父上、オーレリアは悪女でした。国の頂点であるバーバラを虐げたのです』
悪を討ったと晴れやかな顔で答えたアルバに、ルヴァン公爵の顔は更に険しくなる。
『ふざけたことを言うな!!貴様も含めて異常者しかいないのか!!』
『娘の悪行を認められずに乱心したか』
『乱心されているのは貴方だ!!いや、ここにいる全てが狂っている!!』
うるさく喚くルヴァン公爵を、煩わしく思ったカルロだったが。
『あのおじ様、驚くほどいい男ね。流石アルバとオーレリアの父親だわ・・・女の方は邪魔だから殺すとして、ルヴァン公爵だっけ?あの人とは遊びたいから殺さないでね?』
腕の中のバーバラに願われたから、斬り捨てることは止めた。
カルロは燃えるオーレリアへと目を向ける。パチパチと音を立てて、火の粉を飛ばす赤い炎の中の黒い物体を見た。
『悪女は死んだ、これでバーバラを王妃に迎えられる』
喜びで打ち震えながら、オーレリアの死体を包む炎が収まるのを待つ。誰もが見続けた。猛火に近付くことも、触れることもできないから、鎮火することを待つ。
やがて「燃料」がなくなったことで炎の勢いは失せていく。石積みの台座に黒ずみを残し、小さな残り火だけになれば、倒れ伏した「棒」があった。
すっかり焼け焦げたオーレリアだったもの。叫び声を上げていたことで大口の開く頭部は分かるが、火力で手足が癒着していて胴体部はまるで曲がった木の枝。女だったとは分からないほど質量を失っていることで、まさしく「棒」だった。
公爵夫人が抱き着こうとするが、ルヴァン公爵が止めた。公爵も、処刑場の警備の騎士達によってオーレリアの死体から離される。
『罪人に墓などない。砕いて川に捨てろ』
『何をする!止めろ!これ以上オーレリアを弄ぶな!』
ルヴァン公爵の声など無視する。悪女の父親には、その罪深さが分からないのだろうとカルロは思った。
兵士達が死体を砕く。剣や棍棒で砕いて、バラバラにする。頭部、胸部、腹部と足。なかなか破壊できない頭部以外は更に砕かれて、籠へと回収されると、王都の脇を流れる川に放られた。
『なんてことを!』
そう言ってルヴァン公爵自らが川に入り、悪女の欠片を回収した。大きな頭部はすぐに引き上げたようだったが、細かくされた他の部位は流されたことで全ての回収できなった。
見守っていたアルバから聞いたカルロは、ルヴァン公爵の愚かさを笑い、甘えてきたバーバラとキスをする。
『父上から、ルヴァン公爵から絶縁を宣告されました・・・』
ぼんやりと報告したアルバの言葉を耳にしながら、愛しい人にのめり込んでいく。開放感を得て、バーバラとの交わりを楽しんだ。
それから三日ほど経って。
『母が、自害をしました・・・自ら、体に火を付けてしょ、焼身自殺をしたと、ルヴァンの執事から・・・』
青白い顔と震えた声で報告したアルバは、暫く登城もしなかった。公爵夫人の突然の自害で公爵家へと向かったそうだが、父親だったルヴァン公爵は顔すら出さなかったと聞いた。公爵は、オーレリアの処刑に続き、夫人が自害したことで精神を病んだという情報を掴んだ。
以降、ルヴァン公爵は公の場に出ることなく、王都のタウンハウスを引き払って自領に引き籠もってしまった。
カルロは、アルバも含めたルヴァン公爵家の男達の心の弱さを笑った。
『犯罪者だった子と精神の弱い妻を持った自身が悪い。アルバも、何をそれほど嘆くのだろうか・・・』
『カルロ、馬鹿な死人の話はどーでもいいからぁ。あの公爵に女がいなくなったんでしょ?会いたいわ!あたしが慰めてあげたい!』
素肌で抱き合っていたバーバラに求められたから、ルヴァン公爵に王命を下した。しかし、返答は送られない。前公爵夫妻が国外に出たこともあり、ルヴァン公爵家と王家は絶縁となる。
『二度と、貴方とは顔を見せることもないと・・・』
伝言のため、久し振りに登城したアルバの右頬は青く腫れていた。強行で領主館に足を踏み入れた瞬間、公爵に殴り飛ばされたそうだった。
『なぜこのようなことに、なったのか、分かりません・・・我々は外道の悪女を、処刑しただけなのに・・・』
弱っているアルバに、バーバラが慰めようと体を絡めた。そのまま事を及ぶ光景を目にしながら、カルロは考える。
『ルヴァン公爵家は悪女と協力していたのかもしれない。バーバラを虐げるための尖兵を失ったことで焦っているのかもな』
妄言は男女の喘ぎ声に掻き消される。ルヴァン公爵家から何の妨害もなく、バーバラのためにカルネアス王国は変化を続けた。
どんな階級であろうとも美男、美少年は王城に召し上げられて彼女のためのハーレムが作られる。また、容姿が良くなくともバーバラの遊び相手に複数の男達が選ばれて、次々に命を落とした。彼女は拷問に近しい遊びに享楽を得たようで、頼まれたカルロは兵士達に命じて頻繁に男達を狩る。
国の女性達は存在を無視されていった。貴族も平民も関係なく、バーバラ優先のカルネアス王国であるため、公共の場の使用権は認められない。発言権も奪い、女性貴族からは爵位を剥奪した。王城に勤めていた官僚であっても、就労権を無くしたことで退職させる。
出産されたのが女児であれば戸籍の取得も困難となった。むしろ、病院の利用も制限したことで自宅での出産となり、満足に処置ができないから死亡者が増えた。
女はいらないとバーバラに望まれたから、カルロは国内の女性達の権利を奪った。
彼女を国の頂点として崇めるように法改正もした。皆に愛される存在だからだ。
ロノヴァはバーバラから国政に不満を示す反逆者狩りを命じられた。騎士として従う彼は、性別年齢問わず何百人も虐殺した。彼女の悪口を少しでも言えば、容赦なく殺させた。同じ人を愛する者として、カルロはロノヴァを賞賛する。
その家の令嬢の態度が気に入らないとバーバラが訴えたことで、複数の貴族の家が没落した。チェスターが偽りの罪状を作り、多額の賠償金を要求して追い詰めたからだ。バーバラのためだと奮起する様子に、カルロは納得した。
フレデリックと共に二人でバーバラを満足させている。三人で快楽に耽り、望まれるように愛した。
自分を含めた男達は、彼女を喜ばせるためだけにいるのだからと、奉仕し続けた。
邪魔だったオーレリアの処刑から八カ月後。
南の隣国で、長い歴史の中では敵国となった時期もあるロルカ公国から、王位継承権第一位の公子が来訪した。両国の親交を高めるための交流だったが、神秘的な雰囲気を漂わせる美男の公子にバーバラが心を奪われてしまった。
『綺麗な水色の長髪にエメラルドみたいなキラキラの目・・・なんて美しいの。あんた達とはまた違ったいい男だわ。ねえ、カルロ。あの王子様?王子でいいのよね?欲しいから捕まえましょ』
『ロルカ公国は周辺国と戦争の絶えなかった武闘派の国だ。その公子を捕縛したとしたら、以前のように戦争へと発展する。下手に手は出さないほうがいい』
『はぁ?国が男一人にそんなに執着する?他にも王子がいるんでしょ?一人くらい貰っても・・・待って、他に王子がいるとしたら同じくらい美形よね』
