思い耽りながらも先に進む
湖の畔に作られた土の道を、オーレリアはゆっくりとした足取りで歩く。
早朝の森の中は霧が立ち込めていて、清らかな水を湛える湖の上にも白のヴェールのように揺らめいていた。
新鮮な空気を吸い込んで、肺に取り込み、ゆっくりと口から吐き出す。身に着けているのは、白い長袖のシャツとモスピンクのワンピース。夕日色のリボンで、金の髪をポニーテールに結い上げている。彼女の歩みに、ワンピースの裾とリボンが揺れていた。
畔を歩く姿は、さながら花の精と言っても過言ではない。だが、その美しい紫色の瞳は憂いを帯びていた。
ブラスの居城の発掘調査は終わりに近付いている。城壁を含めた全体が地中から掘り起こされた。資料との照らし合わせと出土品から、推測交じりではあるが形状も間取りも判明させた。
現存していた地下室の中も精査され、収納物の解明も終わっている。
ブラスの遺骸があった周辺に山となっていた木くずも精密に調べられ、家具類や台座だと判明し、布繊維が検出された。腐敗で詳しくは分からないが、細やかに織られた布地の一部とされ、オーレリアの立てた仮説通り、花嫁衣装ではないかと推測されることになった。
湖の水面を見ながら歩いていた彼女は、立ち止まると後ろに振り返る。
調査員達の天幕群が見え、その奥にある少し高くなっている台地にはロープが張り巡らされていた。境界のためのロープは、ブラスの居城の位置を示すもの。
夢で立っていた位置から、夢で見た角度で今は原形のない小城に想いを馳せる。
仮説を決定付けたのは、僅かな欠片として見つかった布繊維ではなかった。ブラスが握っていた金細工が、その遺骸を崩壊させることなく引き抜くことが成功し、判明した事実が後押しとなったからだ。
金細工は、マーガレットの花を三つ寄せたデザインの髪飾り。多少、汚れていたが細やかな細工はそのままで、古代の言葉が彫られていた。
『最愛の妻 イレーヌ』
祖父からカルネアス古語を習ったオーレリアにもはっきりと読めた。
ブラスが、花嫁として迎えるイレーヌに贈るはずだった髪飾り。記録では婚姻関係ではなかったが、彼はすでに婚約者のイレーヌを妻と思っていたのだろう。
婚約を結んだ瞬間、兄に奪われるとは思わず、きっと婚礼の日に渡そうとした愛の贈り物。
「お返しして」と、調査員に一言告げたオーレリアは、悲しさから涙が浮かびそうになり、湖の散策に逃げた。自身の心の弱さを感じながら、ただ霧を揺らめかせるそよ風を受ける。そっとポニーテールを作るリボンへと手を向けた。フレデリックの色のリボンはずっと彼女と共にある。
ブラスはまさに悲恋の王弟。最愛の女性を奪われて、取り戻そうと兄に戦を挑んで敗死した。二度と愛するイレーヌと会うことなく、彼女を置いて土の下で死の眠りについた。
今際の際で、どれほど苦しんだのか計り知れない。兄である国王ロブロスへの憎悪は凄まじいものだっただろう。奪われたイレーヌを想い、悔しさでどれほど心が引き裂かされそうになったことか。
───・・・でも、またお会いできた。
ふと心の奥底から浮かぶ思い。オーレリアはすぐに怪訝に思ったが、その胸に手を添えれば、温かさが灯る。浮かぶのはフレデリックのこと。心の中心にある人を想えば、苦しみが紛れていく。
奥底から湧き上がるようにあった思いも、気にする前に溶けるように消えていった。
「戻りましょう」
一人で散策したいと、メラニーにもアンセムにも訴えたことでついてきてはいない。湖の周辺には、警備のためにルヴァン公爵家の騎士達が巡回しているからだ。この地に彼女を害する者は近付けない。
だから、オーレリアの言葉は誰に言ったものではなく、自分自身に対してのもの。悲しさで泣いている場合ではないと、歴史に刻まれることになる王弟の悲恋と向き合うために、来た道を戻った。
「オーレリア、陛下に謁見を望まれたよ」
季節は秋。ブラスの居城の発掘調査を終えて、現場から去る日の二日前。
オーレリアが発見した城遺跡は、グリオス平原の憲兵達とルヴァン公爵家の騎士達によって警備がされることになった。
