恐怖で身が竦む
なぜカルロがやって来たのか。
オーレリアに会いたいと祖父に訴えてたのは知っている。兄を使って呼び出そうとしたこともあった。
非常に興味を持たれていると分かっても、自ら足を運ぶほどとは思っていなかった。
王城から三時間ほどかかるはずなのに、王太子教育を受けていることで外出する暇などないはずなのに。
「・・・本当に美しいな」
手が伸ばされる。
現在のカルロは十二歳。少年期の終わりではあるが、大人と比べれば圧倒的にか細くて背も低い。
しかし、オーレリアには大人のカルロの姿が重なって見えて、大きくて骨張った手に殴られた記憶が呼び覚まされる。
カルロは長身で筋肉逞しい体格の美丈夫だった。腕も太く、そこから伸びる手もオーレリアの顔を覆えるほど大きさ。
「い・・・っ」
拒絶の声を飲み込むも、迫りくる手からは逃れようとして体が後退した。
ガゼボの柵に背面が当たる。
「・・・君は家族以外の男とは関わりないように過ごしていたと聞いている。私が怖いか?」
手を伸ばしたままカルロは一歩とガゼボの中に踏み込む。追い詰められているオーレリアには逃げ道がない。
「け、敬愛する王子殿下に対して、不敬極まる行いだと、しょ、承知しております。で、ですが、男性が、怖くて・・・申し訳、ございません」
カルロが怖い。
差し出してくる手が、いつかはオーレリアの顔を殴るから。渾身の力で殴られたから、前歯は折られて鼻も曲がった。
体も大きく逞しくて、首を掴まれて吊るされたこともある。重石のような重さで腹の上に座られて、何度も殴られた。
足も、逃げようとかけたのにすぐさま追い付かれて引き倒された。あのときの血交じりの土の味は忘れない。
近付いてほしくない。いなくなってほしい。
幼子のように震えて願ってもカルロには届かない。
「大丈夫だ、怖がる必要はない。私は君と・・・仲良くなりたいんだ」
そのようなことは望んでいないのに。
「カルロ王子殿下、お嬢様から離れてください!」
「黙れ!!」
「ひっ!」
追いついたメラニーが止めようと声をかければ、中庭に響き渡るほどの怒声が発せられる。
聞き覚えしかない声。いつも向けられていた怒りの声。恐怖で身を跳ね上げたオーレリアは、膝をついて蹲る。
(早くいなくなって・・・私は、あなたに何も、バーバラ様にも何もしていない)
頭を抱えて目を瞑る。
そうすれば、何度か頭を殴ったあとでカルロはバーバラの元に帰るはずだった。
「・・・怯えないでくれ」
「っ、え?」
肩に触れられる。穏やかな声が落とされる。
恐る恐ると顔を上げれば、赤い瞳が間近にあった。憂いを帯びた眼差しが向けられていた。
「カ、カルロ王子殿下、あの、わ、わた、わたし」
「これほど怖がられるとは思わなかった。君にとって私は悪魔のように映っているようだな・・・震える君を見てると切ない気持ちになる」
「あの、わたし、不敬で、私」
肩に触れていた手が背中へと流れてゆっくりと、じっとりと撫でられる。そのままカルロは身を寄せて、オーレリアの体を包み込んだ。与えられる感触と温もりに、不快感を得た彼女はただ震えるだけだった。
「私は君を・・・苦しめたいわけではない。君の可愛らしさに夢中になってしまっただけだ。だから泣かないでほしい」
カルロの指がオーレリアの目元をなぞる。そのまま頬を包むように触れると、親指が涙の跡をなぞった。
「可愛いオーレリア。こんなに可愛い君を泣かせて忍びない。私は君を虐めるつもりはないんだ。ただ仲良くしたいだけ。だから一緒に」
「カルロ殿下!!」
再び響き渡った怒声。その声が祖父のものだと分かったオーレリアは、縛り付けるような赤い眼差しから目をそらすことができた。
ガゼボの入り口にいる祖父は、険しい顔をしていた。オーレリアに抱きついているカルロを睨み付けている。