にんまりと笑ったバーバラは、カルロから離れてロルカ公国の公子に話しかけた。談笑する二人を、彼は眺める。
愛する人が他の男を愛しても嫉妬はするなと、その本人に命じられたから何も行動せずに立ち尽くした。他の愛人達もただ見守っているだけ。
バーバラは公子の手を引いて、歓迎の祝宴から立ち去る。再び目にしたのは次の日の昼。
『あたしロルカ公国に行くわ。あの王子様の妻になるの!ふふ、あはははっ!あたしはロルカの王妃になるのよ!』
高らかに宣言した彼女はとても美しかった。「祝福しろ」と命じられたことから、カルロはフレデリック達と一緒に、バーバラの結婚に祝辞を送った。
『この国で最も貴い女と聞いていたが、どうやら俺の勘違いだったようだ。貴公もなぜ惑わされているのか、まったくもって分からぬことよ』
バーバラを連れてロルカ公国に帰る前日。宴の最中に言葉を交わしたロルカの公子に言われた。中性的な容姿からは想像のつかない威圧感のある低音の声に、カルロは怪訝と眉を寄せた。言葉の意味を理解できないことで、公子に対して怒りすら湧いてくる。
ただ、彼は最愛のバーバラの夫となる人物。彼女を悲しませるわけには行かないと、怒りを耐えて笑みを浮かべるだけだった。
バーバラがロルカ公国に渡って一ヶ月後。彼女は、バルザドール家に在籍する者達全員を引き連れて嫁いでいった。
異常が起こった。必然だった。狂っていた歯車が弾け飛んだことで、もはや修復すら出来なくなっていた。
ロノヴァが早朝に王城へと押しかけて、王家の居住区である奥の宮に侵入しようとした。怒号を張り上げて眠っていたカルロに詰め寄ろうとした。
『クソ野郎に会わせろ!あいつの、カルロのせいでおかしくなった!!よく分からねぇ女を引き込んだことでカルネアスはおかしくなったんだぞ!!あいつが悪い!!女の誘惑に引っかかって国を乱しやがった!!カルロが何もかも悪い!罰するならあいつが先だ!!』
よく分からない言葉を発し続けて、近衛騎士達の手によって王城から出された。現在はクライン侯爵領に撤退中だと報告もされた。
あの女とは誰か、とカルロは考える。オーレリアのことならば、すでに処刑済みだ。今更不敬極まる罵倒を受ける意味が分からない。
『もしや、バーバラのことか?』
そんなはずはないと、彼はすぐに首を横に振った。ロノヴァはバーバラを愛している。最愛の女性に対して暴言を吐くはずがない。
諜報員を差し向ければ、クライン侯爵領は税収の増加と治安の悪化で荒廃していると分かった。貧困からの死者も多く、ロノヴァ以外に侯爵家の者がいないことで、杜撰な領地経営になっていた。恐らく、自身の未熟さをカルロに責任転嫁したのだろう。バーバラがいれば凶暴なロノヴァを落ち着かせてくれただろうが、彼女は今ロルカ公国の公妃となっている。愛する人の幸せを妨害すべきではないと、彼は自重した。バーバラに「関わるな」と命じられているから従っている。
次はチェスターだった。彼は議会中に顔面蒼白になり、カーペットに肘をついて蹲った。
『なぜ、私は、父を・・・オーレリア様・・・オーレリア様を・・・』
宰相が悪女の名前を呟きながら顔を伏せたことで、議会は中断。体調不良を訴えたチェスターは、身を起こしたときにカルロを睨み付けていた。涙を湛えた目で睨んでいた。
『あの女だ、そうだ・・・でなければ、ここまで私達全員が・・・っ、はぁ、あ・・・オーレリア、様・・・』
退室の際も悪女の名前を呟いた。苦しそうに顔を歪めて、痛むらしい胸を手で押さえて去っていく後ろ姿を、カルロは不思議に思う。
処刑した悪女に何を思うのか。バーバラを害した悪魔のような女は、すでにいない。死体すら破壊して川に流した。危惧することなど何もないはずなのに。
チェスターの後には、官職についた貴族達も不調となって登城すらできなくなった。バーバラの去ったカルネアス王国では、頂点がいないことで殆どの行政が停止している。彼女がいなければ取り決めた物事の必要性がないからだ。
『カルロ殿下・・・』
ぼんやりと玉座に座る日々。段差の下に控えていたアルバが言葉を発する。
視線を向ければ、彼は蒼白としながら、生気の感じないガラス玉のような瞳を向けていた。
『なぜ、我々はオーレリアを処刑したのですか?彼女が何をしたというのですか?彼女が成したという悪行は事実ではなかった。我々が作り出したものだった・・・懸命に頑張っていた、ずっと耐えていたオーレリアを、なぜあれほどまでに痛め付けて、惨たらしく火刑までして、なぜ、オーレリア・・・オーレリア・・・』
膝から落ちたアルバは、床に頭を付けて咽び泣く。冷静で理知的で、皆に嫌われていたオーレリアを責めるとき以外は感情の薄い男が、なぜか外聞も気にせず泣いている。
分からない、どうしても分からない。あれは悪女だった。バーバラを害して、王妃の座に居座っていた仇敵だった。皆が嫌悪して死を望んだ相手。
バーバラがそう言ったから聞き届けた。バーバラに間違いなどないから皆で虐げた。バーバラが望んだから処刑をしたのに、なぜ悲しむ必要があるのか分からない。
『オーレリア・・・母、上・・・すみませ、許して・・・俺は、なんてことを・・・オーレリ・・・』
『なぜお前が泣いているのか分からない』
『・・・わ、我々は狂わされ、ていたので・・・オーレリアを虐げるように、言った真の悪女に惑わされて・・・「あれ」だ。「あれ」が妙な力で我々をあやつ、て。でなければ、この異常な状況は、せつめ・・・あぅ、うぅ・・・』
嗚咽を漏らして泣き伏せるアルバが理解できない。皆で悪女オーレリアを罰したのに、処刑したのに、なぜ詫びるのか。
それは、すぐに理解できた。その日の夜、寝室のベッドに身を預けたときに聞こえた苦悶の叫び声。フレデリックだと分かって身を起こしたカルロは、不意にオーレリアの処刑を思い出して。
『あ、あぁ・・・オーレリアァ!!』
殺してしまった後悔が、絶望が一気に押し寄せてくる。一目で愛した少女を、将来を共にする大切な婚約者を、慎ましく微笑む可愛らしい人を無残にも火刑に処した。カルロが命じた。処刑を整えて敢行した。彼が決めたから。なぜ、そのようなことをしたのか理解が出来ず、辛く、苦しくて、頭が割れそうなほど痛んだ。呼吸すらままならない。息を吐いても胸が詰まっているようで上手く出ず、酸素を取り込もうとしても喉が震えてまともに吸い込めない。胸が苦しい。オーレリアを殺してしまったことが、何よりも苦しい。
オーレリア。誰よりも愛したオーレリアを散々痛めつけた。顔面が変形するほど殴り、苦しむ彼女に追撃といつも血塗れにしていた。失神するまで、失神しても暴力を与えたことがある。なぜそのようなことをしたのか分からない。彼女には非がなかった。悪女であると決めつけて貶める噂を流し、嘲笑って、非難した。
オーレリアは誰も害していないのに。幼いころから王妃となるべく、カルロを支えるべく勉学に勤しんで、努力を続けていたのに。
