一つの災難を退けて
オーレリアは真っ直ぐに前を向く。見送りにやってきたフレデリックを待ち、彼の姿のみを目で追う。
「離せ、くそぉ!オ、ぐぅっ」
地に伏せられたロノヴァは目に映らない。
やがて、異変に気が付いたのか、フレデリックの馬車はエントランス前には行かずに、車止めの側で止まった。自らドアを開けた彼は驚きの表情を浮かべて、タラップから降りた瞬間に彼女は歩み寄った。押し殺していた恐怖が溢れ出て、歩みが早足に変わりそうになるが、必死に耐えてフレデリックを出迎える。
「オーレリア、何が・・・ロノヴァ・クラインを捕まえたの?」
「どうやら、当家に不法侵入をされた、みた、いで・・・あぶ、なく・・・はぁっ、はぁ」
向かい合う彼の顔、声、存在がオーレリアに安心感を与える。おかげで必死に耐えていた気持ちが溢れてしまった。
荒くなる息遣いに呼応するかのように流れ落ちる涙。ぼやけた視界で手を伸ばせば、向かい合っていたフレデリックが抱き留めてくれた。
背中に回された腕の力強さ、身を包む温もり。優しく頭を撫でてくれる手。彼という存在に抱かれていることで、自分は無事だったと噛み締めて、声を出さずに泣く。
「お嬢様は、その男の手によって一時的に馬車の中で監禁されたようです。声に気付いた我々が救出いたしました」
「そうか、ご苦労さま・・・ロノヴァがどうやって敷地内に入り込んだのか、調査が必要だね。アルスター殿は?」
「旅の前に書類の整理をされているかと。出発まで一時間はありますから」
「呼んできてほしい・・・そいつは、僕の護衛騎士にも監視させよう。素直にクライン侯爵家へ渡すのは、僕としてはあり得ない」
「畏まりました・・・頼んだ」
拘束している騎士に声を送った騎士は、屋敷のエントランスに向かって駆け出していった。
「離せ、クソがっ!」
悶えるロノヴァに、フレデリックの護衛騎士であるミオも加わって、ベルトを用いてきつく縛り上げる。
彼に抱き締められたままのオーレリアは、皆の声や音だけを聞いていた。フレデリックの胸に顔を埋めて、ただ労りを受けるだけ。
「フレデリック殿下」
「ああ、お嬢様!」
数分も経たずに、祖父とメラニーの慌てた声と駆け寄る足音が聞こえた。顔を上げたオーレリアの目に、悲愴と顔を歪めたメラニーの姿が映る。無意識ながら彼女を心配させまいと口元が笑みを浮かべるが、どうしても引き攣ってしまい、一筋涙が流れ落ちた。
「ああ、お労しい。こちらへ、お嬢様。一度お部屋に戻りましょう。お休みになるべきですわ」
「大丈夫、メラニー・・・怖かったけれど、フレデリック様がいらっしゃったら安心しているの。それで、気持ちも緩んでしまって・・・今は苦しくはないわ。大丈夫」
そう言いながらもフレデリックの胸に縋る。安心感を与えてくれる彼から離れ難かった。もし身を離してしまえば、吹き出している気持ちに足元を掬われて、伏せて泣いてしまうと感じ取っている。
「オーレリア」
「大丈夫。ただ、今暫くこのままでいさせて・・・」
離れないオーレリアが見上げれば、フレデリックは口元を緩めていた。それでも彼の瞳は痛ましいと切なく揺れている。
息を吐く。フレデリックの肩口に頭を乗せて、彼女の紫色の瞳は周囲に向けられた。
心配と顔を顰める祖父。表情は変わらずに控えてくれているメラニー。その奥、騎士に囲まれて捕縛されているロノヴァを冷たい目で見下ろすアンセムが映った。
もはや安全だと理解して、オーレリアは目を伏せる。
「見送りにいらっしゃっていただいたところで申し訳ありませんでした。ロノヴァが潜んでいたなど分からず、オーレリアを危険に晒してしまった」
「アルスター殿。あなたの大切なオーレリアに被害がなくて良かった。僕としても安心しています・・・ただ、やはりそいつが侵入を成し遂げたことには疑問がある。一度、警備の人員の調査と見直しをされたほうがいい」
「そのつもりです・・・当家の警備隊長は信頼が置けるので、彼に調査とロノヴァの尋問をさせます。ある程度聞き出せたら、クライン侯爵家に渡しましょう」
「僕の騎士を派遣させても構わないかな?ほぼ婚約者内定となっているオーレリアを狙って害したんだ。個人的に許せない。厳しい精査のもと罰を与えたい」
