彼は焦っている
フレデリックによって天幕に戻されたオーレリアは、二人掛けのベンチに腰を下ろすと、肘掛けにもたれて深く座った。
「何か飲み物を頼んでもいいかな?」
「畏まりました、お嬢様をお願いいたします」
心配だと顔を曇らせたメラニーと言葉を交わすフレデリックの後ろ姿。ぼんやりと眺めながら、呼吸を繰り返すだけ。
彼は、天幕の入り口を覆う布を下ろすと、オーレリアに向かって歩き寄ってくる。
穏やかに微笑む優しい顔に、思わず手を伸ばした。フレデリックは彼女を抱き締めると、抱え上げてベンチに座り、横抱きで膝の上に下ろした。
「・・・あぁ」
成長期である彼は、身長も伸びて肩幅も背中も広くなった。カルネアス王家の男子らしい体格になったことで、オーレリアは胸に縋り付いて頬を寄せる。心地良い心音と温もりに、その目を閉じた。
「大丈夫?」
金色の髪に指が絡み、梳かすように撫でられる。優しい声と手付きに、彼女の心は平静を取り戻しつつあった。
「私・・・」
「うん?」
「ブラス王弟殿下の遺骸を前に気が動転してしまって、取り乱したわ。発掘の監督者にも関わらず、調査員の皆様にご迷惑をかけてしまったと思う。あとで謝罪をしないといけないわ」
「大丈夫だよ。君は冷静にあろうと努力して、きちんと指示は出しただろう?まだ少女である君が、死体を前にしてあの程度の混乱で済んだことに皆は感心していたよ。流石ルヴァン公爵家の姫だと褒めていた」
オーレリアはフレデリックの顔を見上げる。癖となっている上目遣いで見れば、彼の夕日色の瞳とかち合った。ずっと見られていたのだと分かり、恥じらいから視線をそらす。
頭上から落ちるのは小さな笑み。
「僕の可愛い人。君を貶めたり、恥じたりする人間はこの場所にいない。皆、まだ若い君がしっかりしようと奮い立つのを知っているんだよ。だから、後ろ向きに考えるのは止めよう。君は監督者として現場を把握して、きちんと指示を出した。彼らは君の指示通りに動いている。それで問題ないんだ。君が気疲れから休んでも、抗議をする者はいないよ」
「私がしっかりとできたのは、あなたがいたからよ。あなたが導くように助言をくださったから、私は監督者として指示を出せた。あなたがいなければ、きっと私はブラス王弟殿下の姿を見ながら泣き伏していたわ」
「僕は君の支えになれているってことだね?君の力になれているようで良かった」
「あなたは・・・私に甘いわ」
小さく息を吐くと、再びフレデリックの胸に頭を預けた。規則正しい心音と呼吸で上下をする胸に、何故か安堵しながら縋り付く。
「・・・そうだよ、僕は君を甘やかしたい。君の唯一の夫として、君が幸せにいられるように言葉を紡ぎ、行動する。君に愛してもらいたいからね」
「夫なんて気が早いわ。それに私はあなたを愛している。これからも、ずっと愛し続けるわ」
フレデリックの手が頬に触れる。その手によって、オーレリアの顔は上に向けられた。
どこか悲しそうに曇った顔。憂いを帯びた眼差し。それでも口元だけは笑おうとしているのか、引き攣っていた。
「本当に君に愛してもらうなんて、きっと・・・いや、止めておこう」
「よろしいでしょうか?」
布で塞がれた入り口の向こうから、メラニーが声をかけてくる。オーレリアの代わりにフレデリックが返事をすると、メラニーは紅茶を淹れたと答えてくれた。
「入ってくれ」
彼が許可をすれば、メラニーは布を捲って入ってくる。銀のトレイに茶器を乗せた彼女は、二人の様子に頬を染めたが、顔には出さずに粛々と紅茶の準備をした。二つの陶器のカップに紅茶を注ぐと、一礼をして退出する。
「君の侍女は優秀だね」
「ええ、勤労で優しくて、気遣いのある素晴らしい人なの。メラニーも私に甘いわ。私のために何もかもをしてくれる」
「主人だからじゃない。君自身が好ましいから侍女は親愛を感じている。君は愛されるべき人だからね」
「・・・私は恵まれているわ」
メラニーの出ていった入り口を見つめて、その視線は天幕の地面に敷かれたカーペットに落ちた。
時が戻る前も、味方としてずっと側にいてくれたメラニー。オーレリアに仕えていたことが原因で、彼女も殺されてしまったが、死の直前まで支えてくれていた。以前と変わらずに側にいる優しい人。オーレリアが夢を叶えるために行動していることで、メラニーが迎える結末も変わっただろう。このまま歴史家としての地位を確立すれば、彼女が殺されることはない。
加えて、今はフレデリックもいる。時が戻る前では考えられないほど優しくなった。気も体も弱いオーレリアを支えてくれる。助けてくれる。オーレリアだけだと一途に愛してくれる人。きっと、バーバラに出会うまでは想い合える。いつか別れてしまうと彼女は思っているが、それまで彼の愛に溺れていたかった。
祖父母も、両親も、彼女の望みを叶えてくれて見守ってくれている。兄のアルバは以前より優しいとは思っていたが、カルロに従い、騎士を使って誘拐しようとした。
(でも、お兄様も私を嫌ってはいないはず。時が戻る前とは違って、大事な妹と言ってくださったわ)
愛情は向けられていると感じて、それでも不安から溜め息を漏らした。
「オーレリア」