なぜ、なぜ、なぜ。そう考えてもオーレリアはいない。カルロが処刑してしまった。度重なる暴力でボロボロになっていた彼女を、焼き殺した。
『あ、あぁ、あ・・・オーレリアァァアアァアッ!!』
痛む頭を両手で抱えて伏せる。後悔しても取り返しがつかないと絶望が涙となって溢れ出し、顔を押し付けた上掛けを濡らしていく。
足音が聞こえる。駆け寄ってくるその音は重さから男のもの。実は生きていたオーレリアが、カルロを慰めに来たわけではない。
『カルロォ!!お前ぇっ!!』
名前を呼ばれて顔を上げれば、酷い泣き顔をしたフレデリックがいた。烏の濡羽色の髪を振り乱し、歪んだ表情の赤い顔をした彼は、愛用の小剣を鞘から引き抜いて、カルロへと剣先を向けている。
『よくもオーレリアを!僕のオーレリアを殺したな!!殺してやる!!死んで彼女に詫びろ!!』
小剣は振り上がり、彼の頭へと降ろされる。咄嗟のことに、後を追って入ってきた近衛騎士達が素早く止める。鋼鉄の鎧を着た二人の男に羽交い締めとなったフレデリックは、強制的に床へと膝を付けられても、殺意のある眼差しをカルロに向けてきた。
『お前のせいだ!お前のせいでオーレリアが死んだ!!あのバーバラという妙な女を引き込んだから!あの女に従ったお前にオーレリアは殺されたんだ!!お前が僕のオーレリアを殺した!!』
『・・・ああ、そうだった』
あのバーバラという女。カルロに命令を下して従わせてきた下品な女。なぜかあの女に情熱を向けて、愛していると思い込んで、従ってきた。オーレリアを虐げろと、火炙りにしろと言ったのもあの女だった。
思い出して、沸々と沸き上がる殺意。オーレリアを失った絶望を塗り替えて、ただバーバラを殺したいと彼は思い始める。
『離せぇ!カルロ、殺してやる!!』
『・・・その、不敬極まる男を王城から追放しろ』
『陛下、フレデリック王弟殿下は』
『喚き声がうるさい。王の妻に対して「自分のもの」だと明言するのも腹立たしい・・・オーレリアは私の妻だ。私の妻に懸想する男は不要だ』
元より関心はなかった弟。悪女に従わされていたから一緒にいただけで、今は目障りなだけであった。
カルロの妻であるカルネアス王国の王妃オーレリアを「僕の」という発言も実に腹立たしい。オーレリアはカルロのもの。彼だけが愛することができる最愛の妻なのだから。
近衛騎士に引き摺られて退室したフレデリックを見送ると、カルロは胸を手で押さえた。ぽっかりと穴が開いているような感覚を得ながら、指で撫でる。
『私のオーレリアを殺した女を、殺さねば・・・弔いをしなければ・・・オーレリアは、死んだのか・・・死んだ、私が殺し・・・あ、ぁぁ、オーレリア・・・』
再び浮かんでくる涙を拭う力もなく、頬を濡らしながら暗闇の中で茫然とするする。
カルロの胸の内に蘇ったオーレリアの笑顔。それは、もう何年も前に目にしたものだった。
ロルカ公国にバーバラの送還を願った書状の返答は、さほど待たずに書状で知らされた。
『バーバラは処刑・・・バルザドール家も全員連名で処刑・・・罪状は、第一公子による偽証罪。国家転覆罪・・・』
手の力が失せる。腕も垂れると、送られてきた書状が床に落ちた。
バーバラは、ロルカ公国に渡ってすぐに処刑されていた。鼠、もしくは魚に生きたまま食われるという残酷な刑罰が取られた。連れ立ったバルザドール家の者達も同じ刑に処されている。
執務室の椅子に座っていたカルロの体も力が抜け、背もたれに深く沈む。
オーレリアの仇であるバーバラを、彼自身が罰することができなかった。目的を失ったことで虚脱感を得て、虚ろな目には何も映らない。
『オーレリア・・・』
どうすればいいのか分からない。共にカルネアス王国を支えようとしたオーレリアはいない。心の拠り所となるはずだったオーレリアは死んでしまった。自身が暴力と暴言で苦しめて、火炙りにしてしまった。
バーバラが欠片すら残らず死んでいたことで、オーレリアのための復讐もできない。
『あ・・・ぁ・・・あ・・・ぁあっ・・・』
嗚咽を漏らして頭を抱える。復讐もできず、加害を加えた記憶は鮮明に脳裏に残っている。オーレリアを害したのはカルロ自身だと証明している。
だからこそ、どうすればいいのかと頭を抱えて蹲る。
追放したフレデリックは、南部の地方都市にある王家の別宅にいると情報を得ている。ただ、興味のない弟の行く先などカルロにはどうでもよかった。地方都市は治安の悪化が著しいクライン侯爵領にある。別宅も、強盗や暴徒によって荒らされていると聞いている。
そのまま放置すれば、フレデリックは犯罪者の手にかかって死ぬだろう。カルロとしては、それでも構わなかった。オーレリアを自分のものだと宣った不快な弟だからだ。
問題は、バーバラ第一となった国政の改正。非常に高くなっている税収を元に戻し、国民一人一人の人権を回復させる。バーバラの手にかかった犠牲者の弔いをしなければならない。両親である前国王夫妻の弔いも、殺してしまったことを詫びなければならない。
バーバラに望まれてバルザドール家を支援した。国内の市場を支配していたが、共にロルカ公国に渡られたことで、市場は放置となっている。他の商家や商人を駆逐してしまったことで機能していない。物流も滞っているため、急いで手を打たねばならない。
一番の被害者だった女性達には公共施設を開放し、貴族位だった女性にも剥奪した爵位を戻す。女児の新生児の戸籍の取得も完遂させなければいけない。バーバラの言付けで没落してしまった貴族の支援をして、領主不在となっている領地を立て直す手立てを立てなければ。
国内全土で悪化した治安も、憲兵の数を増やして対処する。急増した犯罪者を捕らえなければならない。貧民の数も多く、国庫を開いて援助をしなければ、犯罪は増えるばかりだ。
やることは沢山あった。頭を抱えている場合ではなかった。オーレリアの死を嘆いている場合ではなかった。
だが、絶望にカルロの手は動かず、同じく正気に戻ったチェスターに全てを丸投げしてしまう。心此処にあらずの国王のせいで、改正も治安回復も難航していた。
『・・・オーレリア』
カルロが力なく向かったのは、王城の前に作っていた処刑場。オーレリアを火刑に処した場所。石を組んで作った台座があったが、すでに撤去されていた。彼はぼんやりと、彼女を燃やしたと思う位置を見つめる。
『君がいない・・・』
膝から崩れるように地面に座り、ただオーレリアを焼いた場所を見つめる。
カルネアスの国王が座る姿を、心身とも荒んだ王都の人々が睨み付けていた。そのうちの誰かが石を投げる。カルロの肩に当たったが、彼は反応しなかった。
オーレリアを燃やした場所を見つめて、最後に見たオーレリアの微笑みを思い浮かべるだけ。
『君を、私が・・・あの、可愛らしく笑う君を、笑顔も何年も見てなかった・・・私が虐げたから・・・オーレリア・・・』
