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婚約

新年祭が過ぎて二月。

身を切るような寒さの中、襟元や袖口にファーのあるコートを着たオーレリアは、父親の手を借りて馬車から降りた。

王城に隣接する庁舎に足を運んだ彼女は、父親のエスコートを受けながら進む。複雑ではないが広い庁舎内を歩き、階段を上って三階層へ。

奥にある豪華な金細工の両開きの扉まで連れられると、まずは着ていたコートを従者の一人に手渡した。

オーレリアは、フレデリックの色をしたリボンを背中に流した髪に飾り、十一歳の誕生日に贈られたマンダリンガーネットのネックレスが胸元を飾っている。橙色のストレートラインのドレスは、細やかな白いレースの上掛けがあることで繊細な美しさがあった。落ち着きのある優美な姿のオーレリアは、緊張から小さく息を吐く。

先行していた従者がその取っ手を引き開いた。手前まで進み、並んでいる父親と歩みを止める。

室内にある長机の上座の席に座る国王夫妻と、その斜め前の席にフレデリックが座っている。

父親と共に頭を垂れたオーレリアは、国王陛下の許しを得たことで、頭を上げた。


「ルヴァン公爵、オーレリア公爵令嬢。席につくように」


「失礼します」


手で示された席に向かう。オーレリアは王妃殿下の斜め前に座った。正面で微笑んでいるフレデリックに笑みを浮かべる。

恋人を熱心に見つめる彼女の隣の席には、父親が座った。その顔は僅かに緩んでいて穏やかだった。


「では、カルネアス王国第二王子フレデリック・ダリオ・カルネアスとルヴァン公爵家令嬢オーレリア・エドナ・ルヴァンの婚約調印式を始める」


国王陛下の言葉に、オーレリアは愛するフレデリックに向けていた顔を引き締めた。姿勢正しく座る彼女に、正面にいるフレデリックの顔も真摯に引き締まる。


「双方とも、少年期の交友から仲が違えることなく十六の歳を迎えた。約束に則って婚約を交わす。今も気持ち変わらずならば、婚約証書に署名せよ」


王室典礼を取り仕切る高官が、婚約証書を机の上に乗せる。先に万年筆を手にしたのはフレデリックで、彼は素早く達筆な字で署名をすると、オーレリアの目の前に証書を押した。

彼女も万年筆を持って、お手本のような美しい字で署名する。二人の名前が記入された婚約証書を、国王陛下へと差し出す。

受け取った陛下は、証書と署名の確認をするとゆっくりと頷いた。


「これにより、フレデリック・ダリオ・カルネアスとオーレリア・エドナ・ルヴァンの婚約を認める」


滞りなく承認されたことに、オーレリアは安心から表情を緩めた。向かい合うフレデリックも優しい表情を浮かべている。

正式に婚約者になれた。その喜びは計り知れず、胸の奥に温かさを得る。式の最中でなければ、フレデリックに抱き着いていただろう。


(落ち着かないと・・・)


誰にも分からないように深く息を吐くと、高鳴る心臓の鼓動を落ち着かせようとする。

もはや、王太子であるカルロの婚約者になることはない。王家は一度決めた婚約の解消は勿論、破棄など以ての外である。カルネアス王家には誠実さが求められているからだ。側妃制度は中世期に撤廃され、王妃との間に子ができない限り、愛人を持つことも認められない。禁止とされているわけではないが、貴族階級も平民階級から凄まじい非難を受ける。

以前のオーレリアならば不思議な思いつつも、移り気を許さない国民性だと無理矢理納得していた。

今ならば分かる。過去に四度ほどあったこと。王家には、婚約破棄までして別れた婚約者を再び得るために騒乱を起こす者がいる。カルネアス王家の性質と言われるほど根深いものだった。

現在の王家は如何様な理由があったとしても婚約破棄はできない。不誠実を許さない国民から厳しい目を向けられないために。


(だから、時が戻る前はカルロ様と婚約解消ができなかった。どんなにバーバラ様を愛していても、私がいるから婚姻できず、その怒りを私にぶつけていた・・・でも)


ならば、バーバラはなぜ愛人のようにいられたのか。カルロはオーレリアと結婚する前から、バーバラとの関係を自ら広めていた。愛しているのはバーバラだけだと、婚約者であるオーレリアを蔑ろにしていたのに、国民から非難はされなかったのか。学園在学中でも同級の子女とその親に、王城務めの貴族達にも祝福されていたが、本来ならば嫌悪と拒否感を持たれるはずなのに。


(カルロ様だけじゃない。フレデリック様もお兄様も、ロノヴァ様を含めた他の貴族の方ともバーバラ様は愛し合っていた・・・どうして、許されていたの?)


