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様々な愛を向けられている

再び部屋のドアがノックされて、うっとりと熱を帯びた目をしたオーレリアは、フレデリックの膝から降ろされた。

ソファに座らされたことで、ぼんやりした顔を上に向ける。じっとりと欲の滲む眼差しの彼は、親指で彼女の唇をなぞった。

ぞくりとした感覚に体の熱は高まるが、オーレリアは恥ずかしさから顔を伏せ、唇を指先で隠す。いやらしいキスに夢中になっていた己を恥じるが、同時に気持ち良さが名残を与えていた。もっとキスを、という欲が湧き上がる。


「どうした?」


「監視役から知らせが来ました。カルロ王太子があと二十分ほどで帰城されるようです」


「早いな・・・オーレリアが登城していると知られたかな?」


カルロの名に彼女は肩を跳ね上げる。

このまま王城にいてはいけない。バーバラに出会っていない様子のカルロは、オーレリアに妙な執着をしている。鉢合わせでもしてしまえば、彼は荒ぶりながらオーレリアを求めるだろう。

不安に歪む顔を上げてフレデリックを見れば、ドアから半身覗かせているミオと話している。彼は、その瞳にオーレリアを映すと、ドアを大きく開いて手を差し出してきた。


「折角、君とのかけがえのない時間を過ごしていたのにね。あの『兄上』は短絡的で遠慮などもしない」


「・・・」


体の熱は冷めていく。思考も冴えた彼女は、返答できずに微笑みだけを浮かべようとした。だが、頬が引き攣ってしまい、苦笑いになってしまう。


「別の客室にいたアルスター殿もエントランスに向かったそうだ。君も、名残惜しいけれど今日はお別れしよう」


「・・・ええ、残念だわ」


弱々しい声で答えると、ふらりと立ち上がり、フレデリックへと歩み寄る。足に力が入らないのは、彼と別れ難いという気持ちよりもカルロに対する恐怖心があるから。

どうしても時を戻す前に受けた暴力と、怒りの形相で発する暴言を思い出してしまう。脳裏にこびりついて一生忘れることはないだろう。

カルロ本人がいなくとも、名前を聞いただけで震え上がってしまう。


「・・・大丈夫だよ、今のカルロは学園で馬車に乗ったあたりだ。どんなに急いでも十分以上は時間がかかる。それまでに、早く」


フレデリックが差し出していた手に触れれば、すぐに握り込まれて、オーレリアは体を引かれるように王城の廊下を進む。


「少し急ぐ。足元に注意してね」


「分かったわ」


先行く彼の後頭部を見ながら答える。フレデリックも少し焦っているようで、後ろに振り返る余裕すらないと感じた。


(カルロ様と顔を合わせてしまったら、喧嘩では済まないのね)


そう思いながら歩き進む彼に従い、王城のエントランスに辿り着いた。待っていた祖父と合流すると、フレデリックと握り合っていた手が離れる。

振り返れば、見えたのは真剣な顔。


「僕もすぐに別宅に帰る。向こうで会おう、オーレリア。ブラスの埋葬も僕はついて行くからね」


「ええ、またあちらで」


オーレリアは、祖父と共に王城を後にした。馬車に乗って王城の城門を潜ると、門前の大通りを進む最中、速度のある馬車とすれ違う。目に留まった紋章から王族の馬車だと分かり、カルロが乗っていると気付いた。

馬車の窓から身を離した彼女は、姿を隠すためにカーテンを引く。


「危なかったね」


乾いた笑いを漏らしながら祖父は言う。オーレリアはぎこちなく頷くことしかできなかった。






ルヴァン公爵家の邸宅に帰った彼女。祖父に手を借りて馬車を降りると、すぐさまエントランスへの扉に向かう。

長年勤めているフットマンと言葉を交わし、彼が開いている扉を祖父に続いて潜る。

生家の慣れ親しんだエントランスを縦断するように進めば、母親と祖母、そして兄のアルバがいた。彼らは話していたようだが、母親がオーレリアに気付いて手を振れば、アルバは振り返って目を見張る。

彼女の帰宅に驚いているようだった。


「オーレリア・・・」


「おかえりなさい」


驚愕しているアルバを置いて、母親と祖母は朗らかに出迎えてくれる。オーレリアは会釈をして、三人に歩み寄った。

祖父は祖母に帰宅の挨拶を交わし、コートを脱いで手渡している。それを尻目に、彼女は母親とアルバに笑みを向けた。


「只今帰宅いたしました」


「国王陛下への謁見は無事に終わったのね。報告したいことは全て言えたの?」


「はい、きちんと伝えることができました。私のことも歴史家と認めてくださいました。私の功績だとお言葉も賜ることができて・・・私、夢を叶えたのです」


改めて感慨深く思うことで涙が浮かんでくる。その涙を指先で拭い取ると、オーレリアは口元を綻ばせた。

母親は嬉しそうに微笑みを浮かべていて、アルバは彼女のことを凝視しているだけだった。


「ジルベールにも報告しなければいけませんね。お時間はあるかしら?夕食はこちらで食べていくのよね?あなたの好きなものばかり用意したから、沢山食べて欲しいわ」


「アマリア、九時前には南方の屋敷に帰る。それまでに支度をしなければいけないんだ」


「まあ、そうなのですね。折角ですから泊まってくださればよろしいのに、残念ですわ。オーレリア、夕食のお時間になったら呼びます。それまで邸内でゆっくり過ごしてね?」


忙しなく動き始めた母親は、祖父母に声を掛けると、二階の客室に向かって歩き始めていった。

オーレリアは眺めていたが、ふとアルバと二人きり・・・警備と護衛の騎士達はいるが、二人になったことで頭を下に向ける。その瞳には深緑色のドレスの裾が視界に映っていた。