後悔に涙は止まらない。バーバラという悪女に出会わなければ、オーレリアを殺すことにはならなかった。ゆっくりと愛を育んで、本来ならば王子も王女も生まれていたはず。彼女との子供が何人もいたはず、それなのに。
『オーレリア・・・』
また石が当てられる。しかし、オーレリアのみ想う彼には「届かない」。
ふらりと立ち上がったカルロは、まるで幽鬼のような足取りで王城に向かうと、奥の宮に足を踏み入れる。
『君は、どこに・・・』
何かを、オーレリアを求めてふらふらと歩き、奥の宮にある使われていない衣装部屋の扉を開く。記憶の通りならば、最愛の彼女はこの部屋を自室にしていた。おかしくなっていたカルロが命じたから、この部屋で生活するしかなかった。
踏み込んで感じるのは埃の匂い。実際、薄暗い部屋の至る所に埃が薄く積もっている。壁に立てかけられたベッドにも、無造作に本が押し込められている棚にも、カルロが物置だと収めた家具類にも。
オーレリアがいなくなって一年近く経つ。だから、埃が積もった物置部屋になっていた。
『君がほしい・・・君とは思い出すらない。君の温もりを感じることもできなかった・・・』
呟きながら部屋の奥に進む。棚の本がオーレリアの愛読書だったとは知らない。家具類の殆どは、カルロが使用しないと判断して運ばせたもの。オーレリアが使っていたベッドは、その家具のせいで奥に押し込められている。触れることは容易ではない。
『オーレリア・・・』
両腕を伸ばして奥に、奥に進む。殺してしまったオーレリアを求めて、何の思い出もないのに、彼女を感じ取れるものを求めてカルロは歩き進む。
彼の目は少しドアが開いていたクローゼットに。合間から白い布が見えたことで、その足をクローゼットに向かった。
立て掛けられている割れた板を退けずに、力任せでドアを開けば、白い布、何の飾りもないウェディングドレスが現れた。
婚姻式でオーレリアが着ていたはず。あのときのカルロは正気ではなかったから、妻となる彼女に怒りを感じて見向きもしなかった。視界の端に捉える程度だった。
ルヴァン公爵家が用意したウェディングドレスは、細やかなレースが上掛けのようにあり、ダイヤモンドが縫い付けてあった。それを知ったのは、バーバラがオーレリアのウェディングドレスを見せびらかせに来たとき。
───・・・あの女のために上等なドレスを作るなんて、公爵家って金持ちなのね〜。ムカつくから破いちゃお!付いている宝石はあたしが貰うからね!・・・───。
バーバラの悪行を思い出したカルロは歯を食いしばる。怒りの形相を浮かべるが、自身も笑っていたことを思い出して体の力が抜ける。
『すまない、オーレリア。君はこの国一番の美しい花嫁だったのに、私の花嫁だったのに姿すらまともに見なかった・・・美しい君の姿を、この目にしたかったのに・・・』
レースは破かれ、ダイヤモンドが奪われた下布だけのウェディングドレスを掴み、抱き締める。オーレリアが身に着けていたという事実が、彼の心を僅かに癒す。
『あぁ、オーレリア・・・君は私の花嫁だ。私の妻だ・・・君が本来いるべき場所に戻ろう』
まるでオーレリアを横抱きしているかのように、ウェディングドレスを抱える。彼の腕に垂れるウェディングドレスの胸部、オーレリアの胸元に頬を寄せて擦りつける。
『ずっと、こうして一緒にいたい・・・一緒にいたかった・・・』
カルロは自室に戻ると、ベッドに倒れ込む。オーレリアのウェディングドレスを抱き締めて、目を閉じた。
『・・・分かっている、君はここにはいない。だから、迎えに行かなければ・・・私のオーレリア』
また幼いときのオーレリアの笑顔が脳裏に浮かぶ。彼の目にした笑顔は、そのときが最後だったから。
大人になった彼女が見せたのは恐怖に引き攣る顔、泣き腫らした顔、暴力で歪んだ顔。そして、炎に巻かれる瞬間に見せた叫ぶ顔。
『君には笑っていてほしい・・・私の側で、ずっと・・・だから、迎えに行こう。君は私の側にいなければいけないのだから・・・』
僅かにオーレリアの温もりを感じたことで、カルロは微睡み、寝入っていく。
彼が行動に移したのは翌日だった。オーレリアのウェディングドレスを抱き締めながら、ルヴァン公爵のいる公爵領に向かう。
広大な公爵領は王都から他領を一つ挟んだ先にあった。暗い顔のアルバと険しい表情のチェスターを引き連れたカルロは、領都の高台にある公爵邸の前に立つ。ウェディングドレスに頬を寄せながら、重厚な鉄のドアノッカーを掴んで叩いた。
顔を出したのは執事。国王に対して顔を顰めた彼は、アルバに目線を向けると、更に顔を歪める。
『国王陛下、自ら当家にいらっしゃるとは如何ようなご用事で?』
『私の妻オーレリアのことでルヴァン公爵に話がある。公爵を呼んでほしい』
『・・・御冗談を』
執事は目付きを鋭くさせると、カルロとアルバの順に睨み付ける。
『公爵閣下は貴方方にお会いするつもりはございません。お引き取りください』
『貴様には拒否をする権限はない。私が与えていない。退け。今すぐルヴァン公爵に会わなければならないのだ』
カルロは片手で扉を掴み、力任せに開いた。留め具が破壊されたことで扉は傾き、慄いた執事が慌てた足取りで後退する。
『陛下、そのように乱暴を働けば更に心証が悪化いたします』
チェスターが諌めるが、彼の耳には「届かない」。そのままエントランスに踏み込んで、周囲を見るため頭を動かし、瞬きを忘れた目でギョロリと見渡す。
晴れの日の午前にも関わらず、公爵邸内は薄暗かった。照明が付いておらず、人の気配も怯える執事だけだから。
『ルヴァン公爵はどこだ?』
『な、なんと乱暴な!アルバ様!このようなことはルヴァン公爵が許しません!即刻、国王陛下を連れて帰ってください!!我々公爵家はもはやカルネアス王国に忠義などないのです!国王陛下にもアルバ様であろうとも、二度と顔を合わせるつもりはありません!』
『・・・誰が、来たと?』
エントランスの右、通路からゆっくりと姿を現した男がいた。乱れた銀の髪、光沢のないことから白髪になってしまったのだろう。落ち窪んた目にぎょろぎょろと動く淀んだ紫色の瞳。痩せこけた頬。
長身であるはずなのに背中を丸めていることで、最後に目にしたときよりも小さく見える。
すっかり様変わりしたルヴァン公爵が、重い足取りで近付いてきた。彼は生気の感じない様子だったが、カルロを捉えると紫色の瞳の目を大きく見開き、足早に駆けてきて。
『貴様ぁっ!!』
カルロの頬に拳を打ち付けた。弱った公爵の力では倒れることはなかったが、衝撃に足がよろけて、頬に鈍い痛みを感じる。
『何用で来た!アルバもだ!!宰相までいるとはルヴァン公爵家を取り潰しに来たか!!私からオーレリアとアマリアを奪っておいてこれ以上搾取するつもりか!!愚劣な貴様にオーレリアは殺された!!アマリアは死を選んだ!!全て貴様のせいだ!!貴様が王でなければ、愚かにも愛人に傾倒しなければ、オーレリアは今も王妃として幸せに過ごしていたはずだった!!』
