初めての口づけ
フレデリックに腰を抱かれながら、オーレリアは屋敷のエントランスに足を踏み入れる。
以前、見学のためにエントランスも拝観した。再び目にした天井にあるシャンデリアは、ふんだんにクリスタルを使っていることで美しく煌めいている。
骨組みとなっている金は、当時産出数が減っていたことで別の金属と混ぜられているそうだ。ただ、透明度の高いクリスタルが使用され、細やかな装飾を技巧の高い職人が施したことで、年数も経った現在でも相当な価値になっているという。
彼女は資産的価値に興味はないが、当時の社会事情と名工となった職人の作品ということに、瞳は輝いていた。
(本当に素晴らしいわ。あの垂れる雫型のクリスタルの形。支える骨組みの蔓の様な見事な曲線。二百年経った今も至宝と輝いている)
シャンデリアの光を受けて、見上げている彼女の瞳も輝いていた。
「綺麗、というだけじゃないか。名工の技術の高さに惚れ惚れしてしまっているってところかな?」
「ええ、だって本当に素晴らしいもの。二百年も輝きを失わず、この屋敷に光を与えているのよ」
「あれは一度奪われそうになったことがある。知ってるかな?」
「ええ、百二十年前のことね。ここから東に領地を持っていたウィンゲン伯爵の反乱でしょう。資金を得るために高純度のクリスタルを奪おうと攻め込んだと書物で読んだわ。古戦場も近いから、お祖父様と一緒に両陣営の陣幕跡も巡ったのよ」
「そうなんだね。当時の王都軍の防衛がなければ、シャンデリアだけでなく、この屋敷も焼失しただろう」
「歴史的遺産を失わずに済んでよかったわ」
フレデリックへと顔を向ければ、お互いの目が合う。彼は笑みを浮かべていることで目を細めていた。どこか眩しいものを見るかのように。
「本当にどんな歴史も好きなんだね」
「私がこうして立っている絨毯の上を、当時の王族の方も歩いた。あのシャンデリアを見上げて、無事であったことに安堵した。そう考えると楽しいの。歴史は人々の歩みでもある。色んな人が当時のことでどういった行動をしたか、何を思ったのか。考えて、気持ちを同じくしてなぞってみたいの」
「君が楽しそうにしている姿を間近で見れて僕は嬉しいよ」
オーレリアより頭一つ分高いフレデリックは動き、彼女の頭に頬を乗せて寄り添う。密着する温もりに、オーレリアは顔だけではなく全身の熱が上がった。
フレデリックの手に腰を押されて、二階に上がる階段へと促される。
「いいの?」
「いいに決まっているだろう、君は僕の恋人なんだから」
寄り添ったまま階段を上がったオーレリアは、職人が丁寧に織ったと分かる金糸模様の浮かぶ絨毯を進み、二枚目の扉の前に連れて行かれた。
フレデリックが開ければ、木枠に装飾の彫られた若草色のカバーのソファと、焦げ茶色で光沢のあるローテーブルが見えた。壁際ににもテーブルと同色の棚や飾り彫りの台座があり、その脇には褐色の大理石で作られた暖炉。壁の色が薄緑の落ち着いた色合いをした客間のようだが、細やかな金模様が浮かんでいるのが分かる。
(王都の歴史資料館で見たことのあるデザインの家具類だわ)
王室の歴史に関する展示物で拝観したことを思い出した。家具も、壁材すらも公爵家を持ってしても高級だろうと理解した。
「今、僕が使っている部屋だ。あの壁の続き扉の先は寝室だよ」
「そ、そうなのね。あの、ソファなどは触ってはいけないものでは?」
「僕は君が来るまであのソファで横になっていたけど」
「あなたは王子殿下だもの。私は資料館で見かけたものだから躊躇いがあるわ」
「気にしなくていいよ、ほら」
国宝にも該当する家具だと臆するオーレリア。フレデリックは微笑んだまま、その手を引く。
半ば引っ張られるように室内へと足を踏み入れた彼女は、ソファまで連れて行かれて、座るように促された。
「このソファのデザイン、百年以上前のものに見えるのだけれど」
「大丈夫、国宝でもない。これは比較的新しい。この前に置かれいた同デザインのソファは、僕の大叔母となる当時の王女が壊した。遊びで跳ねていたら座面をへし折ってしまったんだ」
「まあ!」
「君のような人からすれば考えもつかないだろう?王家の姫でもお転婆で、物を破壊することだってあるんだ」
フレデリックに軽く背中を押されたことで、彼女はソファに腰を下ろした。細やかな花の模様が浮かぶ肘掛けに、手で触れようとして躊躇い、結局は自身の膝の上にその手を乗せる。
「そんな固くならなくてもいいのに」
小さな笑い声を漏らしてフレデリックは壁際に向かう。オーレリアが視線で言えば、棚に置かれている陶器のティーポットを手にした。その横にあるのは濃桃色の液体が半分入っているガラスボトル。見慣れたボトル。
いつものお茶を淹れてくれるのだとオーレリアは思った。仄かに甘いお茶。飲むと体が温かくなって、どうしても思考が定まらなくなる。体温が上昇しているせいで、熱に浮かされてしまうのだろう。