思い悩む彼女にフレデリックが声を掛ける。落ちていた視線を向ければ、憂いを帯びた眼差しは変わらなかった。
「君がブラスを目にして意識すら奪われたとき、僕は焦ったんだ」
「まあ、どうして?」
「・・・すでに死者であるブラスに君が奪われると思った。君の愛がブラスに向かうと恐れて、繋ぎ止めようと思った」
オーレリアは目を丸くする。
ブラスに対する思いは胸が痛むほど悲しみ。この発掘現場に来てからは胸の奥、心の奥底で訴えてくる感情めいたものを感じ始めているが、彼女自身はその正体が分からない。死を目の当たりにして取り乱してしまうほどだったが、自分の感情なのかと考えれば、違うと言えた。
何かしら思う気持ちは奥底にある。ただそれだけで、オーレリア自身に恋心や愛情はない、はず。
オーレリアは笑みを浮かべることで目を細めた。その眼差しには熱がある。フレデリックによって抱かされた偽りの愛とはいえ、薬の効果がある今は愛情があった。
「もしブラス王弟殿下が蘇ったとしても、私はフレデリック様だけを愛しているわ。私の愛はフレデリック様だけのものよ」
「・・・うん、そうだね。僕はもういるのに、遺骸の方を選ぶなんてしないか」
言い回しに首を傾げるも、フレデリックは微笑みを浮かべている。頬を包むように触れていた手の親指が、ゆっくりと肌を無でる。
「んっ」
感触にぞくぞくとした感覚を得て、彼女は身を震わせた。
「・・・オーレリア」
囁くように呼ぶ彼は、腰元に巻いたベルトの収納から、いつものガラスボトルを取り出す。天幕の照明を受けて妖しく煌めく濃桃色の液体が入っている。何度も口にした「愛の妙薬」は、ボトルの半分ほどの量になっていた。
フレデリックは口を塞いでいるコルクを抜くと、自身の顔の横に掲げる。
「口を開いて」
「・・・こう?」
言われたことを不思議に思いながらも、少し口を開いた。気の抜けた顔になるとは分かっていたが、言われたから従った。
「愛の妙薬」の効果で、オーレリアは彼の言葉に逆らえない。
「キスをしよう。とても気持ちがいいキスをしてあげる。だから、口はそのままだよ」
フレデリックはボトルに口を付けると、少量だけ口に含む。薬を含んだまま、顔を寄せて、唇を合わせていた。
「んっ!・・・んん・・・」
薄く開いた口の中に注がれて、すぐに彼の舌が入ってくる。彼女の口内を舐め回し、感触に驚いたことで奥に引っ込んでいた舌も絡め取られた。吸い上げられて、擦り合わされて、舐められる。
「っ、ふ・・・ん・・・ぅ」
敏感な舌を刺激されたこと。その刺激が心地良くて、オーレリアの目は蕩ける。目を閉じて舌に受ける蹂躙を享受して、混じり合ったお互いの唾液が口の端から漏れた。
「ぅ、ん・・・ん・・・」
拭い取ることはできない。気持ちの良さに体すらの弛緩して、詰め寄るフレデリックにベンチに押し倒されてしまう。
「ん・・・はぁ、あ・・・ぁ・・・」
強く吸われた舌は、彼が唇を離したことで口から出された。そのまま絡んでいた舌も離れたことで、お互いの舌は透明な糸が繋ぐだけ。
それもプツリと切れてる。残ったのは、乞うように舌を突き出し、恍惚としたオーレリアの表情。
「・・・君と深く繋がりたい」
吐息混じりでフレデリックが囁く。
その言葉の意味が理解できない無垢な彼女は、赤らめた顔をそらし、舌を引っ込めて口を閉ざす。
「気持ち、良かった」
「もっとしたい?」
「ん・・・でも、恥ずかしいの。舌を絡め合うなんて、その・・・いやらしいわ」
「ああ、そうだよ。これはいやらしい行為だ。子を作るときのために、お互いの快感を高めるキスだからね。オーレリア、もう一度しよう。僕は不安なんだ。君が僕に夢中になるように体から」
語るフレデリックを尻目に、オーレリアは両手で顔を覆った。耳まで赤くなった彼女の様子に、彼は口を閉ざして眺める。
「だ、駄目よ。いけないわ・・・子を作る行為は、その、学んではいるけれど、とても恥ずかしくて・・・は、裸で抱き合うのよ?私には、まだ、その、決心ができない。それに、私達は婚約予定というだけで正式な婚約者ではないわ。それなのに、先に子を作るなんて、いけないことよ」
辿々しくも自分の意志を伝えた。それでも、オーレリアは顔を覆う両手を外すことはできない。
閨事は結婚をしてから。正式に夫となった人に自分の体を捧げると教えられている。恋人とはいえ、婚約すらしていないフレデリックに明け渡すことはできない。
彼女としては、お互い成人認定をされていない子供同士という認識だった。まずは十六歳を迎えて婚約者となり、愛情を失わずに婚姻を結ぶ。それから子を作ることをする。
だから、まだ体を委ねることはできなかった。
「まだ、いけないことなの。フレデリック様のお願いを聞くことができなくて、ごめんなさい」
「・・・」
フレデリックは息を漏らすと、オーレリアの上から退いた。顔を隠していることで、彼女には彼の表情は見えない。
もし目にしたら、美麗な顔からは想像のつかない飢えた獣のような眼光を見て、震え上がっただろう。
「君は凄いよ・・・性欲を刺激されているのに、拒否のできる強い意思があるんだから」
弱気で小さな呟きも、オーレリアの耳には届かなかった。
思ったようには進まないもの。ここまでお話が長くなるとは思いませんでしたよ。




