4話
徐々に脳みそが正常になってゆき、思考と視界がクリアになる。
「げほっ! けほっけほっ……あー……やっと息ができた……」
血を吐く状態になる事が相対的に回復出来たと言えるほど、命の危機に瀕していた。
魔法少女の体は魔力がある限り自己回復する事が可能なので、変身する事で外傷を治すフェニックスの再生の炎とは別のアプローチで身体を癒す事が出来た。
「ぐ、グレイ……? 大丈夫なの?」
「もうちょっとで死ぬところだったけどね……危機一髪だ。」
フェニックスに肩を借りながら飛んでいた。
俺に飛行能力は無いため、しばらくそのままくっつきながら、建物の穴から覗くアイツを見ていた。
アイツにそんな頭があるとは思えないが、万が一、今のやり取りを見ていつでも変身できる状態にない、あるいは変身に何かしらの条件(これは俺にも分からないが……)が必要と気づかれた可能性がある。
「くっそ……あいつ名乗らないのが最悪すぎる。なんて呼べばいいんだ。」
識別名が無いのが厄介すぎる。アレとかソレとかの代名詞やあいつこいつのような自機の名前で呼ぶしかない。かなりの難敵だった。
「大丈夫なら……変身さえすれば、あなたはアレと相性がいいからこっちの物ね。」
「相性? 性格?」
「能力よ。あなたに限らず、スライムは切るタイプの魔法少女に弱いのよ。」
「あぁ……でもこれあまり得意じゃないんだよな。」
それでもフェニックスは拳と炎で戦うタイプなため、それと比べると断然違うだろうが。
「えっ? あなた確か剣道の段位持ってなかったかしら?」
「そうじゃなくて……腕の長さとか目線……身長とかが変わってるから、勝手が違うんだよ……」
「なるほど……」
変身形態での近接戦闘が苦手な理由の全てだ。もっともそれでも魔物相手に遅れを取る事はないが、模擬訓練では他の魔法少女とは分が悪い。
「でも、ここから飛び降りてアレに切りかかる分には特に問題ないんじゃない?」
相変わらず、かなり無茶な案を考えつく女だ。
俺が飛べないことはフェニックスが1番理解しているはずなのだが。
「……人使い荒いなあ。」
「支援はするわ。それでいい?」
「フェニックスがそう決めたなら、なんでもいいよ。」
作戦……と言うほどの大層な事はしないが、やる事は決まった。
手放されたことにより、今度は重力に手を引かれ落下する。
俺たちが空に退避してもなおまだスライムで追撃しようとしていたらしく、既にこちら側に構えていた伸びた触手が明確に攻撃の意志を持って襲い掛かってくる。
目前にあるものは全て切り、視界に収まらない物はフェニックスの支援砲撃で弾く。
普通の物と違って蒸発しない油のスライムとはいってもそれはそれ、炎の衝撃を完全に消す事は出来ないようで、着地までに俺に届く触手は無かった。
すっかり体積が縮んだスライムを蹴り飛ばし、女と対峙する。
「よお。さっきは楽しそうだったね。」
「チッ……アリスブルー……!」
「活動名で呼ぶの辞めてくれないかなぁ。可愛い名前の奴に倒されるのも気分良くないでしょ?」
「ふざけるな! そんなくだらない事を話に来たんじゃない! お前を倒して、私の新しい人生が――!」
「ごめん。それはまた今度ゆっくり聞いてあげるよ。」
長くなりそうだし、相手の身の上話を聞いてあげる必要も無いので一刀の元に切り伏せた。
そのまま灰になって消えて行く。前回もこんな感じだったのだが、こいつらは倒してもどこかで復活するのが厄介だ。
「お疲れ様。……ごめんね。私がもっと上手く立ち回れたら。」
「は……はぁ……疲れた。早く風呂に。」
もう怪我も直せた事だし、無駄な魔力を消費する必要も無いので変身を解除する。
当然で残念な話だが、男の姿には戻れなかった。
服がないのは想定していたので、そこら辺にあったバスタオルを借りる。これくらいは恐らく許してくれるだろう。
「ん? 風呂……?」
そこで当初の予定を思い出す。
服はおそらく朱華が用意してくれている。これはいい。とてもありがたいと思っている。
「報告の前に先に済ませよっか。話が拗れても面倒くさいからね。」
「う、うん?」
しかし問題はその前にある。
この身体を……洗う?
