新年祭の始まりに
城門を潜り、馬車が車止めに停まるとオーレリアは祖父の手を借りて降りた。
見上げる白亜の城は、高台を利用して建てられていることから一の宮、二の宮と館が分かれている。国王陛下に拝謁する謁見の間や貴族が集うホールは一の宮にある。
歩き慣れてはいないが良く知っている構造から、一の宮に向かう緩やかな傾斜の大理石の階段を上る。階段脇には貴族達が立ち止まっていて、前庭を眺めていたようだった。
「ルヴァン公爵家の方々だ」
「お早い登城ですね」
下位の階級だろうか、壮年の貴族男性が頭を垂れた。それに続く者達がいて、囁き声も聞こえたオーレリアは恥ずかしさを得る。
人に注目されたくはない。以前も、悪評から注目されて階級関係なく蔑まれた。
(早く、陛下の元に・・・見られるのは嫌だわ)
早足に段差を上ろうとすれば、祖父の手が肩にかかる。彼女が立ち止まって見上げると、優しい笑みを目に映した。
「急いでかけ上がるのは危ないよ。さあ、小さなレディ。お手をどうぞ」
少し身を屈めて、腕を差し出しだされる。祖父の気遣いにオーレリアは安心感を得て、礼服越しからも分かる太く逞しい腕に手を絡めた。
「まあ、あなただけズルいですわ」
「では、麗しの貴婦人には左の腕を差し出そうかな?ははっ、両手に花だ」
「わたくしはオーレリアと手を繋ぎたいのです」
無邪気にむくれる祖母。二人に囲われて、オーレリアの心にゆとりができた。
興味深く見つめる視線、囁き声の会話も遠ざかり、ホッと胸を撫で下ろす。
「前ルヴァン公爵閣下までいらっしゃるとは、前年に常識を覆す大発掘をされたと聞いている」
「では、連れ立たれているのはルヴァンの花と言われるオーレリア嬢か」
「新年祭の醍醐味の一つだ。公爵家深窓の姫の姿を拝見できるのは・・・より美しくなられているな」
「前公爵が統括されている発掘部門の後継者になられるらしい。惜しいな、いまだに婚約者はおらず、あの美貌と聡明さだ。叶うことなら息子の妻にしたかった」
最後に、先に進んで立ち止まっていた両親とアルバのもとに辿り着くときだった。綺麗に整枝された木のオブジェの前で集っていた、記憶によれば伯爵位の男性三人の会話が耳に届く。
(私のことは周知されている)
場内でも注目を浴びるだろうと理解して、憂鬱な気持ちになりながらも家族の陰に隠れるように門を潜った。
荘厳な飾り柱、絵画や調度品が並ぶ白い大理石の壁。ローヒールのパンプスで踏み締める浅葱色の絨毯が、王家の所有する職人の手織りのものだと知っている。全て見知ったものだった。
王城で暮らしたのは四年。殺風景な自室と豪華にされた執務室を往復していただけ。ただ、暴力を振るう夫から、蔑み罵声を上げる臣下から、逃げて捕まり詰られた場所の一つでもある。
フレデリックにも、あの柱の横で暴言を言われた。
(・・・過去に囚われているわ。もう、過去なの。これからはそのようなことは起きない。私は王妃にならず、カルロ様ともフレデリック様とも・・・)
離れるべきだ。
オーレリアの愛にのぼせ上がっていた頭が不意に冷静さを取り戻す。カルロは勿論、フレデリックとも離れるべきだった。一緒にいてはいけない。愛していてはいけない。
なぜ、あれほど近寄りたくないと嫌悪すらしていたのに、愛したのだろうかと思う。
(夢見心地になっていたのだわ)
バーバラを愛する人達。オーレリアを嫌う人達。
だから、フレデリックを愛するべきじゃなかった。カルロに出会うなんてすべきではない。
冷静さを取り戻したオーレリアは、口元を引き締めた。背筋を伸ばし、前を見据える。
父親の背中の向こうに謁見の間の扉が見えた。
(なぜ、将来を共にしたいと言ってしまったのでしょう。今日からでも決別しなければ)
首元から聞こえる金属の擦れた音。視線を落としたオーレリアの目に、夕日色の宝石が揺れているのが見えた。