(こうして顔を合わせるのも久し振りだわ)


どう声をかけたらいいのか分からない。帰宅の挨拶も、アルバは言葉を返してくれなかった。

驚いたまま固まっているように見えた。彼女は様子を窺おうと視線だけを兄に向けるが、いつの間にか目の前にいたことで、今度は彼女が目を見張る。


「お、お兄様」


アルバは震えた声にも応えず、オーレリアの髪に、飾っている銀の百合の花の髪飾りに触れた。彼自らが手渡してくれた誕生日の贈り物を、指先でなぞっている。


「・・・おかえり、でいいのだろうか」


呟いただけの言葉。彼女は目を瞬かせると、その目を笑みで細めた。


「はい、只今帰宅しました。お兄様、お久し振りです」


アルバは髪飾りへと向けていた憂い帯びる眼差しを、彼女の顔に向ける。同じ紫色の瞳は、戸惑いで揺らめいていた。


「オーレリア」


「・・・はい」


「帰ってきたんだな」


「ええ、一時帰宅ですけれど」


「俺は君をカルロ殿下に渡そうとしたのに、こうして言葉を交わしてくれるんだな」


言葉に詰まった。

やはり、アルバは護衛騎士達に指示を出してオーレリアを誘拐しようとした。分かっていた、状況証拠も証言もある。ただ、彼女には本人の口から聞くまでは信じたくはなかった。あれは護衛騎士達の独断の行動だったと、兄は無関係だと思いたかった。


「・・・お兄様」


「この髪飾りも、こうして付けてくれている。君の知らないところで罪を重ねている俺が贈った物なのに、大切な物のように使っている」


罪とは何だろう。

そのような疑問が浮かぶが、思い詰めた表情に彼女は言葉を飲み込んで、自分の気持ちだけを伝える。


「大事なお兄様から頂いた大事なものですもの。国王陛下への拝謁こそに身に付けるべきだと髪に飾りました。お兄様の髪飾りは、公爵家の者としての気品を高めてくださいます」


「そうか・・・そう・・・大事な兄か。すまない、オーレリア。君のことをカルロ殿下に渡そうとした。殿下の妻になることが君の幸せになると思って、俺は」


髪飾りに触れていた手が落ちて、指先でオーレリアの頬をなぞると、そのまま包まれる。温もりがあるはずなのに、アルバの手は非常に冷たかった。血が通っていないとすら感じてしまう。


「俺は君を幸せにしたい。カルロ殿下では君は幸せになれないとは思う。だが、それでも俺は殿下に忠誠を誓っているんだ」


「ええ、そうですね。お兄様はカルロ様の忠臣になられるのですから」


「忠臣?オーレリア、それは」


時が戻る前のことを思い出したせいで、口走ってしまった。

急いで口を真一文字に閉ざした彼女は、頬を包むアルバの手に自身の手を重ねると、頬から離した。兄の手はやはり冷えていると、両手で包んで温める。


「お兄様は裏切ることができません。また私をカルロ王太子殿下に渡そうとされるでしょう。命じられたのなら従うしかありません・・・仕えていらっしゃる主ですもの」


「でも」と、オーレリアは言葉を続ける。


「それでも私の大事なお兄様には変わりません。こうしてお話できることも嫌ではないのです。以前のお兄様は私を、私に冷たくされていたと感じました。お声をかけていただけるだけで、以前とは違うと思っています」


「ああ、そうだ。俺は変わった。変わるしかなかった。冷たく恐ろしい兄のままだと君を失ってしまうから」


向かい合うアルバの顔が、泣き出しそうな表情を浮かべる。彼は、自身の手を包むオーレリアの両手を、もう一方の手で触れると包むように握り締めた。


「大切だ、君のことが大切なんだ。俺に笑いかけてくれるだけでも救われる。君が好きなことに夢中になって、何事もなく無事に生きている。それだけで、構わないのに・・・殿下を裏切ることができない」


(お兄様は以前の記憶があるのかしら?)


聞くべきかと迷うも、アルバは項垂れることで顔を隠した。聞こえる嗚咽。丸くなって震える体を、彼女は眺める。


「・・・お兄様、夕食まで時間があります。庭園では寒いですから談話室で休憩しましょう。私の発掘調査のお話など聞いていただきたいわ」


およそ十分ほど。弱る兄を見守っていたオーレリアは、その小さくなっている背中を手で撫でて身を寄せると、談話室へと向かった。

気持ちと使命で引き裂かれそうなアルバの心が、少しでも癒えるように。

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