捲し立てたルヴァン公爵は、雄叫びのような声を上げると、カルロの首に両手をかける。絞め殺すかのように力を込める。だが、弱い力の締めつけなど彼はものともしなかった。
『父上!国王陛下を手に掛けようとされれば極刑は免れません!』
『もはや法など無意味だ!王妃だったオーレリアすら裁判なく処刑となった!この男が法を無視したからだ!そのような無法者に法が適用されるわけがない!死ね!オーレリアを殺したことを悔いて死ねぇ!』
アルバがルヴァン公爵の腕を掴んで引き離そうとする。言葉で制そうとする。
それでも、狂った公爵は止まらない。絞め殺そうと渾身の力を込める。
ただ、やはりカルロには響いてなかった。
『ルヴァン公爵、私は死ぬわけにはいかない。オーレリアと共にこの国の統治をしなければならないからだ』
『何を、言ってぇ!!』
『だから、オーレリアを迎えにきたのだ。貴殿が彼女の遺体を回収したことを思い出した。彼女はこの領地の中にいるのか?正常ではなかった私が墓を作ることを禁じたから、貴殿が保護したのだと思っている。オーレリアは私の妻だ。私と共にいなければいけない。彼女を返してほしい。本来いるべき場所に帰らなければならない』
『は・・・』
『・・・・・・』
息を漏らしたのはチェスター。アルバは言葉すら失って、異様なものを見たとカルロのことを紫色の瞳に映す。
連れ立った二人は、自身の主君の異常さを目の当たりにして恐れを抱いた。ルヴァン公爵と同様に狂っているのだと、やっと気付いた。
『・・・貴様は、何を言っている!!』
公爵すら驚愕と目を丸くしていたが、やっとカルロの発言を汲み取れたことで激怒した。掴んでいた彼の首から手をずらし、両肩を力を込めて押すことで地に落とす。
尻から落ちたカルロだったが、痛みを感じなかった。痛覚が麻痺していた。彼の心はオーレリアで占められている。オーレリアのこと以外は何も感じない。
『オーレリアを私に返してほしい。迎えに来たのだ。オーレリアを返せ。私の妻だ。オーレリアをどこに隠した。私の妻を返せ』
『・・・貴様らの主は狂っている!!すぐに連れて帰れ!!私はカルネアス王国にもこの者にも関わるつもりはない!!出ていけぇ!!』
一度引き攣った顔を浮かべていたルヴァン公爵は、険しい顔で怒号を上げる。
『ち、父上。陛下は、今まで洗脳を受けていて』
『知らん!貴様らのことなど知らん!!私は妻と娘の弔いをしなければならない!貴様らとは話すこともない!!即刻出ていけ!!』
追い立てるルヴァン公爵に、アルバは辛そうに顔を歪めた。冷静にと努めるチェスターが言葉を送り、床に座るカルロを二人がかりで引いて公爵邸から出す。
退出することで扉は轟音を立てて閉じられた。施錠する音も響いたことで聞こえる。
『陛下、お立ちください』
『王城に戻りましょう。カルネアス王国を元の状態に戻さねばなりません』
『・・・墓だ』
二人が声をかけても、カルロの言葉は返答などではなかった。
彼はオーレリアのことのみしか考えていないのだから。
『ルヴァン公爵は弔いと言った。オーレリアを弔ったのだ。墓に閉じ込めた。墓はどこだ?ルヴァン家の墓だ。その中にオーレリアがいる』
ふらりと立ち上がると、カルロはアルバの襟首を掴んで、自身に引き寄せる。片手に大切なウェディングドレスを抱き締めたままで。
『墓だ、ルヴァン家の墓に案内しろ』
間近で見つめ続ければ、顔を引き攣らせたアルバは遠慮がちに頷いだ。襟首から手を離し、その胸を押す。よろけて離れたアルバを、カルロは睨み付ける。
彼の心は壊れていた。正気に戻った瞬間から壊れ始めていた。
アルバの案内で辿り着いたルヴァン公爵家の墓所。公爵邸を臨む緩やかな丘に作られたそこは、祖であるリオルス・ルヴァンとリリアノ・ルヴァンの墓もあった。遺跡のような祖の墓の周辺にある何百という墓碑。ルヴァン公爵家の先祖達が眠る中をカルロは進む。
『・・・母の墓です。この辺りは新しい墓が固まっています。オーレリアもこの近くに埋められたと思いますが』
立ち止まって真新しい墓石を眺めるアルバ。悔恨と顔を曇らせる彼の横にカルロは立つ。
───・・・心優しき君の眠りが安らかであるように。
アマリア・ルヴァン、ここに眠る・・・───。
ルヴァン公爵の想いも彫られた墓碑。オーレリアの母親の名前を視線でなぞったカルロは、その周辺の地面にも視線を彷徨わせる。
彼の目には、泣き始めたアルバに慰めの言葉を贈るチェスターの姿は映らない。連れ立った配下の様子など気にも留めず、公爵夫人の墓碑を指で指し示した。
『周辺に土を掘り返した跡がない。オーレリアはこの下だ。夫人の墓に閉じ込められている。私が墓を作ることを禁じたから狭い場所に入れられてしまったのだ・・・掘り起こせ』
『・・・・・・は?』
『陛下、何を』
『私は掘り起こせと言った。了承の言葉以外はいらない。さあ、掘り起こせ』
『流石に看過はできません。アルバ殿の』
カルロは平たい小石をつま先の動きだけで足の甲、履いているブーツの甲の上に乗せると、蹴り上げる動作で弾ませて、片手の内に握り締める。そして、躊躇いなく小石をチェスターに投げ付けた。
全ての動作が素早く、投石も豪速だったことから、小石が掠めた頬が切れる。裂傷は深いようで、ドロリと赤い血が流れる。
『掘り起こせ』
『・・・・・・』
チェスターは唇を噛んで耐えるように顔を顰めた。その表情のまま背を見せると、墓所の隅にある倉庫に向かう。掘り起こすためのシャベルを二本、左右の手に持って戻って来る。
『アルバ殿は休まれますか?』
『・・・いや、俺も掘る。陛下からの命だ。母上も、実子の俺が掘れば許してくれるはずだ』
浮かんでいた涙を軍服の袖で強引に拭ったアルバは、チェスターからシャベルを受け取る。母親の墓碑の前に立ち、深く息を吸い込むと、シャベルを地面に突き立てた。墓碑の前に埋まる石棺を掘り起こし始める。アルバが動けばチェスターも続き、二人が土を掘る光景をカルロは眺めるだけ。
オーレリアを取り戻すことだけを考えて、大切なウェディングドレスを抱き締めながら、今か今かと待ち続ける。
数分ほど経って、額に汗を滲ませた二人のシャベルに硬い物が当たった。公爵夫人の石棺に間違いないと、カルロは深度一メートルほどの穴を覗き込む。土に塗れたアルバが嗚咽を漏らして肩を揺らし、チェスターは深く呼吸を繰り返しながら顔を上に向けていた。
『早く土を取り除いて開けろ。オーレリアがその中にいる』
無慈悲に告げる。オーレリアのことしか考えていないカルロには、自身が無慈悲だとも分かっていない。
喉を震わせながら、アルバが屈んで土を払う。チェスターも倣って土を払い、磨かれた白い石棺が姿を現した。
『・・・ひ、開きます』
アルバが涙声とは分からない。早くオーレリアを取り戻すとしか、カルロは考えていない。
『っ・・・』
石棺の蓋が開かれて、中の様子が明らかになる。チェスターは顔を顰めて鼻と口を手で覆う。アルバは蹲り、両手で顔を覆った。そして、覗き見ていたカルロは。
『あぁ、オーレリアだ!やはりこの中に閉じ込められていた!』
