3話
丁度1年前になる初めての仕事を思い返してみると、今目の前にある銭湯は全く同じ場所で、かつ全く同じメンバーで挑んでいるはずだと言うのに、なんだか建物から醸し出される圧力は全然違った。
「じゃ、じゃあ行きますか……」
気乗りしない、どちらかと言うと逃げ足な足をまたもや袖を引かれて止められた。
「ちょっと、あなたは女でしょ?」
「断じて違います! 俺は男!」
「何処が? 変身してなくてそれならもう言い逃れは出来ないと思うのだけれど……」
「だ、だとしてもかなり抵抗があるというか……」
既視感。
言ってる事はごもっともなのだが、しかしそれそれで納得出来ない感情もあった。
「そもそもあなたの体も洗いに来たのよ。男湯なんて入れる訳ないじゃない。」
「じ、実は週1ぐらいで来てるから大丈夫。」
「なんの根拠よ。とっとと観念しなさい!」
「うあっ、力強っ!?」
一般人が魔法少女の力に敵うはずもなく、女と書かれた暖簾の奥に引きずり込まれた。
中は湿度こそ外より高いものの、前回ほどの異常は感じなかった。
全然常識の範囲内の空気だ。特におかしい所は無い。
「普通ね……」
「何事も無ければそれで……は、早く帰りたい……」
「ちゃんと全部調べてからね。」
「今俺戦闘員じゃないんだよ!? 安全が確保出来るまでこんな危険な場所に連れてこないでよ!?」
持ち前の気配察知も心が落ち着かないので全くアテにならない。魔力探知は変身出来ないので言わずもがな、だ。
「うーん……前と同じで脱衣所には特に異変は無いわね。」
「じゃあ俺ここで待ってていい?」
「……そうね。私と離れる事にはなっちゃうけど。」
……あれ? 何だこの不安な気持ちは。
いやしかし、前回の流れを汲むなら浴場に魔物が居る恐れがあるのであれば、変身出来ない俺はここに居るのが正解だ。
気持ちだけの不安と事実上の安全がトレード出来るのであれば問題は……無いように感じる。
「じゃあ、もう少しだけそのまま待っててね。」
「う、うん。」
こうして1人取り残された。
ここで待つと言っても何か出来る事がある訳でも無いので、体を隠していた布をせめて綺麗なバスタオルに変えようと、脱衣所を漁っていたその時だった。
ぼとり。と、何かが落ちる音がした。
音の響き方からして個体っぽくない。
今も尚落ち続けてるような、そんな感じの音がする。
一瞬で肝と頭が冷える。気配の出処は理解出来たが、流石に数手遅かった。
「ひ、いやあああああ!?」
「浅葱!? 大丈夫!?」
スライムは天井にへばりついていた。
完全に油断していた。前回は前回と割り切って考えるべきだった所を、なぜそんな勘違いをしたのか。
「あっ、た、助け……!」
スライムの体はちょうど俺とフェニックスの居る浴場との間に落ちたので、合流が難しい。どう動いても生身の俊敏性では回避と合流が間に合わない。
それにまだフェニックスの姿が目視できる位置にないので、どう動けばいいのか分からない。動けば余計に悪化する可能性まであるのだ。
しかし……
「重っ……い? いだだだだだっ!? 痛い!」
とうとう壁に追い詰められ、回避が完全に不可能な状態になってしまった。
ほんの少しだけなら触っても大丈夫な可能性に賭けて通り抜けようと試みたが、思った以上に丈夫な粘体の表面に阻まれた。
それだけでなく、その接触をきっかけにこちらに標的を定めたようだ。
手足を絡め取られる。
ただのそれだけの行為で、通常の人体には耐え難い激痛を産む。魔物とはそういうものなのだ。
「痛い! や、やめ、助け……むぐっ!?」
「変身されては厄介ですからね……前回のリベンジに来ましたよ。」
口を塞がれ、呼吸すらままならない中聞こえてきたのはフェニックスの物ではない声。
「私は甘くは無いので……このままブチ殺します。悲鳴すら、聞く価値もありません。」
「はああああっ!」
流石にいよいよ2度目の死を覚悟したのだが燎原を思わせる炎が俺の視界を覆った。
しかし俺の身体に炎による傷は無い。触れられていた部分の皮膚が焼けるように熱いが、それはスライムによるものだ。
それもむしろ炎で焼かれた後は徐々に収まっているような気もする。
という事はこれはフェニックスの支援だ。
「再生の炎……なんとか間に合った……もう少しだけ我慢してて!」
「あ、ありがとう……!」
「……自由になってもまだ変身しない? まさか人違い……いや、この顔を間違える訳が無い!」
「あなた……何を!?」
「ほらっ! なんの目的があるのか知らないけど、魔法少女は変身しなければ普通の人間と同じ性能なんでしょ!? 死にたくなかったらとっととあの憎たらしい姿に変身なさい! グレイ!」
「あぐっ……! いっ! ぎ……や……やめ……」
スライムで少しずつ焼かれてから解放、そのタイミングでフェニックスの再生の炎が発動し、傷を治す。傷が治ればもう一度焼かれ、再び炎で傷が治る。その繰り返しが行われた。
