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心操られて結ばれる約束

オーレリアが負った怪我は、膝の擦過傷とネックレスを引かれたことで浮かぶ首筋の圧迫痕だった。医務官から適切な治療を受けて、今は無人となった医務室の窓から外を眺める。受けた衝撃で未だに思考が定まらない。

ただ、空を目に映す。青い空、どこまでも青く、その下の王都の街並みには陰りはない。


鮮やかな青に目が眩んだのか、オーレリアは視線を落とした。

次に目が映すのは、彼女の怪我の治療に使われた薬品や包帯のある金属のトレイ。


『君が好きなんだ、オーレリア。私の愛しいオーレリア。君を妻にしたい。私の妻は君だ。君だけを愛する。君を愛してる。私が愛したかったのは君だけだった。だから求婚を受けてくれ。その可愛らしい顔で頷いてくれ。可憐な声で私だけに囁いてほしい。私を愛してくれ。私だけを愛して。オーレリア。私のオーレリア。君は私のものだ』


濁流のような愛の言葉。およそ十三歳の少年が囁くものではなく、重く絡みつくようだった。

なぜ、それほどまでに想われているのか、オーレリアには理解できない。


「私が愛したかったのは・・・」


ただ、カルロは誰かと比べていた。ふと気が付いて呟けば、医務室の扉が開く。母親達にオーレリアの容態を伝えために出ていった医務官だと思い、彼女は顔を上げた。


フレデリックと目が合う。彼は優しく微笑みながら、その手にティーセットを持っていた。


予想と違う人物で、オーレリアは思わず顔を背けた。医療品のある机にティーセットが置かれ、先程まで医務官が座っていた椅子にフレデリックは腰を下ろした。

向かい合って座ることになり、居心地が悪くなる。


「擦過傷と首の後ろに痕が付いているそうだね。まだ痛い?」


浮かべている表情と同じ優しい声。それを今、不審に思うのはなぜなのか。


(つい二時間前までは恋心で熱を上げていたのに)


自分の変化に違和感を覚える。

あれほど愛していたはずの相手なのに、ときめきすら感じない。なぜ、なのか。


「・・・痛みはありません。医務官の方が適切な処置をしてくださいましたから」


「そう、膝の傷はうっすらとしたものだからすぐに治癒するって聞いたよ。でも、首の」


フレデリックの手がオーレリアに向かう。首の後ろに触れようとしたようだが、彼女は怯えから飛び上がった。

座っている椅子が音を立て、僅かにフレデリックとの距離を空けてくれる。


「オーレリア?」


「と、突然触れるなど、やめていただきたく存じます。人に、異性に触れられるのは怖くて」


「僕達は恋人同士のはずだ。他人行儀なことはやめてほしい」


オーレリアの変化に困惑しているだろう。

フレデリックの手は下げられることなく宙に掲げたまま、触れようとしたままになっている。

彼女は小さく息を吐いて、怪訝と眉を寄せる彼の顔を見つめた。その手は贈り物のネックレスを外そうと首の後ろに回る。


「頂いたネックレスをお返しします。私はフレデリック王子殿下と婚姻できません」


「・・・どうして」


ネックレスの金具を外す前に腕を掴まれた。咄嗟に払ってしまい、ネックレスは外れず、拝する王子の手も叩いてしまった。


「申し訳ございません!フレデリック王子殿下の手を叩くなど不敬極まる行いでした。どうかお許しください・・・」


「ああ、そうだ。今日で一カ月半・・・僕は新年祭の準備や基礎学習、君も遺跡調査で会えなかったからね」


「フレデリック王子殿下?」


叩いてしまった手でフレデリックは目元を覆い、何事か呟いている。

聞こえないオーレリアが耳をそばだてようと近付けば、彼はサッと手を外し、いつもの微笑みを浮かべていた。


「君はまだ混乱しているんだ。先ずは落ち着かないとね」


「いえ、私は平静です」


「いいや、君は正常な判断ができなくなっている。気持ちを落ち着けるために紅茶を用意したんだ。ちょうど良かった。これを飲めば落ち着いてくれる」


「今は紅茶など飲みたくありません」


彼女の訴えを無視して、フレデリックは立ち上がり、ティーセットに身を寄せた。彼はティーカップへと、懐から出したガラスボトルを傾けて中身を注ぐ。濃桃色のとろみある液体。何度も目にしたもの。