考えても分からない。

頭痛すらしてきたオーレリアは、こめかみに手を当てる。鈍い痛みを抑えようとするが、考えを遮るように痛みは続いた。


「オーレリア、大丈夫?」


心配そうな声色。フレデリックに声をかけられた彼女は、長机の天板に向けてしまっていた視線を上げた。眉を寄せる愛しい人の顔を見たことで考え事は霧散し、そのまま頭痛は引いていく。


「いえ、何でもないわ。少しだけ思い耽ってしまったの・・・やっとあなたの婚約者になれたから」


「そう。でも、婚約期間は短いから感慨深く思う時間は少ないよ。一年以内に婚姻となるはずだ」


「まあ・・・想像以上にお早いのですね」


確かに早く結婚するとフレデリックは言っていたが、あまりの早さに驚いた。目を丸くさせたオーレリアは国王陛下に言葉と視線を向ける。

苦笑いを浮かべている陛下は、隣に座る王妃殿下と目を合わせている。王妃殿下も、困ったような笑みを浮かべていた。


「今より陛下が命じるというのに」


「気の早い奴め・・・まあ、よいか」


深く息を吐いた国王陛下は、真剣な表情を浮かべた。気が緩んでいたオーレリアに緊張が走る。


「まずは、オーレリア・エドナ・ルヴァン。貴殿は前ルヴァン公爵であるアルスター・タイタス・ルヴァンの後継者となる。前公爵が担っていた発掘事業を引き継ぎ、ルヴァン公爵家から分家を起こす。ルヴァン公爵、貴殿も承認したな?」


「はい、承認しております」


父親の返答に国王陛下は頷いた。


「貴殿にはルヴァン公爵家が保有していたユーディット侯爵位を叙爵する。ただ、貴殿はこれから学生となる。叙爵は学園の卒業後となろう」


「・・・はい、畏まりました」


ルヴァン公爵家が保有していた爵位の中でも高位である侯爵位を叙爵されることに、オーレリアは驚きと恐れを抱くが、表に出さないように努めた。張り裂けそうなほど痛くなっている鼓動を耐える。


「ユーディット侯爵位の叙爵の理由は、貴殿がフレデリックを配偶者とするからだ。王子が婿となるのだからな。貴殿との婚姻でフレデリックは王族籍を抜ける。共に侯爵家を盛り立てよ」


「は・・・はい」


彼女は驚きが続いて気の抜けた声を出しそうになるが、急いで唇を引き締めると、しっかりと答えた。


(そうだわ。フレデリック様は私と結婚する。私はお祖父様の後継者として爵位を得るのだから、フレデリック様は王族籍ではなくなる・・・そこまで考えがいかなかったわ。物事はしっかりと考えないといけないのに、気が抜けていた)


自分自身に呆れながら、オーレリアはフレデリックへと視線を向けた。変わらず穏やかに微笑んでいる彼の顔。反意はないと示している。


「そして、ユーディット侯爵家には第二王子の持参金として王家の領地を授ける。グリオス平原と北西部。ブラスの居城跡のある湖と周囲の山間部をユーディット侯爵領とする。これらはルヴァン公爵との会合で決定したことだ。王家が持て余した地をフレデリックと共に治めよ」


「・・・はい」


衝撃を受けて喉が震えるが、彼女はしっかりと返答をした。

フレデリックと共にグリオス平原と北西部、ブラスの居城跡のある地帯を治める。王家から賜った地の領主となる。ブラスとイレーヌの思い出の場所を。


───・・・また、あの地でご一緒に過ごせる。


淡い想いは泡沫となって消えたが、オーレリアの心に浸透していった。


「ありがたく頂戴致します」


頭を垂れた彼女に、国王陛下は笑みを零した。見えはしないが、慈愛の眼差しが向けられている。


「面を上げよ、オーレリア」


言葉に従って顔を上げれば、真摯な眼差しを向けた国王陛下の顔。その視界の端、なぜか複雑そうに微笑む王妃殿下が映る。


「そなた達は無事に婚約と相成った。俺の息子は気が早いゆえすぐさま婚姻となるだろうな。まあ、そうだとしても相思相愛だと端から見ても分かる。このまま仲睦まじく過ごせ」


「当然のことを言わないでください」


「気の早い息子よ、口の回りも早くなったものだな」


呆れのある表情で額を手で押さえた国王陛下。困った表情の王妃殿下が背中に腕を伸ばして、慰めるように撫でている。

オーレリアからは父親の表情は分からないが、大きく息を吐いた呼吸音は聞こえた。


「ご心配には及びません。私はフレデリック様と平穏な家庭を築き、領主としても歴史家としても、カルネアス王国にお仕えいたします」


「そんなに力まなくとも大丈夫だよ。僕が君を支えるからね」


対面しているフレデリックは、優しい眼差しを向けてくれる。

彼女は今すぐに調印式の終了の宣誓を願った。溢れ出そうな思いから、早く彼を抱き締めたいとそわそわとする。

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