それに近頃というか、月経が始まってからは、なんだか腹部の下に妙な感覚を得ていた。痒みのような、じくじくとした疼きを感じる。
「あなたが淹れてくれるお茶って不思議ね」
「・・・どうしてそう思う?」
「飲むと血行が良くなるのか体が熱くなるの。それだけじゃなくて、最近はお腹の下が変な感覚があって・・・茶葉に薬草が混ぜられているの?」
「そう、下腹部に変な感覚がね・・・ああ、そうだよ。血行促進効果のある薬草が煎じてある。冷えは女性にとって大敵だからね」
振り返ったフレデリックの持つトレイには、桃色の陶器のティーカップが一客。注がれた茶褐色の紅茶は湯気立ち、仄かに甘い香りが漂っている。
匂い立つ紅茶に釘付けとなっているオーレリアに、優しく微笑む人の目に宿る熱は分からない。
「さあ、どうぞ」
同色のソーサーに乗せられたティーカップを渡される。取っ手を持つ彼女は、隣に座ったフレデリックを上目遣いで見た。
笑っている。口元に弧を描いて、楽しそうに笑っている。
「飲んで、オーレリア。全部飲むんだ」
甘い香りが鼻腔を擽る。すぐに唇をカップにつけて、一口飲んだ。
美味しいと感じた彼女はコクリコクリと喉を動かし、全て飲み干してしまう。
「オーレリア」
名前を呼ばれたことで彼を見る。愛する美しい人は、いやらしく口元を歪めていた。
「君も大人になったんだね」
「まだ、子供よ。だって十四歳だもの。成人の認定は受けられないわ」
「そうだね、社会の基準としては子供だ。でも、体は大人になった・・・子供が産める体になったんだから」
後半はよく聞こえなかったんだ。オーレリアは何を言われたのか気になって、フレデリックに顔を寄せた。
「ん・・・」
彼の手がその頬を撫でる。触れられたところからぞくぞくとした感覚が走って、彼女は身を震わせた。ティーカップが手から落ちる。ソファの座面にソーサーと共に転がった。
「おいで、オーレリア。君を抱き締めたい」
言われたから従う。
フレデリックの元に這うように動き、首に腕を巻き付けて抱き着いた。
彼は細身であっても少女のオーレリアよりは逞しい。その細腰は掴まれて持ち上げられると、膝の上に乗せられた。
見つめ合う二人。お互い熱を帯びた眼差しを向け合っている。
「オーレリア、キスをしようか」
「ん」
言われて右頬に唇を当てる。
そうすれば、フレデリックは何が楽しいのか喉を鳴らした。
「くくっ・・・そのキスは違うよ。僕が言っているのは唇にするもの。結婚式でする誓いの口づけのことだ」
「誓いの口づけ・・・」
オーレリアは言われて気付き、顔を朱色に染め上げた。恥ずかしさから顔を背けて、自身の唇を指先で隠す。
「・・・愛欲を刺激されているのに恥じらうなんて、ああ、オーレリア。君は清らかで純粋だったね。欲望を強められているのに踏み止まってしまう」
「・・・何を?」
小さな呟きだったから聞こえなかった。彼女が聞き返して耳をそば立てれば。
「君は僕を愛している」
言われたから頷く。
オーレリアはフレデリックを心の底から愛しているから。
「愛し合う僕らは夫婦になる。結婚式で誓いの口づけを交わすんだ。この唇に」
唇を隠す指先を彼の指がなぞる。熱が高まって敏感になっていることで、ぞくりとした刺激が走った。
「恥じらう君は可愛いけれど、夫婦がキスをするのは当たり前のことだろう?だから、キスをしよう。僕達は必ず夫婦になる。キスをしても問題はないんだ」
「でも・・・唇へのキスは、やっはり恥ずかしいわ。私達、まだ子供だもの」
「言い方が悪かったな・・・オーレリア、僕とキスをしよう」
耳元に囁かれた言葉は頭の中に浸透していく。
思考は霞み、うっとりとした眼差しのオーレリアは、フレデリックの顔に近付いた。
笑う彼の唇に、自身の唇を押し当てて目を閉じる。
柔らかな感触は一瞬のはずだった。離れようとした彼女の頭は、フレデリックの手が回ったことで動けない。
「ん、んん・・・」
角度を変えて何度も唇が重なる。下唇が食まれて吸い付かれて、上唇に舌が這った。
何度もキスをされる彼女は、息ができないことでフレデリックの胸を叩く。
最後に吸い付かれたことで、彼の唇が離れた瞬間に音が立つ。
ずっと息の出来なかったオーレリアは、目を開くとフレデリックを睨み付けた。それは抗議の眼差しであったが、潤んだ瞳と赤い顔では説得力がない。
心臓の鼓動はずっと速い。愛する人との深い触れ合い。重なった温もりの柔らかさ。官能的に吸われて感触が堪らなくて、彼女の心は限界に近かった。
「可愛いオーレリア。君の唇はとても柔らかくて甘かった」
濡れた唇をフレデリックの親指がなぞる。
「もっとしようか?」
そう言う彼の胸元にしがみつくと、真っ赤な顔を隠した。
頭上から喉を鳴らした笑い声が落とされ、オーレリアの金の髪をフレデリックの指が絡んで梳かされる。
「ああ、これで君の欲が刺激されて僕を求めてくれればいいのに・・・」
彼女は全身に巡る強い鼓動のせいで、邪な呟きなど耳には届かなかった。
兄も異常なら弟も異常。