再生の炎による回復効果は他の魔法少女の追随を許さない程で、極端な話切断されてもくっつく程だ。
しかし今はその能力が逆の方向に作用してしまっている。もちろん無ければとっくに死んでいるかもしれないが、生きている限りこの苦痛は続く。
そんなやり取りの中で埒が明かないと判断したのか、今度は大きな火柱に包まれた。
床と屋根に穴が空くほどの火力でスライムを跡形もなく消し去る。
流石に俺にもダメージは多少あったが、スライムによる苦痛が永遠に続く事に比べれば遥かにマシだった。
そして今度こそ、傷が完全に再生した。
「はぁっ……! はぁっ……! あ、ありがとう……助かった……」
「大丈夫!? 立てる?」
「む、無理……ごめん……」
激痛で身体に力が全く入らない。今はもう地面に転がっている事しか出来ず、残る1人の相手をするのは絶対に無理だ。
せめて変身さえ出来れば、動く力ぐらいは魔力で何とかできると思うのだが……
「チッ。まあ、いい声で泣いた分、溜飲は下げてやりますか……」
「フェ、フェニックス……! そいつは使い魔が居なくなったら何も出来ない……! 今のうちに……!」
「ええ。分かってるわ……!」
さっきのは仮にも大技なので、反動で大きく隙を晒していた。それは本体が無防備なタイプのコイツも同じではあるのだが、何故かこちらは妙に余裕を感じさせる佇まいだった。
……まさか。
今日は嫌な予感ばかり当たる。それも手遅れのタイミングで。
「きゃっ、何!?」
反動から体勢を立て直す前に、もう1匹いたと思われるスライムに足を掬われる。器用に手足を封じ込め、見事に魔法少女フェニックスの逆さ吊りが完成した。
「アッハッハッハッハッ! いい気味ねえ……」
しかし、今までもそうだったように、スライムは炎で蒸発させられるため、今まで通り処理が可能であるはずだ。
フェニックスもそう判断したのだろう、全身を燃やし、体の自由を取り戻そうとしたのだが……
「き、消えない……!? このスライム、燃えてる!?」
「そう、あなた専用に作った油のスライムです。自分の炎に焼かれる気分はどうですか?」
……恐らくダメージ自体は軽微だろうが、拘束されている以上分が悪い。
「ほら、見てないで助けてあげなさいよ。死ぬ気で掴みかかれば、スライムの手の1本は解けるかもよ?」
髪を掴まれ、顔をそちらへ向けられる。
熱気が顔を撫で、思わず顔を顰めた。
しかしそんな事に怯んでいる場合ではない。
コイツの言う通り、今動けるのは俺しか居ない……なら……!
「今……助ける……!」
「アッハハ! 本当に突っ込んだ! バッカみたい!」
「ちょっと!? 何してるの!?」
「熱っ……くない……! フェニックスの本当の炎は……こんなもんじゃないから……!」
体が燃える。そんな比喩表現をする事はあるが、本当に燃えたのはこれが初めてだ。
しかし……こんなものは所詮ただ物理の現象として燃えているだけだ。
フェニックスの本気の炎を食らえばこんなものでは済まない。
「はっ……! はっ……!」
「辞めなさい! 浅葱!」
息が吸えない。吐くこともできない。
……が、不思議と頭は燃える身体とは真逆に冷静になっていく。
当然ながら油のスライムという事で、滑ってしまい手では上手く解けない。
「があああああああああ!」
フェニックスの腕を縛る触手、その根元であろう部分に噛み付き、千切り取った。
覚悟はしていたが……恐ろしいほどに不味い。
「解けた! 大丈夫!? しっかりして!」
「ぁ……」
フェニックスを解放できた事を確認できた途端、体の電池が切れたように動かなくなった。
当然だ。とっくに人間の限界を超えて動いていた以上、緊張の糸が切れれば暫くは動けなくなるだろう。
加えて、もう手遅れなほどのダメージを負っている。
……俺が最初に変身した時も、助からないから見捨てろと言われた覚えがあるな。
その時何故か、ふと、今目の前にいるフェニックスではなく、朱華緋鳥として話した時の会話を思い出した。
……
「あれ、緊急時以外に人に渡したらダメだろ。」
「ロックをかけてあるから、子供に持たせるぐらい大丈夫よ。それに……」
「?」
「真の魔法少女ってのは、道具の有無じゃないわ。」
「その心は?」
「……答え言ってるじゃない。心よ。その点で言えばあなたは十分だと思うわ。ちょっと家族に偏りすぎだから、他に分けてあげると丁度いいんだけどね……」
今更何でこんなことを思い出したのかは分からない。ひょっとしたらコレが走馬灯と言うやつなのかもしれないが……
自分で言うのもなんだが、本当に走馬灯ならもっといいシーンというか、別のシーンがある気がする。
この時は朱華の言ってる意味は正直いまいち分からなかった。
……けど、今なら何となく分かる気がした。
魔法少女というのはこの世界では職業のひとつだが、その存在を認めるのは免許や資格や道具といったモノではなく……
「コード:変……身……」
誰かを助けるという気持ちに力が応じるのだ。