すでに木こりと土木作業員が家族ごとこの地に住んでいることで、小規模な集落となっている。土地で暮らす人々のために、コルツ町から商人もやって来た。発掘調査の合間も周辺の開拓は進み、馬車による交通も開始されている。
そのうちに村と認定され、村民となる住人達は悲恋の王弟の城遺跡を守っていくだろう。彼らは、ブラスを英雄として祀っているグリオス平原と北西部の人々。安心して預けることができる。
「発掘調査の報告をしなければいけないからね。ブラスは、三代国王ロブロスの治世では王族から抹消されていたが、四代国王グリフィスが王族に復活させている。今でもカルネアス王家の祖の一人。子孫である現国王陛下への報告は必須になる」
「はい、国王陛下から現地の開拓と発掘のご許可を賜りました。発掘の監督者として、謝辞と報告はしなければなりませんもの」
祖父は笑みを浮かべて頷くと、座っていた椅子から腰を上げてオーレリアへと歩み寄った。
向かい合うと彼女の肩に手を乗せる。
「陛下には、調査内容とブラスの遺骸の発見は伝えているんだろう?」
「はい、城遺跡の発見時に速達で書状を送りました。ブラス王弟殿下の発見の時も送っています。その後の調査の全容は簡潔ではありますが、終了時に書状を送りました」
うんうん、と頷く祖父。
オーレリアの仕事の速さに感心をして、満足だと笑みを濃くする。
「では、この地を離れる準備をしようか。一旦、コルツ町に戻ってリヴァにも報告だね。定期的に帰っていた私はともかく、君は現場から離れなかったんだ。帰るたびに心配だと言われていたよ。君自ら無事な姿を見せないとね」
「お祖母様にはご心配をおかけしましたもの。結果を出せたことのご報告をしたいです」
「そうしてあげなさい」
祖父は身を離し、座っていた椅子の側にあるテーブルにある紅茶のカップを手に取る。
「君も立派な発掘調査員で歴史家となった。私は後継ぎに恵まれたねぇ。まだ十四の・・・いや、あと三カ月すれば、君は十五歳になるのか。十五歳の公爵令嬢が歴史家として名を馳せるとは・・・うーん、我が一族の才を引き継いだ才媛に他ならないな」
「褒めすぎです、お祖父様」
手放しの称賛に気恥ずかしさを覚えたオーレリアは、うっすらとした桃色の頬を朱色に染める。熱さを感じて、両頬に手を当てた。
「しかし、もうすぐ十五歳ということは、そろそろ学園への入学を考えないとね。国の政治や領地の経営のために貴族子女は必ず入学をしなければならない。どの学園でも構わないけど、君が通うとなると制限を設けないとねぇ」
(ああ、そうだったわ)
貴族ならば当たり前のこと。
己の向上と国から定められた義務として、国内外の学園に入学する。学問と教養、マナーを修めなければならない。
家庭学習で身に着けたものでは一人前として認められず、就労もできず、隠居する親からの爵位の譲渡も認められない。
学園への入学は、貴族位ならば狭き門ではないが、きちんと学び、決められた単位は取らなければならない。学園を無事に卒業することが、貴族子女達の人生最初の関門となる。
(三年間通って卒業しなければ、私は歴史家になれず、分家として爵位を賜ることもできない・・・でも)
カルロがいる中央学園には通うことはできない。彼に対する恐怖心があり、何より何故かオーレリアを求めているからだ。
愛しのバーバラと出会ってないとしても、カルロがオーレリアに向けている執着心が純粋に恐ろしいと感じている。
「お祖父様。私の入学についてですが、中央学園には通うことができません」
「勿論、そのつもりだよ。君は私の後継者なのだから地質学や考古学のある学園を選ぼう。公爵令嬢の君が中央学園に入学しないことで、世間は関心を向ける。それはしょうがないことだから我慢をしよう。問題はカルロ殿下だからね。殿下は中央学園で生徒会に入っている。権力を用いて君に接触されては困る」
「・・・ええ、そうですね。配慮してくださり、ありがとうございます」
一礼をして感謝を示したオーレリアは、顔を上げる前に安堵の息を漏らした。