最初は果物のペースト。次はジャム。砂糖だと言われたこともあり、何度も口にした。


「さあ、どうぞ」


濃桃色の液体と注がれた紅茶がティースプーンで混ぜられて、ソーサーに乗せてオーレリアに手渡される。

香しさと微かに感じる甘い香り。混ざり合った匂いに、頭がくらりとした。


「さあ、飲んで」


飲みたくない。

この紅茶の仄かな甘さは良く知っていた。何度も口にしたから分かっている。あまり好きではない味のはずだった。

しかし、香りに思考が霞んだオーレリアは、ティーカップの取っ手を持つとぷっくりとした唇に寄せ、一口飲んだ。

口にすれば容易く堕ちていく。美味しいと、好きな味だと感じてゆっくり全てを嚥下してしまう。


「オーレリア」


名前を呼ぶのは愛しい人。

温かな紅茶を飲んだからか、混ぜられた薬が効いているのか。彼女は頬を赤らめて、うっとりとフレデリックを見上げる。


「僕は君を愛している。君も僕を愛している」


「ええ、愛してるわ」


目の前にいる美しい少年は、オーレリアがこの世で最も愛する人。彼の紡ぐ言葉は美しく、溶けるように脳髄へと染み渡る。


「僕達は愛し合っている。だから結婚をするんだ。ずっと一緒に、永遠に寄り添って暮らす」


「ええ、ずっと一緒よ」


頷けば、彼女の恋人は微笑みを浮かべた。椅子に座り直し、両手を広げる。


「おいで」


ティーカップを机に置いて即座に立ち上がると、フレデリックの膝の上に座る。彼の手が身を包むように抱き締めれば、オーレリアは首に腕を回して身を寄せた。


「十六で婚約したら時間を開けずに婚姻を結ぶ。悠長にしてはいられないからね。僕達は十六歳になっても愛し合っていたら夫婦になるんだ。分かった?」


「分かったわ」


フレデリックの頭がオーレリアの胸に押し当てられる。少し膨みのある胸の奥、心臓の鼓動を聞き入っているようだった。


「どうして君は僕との婚姻を嫌がるの?」


「嫌じゃないの、怖いの。あなたに愛する人が現れたら私は邪魔な存在になってしまう」


「・・・愛しているのは君だけだよ。他の女なんて、『あんな女』なんて嫌悪すらしていたんだ。叶うなら今からでも殺してやりたい」


誰のことを言っているのだろうか。ぼんやりとしているオーレリアでも、自分のことではないと分かっている。なぜならフレデリックに愛されているから。

彼と関わりがある女性ならばバーバラのことだが、今のフレデリックは出会っていないはず。もし、すでに出会っているとしたら、彼の心はバーバラに捧げられている。オーレリアに愛を囁かない。