腐敗で崩れた遺体の胸の上にある黒い塊に手を伸ばした。多少虫が付いていたが、急いで払い除けて抱き締める。
艷やかで美しい金の髪も煌めく紫色の瞳も失った焼死体の頭。叫んでいたことで、大口が開いていると分かるだけ。元の顔以前に、人の頭とも判別しがたい。
そのオーレリアの頭をカルロは何よりも大切だと腕に抱えて、ウェディングドレスに包んだ。
『ああ、オーレリア。やっと会えた。このような暗く狭い場所に閉じ込められていて寂しかっただろう?さあ、君の本来いるべき場所に帰ろう。これからはずっと、君と私はずっと一緒にいるのだ』
ふらふらとした足取りで来た道を戻るカルロ。目的は達成したと、抱き締めたオーレリアの頭しか目に入っていない。
『陛下、お待ち下さい!』
『母上、ご遺体を暴いて、ごめんなさ、ごめんなさい・・・』
アルバは蹲って動かない。チェスターは一人で石棺に蓋をすると、アルバの腕を掴んで引き上げていた。
彼は石棺に土を被せようとするが、公爵邸から複数の人が飛び出してきたことを目にした。カルロも目にして、鼻を鳴らす。
『狂った公爵に気付かれたか。早々に帰るぞ。奴らは私からオーレリアを奪い取るつもりだ』
眉間に皺を寄せたチェスターの口が開き、何事か怒鳴ろうとしたとは分かる。
ただ、すぐさま口を噤んで、苛立ちを隠さない表情のままシャベルを地面に落とした。アルバの腕を掴んだ彼が、カルロを追う。
視界で確認した彼は、愛するオーレリアが落ちないように、ウェディングドレスごと抱き締めて丘を下っていく。
ルヴァン公爵に追い付かれることなく王城に戻ったカルロは、謁見の間でオーレリアと「踊っていた」。
ウェディングドレスで包んだ炭化した頭を片腕で抱え、ドレスの袖をもう一方の手で握る。回り踊ることで、裾が花弁のように広がっていた。
『君と一緒に踊るのは初めてだな』
感慨深く呟く。うっとりとした目でオーレリアを見つめる。
声は返されず、視線も交わることはないのに、彼は見つめ合っていた。幼い顔の彼女がはにかむような微笑みを脳裏に浮かべていた。
カルネアスの王族は、婚姻式を終えたあとの披露宴で賓客達にダンスを見せる。婚礼衣装で踊ることで、結ばれたことを示すのが習わしだった。本来ならば、オーレリアと踊っていた。夫婦になったことを喜び合い、これからの未来を二人で思い馳せるはずだったのに。
『君と踊りたかった・・・皆に祝福されて、誰よりも輝いていた花嫁である君と・・・』
ダンスを止めてオーレリアの頭を抱き締める。頬を寄せて擦り付けると、唇だと分かる部分にキスをした。
オーレリアは死んでいる。殺してしまったと分かっている。ただ、認めたくないと訴える部分がある。すでに骸、炭化した頭部だけだと認めたくない。愛しい人を殺してしまったことを拒否したくて堪らない。
『・・・オーレリア』
何度もキスをしたカルロは、膝を床につけて蹲った。大切なオーレリアを抱えて泣き伏す。
『このような結末など認めたくない・・・君がいないなんて耐えられない・・・オーレリア、君とやり直したい・・・もう二度と、他の女など見ない。君だけをずっと、愛しているから・・・私の所に戻ってきてほしい・・・オーレリア、私のオーレリア・・・』
伏して泣き続けるカルロの姿を、アルバとチェスターは眺めていた。
主君は完全に正気を失ったと理解する。心が壊れていることで常軌を逸してしまったと分かる。オーレリアの死で、殺してしまった事実のせいで正常になることはない、と。
二人はカルロの乱心を眺めるだけだった。
『・・・・・・』
カルロは声なく立ち上がり、オーレリアの頭部を抱えながら玉座にゆっくりと向かう。辿り着いて腰を下ろした彼は、膝に置いた頭部を優しく撫でながら、下にいる二人へと視線を向けた。
『「時の砂」だ』
『クヴァネス神の神器ですか?それを、どうされると?』
『思い出した。私ならば「時の砂」が使用できる。資格がある・・・「時の砂」を発動させて、オーレリアの生きている時間に、そうだな・・・私と彼女が出会う日まで時を戻す』
カルロの視界に映る二人は、お互いの顔を見ると、それぞれの表情で彼を見上げた。アルバは困惑と眉を寄せ、チェスターは苛立ちからか睨み付けるように。
『二千年以上も歴史のあるカルネアス王家でも、今まで神器の使用はありませんでした。我々は「時の砂」というものの真価を知りません。その力が一度きりだとしたら、いかがされるのですか?』
『神器の喪失など、カルネアス王国の存続に関わります。カルネアス王家が「時の砂」を保持することで威光を知らしめていると言っても過言では』
『私が現国王だ。私が使用すると決めた。オーレリアを真の意味で取り戻すのだ。誰にも邪魔はさせない』
意見は認めないと鋭く睨み付ければ、二人は躊躇いがあるものの口を閉ざした。幼馴染であるアルバが、カルロと心同じくしているとは分かる。チェスターの心中は不明だが、黙ったということは了承だろう。
カルロはそう捉えた。大切なオーレリアの頭が落ちないように胸に寄せると、玉座から立ち上がる。
『今より「時の砂」を使用する。真にオーレリアを取り戻すために、時戻しを敢行する』
宣誓は謁見の間に響き渡り、異を唱える者もいないことで静寂に包まれた。
ただ、一分も待たずに扉が開かれて、一人の兵士が乱入する。慌てた様子にカルロの眉間に皺が寄せた。
『国王陛下、謀反です!クライン侯爵が、ロノヴァ・クライン将軍が挙兵いたしました!数百の騎士と兵士を伴い、すでに王都まで侵攻しています!』
『ロノヴァ将軍が?』
『・・・』
アルバから視線を受ける。カルロは、不愉快な気持ちから顔に力を入れた。
一ヶ月近く前の早朝に奥の宮に押し入ろうとして以来、登城しなかった。否、させなかったカルネアス王国の将軍。将軍という肩書きだけの悪漢に過ぎなかった男。カルロと同じくオーレリアに凄まじい暴力を与えていたロノヴァが謀反など、実に腹立たしく思った。
『何のつもりか』
怒りから唸るような声で呟けば、報告をした兵士が恐々としながらも言葉を続ける。
『国王陛下を討ち取り、カルネアスを正そうと声高に述べているようで・・・その、王妃殿下のお名前も』
カルロの目蓋がピクリと動く。感情の高ぶりによる痙攣だった。欲にまみれたロノヴァなどに、カルロの清らかなオーレリアの名を発する資格すらない。そう考えに至ることで、彼の怒気は増す。
『しょけ、いえ・・・亡くなられた王妃殿下を旗印に進軍しているようです。国王陛下の、その犠牲者として、亡き王妃殿下の弔う戦いと銘打っています。それにより賛同者も増えて、王都でもクライン将軍の侵攻を邪魔する者はいないと』
『下衆が私のオーレリアの名を口にするのか!!今すぐ迎撃しろ!!城内全ての兵で全員討ち取れ!!』
怒りのまま張り上げた声が響き渡る。アルバもチェスターも、耳が痛むほどの声量に眉を寄せていた。カルロと向かい合う兵士は耐えていたが、その体が国王の迫力に怯えて震えている。
