怯える彼女が囁やかれる言葉
前半はオーレリア、後半はフレデリック視点。
区切りのいいところまで、と書いたらちょっと長めになりました。
フレデリックに支えられて屋敷に戻ってきたオーレリア。出迎えた祖母は、彼女に起こったことを知らされたようで、心配だと顔を歪めていた。
「旦那様が王城にいらっしゃるときに、このようなことが起きるなんて」
彼女は祖母に抱き締められて、乱れた髪を指先で梳かれた。労りを感じる優しい温もりに、またはらりと涙を零す。
顔を上げると、辛そうに眉を寄せる祖母の茶色の目と合った。
「ああ、可愛いオーレリア。なんて痛ましい・・・あなたに付けられた護衛達は無事ルヴァン公爵家本家に移送されました。ジルベールには、二度と顔を合わせることもないように処置してもらいますからね」
「はい、お祖母様・・・ありがとう、ございます・・・」
「クライン家のロノヴァ殿にも詰め寄られて怖い思いをしたでしょう。ゆっくりと休みなさい。あなたは傷付いたのだもの、静養するべきだわ」
再び抱き着く。祖母は優しい手付きで髪を撫でてくれた。祖母の顔は、エントランスのドアの前で静観していたフレデリックに向かう。
「フレデリック王子殿下には大変ご迷惑をおかけしました。オーレリアを救ってくださり、ありがとうございます」
「リヴァリス夫人、オーレリアは僕にとって大切な人です。助けるのは当たり前で、本来なら僕自らが守るべきでした。彼女を危険に晒したのは、僕の不手際です。もっと、しっかりと手を回していれば・・・」
「フレデリック王子殿下だからこそ、オーレリアは無事だったのです。わたくしの感謝の気持ちは変わりませんわ」
「・・・」
フレデリックは言葉を返さなかったが、薄く笑みを浮かべたことで祖母の言葉を受け止めたようだった。
見ていたオーレリアは、彼の悲痛な様子に手を伸ばす。祖母から離れて、フレデリックへと歩み寄った。
「フレデリック様」
「・・・オーレリア」
彼女が彼に抱き着くと、背中に腕を回してしっかりと抱き締められた。
帰路の馬車の中でも、オーレリアはフレデリックの側を離れなかった。身を寄せて、しがみついて、内に芽吹く恐怖を抑えるために、彼の温もりだけを感じていた。
裏切った護衛騎士達、乱暴者で恐ろしいロノヴァ。忘れ去りたくとも強烈に脳裏に残って、一人だったら泣いて震えるだけだった。
安心感を得るために、愛するフレデリックの温もりを得るために、彼女はしがみついて離れない。
「フレデリック様、行かないで・・・怖いの、今日のことを考えてしまって、とても怖い。まだお側にいて」
「・・・夫人、もう暫くオーレリアと過ごしても?」
「勿論ですわ。フレデリック王子殿下さえよろしければ、オーレリアと一緒にいてあげてくださいませ」
祖母は手を室内に差し向ける。
許可を得たフレデリックに支えられながらオーレリアは歩き、躊躇わずに自室へと招き入れた。
オーレリアの部屋は、温かみのあるペールピンクの壁に、白を基調とした可愛らしい彫刻のある家具が配置されている。彼女好みの可愛らしい室内だった。
「こちらにいらして」
フレデリックの腕に手を絡めて歩き出した彼女は、白い布製のソファへと導く。細やかな花の刺繍がされたクッションの立て掛けられたところへ、誘うために手で触れた。
「おかけになって」
フレデリックが座れば、オーレリアは真横に腰を下ろした。彼が腕を上げて脇を開いたところに入り込み、胸に頭を寄せて縋り付く。
「オーレリア」
聞こえるのは少し震えた声。後悔の滲む声に、オーレリアはそのまま頭を動かして擦りつく。
「怖かったの・・・豹変した護衛達も、ロノヴァ様も」
「うん・・・君の感じた恐怖は僕には計り知れない。オーレリア、僕が君の慰めになればいいけど」
落とされた声は優しいもの。オーレリアを慰めるために、フレデリックの手は動き、解けきった髪を指を絡めて梳かされる。
「護衛達は、お兄様に仕えていた方達だった・・・お兄様が彼らに命じて、私をカルロ王太子殿下のところに連れて行こうとしたの」
「君を守るべき者達がすべきことじゃないね。アルバも、従った護衛騎士達もおかしいんだ・・・勿論、カルロもね。誘拐に他ならない行為だ。これは僕の予想だけど、その後はカルロのみが知っている場所に、君を監禁しようとしたんだろう」