誰が……?
……俺?
「ほら、報告する必要もあるんだから一応早くしないと。」
「ま、待って……流石に恥ずかしいから……!」
朱華に手を引かれながら浴場に入る。
外の惨状とは裏腹に、浴場の方はと言うと全く荒れていなかった。
それはいいのだが……出来れば正直使えない状態になってくれた方が、俺としては助かったというのは少し邪な発想か。
「相変わらず、変身した時の威勢はどこに行ったのよ……」
「あ、あれは抑圧された本性というか……今は理性が強いというか……」
こんな理性が無ければ恥じる事も無かったのだろうか……?
というよりなぜ朱華がついてくるのか。
「ひ、1人で出来るから! あんまり見られると……」
「そんなに長い髪をいきなり手入れしろって、私でも無理よ。2人で洗った方が早いわ。」
「こんなもの切れば……」
「ダメよ勿体ない!」
「え、えぇ……」
そのあたりの決定権は流石に俺にあると思うのだが、なぜ朱華が拘っているのだろうか……
待てよ? さっき全身が燃えた時、当然髪も無事ではなかったハズなのだが、
流石に漫画のようにチリチリアフロになる事は無くとも、今の髪は特に傷んでいる様子は無かった。
魔法少女化による回復効果の基準が未だに分からないが、もしかすると切ってもこの長さで再生するかもしれなかった。
……ひとまず「髪の手入れ」を大きめの課題に追加しておこう。
「……これからどうしよう。」
「いつも通りでいいんじゃない?」
「軽っ!」
悩んでるのがバカらしくなるくらい、それはもう軽い返答だった。
実際他人事なんだろうが、もうちょっと何か欲しかった。
「い、いや流石にいつも通りという訳には……他の魔法少女とかに見られたら……!」
「そうは言っても、男の時に見られるよりマシでしょ? 今まで男の姿を隠してたんだから大丈夫よきっと。」
「あれ? そう……なのか?」
俺は男が魔法少女になれるのは俺だけという事で、変身前の状態では、魔法少女関係の人員には殆ど接触せずに活動していた。
いわゆる極秘事項扱いで、男の俺が魔法少女グレイ……厳密には魔法少女アリスブルーである事を知るのは僅か数名に限られる。
そう考えると確かに、今まで隠れていた理由が今だけはなくなっていると考えると平時より動きやすいのだろうか……?
「……いや、正直こんな事誰にも知られたくないんだよ。出来れば朱華にも。」
普通に接する事は出来ているが、とにかく恥ずかしい。服がないとか、今裸を見られているとかそういう状況を置いておいても、変身事故でこういう姿になったのは本当に誰にも知られたく無かった。
それになにより、女の姿を1度知られてしまうと男に戻れた時にまた弊害が生まれるのではなかろうか?
「まあ、戻れるか分からない未来の話より、今どうやって生きていくかの方が大事じゃない?」
「それは……そうかもしれないけどぁ!?」
さっきまで髪にかかっていた手が身体に回された。
予想外の刺激で声が出た。
「な、何して……!?」
「何って身体を洗ってあげてるのよ。」
「流石にそれは1人で出来……んぅ!」
「本当に1人で出来る? こうやって触って、擦って、汚れを取るところまでやって"洗う"なのよ? できる?」
「多分……」
「1人でやるなら良いんだけど、今はちょっと急がなきゃだから、悪いけど浅葱が慣れるまで待ってあげられないの。それでもできる?」
「う……お、お願いします……」
「よろしい。」
朱華は遠慮なく、本当に遠慮なく俺の身体を洗い始めた。
いくら付き合いが長いとはいえ、普通ちょっと嫌ではなかろうか……?
