14話
去年の話だ。
ただの雑談ではあるが、痛みを伴った雑談のためこの会話だけは思い出そうと思えば思い出せるし、必要になれば思い出す便利な領域に記憶されていた。
きっかけは興味本位というか、興味由来ではあるが真剣な相談のつもりだった。
「朱華。今から聞くことは決して、決してセクハラとか、悪ふざけとか、そういう訳では無いんだが……」
「……既に嫌な予感がするわ。正直聞きたくないのだけれど。」
「……いや、聞いておかないとなんだか不味い気がする。不快だったらぶん殴ってくれても良いから、出来れば答えて欲しい。」
「何よ。」
「俺……というかアリスブルーってさ。催した時どっちに入ればいいと思う?」
「……」
「く、来るか!?」
半歩。いやここは思い切って5歩ぐらい間合いを取っておこう。
朱華が拳を作ったのが見えてしまったので。
「……良心に任せるわ。」
「良心に任せたら男なんだよ! 男の個室! けど、世の中は良心だけ生きていけるほど綺麗でもないでしょ……」
「核心っぽい事を言ってるけど、普通に男女共用に入ればいいんじゃない? というか、変身後に催すほど溜め込まなければいいじゃない。」
「戦闘が長引いて、我慢が出来なかったら?」
「その時は……いや、とっとと解除すればいい話でしょ。」
「例えば一般人を誘導してるとかで、どうしても解除できないときは?」
「もうそうなったら諦めなさい。」
「そんな他人事みたいに……」
相方の一大事になるかもしれない事なんだから、もうちょっと真剣に考えて欲しかったが……立場を逆転させると途端に気持ち悪くなるので、やっぱり他人事の方が正解なのかもしれないな。
「ま、そこまで言うなら、万一何かしらの事情で女の姿でお手洗いに行く必要があったらついて行ってあげるわ。手伝ってもあげる。」
「……それはちょっと嫌なんだが。」
「だったら回避しようっていう気持ちになるでしょ。私も嫌よ普通に。」
確かに。
体は同性であっても、友人という距離感の人間に手伝われるのは……ちょっととは言ったがかなり嫌だ。男の連れションならともかく……
「……なるほどな。ありがとう。」
「それと……言っておくけど、約束は守るから。」
「絶対このタイミングで言わない方がいいよ。」
「いいから。ちょっとこっち来なさい。」
「……?」
「乙女の園に片足でも踏み込んだ罰よ。」
約束の履行とは、不快だったら殴っていいと言った部分だった。
数か月とはいえ程々に魔物や敵対勢力と戦って実戦経験も積んだ俺だったが、それらを含めてもなお最も鋭い一撃だった。
今後朱華に余計な事は言わない方がいいと肝に刻まれた。
……そんな会話も記憶の奥底に沈み、レバーに刻まれた記憶も含めてお互いに綺麗に忘れ去ったであろう頃。
「……あの、さ。朱華。」
「何?」
記憶というのは不思議なもので、その存在すらも忘れた頃であっても何か一つ外部からの刺激があれば綺麗に浮き上がってくる。
……厳密には内部からの刺激なのだが。
「ちょっと、出来れば藍墨じゃなく朱華に手伝って欲しい事があって。」
「別にそれくらいはいいけど……何?」
「そ、その……――がしたい。」
「……え、本気? いや……でもそうか。」
今朝女体化してから、今に至るまでそういうタイミングがなかったと言うと嘘だが、しかし今になってそれが訪れたのも事実だ。
声に出すのも恥ずかしい。極力朱華にしか聞き取れないボリュームで助けを求めた。
顔を見合わせる。いつになく真剣な表情だ。
自分の顔は見えないが、俺も同等の逼迫した表情をしているだろう。文字通り差し迫っているのだ。アレが。
「……お姉ちゃん? 緋鳥さん?」
「藍墨、ちょっと出かけてくる。買い物で忘れ物があった。」
「あ、うん。それはいいけど……」
「……すぐ帰ってくる!」
「あ、ちょっと! ごめんね藍墨ちゃん。私もちょっとついて行くね。」
家から飛び出る。
帰宅途中で藍墨を置いてどこかに行くというのはかなり無理があったが、家まで送り届ければ話は別だ。
……正直道中かなり限界近かった。歩き方などでバレてなければいいが。