言われたことに恐怖心を強めたオーレリアは、フレデリックの胸に顔を押し当てる。彼の髪を梳かす優しいが、言葉は震え上がらせることばかり。
「カルロは、君に聡明な王太子妃は求めていないんだ。ロノヴァ同様に君の見た目に引き寄せられた浅はかな男なんだよ。可愛い君を思うように、好きなように扱いたいだけ・・・単純に下衆なんだ」
「・・・」
血の気が引いて、指先すら冷えていく。体も恐怖で震えていた。蒼白となったオーレリアの額に、フレデリックが唇を寄せる。優しいキスを受けた。
彼は王太子に、兄に対して暴言極まりない物言いだが、怯える彼女には効果的だった。震える手が、フレデリックの服の布地を寄せるほど強く握る。夕日色のリボンを巻き込んで。
「・・・怖がらせてしまったね」
リボンが目に入ったらしく、フレデリックは端を摘むとスルリと引き抜いた。
オーレリアが上目で見れば、彼は微笑み、梳いていた髪を手で束ねた。
「髪も整ったね。僕が縛ってもいいかな?」
頷いて身を離したオーレリアは、彼が髪を弄りやすいように背中を見せる。彼女の右耳の上に髪を寄せられ、リボンを巻いて縛られた。
左右の輪の大きさが違う蝶結びだったが、フレデリックの手で髪を結ってもらえて嬉しさを感じる。
「ありがとう、フレデリック様。あなたを身近に感じるリボンですもの。必ず身に付けるわ」
「うん、僕もそうしてもらえると嬉しいよ・・・オーレリア」
「なあに?」
振り返ろうとすれば、背中から彼に抱き締められた。性差から自身よりも逞しい体。それでもカルロやロノヴァとは違って、細身で硬い筋肉のない温もりが安心感を与えてくれる。
「僕は身体能力も体格もあの二人には劣る。はっきり言えば、強くはない。それでも君のことはこれからも守る。僕の持てる手段を用いて、必ず守る。君を愛しているから」
「嬉しいわ、フレデリック様。私も愛してる」
顔を後ろに向ける。見えたフレデリックの顔は曇っていて、何事かとオーレリアは首を傾げたが、その顔が更に寄ったことで唇にキスを受けた。すぐ離れてしまった一瞬のもの。それでも顔に熱が集まってしまう。
「僕は君と幸せになりたい。君の夢を支えて、君とずっと側にいて、君の笑顔を見ていたい・・・だから、オーレリア」
頬が擦り合わされる。熱を帯びた彼女の頬に、フレデリックの冷たい頬が心地良さを与えてくれる。
「僕を愛して。君が僕を愛してくれているならば、君は幸せになれるんだ」
「今更、何をおっしゃるの?私はフレデリック様を愛しているわ」
「いや、本来の君に言っているんだ。覚えていて、オーレリア。僕は本当に君を愛している。だから、拒絶はしないで・・・君と幸せになりたいんだ」
言い回しから正確に理解できなかったオーレリアは、首を傾げた。そんな彼女の唇は再びキスを受ける。何度も触れ合って吸い付く、愛を確かめるようなキスを・・・───。
───・・・オーレリアの屋敷から王家の別宅に帰ったフレデリックは、自室のソファに腰を下ろしていた。
その夕日色の瞳は窓に向かい、夕暮れに染まる街並みを映す。
あの橙色に染め上がった都市部の中にオーレリアの暮らす屋敷がある。何よりも愛しい人は、今日の夜、穏やかに眠れるのだろうかと考えながら。
胸は痛む。切ないと、目の前にいる彼女が消えてしまうのではないかという不安を訴えるように痛みを発していた。
オーレリアの夢の話を聞いてから痛みは強くなった。古代に確かにあった悲恋を悲しんでいた恋人を、彼は常に想っている。彼の中心にあるものは彼女、オーレリアだけ。今も、昔も。
───・・・今世こそは。
一瞬だけ浮かぶ想い。すぐに彼女のことが浮かぶ。ずっと、遠い過去からの想いを内包して、オーレリアだけがフレデリックの心にいる。
「・・・あの女さえいなければ、イルルラルバの『愛の妙薬』さえ、見つからなければ」
オーレリアとは真っ直ぐに想い合えた。「愛の妙薬」という邪悪な神器を用いて歪んだ愛を抱かせずに済んだ。
そもそも、カルロの存在が歪みの始まりだった。あの忌々しい「兄」さえいなければ、時を戻す前からオーレリアはフレデリックと愛し合えた。以前のように・・・。
「・・・」
淀んでいく思考を、彼は首を振って払う。深く溜め息を漏らして、再び彼女のいる屋敷がある都市部へと目を向けた。