「前から思っていたけど、変身後のスタイル本当に良いわね。」
「……気にした事が無かった。みんな似たような感じだし……」
「馬鹿。周りはこのスタイルを頑張って維持してるのよ! あなただけ変身で肉体まで変わってるから知らないだけ。」
男の時でも多少は体力作りはしていたのだが、どれほど影響があったのかは分からない……
ただ、少なくとも彼女が言うような努力はしていないので、言わんとせん事は分かった。
「ん……そうね。男と違って例えば胸の下とかきちんと洗わなきゃなんだけど……無いからいいか。」
「無くていいの!」
しかしなんというか……流石に距離が近すぎる……
洗われているのはタオル越しなため、身体に直接の接触は無いのだが、タオル越しでも指の確かな感覚や、濡れた朱華の髪が俺の肌に張り付く感覚、息が俺の身体に当たる感覚等、脳を揺らすには十分すぎる刺激が多い。
これはあくまで介護的行為。
だがそう頭で理解していても身体が反応する為徐々に頭の方にももんもんとした感覚に染ってくる……
「さ、流すわよ。」
「え? あ、ああ……」
……これは思った以上にこの生活を続けるのは難しいかもしれない。
清掃班に報告中の朱華を喫茶店で待つこと数分。
男の時は変身後以外で業務に関わる人員と顔を合わせる事はなかったので、一応今もそれにならって顔を合わせずにいる事にした。
気を利かせてか、上下ジャージで用意してくれたので、衣服に関して特に抵抗は無かった。
もっともジャージ服の女が喫茶店で一人でいる事に関してはなかなか気まずい物があったが……
さほど待つことも無く、朱華は戻ってきた。
「お待たせ。」
「ありがとう……いつもそうだけど、変身解いちゃうと引継ぎとか全部任せきりになっちゃう。」
最初からずっとそうではあるのだが、今日は特に体に負荷がかかりすぎてしまったため、用事を済ませる前に変身を解いてしまった。
今日ほどのことはあまりなくとも、似たような流れになる事は度々あるため、それは朱華が承知の上でも多少、申し訳なくはなる。
「それはいいんだけど……今日のは流石に無茶しすぎよ。」
「そう……だね。朱華がいなかったら危なかった。」
「危ない? 死んでたの間違いじゃないの?」
「……朱華が居たらそんな事にはならないって思ってたから。」
「っ。また調子のいい事言って。」
事実として朱華が居なければあんな賭けのような真似はしない。
命を賭ける行為はそれ相応の信頼が無ければそもそもやろうと思わないからだ。
「約束して。生身の状態であんな無茶二度としないで。」
「朱華が居る時も?」
「居る時も! 死んじゃったら残された妹さんどうするのよ。」
「藍墨を残して死ぬわけないだろうが。」
「急にトーン変えないでよ。ちょっと怖い。」
少しだけ引かれた。
というのも当初、朱華は藍墨を魔法少女として勧誘しに来たのだが、まあ色々あって俺が変身することになった。
俺としても妹をこんな危険な目に合わせる訳にも行かないので、そこにだけには不満はないのだが。
今のこの惨状を考えると、少しだけ後悔が生まれたかもしれない。
が、しかしそうでもなければ、男の俺が魔法少女になる事は無いだろう。
と俺は思っているのだが、この手の装備を作った技術班共はバグのような俺の存在に頭を抱えているらしい。
なってしまったものは仕方ないとして、今日に至るまで魔法少女として活動していたのだが、
何らかの不具合で男に戻れなくなってしまった以上、組織との付き合い方も変わってしまうかもしれない……
「あ。」
「何?」
「家族にどう説明しよう……」
「あー……」
両親に仕送りはしているので、とりあえずそっちは当分は大丈夫。
問題は一緒に暮らしている妹・千月藍墨だ。
当然ながら俺が魔法少女となった原因の一人の為、必然的に魔法少女アリスブルーの事は知っているが、だからといって俺の普段の姿がアリスブルーに準じた姿になっているのは受け入れられるとは思えない。
「でも、まずは仕事の方を何とかした方が良いと思うわ。」
「そうだよな……」
魔法少女という事は所属する組織が存在する。
そして組織に存在する以上は何事にも報告義務が伴い、特に今回に関しては魔法少女の装備の不具合に関する事なので、尚更俺で止めておくわけにはいかなかった。
「ほら、それ食べたら行くよ。」
「……最後の晩餐かなぁこれ。」
「何言ってんの。」
分かってはいる。分かってはいるのだが……本当に気乗りがしない。