『全兵に通達をしろ!反逆者は皆殺しだ!!ロノヴァ・クラインは確実に殺せ!砲台を使ってもかまわない!犬畜生にも劣る愚か者が私のオーレリアの名を掲げるなど許せるわけがない!!殺せ!早く殺せ!!』
『か、畏まりました!』
たじろいだ兵士は踵を返すと、駆け出して扉から出ていく。彼が「侵攻軍を迎撃」と発する声が聞こえる。カルロは息を吐き、控えている二人へと振り返った。彼の目は濁っていて、腹心であっても引いてしまう形相をしている。
『時を戻せばロノヴァの反逆の事実も消え失せる・・・早く、オーレリアに会いたい。会いに行く』
口元にオーレリアの頭を寄せると唇を付けた。何よりも愛しいオーレリアを抱き締めながら、生きているオーレリアと会うために、カルロは奥の宮の最奥、神器「時の砂」が安置されている塔に向かう。
その途中で、人々の怒声と悲鳴、剣戟音と炸裂音も聞こえた。ロノヴァの軍と王城の兵士達が交戦を始めたと、音だけが届いてくる。
本来ならば指揮官として迎え撃たねばならないカルロ。アルバもチェスターも将として戦いに参加しなければならない。それなのに、カルロの脳裏にあるのはオーレリアだけ。彼女のことしか考えていなかった。
近くで炸裂音と悲鳴が聞こえた。振動も感じたことから、砲弾が侵攻軍に直撃したのだと思う。人々の騒ぐ声は大きくなるばかり。
『ロノヴァにでも当たったか?ははっ』
乾いた笑いを発したカルロは塔の扉を開錠すると、躊躇いなく押し開いた。見えたのは白い部屋。壁も床も白い石材で造られた部屋の中央に、台座に置かれた砂時計がある。
「時の砂」。カルネアス王家の祖が、時の神クヴァネスから賜った神器。時を戻す神器。オーレリアを取り戻すための力。
カルロは炭化したオーレリアの頭を落とさないように抱え、もう一方の手を「時の砂」に伸ばした。
『これさえあれば、オーレリアを』
『陛下!後ろにっ、くっ!』
駆け込む足音は二人。アルバがすぐに気付いて声を発したが、金属を打ち付ける音が響くと、呻き声を漏らす。
カルロは後ろに振り返った。冷めた目で「襲撃者」を睨んだ。フレデリック。そして、ルヴァン公爵がアルバとチェスターを押し退けてカルロの後ろにいた。壁際に避けたチェスターは無傷のようだが、刃を振り下ろされたらしいアルバは肩を・・・いや、カルロにはどうでもいいことだった。
今すぐ時を戻せばいい。そうすれば、愚かな弟と義父の襲撃の事実は消え失せ、オーレリアが彼のもとに戻ってくるのだから。
カルロは「時の砂」を掴もうとする。だが、近付いてきたフレデリックに小剣を振り下ろさて、避けたことで神器の安置された台座から立ち位置がズレてしまう。
腹立たしい。感じたまま舌打ちをすれば、凄まじい形相のフレデリックが吠えた。
『オーレリアの遺体を返せ!!これ以上オーレリアを辱めるな!!』
『貴様は、オーレリアの何だという!!なぜ貴様に返さなければならない!!オーレリアは私の妻だ!!誰にも渡さん!!』
腰に佩いていた剣を、片手で鞘から引き抜いた。カルロの抜剣に、目を血走らせたルヴァン公爵が詰め寄ってきて、細い刀身の小剣でカルロを突こうとする。
『オーレリアを返せぇえぇっ』
『父上、止めて下さい!』
アルバが剣で押し留めた。ルヴァン公爵は実子であっても加減をせず、小剣を上手く動かしてアルバの急所を突こうとする。実父に殺意などないアルバは、剣で防御をするだけ。反撃できずに、ただ耐えている。
『安らかに眠っていたオーレリアを掘り起こすなど人道に反している!お前は彼女を休ませるつもりもないのか!死した彼女を苦しめて楽しいか!!』
『私のものだ!オーレリアは私のもの!遺体であろうとも、いや!違う!私は彼女を取り戻す!時を戻し、このオーレリアを元の姿に!生きている時に戻すのだ!!』
フレデリックが繰り出す小剣の一閃を避けると、彼の胴に向かって剣を斜めに振り下ろす。間一髪と小剣で防御したフレデリックが、その体勢のまま押し込んでくる。
どうでもよかった弟は、目障りな弟に変わった。羽虫が周りを飛ぶような不快感に、カルロは険しい顔でフレデリックを睨み付ける。
『いい加減に、しろ!』
『こちらの台詞だ!時を戻してオーレリアを取り戻す?「時の砂」を使ってまた彼女を手に入れようとするつもりか!そんなこと、許さない!絶対に許さない!!今度こそオーレリアは僕のものに!!』
『くっ、がぁっ!?』
オーレリアの頭を片腕に抱いたままでは、流石のカルロも力で押し負けてしまった。剣は弾かれて胴体が晒されると、フレデリックの小剣が心臓を、その下を一突きする。
激痛がそこはから走り、胸から込み上げてくるものが、血が口から吹き出た。カルロは小剣の刺さる痛みと立ち眩みでよろけて、一度フレデリックから離れる。
一瞬の隙、勝利したと呆けた隙を突いて、フレデリックに突進をした。
『あがっ、く・・・がはぁっ』
倒れた彼の胴、内臓の詰まった腹に剣を突き刺す。何度も、何度も突き刺して、血と肉片を飛び散らせる。やがて、フレデリックは短く息を吐いて、血塗れのまま力を失う。両手を広げてぐったりとする体。何も映していない虚ろな眼差し。死に様を確認したカルロは、アルバの首に小剣を突き刺したルヴァン公爵へと近付き、血に汚れた剣で斬り裂いた。
『あが、はぁっ・・・アマ、リ・・・オーレ・・・』
何かしら呟いてルヴァン公爵は事切れる。濁った瞳はひっそりと置かれている「時の砂」へと向けられていた。
くらりと立ち眩んだカルロはその場に座りこむ。小剣の突き刺さる胸の痛みは凄まじく、それでも体の先から感覚を失い、意識は落ちそうだった。
彼の目には殺したルヴァン公爵と、瀕死で倒れているアルバの姿。お互いが出血で徐々に赤く染まっていく。背後にあるフレデリックの死体は血に染まりきっただろう。
意識の低下で力を失い、あやうくオーレリアの頭を落としそうになった。カルロは代わりに剣を落とし、両手でオーレリアを抱え直す。
朦朧とする視界にはチェスターが見えた。恐れ慄いて立ち尽くす彼に、顔を向ける。
『チェスター・・・私に、「時の砂」を・・・』
呻くようなか細い声だったが、チェスターの耳には届いたらしい。彼は「時の砂」へと走り寄って手に取ると、多少躊躇いながらもカルロに渡した。
『これでオーレリア様の生きている時間に戻れるのですね?』
頷けば、目の前にあった顔は表情を緩めた。霞みゆく視界に微笑みが見える。なぜ、チェスターが笑っているのか、このときのカルロには分からなかった。考える時間がなかったからだ。
彼は「時の砂」をひっくり返す。ガラスの中、サラサラと下に落ちていく金の砂粒。徐々に光を帯びで、目が眩むほどの光を発する。強い光に目が痛みを訴えたが、カルロの口元は緩んでいた。
『ああ、これで君と、オーレリアとやり直すことが・・・』
腕の中にあるオーレリアを口元に寄せる。唇とおぼしき場所にキスをして、彼は目を閉じた。
オーレリアと再会するために、また結ばれるために、今度こそ天寿を全うするまで彼女と生きるために、時戻しを行う。