「殺すなんて怖い言葉を使わないで・・・殺されてしまうのは、とても苦しくて悲しくて、心すら痛くて堪らないの」


「オーレリア、君は・・・」


殺意のある言葉は、自身に向けられたものではないと分かっていても、処刑されたときを思い出して身震いをする。

抱き着く力を強めた彼女に、フレデリックは言いかけた言葉を飲み込んだ。


「愛しているよ、オーレリア。永遠に君だけを愛している。君だけだ、僕が愛するのは君だけ。いいね?僕は君だけを愛してる。だから、君も僕を愛するんだ」


「ええ、勿論よ」


彼の言葉が深く浸透していく。

気持ちに従って微笑みを浮かべたオーレリア。抱えているフレデリックの頭に唇を落とした。


「誰も僕達を引き離せない。君ですら、僕達を引き離すことはできないんだ・・・」




新年祭は佳境となった。医務室から客間のバルコニーに移動したオーレリアは、抱き合うフレデリックの温もりを心地良く感じながら、彼の瞳の色の空を眺めていた。

夕焼けに一つ、二つほど星が瞬き始めたころ、母親が迎えに来たことでフレデリックと別れることになる。

名残惜しく思うオーレリアは頬にキスを送れば、お返しのキスを頬に受ける。愛情が通い合うやり取りを、母親はうっとりと眺めていた。


新年祭の次の日。

祖父母と地方都市の屋敷に帰ることになったオーレリアは、家族と別れの挨拶を交わす。兄は仕えているカルロのことでその場にいなかったが、母親は別離を悲しんで泣いていた。父親が抱き寄せて慰めていたが、その目にはオーレリアに対する労りが伺えた。


『これからは個人でカルロ王子殿下と会うことはない。お前が無事に婚約をして、式典に出るようになってから顔を合わせる程度になる』


帰路に着いた馬車の中、心の中で父親の言葉を反芻する。

オーレリアを傷付けたとして、カルロは暫く謹慎処分となった。王城から出ることはできず、接近禁止令が下されたことで単身乗り込んでくることもない。

国王陛下と父親、そして祖父が言葉を交わして取り決めた。確約ではないが、オーレリアはフレデリックと婚約をする。第二王子の婚約者を守るための、王家とルヴァン公爵家の関係が拗れないための措置だろう。


(良かった・・・)


彼女が愛しているのはフレデリック。カルロに求められたとしても、答えるつもりはない。恐怖しか感じない男性の妻など二度となりたくはない。

バーバラのこともある。遺跡や王妃殿下の妊娠のように、時が戻る前と変化がなければ、カルロはバーバラと出会う。燃え上がるような恋をして、愛を確かめ合うはずだ。オーレリアへの愛など忘れるだろう。


(私が愛するのはフレデリック様だもの)


胸に宿る愛情は、体に熱が帯びるほど。

フレデリックのことだけを想いながら、馬車に揺られる彼女はゆっくりと微睡んでいった。




それから三ヶ月後のこと。

王妃殿下は第三子となる男児を無事に出産した。エイダンと名付けられた第三王子は皆に祝福され、オーレリアも祖父母との連名でお祝い状を贈った。

誕生祭に招待されたが、カルロとのこともあって欠席を選んだ。王城には行けないが、フレデリックとは会えるからだ。

定期的に交友を重ねることで、次第に二人のことは国民に認知されていく。子供ながら相思相愛の恋人同士と話題にされた。婚約者候補に過ぎないことを驚かれ、二人が結ばれることを待つ者も少なくない。

麗しの第二王子と美しい公爵令嬢の逢瀬は、周囲の関心を集めていった。


見守られて噂されて一年、二年と過ぎていく。変わらぬ気持ちを抱くオーレリアは、フレデリックに愛され続けた。

彼は、彼女以外を目に映さない甘い恋人のまま。清らかな交際を続けて三年目になる。

十四歳になったオーレリアは、以前カルロから逃げるために生地を痛めてしまったインディゴブルーのドレスを、クローゼットの奥に仕舞う。

すぐに両親が補修に出してくれたことでドレスは綺麗に直された。暫く祖母と一緒に主催するお茶会で身に着けていたが、体が成長したことで袖すら通せなくなってしまっている。


(未だに色褪せずに美しいままだもの。『子供』に着せましょう)


思い耽って頬を染めた。

いつか、フレデリックとの間に娘が生まれたら譲ろうと考えたからだ。先走ったことを恥じて、赤い顔のままクローゼットの扉を閉める。


今日はフレデリックと会う日。

彼がオーレリアの元に赴く際、使用している王家の別宅がある。別宅で待っている恋人を想いながら軽やかに歩く彼女の髪には、百合の花を形作った銀の髪飾りが飾られていた。

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