(陛下への拝謁が終わったら外してしまおう)
冷めていく熱情。お互いを繋ぐものは残すべきではないと考えに至る。
ネックレスは返そうとも思い、彼女は家族に続いて、騎士に扉を開かれた謁見の間へと足を踏み入れた。
壁一面の窓ガラスから光が入り込み、室内を明るく照らしていた。
金糸で模様が描かれた深紅の絨毯が、入り口から奥まで続いている。突き当たりにある段差。三段上がれば空間があり、宰相と将軍が控えている。その更に二段上がれば、金に縁取られた玉座が二つ。
艷やかな黒髪と赤い瞳を持つ長身巨躯の国王陛下と、小麦色の髪と夕日色の瞳をした優美で小柄な王妃殿下が座していた。
王妃殿下の横には二人の王子。国王陛下瓜二つのカルロと、王妃殿下の優しい面差しを引き継いだフレデリックが並んで控えている。
(見られて、いる・・・)
カルロもフレデリックもオーレリアへと顔ごと視線を向けていた。フレデリックは取り澄ました表情だが、カルロは訝しむように眉間に皺を寄せていて、彼女が近付けば歯を食い縛った。
(怒っていらっしゃる)
何故だろうか。
オーレリアは疑問を感じても、声に発することはできない。
三段の段差を上ると父親に続き、家族と共に礼をする。
「ジルベール・ルッツ・ルヴァン。只今参じました。新年を迎えてラスロー国王陛下にご挨拶を申し上げます。新たな一年、陛下の治世のもとカルネアス王国が更なる繁栄をされるでしょう。ルヴァン公爵家は変わらぬ忠義を国王陛下、並びにカルネアス王家に捧げます」
「・・・ルヴァン公爵、貴殿の忠誠に疑いなどない。面を上げよ」
父親が頭を上げれば、オーレリアも続く。他の家族共々、真っすぐに国王陛下と王妃殿下を仰いだ。
斜めから感じる強い視線は意識しないと努める。
「アルマ王妃殿下もお変わりなく、ご健勝で・・・」
父親が言い詰まった。オーレリアは気になり、王妃殿下を目に映す。
慎ましく愛らしいと謳われた王妃殿下は、頬を赤らめて自身の膨らんだ腹を撫でていた。細身の彼女の腹は、締め付けの少ないドレスを身に着けているにも関わらず、主張していて。
「よもや」
「お前が目を丸くするとは珍しいな!はははっ、よほど驚いたと見える!アルマ、ジルベールの顔を見てみろ。無表情が崩れているぞ」
「まあ・・・」
言葉遣いが砕けた国王陛下に引かれてか、口元に手を向けて楚々として笑う王妃殿下。二人の明るい表情は、喜びの中にいるのだと分かった。
「アルマは妊娠をしている。第三子だ。まさか俺がこの年で子を授かるとは思わなんだ」
「おめでとうございます、国王陛下、王妃殿下。お腹のお子様の健やかな成長、安産になりますようにお祈りいたします」
「ありがとう、アマリア」
朗らかに祝福する母親、同じく祖母も喜んでいる。アルバは困惑しているかのようで、怪訝な顔で父親を見上げていた。祖父は「あの時か」などと言っているが、オーレリアの耳を素通りしただけ。
(三番目のお子・・・国王陛下の、ラスロー国王陛下にはカルロ様とフレデリック様だけだったのに)
時が戻る前は、現国王陛下の子供は二人だけだった。成人を迎えたカルロに譲位をして隠居となった義両親は、国政に一切関わらず、王家所有の領地で暮らしていた。
仲睦まじい、新婚のままだと言われていた二人だったが、その時すら第三子懐妊の報告はなかったのに。
(おかしい)
以前には起きなかった王妃の懐妊にオーレリアは困惑した。
イルルラルバの神殿が奪われなかったことも変化ではあるが、彼女としては喜びがあり、未知の神殿を拝観できるという気持ちも勝っていた。
この変化はおかしいと思う。なぜ、王妃殿下が懐妊されたのか分からない。運良く、偶々この時に授かったのだろうか。
(ただ時が戻っただけではないのかもしれないわ)
オーレリアは気付かれないように、ゆっくりと息を吐く。
未来が変わる。王妃になる道から外れているのだから、十分あり得ることだった。