日々の束の間で
今朝方に投函された新聞を、オーレリアは手にしてサロンへと足を踏み入れる。柔らかな陽光がレースのカーテン越しに降り注ぐ室内では、メラニーがお茶の用意をしていた。
香しい匂いを感じながら、窓際のティーテーブルの席につく。メラニーは、ティーセットごとテーブルに運ぶと、紅茶の注がれたティーカップを置き、食べやすいクッキーの乗った皿も置いてくれた。
「ありがとう」
「日々、書きごとでお疲れでしょう。甘いものは疲れを取ると言われています。ごゆっくりなさってください」
「昼食に響かないようにするわ」
メラニーに笑みを向けると、香り高い紅茶を一口飲み、ナッツが練り込まれたクッキーを一枚頬張る。甘さの中にある香ばしさとザクザクとした食感に、オーレリアは頬を緩めた。すぐに食べ終えると、もう一枚頬張る。
口内が美味しさで満たされながら、彼女は畳まれている新聞を開いた。
「ん!」
「どうかされましたか?」
記事の内容に驚き、それでもまだ口内にクッキーがあることで、飛び出さないように唇を引き締めた。端から見れば気付かれない小さな驚きだったが、絶えずオーレリアに注目しているメラニーは気付いたらしい。
彼女は覗き込むように頭を動かしてきた。気になっている様子に、オーレリアは指先で示して教える。
「・・・まあ!王太子殿下がご療養されているのですか」
「ええ、公務と学業の両立によって心身に疲労が蓄積されたそうね。新年度までは王城で自宅療養されるらしいわ」
「中央学園では生徒会に入られたと聞いております。多忙でしたでしょうから、お疲れになられるのは仕方のないことですね」
「・・・そうね」
カルロの療養についての記事を視線でなぞる。公務をこなせないほどの疲労で、自室からも出られないと書かれている。王家の人々は、分刻みで予定が組まれている。王太子であるカルロも例に漏れずだが、わざわざ王室の報道官が療養を発表することから、即座に復帰ができないほどの体調だと理解できた。
(心身とも強靭で疲れ知らずと言われていらっしゃったのに)
時が戻る前のカルロは、バーバラとの逢瀬に時間を取られがちではあったが、公務も学業も熟していた。むしろ、バーバラとのことを含めて、学園卒業までは休むことなくしっかりと成し遂げていた。彼がバーバラと溺れるような快楽に耽り、公務すら手付かずになるのは国王になってから。
(何かあったのかしら・・・分からないわ。もう時が戻る前とは違うもの。別の世界に紛れてしまったかのように状況も私の評判も違う。この先のことも、どのようになるかなんて分からないわ)
カルロの婚約者にならなかっただけで、世界は一変した。
祖父の後継者も、イルルラルバの神殿遺跡のことも、フレデリックとの婚約も、不明だった古代の王弟の居城発掘も。エイダン第三王子の存在も、時が戻る前とは違う。これからオーレリアを害するはずのロノヴァなど、暴徒の手にかかり亡くなってしまった。誰もが愛したバーバラも、どこにいるのか分からない。
一つの変化よって、迎えうる先の事柄は全て変化してしまったと言っても過言ではないだろう。
オーレリアはカルロの療養に思い耽る。未だに婚約者がいないことで、彼を側で支える人員が一人欠けている状況だ。兄のアルバが側仕えとしていても、完全に補えるものではない。
「快癒されるとよろしいわね」
他人事として言葉にする。他人であるから、ただの新聞の読者として発言をする。
オーレリアにとって、今のカルロはフレデリックの兄でしかない。フレデリックと婚姻となれば義兄になる人。それだけの人。
(もし苦しんでいらっしゃるのなら・・・少しでも苦しみが和らぐようにお祈りしましょう。他人の私にはそれだけしかできないわ)
義兄となる人の体調を慮るだけ。個人的に関わることなど、二度と訪れないのだから。
オーレリアは新聞を畳むと、ティーテーブルの上に置く。その手はティーカップの取っ手を摘んだ。メラニーの注いだ紅茶は少し冷めていたため、何度か喉を上下にして一度で飲み干す。
「お嬢様、お行儀が悪うございますよ」
「ごめんなさい、喉が渇いてしまったの。冷めて飲みやすそうだったから、つい」
「つい、ではありません。すでにお支度も済んで一日が始まっているのです。人前では淑女として振る舞ってくださいませ」
「メラニーは私のお姉様みたいな存在よ。家族の前ではありのままでいたいわ」
「私は厳しい姉ですので、妹であらせるお嬢様にはしっかりしていただきます」
きっぱりと答えたメラニーは、オーレリアのティーカップに新しく紅茶を注いだ。香りを湯気と共に立てる茶褐色を見ながら、彼女は不満と口を尖らせる。
「厳しいわ」
「私のお嬢様です。決して淑女としての姿勢を乱されないと期待しております」
ツンと尖った唇にティーカップを運び、一口飲む。音を立てずにソーサーへと戻せば、メラニーは満足だと笑みを浮かべて頷いた。
「いるかな?」
オーレリアがクッキーを摘もうとしたとき、サロンのドアの向こうから声が聞こえる。