「ははっ、ジジイとガキがこそこそ話しやがって!小賢しくて笑えてるぜ!っ、がぁ」
二人の会話に割って入ったロノヴァは、顔を地面に押し付けられたようで呻き声を上げる。拘束している騎士の力は強く、何よりオーレリアに危害を加えたことで怒っているようだった。無慈悲だと感じるが、自業自得に他ならない。
彼は、彼女の制止の声に耳を傾けず罪を重ねたのだから。
「聞くに堪えないね・・・警備隊長に預けてくれ。しっかりと話を聞くようにと伝えるんだ」
「ハッ!」
「ミオ、ついて行ってくれ」
「畏まりました」
拘束具となっているベルトを掴み上げられたことで、ロノヴァは強制的に立ち上げられた。
引くように連れて行く騎士達に挟まれて、それでも彼の目はオーレリアを見ようと動く。
「オーレリア!」
叫ぶように名前を呼ばれたが、彼女は顔を合わせなかった。再び、フレデリックの胸に顔を押し付ける。
「出発前にこのような事になるとは思いませんでした」
「あの男の異常さがよく分かったでしょう?でも、これで不安要素の一つは取り除かれた」
祖父が歩き出し、フレデリックも続いたことで抱き着くオーレリアの足も動く。
一度、屋敷内に戻った彼女は、フレデリックと祖父母が話すことで自室で休んだ。護衛騎士アンセムに見守られ、メラニーが淹れてくれた紅茶を飲み、ぼんやりと過ごす。
ロノヴァの処遇は決まっている。不法侵入の解明が済めば、二度と会うことはない。祖父母もフレデリックも、クライン侯爵家すら遠ざけてくれる。
(よかった・・・ただ)
クライン侯爵家はロノヴァ以外が亡くなったことで、彼が将軍を引き継いだ。これから暴徒の襲撃が起これば、クライン侯爵家はどうなってしまうのか。
(そのまま、これから起きることを話すわけにはいかないわ・・・どうにか、上手な説明を考えて教えないと)
クライン侯爵家が暴徒に襲撃される事件。一人でも犠牲者がいなくなるように、巧みな言葉を考えなければと、オーレリアは思考をする。
体調回復したと祖父母とフレデリックに対面したときに、結局紡げた言葉は。
「ロノヴァ様が施設に行かれることで、クライン領ひいてはクライン公爵家も防衛に関して不安が残るかと思います。警備を強化されるように伝えていただけませんか?」
当たり障りのない言葉だった。
祖父母も頷いて受け流すだけ。ただ、フレデリックは柔らかく笑みを浮かべて同意してくれた。
「そうだね・・・もう大丈夫だと思うけど、治安というのは少しのことで乱れやすい。ロノヴァを受け渡す際に、僕からクライン侯爵に言っておくよ」
「オーレリアは犯罪者を出した家の人間にも優しいね」と、一言添えて。
予定よりも二時間過ぎて。
オーレリアは別荘に向かう馬車の前に立つ。見送るフレデリックを、暫くは温もりを感じることができないからと、しっかり抱き締めた。
「必ず会いに行くから」
「ええ、待ってる。向こうで再会したら史跡を巡りましょう?私の発掘調査が本格的に始まれば、そちらでもご一緒したいわ」
「勿論だよ、君と会える日を待っている」
フレデリックの顔が寄せられる。キスを受けると分かった彼女は、顔を上げて目を閉じた。
柔らかな温もりを感じたのは額。唇に受けなかったと、唇に与えられるはずだと思い込んでいたオーレリアは、頬を染めて顔を伏せた。
「アルスター殿達も見ているからね。僕らは、端から見れば清らかな交流をしているんだ」
「そう、だったわ」
赤い顔で上目遣いに見つめる。
彼は優しく笑っていて、その熱い頬を手のひらで撫でてくれた。手の冷たさが、火照る彼女に心地良さを与えてくれる。
「お手紙も書くわ」
「僕も書くよ・・・君が楽しんでくれたら僕は嬉しい。君があちらでも笑顔で過ごせることを祈ってる」
名残惜しくも身を離し、祖父母が乗っている馬車にオーレリアも乗り込んだ。ドアが閉められたことで、窓からフレデリックを見つめる。
馬車は走り出す。離れていく彼に、彼女は姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。
南方の地方都市から王都の方角に進み、立ち寄ることなくグリオス平原へ。宿を取りつつ、ゆっくりとした進行で三日ほど。
北西山間部の山々を望むコルツ町。中心から逸れた郊外の別荘に、オーレリアは辿り着いた。




