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憶測で考えてしまう

窓際の椅子に腰を下ろしていたオーレリアは、雲の合間から注ぐ日光に照らされた花壇を眺めていた。

祖父の屋敷の中庭はよく整えられていて、花壇に整列するように植えられているカーネイションは色とりどり。


鮮やかさに心を奪われて、手にしていた本の存在を一瞬だけ喪失する。

膝から滑り落ちる気配を感じたオーレリアは、ハッとして胸元に寄せた。装丁が古いため、落下しただけでも傷を付けてしまうだろう。

本が落ちなかったことに安堵した彼女は、開いていたページを視線でなぞる。


イルルラルバ。

この世界の神話を記す本では、創世の場にのみ登場した愛欲を司る悪神。世界が生み出されたあとは一切登場しない。

他の悪神は破壊神や獣頭神も含めて降臨し、その国を乱した記録が残っているのに。

つい先日まで、神話学ではイルルラルバは降臨しなかったとされていた。後世の人間が創作の神を捩じ込んだとも。

だが、祖父の発掘した遺跡はイルルラルバのもので、不確かだった悪神の存在証明となった。全世界に渡って衝撃は与えられるだろう。学会は騒ぎ立て、神話から続く歴史にも変化が起きる。

一国に一柱の神が降り立ったという常識すら変わるのだから。


オーレリアはページを捲る。イルルラルバの記載はそれ以上はない。ただ、これから改訂されて世に広がっていく。

愛欲の神イルルラルバは、カルネアスの地を得るために時の神クヴァネスと争い、敗退したのだと。


祖父は遺跡からではなく南方の都市周辺に伝わる伝承、昔話、童話を調べ始めた。人工的に隠されていたイルルラルバの神殿。隠す理由は未来に不必要であるから。異質な存在、在るべきではないものとして処分された。

誰が処分したか。クヴァネスを拝する者達の子孫が繋いだ国家だから答えは分かっている。クヴァネスが倒した。不要だと他神の神殿を埋め立てさせた。その推測を確実にするべく、祖父は伝承を調べ始めたのだった。

神々の戦いは大規模なもので、仕える人々も参加をしただろうと推理した。悪神の神殿は最終的に隠蔽されたのだから、はっきりと後世に残すつもりはなかったと分かる。

だが、当時を生きた人々の声は封殺できなかったはずだ。伝えようとした者がいたはずだと、教訓にしようとした者がいたと調べ始めた。


結論から言えば、祖父は争いの記述には辿り着けた。ただ、それは非常に曖昧なもの。邪悪なものがあるという注意喚起の伝承だった。



夜には恐ろしいものが手を伸ばし、神の座す地を汚そうとする。悪は黒に染まった人々を操り、神の民を屈服させようとする。夜と悪から目をそらせ。神の民である我らが屈してはならない。先祖達は勝ち得たのだから。



抽象的ではあるが、争いがあったとは分かる。恐ろしいものと言うのも、イルルラルバの名を伏せて伝えているのだろう。


オーレリアは神話の古い本を閉じた。椅子から腰を上げると、ティーテーブルに向かう。

白く塗装されて木製の薔薇の装飾が足を飾るテーブルには、ふかふかに焼き上がったパンケーキの皿が置いてある。とろりとした生クリームがかけられ、中央に二つの大きな苺が乗せられているパンケーキは、非常に食欲をそそられるだろう。

胸焼けのような感覚がなければ、オーレリアはすぐに頬張っていた。


神話の本をパンケーキの皿に触れないように置く。その下にある童話に彼女は目を細めた。

童話は、古くからこの地方都市に伝わっている昔話だった。


愛する夫が戦地から戻ってくれば人が変わっていて、妻である主人公に暴力を振るうようになった。異常な夫に恐怖を感じた妻は、戦地に戻るという彼を追った。夫は戦場にも関わらず、美しい女性を侍らしていた。

その女性は悪魔が人々を堕落させるために遣わせた者。そのような女性は複数人いて、次々に兵士達を虜にしていく。

悪魔の仕業だと知った主人公は町に戻り、王に願った。


『悪魔が兵士達を籠絡させて進軍してくる。どうかこの国を守ってください』


王は兵を派遣して、堕落した兵士達ごと女性達を、悪魔を討伐した。主人公を含める傷付いた女性達は、平和が訪れたと安堵して、犠牲になった夫達を涙ながらに葬る。


この昔話もイルルラルバのことだと祖父は突き止めた。悪魔は勿論、イルルラルバのこと。使役されていた美しい女性達は、その神器に該当するのではないかと。

夫達の変わりようは、女性達によって心を惑わされたから。イルルラルバは人の心を操る美女達が神器。その美女達の成れの果ては神殿の三層に繋がれていた人骨だと祖父は考えた。