すぐにノックをされたことで返事をすれば、ドアを開いた祖父が入室してきた。穏やかな顔と落ち着いた足取りに、緊急性はないものだと分かる。
「ここにいたんだね、オーレリア」
「私をお探しでしたか」
彼女は迎えようと椅子から腰を浮かせたが、祖父は手を振ることで制した。
座ったままで、それでも背筋を伸ばしたまま祖父の言葉を待つ。
「執筆の休憩中だったかな?すまないね。君の入学について、ある程度目星が付いたから話そうと思ったんだ」
「そうでしたか」
祖父は向かい合う席に付くと、ティーテーブルの上に視線を向けた。メラニーによって新たに用意された紅茶のティーカップ、少し量の減ったクッキーの皿。そして、カルロの療養についての記事が書かれた新聞。
新聞を目にした途端、祖父はうんざりと顔を顰めて溜め息を漏らしたが、オーレリアと視線が合ったことで取り繕った。入室時と同じ穏やかな顔で話を始める。
「君の学園入学に際して、歴史考古学と地質学は重要だ。歴史家として更に見識を深めるために、その二教科は必須となる。そして、君自身に関することは最重要だ。相変わらず人目を引く、関心を抱かれている。皆が君に近寄ろうとするだろう。ただ、どの学園だろうとも構内は教師と生徒のみとなる。人を惹き付ける君の安全を確保するためには、雑多な階級の子女が通う学園は選べない。もとより、公爵家令嬢はそのような学園に入れないからね。騒ぎだけではなく、事件に発展するのは必至だ」
「そうですね」
相槌を打つが、その顔は暗い。彼女は、自分という者が騒ぎの火種になると今までの経験で理解している。もはや、自分は醜いはずだという先入観は当てにならない。
ロノヴァのように、犯罪に手を染めてまで近寄ろうとする者も、少なくはないだろうと考え付いてしまう。
「私という者が皆様に影響を与えるとは理解しています。何かしらの事件に発展するとも、様々なことのおかげでよく分かりました。ただ、学園に入学をしないという選択はありません。半端者では爵位をいただくことはできませんから」
「そうだ、だから吟味をしたんだ。この屋敷からも遠くなく、安全性も高い。何より高位の貴族が通っても異様とは思われない学園。中央学園ならば条件は満たしているが、この王太子が在学していることで選択できない」
祖父は厳しい眼差しを新聞紙に向けたが、すぐにオーレリアに向き直り、優しい笑みを浮かべた。
「この地方都市の西部に条件に見合うサウスレイク学園がある。歴史も古く、『あのクライン侯爵家』の管轄ではあるが、防犯は優れていて貴族の学生も多い。何より選択単位制だから、君の興味のある教科と必須教科の単位を取れば、無事に卒業できる。多少、懸念はあるが、選択として最悪ではない」
「・・・サウスレイク学園でしたら少し知っています。確か、全寮制だったはずです」
「そう、それが懸念点だ。長期休み以外は寮で暮らさなければならない。もし学園内で君に害を与える者がいても、すぐに私が助けることはできないんだ。一応、特別な護衛というか、君の助けになる者を派遣することはできるけどね。非常に不安ではある」
「・・・サウスレイク学園以外だと、条件に見合うのは中央学園のみになってしまうのですね?」
「そうだねぇ・・・ああ、本当にカルロ殿下という存在が厄介極まりないよ。療養期間も君の入学時には終了している。顔を合わせないなんてあり得ないだろう」
祖父は深く溜め息を漏らすと、椅子の背もたれに深く寄りかかった。疲労を感じる様子に、オーレリアも苦笑いを浮かべてしまう。
「・・・少し考えてみます。サウスレイク学園の資料などあれば参考にしたいのですが」
「勿論、取り寄せよう。まだ時間はある。君も調査記録の執筆があるし、棚上げをしても間に合うよ」
祖父は自分の紅茶のカップを取り、一口飲むと「メラニー、スライスレモンはあるかな?さっぱりと飲みたいんだ」と、控えていたメラニーに頼む。
すぐさま用意を始めたメラニーを視界に捉えながら、オーレリアは物思いに耽けようとした。
自身が通える学園。サウスレイク学園か、中央学園か。どちらか選ばねばと、考え込もうとする。
「失礼します」
またサロンのドアがノックされる。ハッとして彼女が顔を上げれば、祖父の許可を得た執事が入室した。執事は、右手に持っていた手紙をオーレリアに差し出す。
「お嬢様に、フレデリック王子殿下から書状が届きました」
「ありがとう」
彼女は受け取ると、フレデリックの印章で蝋封されていた封書を開き、手紙を取り出した。
綺麗な文字で書かれていたのは、お祝いに関すること。
───・・・オーレリアへ。
突然の手紙で驚いたかもしれないけど、緊急事態というわけじゃないんだ。もうすぐ君の誕生日なのでペンを取った。
君という素晴らしい人が生まれたかけがえのない日。僕にとっても喜びの日。もし叶うなら、その尊い日を僕と過ごしてほしい。
この望みを叶えてくれると願っている。
フレデリックより、愛を込めて・・・───。