「あ、はい。お気をつけて……?」
急ぎに急いで、持っていた荷物をテーブルに置く時間ももったいないといわんばかりに床に置いて飛び出た。
「……今、お姉ちゃん呼びに反応しなかった……怪しい。」
変身以外の魔法が使えると分かった以上、日常でもある程度の無茶は通せる。身体強化を悪用し、5階から飛び出た。
これを誰かに見られると流石に不味いが、緊急事態だから許して欲しい。
朱華もそれに倣って着いてきたようだ。
「ちょっと! なんで外に出るのよ!」
「家は藍墨が居るから嫌なんだよ!」
「そんな事で……間に合わなくなっても知らないからね!?」
マンションを飛び出る。出来れば遠くで済ませたいが、今はさすがにそんな余裕が無い。
とりあえずコンビニの物を借りるとしよう。
既に顔を見られているため、少なくとも知られたくないという心理は働かない。
……トイレに駆け込む姿を見られるのは正直恥ずかしいが、今気にしている恥とはベクトルが違う。この辺説明が難しい。
「ま、間に合った……」
「はぁ……変な意地張らなきゃ家で済ませれた物を……」
下は変わらずズボンというか……ショートパンツだがその構造自体は男女でも大きく変わらないためすぐに脱げた。これがスカートとかだったら焦って悲惨な事になっていたかもしれない。
焦りながらもなんとか便座に座る事が出来た。
間に合った安堵はいいのだが……
「あ、あのさ朱華……」
「今度は何?」
「……女ってどこの力抜けば、その……出来るの?」
「……ちょっと、本気で言ってる?」
「かっ、体が硬直して、どこをどうすればいいのか分からない……!」
普通であれば安心から脱力してそのまま出そうなものだが、得体の知れない恐怖がそこにはあった。
俺が今からやろうとしている行為は本当に放尿なのか? 間違っているはずも無いのだが……
「……便座に座れているならそのまま待っていればいいんじゃないの?」
「このまま待つってのは……ちょっと、苦しい……」
確かに我慢の限界を迎えれば勝手に決壊するとは思うが、それを待てと言われると厳しいものがあった。
個人的には、今すぐ解放してほしい。
「……もう!」
コンビニ特有のデカいトイレの為、今更だが何故か朱華も中に入ってきていた。
なので「出し方が分からない」と、つい助けを求めてしまったのだが……
「ぅ……っぐ……ま、まって、今触られると……!」
「それが目的よ。押し出すわ。」
シャツ越しだが、下腹部を強めにぐっ……ぐっ……と押される。……そこは本当にマズい!
確かに物理的に解決はできるかもしれないが……この感覚は我慢するよりも辛い……!
「ほっ……ほん、とに……!」
「ほら、出しなさい。」
「あっ……あぁっ!」
トドメといわんばかりに、垂直に押すだけではなく斜めに、絞り出すように横軸の移動を加えて押し込まれた。
「やっ、……ぁ!……――っ!」
頭の芯が痺れる程の開放感。
その感覚が背筋を伝い全身を駆け巡り、姿勢を維持するのも……困難なほどの感覚を齎し……
「ふ……ぁ……あぁ……」
あ……
なんかダメかも……思考が纏まらない……
こっちをみてるはずの朱華と目が合わない……
「……」
「……そろそろいい?」
「あ……! ご、ごめ……」
「……なんで今更恥ずかしがるのよ。」
呼びかけられて視界と意識が正常に戻った。
途端に今までの緊張の糸が切れた反動……という訳でもないが、少なくとも今の数秒だけでも、その、何故かかなりガン見されていた気がして恥ずかしくなった。
「いや、その、手伝って欲しいとは言ったけど、まさか中まで入ってくるとは思わなくて……」
「じゃあ一体何をどうさせるつもりだったの?」
「ただちょっと外で待ってくれると心強いなって気持ちだった……流石に1人で入るのは恥ずかしいし……」
「普通、トイレに2人で入る方が恥ずかしい物なのよ。」
……じゃあ余計なんで入ってきたの?とは聞かないようにした。
一応協力してくれたわけだし。なんか手伝ってくれるみたいな話もした……ような気がする。
同意した覚えは……もちろん無いが。




