二度と苦しまないために
祝福の声の中、オーレリアは冷静だった。貴族の子女として礼節を弁えて、大人達の会話を静観して過ごす。
ずっと感じている視線も気にしないように努めている。姿さえ向き合わなければ、恐怖心も忌避感も沸き上がらない。
やがて、ひとしきり話していた国王陛下の視線がオーレリアに、その前にいるアルバに向かう。
目が細められたのは笑みからではない。
「公爵家も安泰だろう。子息のアルバはカルロの側仕えとしたが、非常に優秀だと聞いている。そして、オーレリア」
名を呼ばれたことで兄は一礼をして、オーレリアも続くように淑女の礼を取った。
「まさかアルスター爺の後継と名乗り出るとはな。すでに指導として遺跡に連れ回していると聞いている・・・フレデリックとも、あのイルルラルバの神殿発掘で居合わせたそうだな」
値踏み、という言葉は国王陛下を前にして不敬極まる表現だったが、まさしくそうだった。
まだ十一歳の、箱入りで育てられたオーレリアのことを推し量ろうとしていた。
彼女は姿勢を正し、穏やかな微笑みを浮かべる。
「祖父の後継として大変学びとなりました。発掘部門は歴史の解明。此度のイルルラルバの神殿遺跡も歴史の改変となった素晴らしい功績です。そのような偉大な祖父の背を追い、私が成すべき役目として邁進いたします」
「・・・王侯貴族というものは子供すら愛らしさを表に出せぬ堅苦しい階級ではあるが、オーレリアは見た目では測れぬ知性と意志の強さがあるようだ。期待している。歴史などに興味がなかった俺ですら、今回の発掘が世界的な大発見とは分かっている。アルスター爺の道楽だと思っていたが、考えを改めたきっかけになった。祖父に続くよう励むがいい」
声には出さず、再び礼をして意思を伝えた。
オーレリアが顔を上げれば、国王陛下は満足感を得たと笑みを浮かべ、並び座る王妃殿下と頷き合っている。
(お祖父様の後継として認識していただけたわ)
カルロの婚約者に名前が上がることはない。王妃への道は消え失せた。
「そのオーレリアに関することではありますが、フレデリック殿下との関係でお話があります」
祖父が声を上げれば、それほど声量はないはずなのに国王陛下の肩が跳ねた。顔には出さないものの、祖父が苦手だと分かる。
身を引くように背もたれに寄りかかった陛下へと、祖父は歩み寄る。父親も続き、二人で国王陛下に詰め寄っているように見えた。
(そうだわ、フレデリック様と関係を絶たないと)
夢見心地で囁かれて恋人のような関係に同意をしてしまった。心が操られたかのように、フレデリックの望む言葉、態度をしていたと思う。
フレデリックにも関われば死に至る。待ち受けている未来を回避しなければ、と思い出した。彼への愛情は、元からなかったかのように全く心に残っていない。
フレデリックを傷付け、第二王子を弄んだとして悪評が広がるかもしれないが、時が戻る前よりは悪い状況にならないはずだ。
(フレデリック様はバーバラ様を必ず愛する。そうすれば私は邪魔者になって、悪女として祭り上げられる。愛する二人を引き離そうとする者だと、皆に蔑まれて疎まれる)
人間の悪意を浴びせられる日々など二度と送りたくはない。
今から国王陛下と父親、祖父に話さなければ、とオーレリアは口を開こうとした。
「なぜフレデリックがオーレリア嬢と結び付けられるのか!第一王子を差し置いて第二王子の婚約が進んでいるなど私は納得できません!」
声変わりをしたのだろう。カルロから発せられた声は、時が戻る前に良く浴びせられた怒声そのものだった。
体を跳ね上げたオーレリアは、反射的にカルロを見てしまった。険しい顔、怒りの滲んでいる表情。抑えようとしているのか、強く握り締めた拳は震えていて、礼服を着ていても分かる腕の逞しさと男らしい筋張った手をしていた。カルロが「カルロ」に近付いていると分かる。
鮮明に記憶に残っている彼女は硬直してしまった。あの怒りが向けられたら、平静ではいられない。以前のように感情が溢れ出て蹲ってしまう。
「私だってオーレリア嬢に婚約の打診をした!父上もルヴァン公爵もアルスター殿も突き返し、なかったかのようにするなど許せない!オーレリア嬢は私の婚約者にする!」
「カルロ、臣下の拝謁を受けている最中だ。荒ぶるな」
「落ち着けるわけがない!このままではオーレリアがフレデリックに奪われてしまう!」
「カルロ、静かに。陛下の御前だ。王子とはいえ醜態を晒すな」
「お前が!」
隣にいるフレデリックを睨み付けるカルロ。怒りの形相を浮かべた体格の逞しい兄に詰め寄られても、フレデリックは動じなかった。
柔和な彼にしては寒々しいほど冷たい視線を向け、姿勢を崩さずにいる。
「なぜお前がオーレリアと出会っている!なぜ発掘現場に行った!父上からの王命を手にバルザドールを制するなどお前は、まさか」
「カルロ、これ以上暴走するというなら新年祭では謹慎を命じる」
「っ・・・」
国王陛下の一声でカルロは押し黙った。それでも悔しそうに歯を見せて、オーレリアへと視線を向ける。
睨み付けるような強い赤い眼差しに、彼女は息を呑み、視線から逃れようと顔を伏せた。
「・・・慎重な話し合いが必要と見えますね」
「そうだな、アルスター爺」
「謁見にも関わらず、私を爺呼びするのはいただけませんが、まあいいでしょう。ジルベール」
祖父が父親の名を呼び、二人は国王陛下の脇に控えた。