そう、カルロはオーレリアを取り戻すために時を戻した。オーレリアのためだった。
それなのにオーレリアは彼の側にはいない。婚約者にすることもできず、恐れられたことで会えず、結局はフレデリックに奪われた。最愛のオーレリアは忌々しい弟の花嫁になってしまった。
「クソォオォォッ!!」
「ひっ!」
上体は上げてベッドに身を預けていたカルロは、女の使用人が運んできた銀のカップを中身が入ったまま壁に投げ付ける。ガンッと音を立てたそれは弾み、床に転がることで中身の葡萄酒を撒き散らしていた。
荒ぶる気持ちを抑えられないカルロ。フレデリックとの戦いで負傷した左手とその前腕に後遺症が残り、太腿に受けた攻撃のせいで歩くことが困難になってしまった。機能をしない左手と足が、彼の怒りの炎に薪を焚べる。
醜い欲望を抱えたフレデリックに、自身の妻である無垢で可憐で最愛のオーレリアを奪われたことが、怒りの炎を燃え上がらせている。
震えた使用人を睨み付けたカルロは、渦巻く怒りを発散しようと手を伸ばした。オーレリアと同じ髪の色の女で解消してしまおうと考えたが、幽閉の身である彼に訪問者がやって来た。
「お前の凶暴性は生来のものだな・・・そなたは戻れ。ここにいれば殺される」
来訪者である国王が恐怖で硬直していた使用人に告げると、彼女は逃げるように去っていた。退室で閉じられた扉をカルロは睨み続けて、盛大に舌打ちをする。
彼の射殺さんばかりの眼差しは国王に向かった。歯を食いしばって唸り声を上げる様に、国王は落胆と溜め息を漏らす。
「お前は獣か。一度は王太子であったのに、その知性をどこへやってしまったのか」
「うるさい!!黙れ!!私の怒りが治まるはずがないだろう!!オーレリアを奪われた!!あの忌々しいフレデリックが奸計を用いて奪ったのだ!!冷静になれるわけがない!!オーレリアを返せ!!私の妻だ!!私の妻を返せぇ!!」
照明が消された薄暗い部屋にカルロの怒声が響き渡る。心の壊れた男の発狂を、国王は耳障りだと眉を顰めていた。諭そうとも、労ることも、何より立腹と声を荒げることもない。
ただ、荒れるカルロを眺めて一言呟く。
「『時の砂』は一度きりの神器ではない」
静かな声。荒ぶるカルロには聞こえないはずの声量にも関わらず、鮮明に彼の耳へと届いた。
押し黙ったカルロは、父親の言葉を待つ。
「お前は時戻しをしたらしいが、戻る前の世界では、俺は正式な譲位をしなかったようだな。カルネアスの王は、王位を継ぐときに先王から口伝で知らされることがある。我らがクヴァネス神から賜った神器『時の砂』が使用された記録を教えられるのだ」
「なぜ、そのような・・・」
衝撃の言葉にカルロは思わず呟き、動く右手で口元を覆った。
すっかり落ち着いた様子に、国王は目を細めた。
「王族のみが使えるとしても『時の砂』が多用されることを恐れてのことだ。そして『教訓』として。歴代の国王となった者達は、代々の過ちから時戻しが行われていたことを知り、自身の代では過ちを起こさぬように細心の注意を払う。中には再使用まで期間が足らずに国を傾けてしまうことがあるが・・・ブラスの反乱やら、百二十六代国王エリックの不祥事などだな。だが、それも四度ほどのこと。殆どの者は『時の砂』でやり直していた。俺は父から聞かされた。父は、祖父から過ちを犯したことで時戻しをしたと聞かされた」
「祖父・・・私の曽祖父の代で、『時の砂』は使用されていた?」
国王は頷くと、カルロが座るベッドに近付き、上から覗き込むように目を向けてきた。
「過ちの詳細は伝わっていないが、異性からの誘惑で国が乱れるまでに至ったものが多い。我々カルネアス王家を懐柔して国を滅ぼそうとする外敵がいるようだ。それを何度も時戻しをすることで排除し、己が正常だと思うやり直しをしてきた。お前も、凄惨な結末を迎えたために時戻しをしたのだろう?俺はお前の過ちの詳細も知らないが、オーレリアを失ったことだけは分かる。あの娘に対する執着から判断したが、間違いないな?」
見下ろす父親と目を合わせる。暗さの中にいるせいで赤い瞳は黒に見えた。底の知れない色をしていた。
ゆっくりと頷いたカルロに、国王は笑みを浮かべる。
「では、よかったではないか。お前が時戻しをしたことでオーレリアは死を免れた。生きてはいる。国が乱れる要因も排除できた・・・それで納得するしかない。結局は、自身が正常だと思うやり直しをできずに『失敗』したのだからな。無理にでも納得をして気持ちを精算することだ。お前には辺境伯という席を用意させた。これより向かうその地で緩やかに過ごせ。それがお前の慰めになるはずだ」
「カルロ」と最後に名前を呼んだ国王は、彼の肩に手を乗せて労わるように軽く叩くと、その身を翻した。退室していく背中を眺めたカルロは、父親の姿が見えなくなると両手で顔を覆う。背中を丸めて蹲る。
「あぁ、そうか・・・そうなのか・・・つまり、また『時の砂』が使えるようになれば、時を戻せばオーレリアを取り戻すことができる!!ははっ、はははははっ!!」
気付いたことに高笑いをする。喜びから気分が高揚する。内にある怒りの炎も、少しだけ火力を失った。
「アルバ・・・」
名を呼べば、続き部屋からアルバが顔を出す。本日、オーレリアの婚姻式に向かうためにルヴァン公爵領から上京していた。配下の諜報員を用いて呼び出した腹心に、カルロはにやけた顔を向けた。
「うらやましいことだ、お前はオーレリアの美しい花嫁姿を目にできるのだからな。ああ、女神ごときオーレリアの花嫁姿を見るとは、お前の目玉をくり抜きたくなる」
「・・・カルロ殿下、これ以上はオーレリアに関わらないほうが、御身のためです」
「妻を求めて何が悪い?私の言葉は真っ当だ。オーレリアは私の妻だ。私のもとに戻るべきだ。永遠に私の側にいるべきなのだ。オーレリアには私を愛する義務がある」
カルロは自身の太腿に肘を付き、傾けた頭を手で支える。見開いた赤い瞳の目はひたすらにアルバを見ていた。
「協力しろ、アルバ。婚姻式では刺客を放つつもりだ。すでに用意は済んでいる。オーレリアが私のもとに帰ってこれるように刺客に指示を出せ。連れてこい・・・お前は約束をしたはずだ。時が戻ったあとで再会をしたときに『共にオーレリアを幸せにする』と。オーレリアを幸せにしたい。私が成すことだ。従え、アルバ。もう私を裏切るなよ?」
アルバは顔を伏せる。それでも立ち去らないことから、カルロは顔を上げて笑った。
「はははっ、はははははっ!!それに今オーレリアを取り戻せずとも私には『時の砂』がある!!いずれ私の手で時を戻せる!!オーレリアを必ずこの手に!!は、はははっ、ははははははっ!!」
狂った男の笑い声は止まない。愛を失った男は、その愛すら取り戻せると夢に見て、おかしそうに笑い続けた。
ぶっちゃけ、オーレリアの炭化した頭をウェディングドレスで包んで踊るカルロを書きたいがための番外編でした。