太陽が山の向こうに落ちたことで、ゆっくりと景色は暗くなっていく。
「失礼します」
自室のドアがノックされて、開閉と共に言葉を贈られた。ソファに沈むように座るフレデリックは、窘める視線を向ける。
「まだ入室の許可を出していないよ」
「フレデリック殿下のお言葉を待っていましたら、いつまでも夕食をお召し上がりになってくださいませんから・・・殿下、そろそろ食事になさってください。昼から何も口にされていません」
護衛騎士のミオは姿勢正しくも、心配だと表情を歪めた。彼が乳飲み子のころに護衛の任に就いた信頼に足る騎士に、うんざりとした表情を浮かべる。
「今日は色々とあったから食欲がないんだけど」
「オーレリア様のことで胸を痛めていらっしゃると存じています。だからといって、食をおろそかにされたら、殿下の御身は弱ってしまいます」
「・・・君、言葉が丁寧になった母上みたいだよ」
「王妃殿下とは学友でした。お嫌でなければ、私は殿下の第二の母と思っていただいても構いません」
フレデリックは再び溜め息を漏らすと、両手を上にして伸びをした。手をソファの肘掛けに振り下ろした動作の続きとして、立ち上がる。
「軽くリゾットでいい」
「既に食事内容は決まっています。一口でも召し上がってください」
真面目に答えたミオを従えながら、食堂室にやって来たフレデリック。白いクロスのかかったテーブルの席に着くと、銀の皿と容器が並べられていく。
バケットにミネストローネと用意された。メインディッシュは鴨肉のステーキ、デザートも用意してあると給仕に聞かされる。
(多いな)
そのようなことを思いながら、スライスレモン入りの清らかな湧き水が注がれたワイングラスを手にした。
「・・・・・・」
一口飲もうと傾けて、ワイングラスの縁に唇が触れる前に止まる。時間にして三秒ほど。
彼はワイングラスを離すと、中の水を覗き見しながら回した。
「王子殿下、いかがされました?」
料理を運んだ給仕が伺ってくる。
フレデリックは流し目で給仕を睨むと、ワイングラスをテーブルに置いた。指先を台座部分に乗せながら。
「毒見はした?」
「え・・・は、はい。きちんと毒見係にさせました」
「水も?」
「勿論です、毒見係を呼んで参りましょうか?」
「うん、頼んだ。ミオ、付き添ってあげて」
給仕は一礼をして、足早に厨房へと向かう。その背をミオが追い、彼女がドアに辿り着いてすぐ、給仕は一人の男を連れてきた。
見たことがあるのは当たり前。フレデリックが王城から連れてきた従者の一人だった。普段は給仕の一人として職務に従事している。
やや青い顔をした毒見係に、彼は笑いかけた。
「突然、呼び出してすまなかった。お願いがあってね」
「お願い、ですか?」
ワイングラスのステムを摘み上げて、毒見係へと掲げるように見せる。
「今すぐ飲んでくれないかな?」
「・・・ど、毒見は済んでいます」
「僕は飲め、と言っているんだよ。ほら、飲みなよ」
フレデリックは毒見係に摘み上げているワイングラスを寄せる。彼は怯えた表情を浮かべて、一歩後退った。
「お、王子殿下。すでに毒見は済み、王子殿下に捧げられたものです。平民である私が、く、口にしていいものでは」
「ミオ、そいつを拘束しろ」
冷たく言い放ったフレデリックに、毒見係は喉を引き攣らせた悲鳴を上げた。逃げようと走り出すが、すぐさまミオに捕まり、床に頬を押し付けられる。
ワイングラスを持ったままのフレデリックは、ゆっくりと毒見係に近寄ると、膝を上げたまま身を屈めた。
緩く口元を歪めた彼に見下された毒見係は震え始めている。
「驚いたよ。こんなときに毒が盛られるなんてね。僕は王城を出て別宅暮らし。つまり、王位継承権は放棄と見なされる状況だ。それなのに毒殺を考えるなんて、『相手』の考えが透けて見えるというもの」
ワイングラスを横に傾けて、中の水が流れ落ちていく。床に押し付けられて震える毒見係の口へと、注がれていく。
「ぶ、ぐぅ、うぅぶぅ、うぅうっ!!」
「・・・手段を選ばないのはあいつも一緒か。本当に忌々しい男だ」
───・・・次こそは殺す。
浮かんだ殺意は一瞬だけのこと。それでも、確実にフレデリックの心の底に沈殿していく。