オーレリアは溜め息を漏らすと、ティーテーブルと同様のデザインをした椅子に腰を下ろす。

パンケーキの香ばしさは胸焼けを助長させた。


人が神器になりうるか、などは愚問である。

祝福の女神エルンの神器は、自身が人間の男性と交わって生んだ子供達、またその子である「赤い瞳の一族」だからだ。

悪神の一柱である獣頭神ダルカーンは、自身にそっくりな獣の頭部を持つ「獣人」を生み出して神器とした。

前例があることで、イルルラルバの神器が人を惑わす美女であることはおかしくない。


ただ、祖父が提唱する神器の美女がバーバラに似ていると感じて、彼女は苦しく思っている。

バーバラは複数の男性達に愛されていた。バーバラに出会って恋に落ちた人、カルロもフレデリックも兄アルバも、オーレリアを傷付けるように豹変した。


(バーバラ様がイルルラルバ神の神器という可能性も・・・いえ、そんなはずはないわ)


愛された人に対する羨望か、邪悪な存在だと思ってしまったことに罪悪感を得る。

何よりイルルラルバは敗退している。その魂がどうなったか不明だが、神話にその後の登場はしていない。力を振るうこともできず、神器も失われているはずだ。


(神器だった女性の子孫がいるなら、力を継承しているかも知れない)


確実な証拠はなく、憶測にすぎない。

一人の女性を邪悪だと判断することに心が締め付けられたオーレリアは、ゆるゆると頭を振って考えることを止める。


「思い込むなんて良くないわ・・・バーバラ様がいなくとも、私は愛されなかったのかもしれないのだから」


パンケーキと一緒に用意されていた紅茶は、すっかり冷めてしまっている。それでも口をつけて飲み込めば、胸焼けは和らいだと感じた。


「・・・折角用意していただいたのだもの」


オーレリアは気分を変えるために、パンケーキをフォークとナイフで切り分けて頬張る。少しずつ、ゆっくりと食べれば、完食したと同時に祖父が帰宅したという知らせを受ける。

イルルラルバの神殿遺跡に関して、発掘責任者である祖父は登城していた。屋敷から王城のある王都からは三時間ほどかかるが、日が落ちる前に帰ってきてくれたことに安心する。


「進展はあったのかしら」


オーレリアは音を立てずに椅子から腰を上げると、落ち着いた足取りでエントランスに向かった。祖父を出迎えようとする。

二階にある自室から歩き進み、エントランスが吹き抜けのため、二階部の欄干から覗き込んだ。

祖父は祖母の出迎えを受けていて、従者に脱いだコートを手渡していた。


「全く、陛下は休養されているなどと言って中々取り合わなかった。本来なら正午過ぎにこちらに戻っていたよ」


「お疲れ様です。登城時間が悪かったのかもしれませんね」


「どうだか。王妃共々部屋にお籠りになられて反応がないと言われてね。仲が良いのは素晴らしいことだが、ご自身の立場を考えてほしいものだよ」


「まあ」


クスクスと祖母は口元に手を当てて笑う。そのまま「羨ましいですわ」と腕を絡めて寄り添った。祖父の目は優しいものに変わる。

祖父母の仲の良さに口元を綻ばせたオーレリアは、階段を降りて出迎えた。


「お帰りなさいませ」


「ただいま。ああ、君とオーレリアがいると体の疲れが一気に取れるよ」


「お上手ですわね」


身を寄せたままの二人に歩み寄る。


「お祖父様、イルルラルバ神の神殿はどうなりましたか?」


「宰相から国王陛下に言付けていただくことになったが、国が保全することになったよ。出土した畑の所有者を管理人に任命して後世に残すそうだ。所有者の農民も路頭に迷わず済んでよかった」


一時はバルザドール家に奪われそうになったが、国の管理下ならば安心できる。

祖父は「農民の彼が士官学校出なのも幸いしたね。管理職の資格も得やすいだろう」と言葉を続けてくれた。

安堵に息を漏らしたオーレリアだったが、祖父は何事か思い出して顔を顰める。


「そうだ、オーレリア。暫くは外出を控えようか」


「なぜですか?」


「カルロ殿下が君に会いたいと訴えられた。いわく、社交の場に現れないルヴァンの花が気になってしょうがないらしいよ。私としては、先日のフレデリック殿下のこともあって君を王子殿下達には会わせたくないと思っている。私の後継者に不純な気持ちで近付いてほしくないね」


「・・・そうなのですね」


血の気が引いた感覚を得る。

決して会いたくはない人。以前、兄を使って呼び出しを受けたが、友好関係を築くつもりもない。


「遺跡の実地調査も大方は終わった。私も書類に纏めて学会に提出をするから、君も手伝ってほしい」


「まあ、オーレリアを勉強詰めにされるつもりですか?貴方ばっかりご一緒しているではありませんか。わたくしもオーレリアを愛でたいですわ」


「遊びではないんだよ、リヴァ」


「調査員相手にオーレリアの可愛らしさを自慢していたと耳にしています。わたくしは騙されませんわ」


祖父母の戯れ合いなどオーレリアには届かない。

暴力を振るってきたカルロの姿を思い出し、苦しむ胸を手で押さえるだけだった。

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