「貴方が王子殿下とはいえ許せぬ行いだ!オーレリアから離れなさい!」
「・・・アルスター殿か」
舌打ちが聞こえた。カルロから聞こえたことにオーレリアは体を跳ね上げるが、恐怖で錯乱している彼女の背をゆっくり撫でて、身を離した。
オーレリアの前に立って祖父と対峙する。
「諸用で貴家に来訪したんだ。オーレリア嬢に挨拶するのが礼儀だろう」
「怖がらせて泣かせることが挨拶だと仰るのか」
「怖がらせたのは謝ろう、そんなつもりはなかった・・・ルヴァンの花は非常に魅力的だ。つい引き寄せられてしまった」
「貴方の来訪目的はオーレリアだと分かっています」
オーレリアは見上げる。瞳に溜まっていた涙が頬に流れ落ちた。
そのぼやける視界にはカルロの後ろ姿しか映らない。だが、彼が腕を組んだことで苛立っていると分かった。
「会いに来て何が悪い。再三、私は呼び出したはずだ。貴殿もルヴァン公爵も全く応じないのだから自ら足を運んだ。それの何が悪い」
「オーレリアの何が貴方の興味を引いたのか知りません。ただ、当家の方針でオーレリアは跡継ぎになるべく教育中です。貴方も王太子教育の真っ只中でしょう。お互いに茶を飲んでいる場合ではありません」
「フレデリックには会わせたのにか!!」
耳を突き抜けて頭の中に響き渡る怒声。
オーレリアが再び頭を抱えれば、駆け寄ってきたメラニーが抱き締めてくれた。どうやら祖父を呼んだのは彼女らしい。
しっかりと抱き締めてくれる安心する温もりへと顔を上げる。
視界に映ったカルロは、怒りで歪む表情をオーレリアに向けていた。
「フレデリック殿下に会わせたわけではありません。家業の一部門である発掘事業で偶然居合わせただけです。その後も、フレデリック殿下が発掘に意欲的でしたから、何度も顔を合わせただけに過ぎません。ただ、フレデリック殿下の下心は理解いたしましたので、今後はオーレリアに会わせることはありません。貴方と同様にね」
最後の発言が引っかかったようで、カルロは素早く振り返った。
「オーレリアはっ・・・高位の公爵家令嬢だ。立場があり、国の礎になる重要な存在に近しい地位にいる。私に顔を見せないほうがおかしい。公爵家として王家に忠誠を見せるべきだ」
「遠回しに仰られては分かりかねます。はっきりとしていただきたい」
「・・・オーレリア嬢を私の妻に迎えたい。王家と公爵家の結び付きが強固になり、カルネアス王国の更なる発展に繋がる。何より、オーレリア嬢はとても美しい。一目で心を奪われたから私の妻にしたい」
嫌だ。オーレリアの喉は震えていて、心も体も縮こまってしまっているせいで拒絶はできなかった。
「強欲でいらっしゃる・・・私がそれを許すと思っているのですか?カルロ王子殿下、私は貴方の父の教育もさせていただいたのですよ」
祖父の手がカルロの腕を掴み、引き寄せると襟首を掴んだ。
「なっ!?離せ!!不敬だぞ!!」
「非常に目に余る行いをされる子供に不敬も何も無い。厳しく叱って差し上げよう」
フレデリックも言っていたが、祖父は老いを感じない逞しい体躯をしている。女性二人分の太さがある筋肉質な腕に、少年の力では勝てない。
「オーレリア!また、君に!」
引き摺られるように離れていくカルロが腕を伸ばす。
その姿を、首を横にすることで視界から消し去ると、オーレリアは強く目を瞑った。
「大丈夫ですか、お嬢様」
安心感しかない声と温もりに、身を寄せる。
彼女が落ち着いたときには、夕暮れで世界がオレンジ色に染まっていた。
怖がる女の子の描写に力を注いでしまいますが、無意識です。気が付いたらこうなってる。
本来は短編で書きたかった話ですので、初期は描写少なめで書いていました。長くなると理解したので、思うままに書きます。