カルロの視線に耐えかねているオーレリアを、アルバが隠すように動き、祖母が身を寄せてくれた。
「アルバ、お前・・・後で話がある。私のもとに来い」
「畏まりました」
「では、我々は少々談話をしなければならない。ご夫人達と子供達は食会を楽しむがいい。城内は王家の居住区である奥の宮以外は解放されている。新年祭を楽しんで欲しい」
国王陛下の一声で、オーレリアは母親と祖母と共に場を辞した。アルバは謁見の間の控室でカルロを待つそうで、彼女は二人に手を引かれて食会のホールへと入場した。
「驚きましたね、カルロ王子殿下があれほど声を荒げるなんて」
「アマリア、あなたは第一王子殿下がオーレリアに対して婚約を望んでいたと知っていましたか?」
「ジルベールからは何も言われませんでしたけど、カルロ王子殿下より封書は何度か。婚約の打診ならば、何度もオーレリアを求めたということになりますね」
祖母と母親は、クヴァネスとその配偶神を描いたという大きな絵画の前のテーブルに付いた。立食式で、近くにいた給仕が皿に盛り付けたチョコレートケーキやフルーツゼリーを、オーレリアに渡す。
「アルマ様から伺ったの。今、王都で人気のケーキ店の職人に今回のデザートを頼んだそうよ。とても美味しいそうだから、沢山いただきましょうね?」
オーレリアの目線に合わせて身を屈めていた母親は、シャンパンのグラスを取って祖母に手渡す。
「王子殿下の打診を袖にするなんて・・・カルロ王子殿下の立太子は決定され、次期国王となられるのもほぼ確定しています。オーレリアが妃となれば、側妃はありえません。ルヴァン公爵家と同位の家はありませんからね。公爵家令嬢を差し置いて正妃になるなど、カルロ王子殿下が恋人を推奨しないかぎりあり得ないでしょう」
自分の立場を祖母の口から聞かされる。優しく穏やかでオーレリアに甘くとも、祖母は貴族の格と立場の重要性を理解している。
「余程オーレリアが無能でなければ、カルロ王子殿下の正妃として召し上げられていたでしょう。王妃となるべく厳しい教育を受けることになる・・・ただ、オーレリアはアルスターの後継者ですもの。王家とはいえ、他家には渡せません。私もアルスターもこの子には期待しています」
「勿論です、お義母様・・・オーレリアは自分の夢を叶えるべくお義父様のもとで修行しているのよね?あなたはとても立派だわ。母として誇りに思います・・・ただ、離れて暮らすのは寂しいけれど」
「あなたはオーレリアの母でしょう、堂々となさい。弱る姿など見せてはいけませんよ」
シャンパンを飲みながら、二人は言葉を交わし、時折オーレリアに話しかける。
デザートの皿を手にしたまま耳を傾けていた彼女だが、母親と祖母が味方だと分かって安堵した。無理矢理カルロに嫁がされるつもりはない。
ホッと息を吐けば、視線も落ちた。手にしているデザートの皿と胸元のネックレスが目に入る。
(そうだわ、外さないと)
フレデリックの色をした宝石は、今の装いでは人目を引く。事情を知らない貴族達にも勘繰られてしまう。
オーレリアは皿をテーブルに置こうとした。二杯目のシャンパンを手にした母親が首を傾ける。
「あら、お口に合わなかったかしら?」
「・・・いえ、フォークを探していて」
「こちらにあるわ。はい、どうぞ」
テーブルからフォークを取った母親が、オーレリアに渡してくれる。
「ありがとうございます、お母様」
「あなたはチョコレートが好きだもの、沢山いただきなさいね」
にっこりと微笑む母親は、年齢を感じさせないほど無邪気で愛らしい。
母親が気にかけてくれているからと、オーレリアはチョコレートケーキを食べ始める。甘さと少しの苦みを感じて美味しい。ケーキの中心にはチョコレートソースが入っているようで、濃厚な風味が口一杯に広がっていく。
(早くネックレスを外したいわ)
ただ、杞憂からゆっくり味わうという余裕はなかった。濃い目の美味しさも今は胸焼けを感じて、早く食べ切りたいと思って黙々と食す。
「ルヴァン公爵夫人、リヴァリス夫人」
「新年のご挨拶をさせていただきたく存じます」
王家の次に高位である公爵家が無視などされるはずはなく、挨拶だと貴族達が集っていた。
中には宰相家や将軍家の夫人と子息もいて、それはオーレリアを虐げていた彼らだった。
二人とも、祖母達の後ろに控えているオーレリアを見ていた。目が離せないと見つめられている。
宰相となった彼の切れ長の目が吊り上がり、怒気を隠さずに暴言を吐くのを知っている。
将軍となる彼はカルロに負けない逞しい体でオーレリアに詰め寄り、強い力で暴力を振るわれると覚えている。
まだ少年、何より今はオーレリアのことなど知らないはず。警戒などすべきではないが、それでも近寄りたくないと気持ちが勝ってしまった。
行儀悪くもフルーツゼリーを飲み込んだ彼女は、食事マナーはしっかりと守り、皿をテーブルに置いた。
「お母様、食会のホールは庭園に出れると聞いたことがあります。散策してもよろしいでしょうか?」
「ええ、構わないわ。お母様達は大人としてご挨拶していますからね」
「はい、では・・・失礼します」
囲うようにいる貴族達に淑女の礼をして、楚々と、早足になろうとする速度を抑えつつ、オーレリアは庭園に向かった。
ひしひしと宰相子息と将軍子息からの強い視線を感じながら、彼らが見失うように人の間を縫うように進み、庭園への段差を降りる。
もっと早く新年祭のエピソードは終わるはずだったんですよ。