10話
真面目な話をするため、場所を改めて近場の飲食店に入った。
こういう時の為……という訳では無いが、奥まっていて周りからは仕切られた席がある店をいくつか覚えていて助かった。
いくら体に合わせたものとはいえ、まだ女物を着ることには全然抵抗がある。なので人目につく場所には本当に居たくない。
……女の服というのは生地が薄いからなのかもしれないが、飲食店の冷房ですら肌寒く感じた程だ。アイツらが冷房抑えてっていう理由はこれか……!
加えて、変身した訳でもないのに妹の前でこんな服装で居るのは、なかなか堪えるものがあった。
正直もう許して欲しいくらいだ。
身にまとっている物が軽く、頼りないというのはこうまで心細いものか……!
「それで、お兄ちゃんはどうなっちゃったの?」
「……正直俺もよくわかってない。仕事してたら、男に戻れなくなった。」
「ふーん……スマホは無くしちゃったの?」
「それもごめん。連絡を優先すべきだったけど、ちょっとバタバタしてて……」
「お兄ちゃんが無事なら大丈夫だよ。……って、無事では……無いかもしれないんだっけ。」
「ご、ごめんね藍墨ちゃん。私もふざけてちょっと振り回しすぎたわ。」
「い、いえ! 緋鳥さんが付いていたらとっても心強いので……そこは大丈夫です!」
……沈黙。
気まずい……別に、誰かと茶をシバいていて黙る事ぐらいは全然ある。しかし今回は沈黙の原因が俺にある以上、なんだか怒られているような気さえした。
心配させた以上、藍墨は俺に多少なりとも怒ってはいるだろうが……目の前の机のメニューがものすごく遠くにあるような錯覚がした。
ワンダーランド症候群というらしい。
「お兄ちゃん?」
「は、はい!」
「その……最初は驚いたけど……っていっても、最初に変身した時以上の驚きもあんまりないと思うけど……とりあえず、怪我とかは無いんだよね?」
「そ、そうだね。落ち込んでるけど元気は元気……だよ。」
「はぁ……良かった……」
俺のくだらない心配とは違って、藍墨は真面目に心配していたようだ。
「健気ねぇ。肝心のお兄ちゃんは最初誤魔化そうとしていたのに。」
「仕方ないだろ……何もわかんない状態でこんな事言っても不安にさせるだけなんだから。」
「そういう話じゃないのよ。ねぇ?」
「そうですよねぇ。」
なんで俺が責められるんだ……!
……いや、最初から正直に言っていれば良かった話か。悪いのは俺だ。
特に家族なのだから遅かれ早かれ知られてしまう。さっき助けてしまったタイミングで、包み隠さず言うのが正解だったのだ。
そのタイミングを逃したのは、俺の都合だ。
「それで、これからどうしようって話になってて……」
「お仕事は続けられるんだよね?」
「いや……それが……っくちゅ!」
さっきからずっと気になっていたのだが……寒い。
本当に寒い。肌寒いとかいう領域ではない。
最初は服のせいかと思っていたが、どうやらそんな規模の話では無いようだ。
時期は真夏。暑がりがいれば冷房が強くなる事はあるだろうが、この体感温度は間違いなく20度を下回っており、ただただ異常であることが伺える。
「……連絡が来たわ。近くに魔物が出たみたいね。」
こんな異常事態、まず間違いなく魔物によるものだろう。
「こんなタイミングで……場所は?」
「この建物としか……とりあえず、あなたは避難の誘導を。」
普段であれば誘導は機動力のあるフェニックスが担っていたが、今は魔物に立ち向かえるのがフェニックスしかいない。
であれば、当然の配役だろう。少なくとも、逆は無理だ。……いや、出来ないことは無いだろうが、俺が変身出来ないまま立ち向かうのは色々都合が悪い。
「ああ。変身が出来なくてもそれくらいは役に立つよ。」
「え……お兄ちゃん……」
「藍墨、ちょっとだけ頑張ってくれ。限界になった時に俺が近くにいなかったら直ぐに誰かに頼るんだ。」
「わ、わかった。お兄ちゃんも気をつけてね。」
なぜフェニックスまでが誘導に参加していたか。そんなものは非戦闘員に任せればいいものではあるが、そんな都合よく戦闘員以外の人間が近くにいるはずも無い……というのが合理的な理由。
足の悪い藍墨を優先的に、魔法少女の機動力で安全な場所まで連れて行きたい……というのが非合理的な俺の理由。
しかし今回はそういう訳にも行かない。俺が人の足で連れて行ったところで流石に何の役にも立たないからだ。
であれば、俺がその非戦闘員の役をやるしかない。
店の外に出ると、モールの床には霜が降っていた。
この冷気が店の中にも入り込んで、あの寒さを産んでいたらしい。
「これは……思った以上に大事だな。」
「浅葱! とりあえず外よ! 建物の中よりは安全だし、凍えることもないハズだから!」
「分かった! こっちは任せろ!」
近場から片っ端に誘導する。
……といっても、他にも魔法少女や警備員等が居るので、俺が全部を誘導する必要は無い。
せいぜいさっき居た店と、その両隣を誘導したあたりで、とりあえず一通りの安全は確保出来たようだ。
「……うん。逃げ遅れた人は居なさそう。」
「相変わらず便利だな。生体探知。」
フェニックスの能力の応用で、生き物を探知する事が出来る。これさえあれば人間は勿論、こういう施設であればペット館の生き物やその辺のドブネズミすら探知できる。
しかし、魔物は生き物では無いため、フェニックスの力だけでは探知する事が出来ない。
もっともこちらは魔力操作の基本技術として魔力探知があるのだからさしたる問題は無い。
「浅葱、念の為いつものアレ展開出来る?」
「……一応試してみるか、ちょっと手貸して。」
魔法少女の変身は、要は変身道具を経由して行う魔法だ。
今はどういう理由かそれが行えないが……変身以外の魔法が使えるかどうかは、今に至るまで試していなかった。
というのも、変身時に常時発動しているパッシブ系の魔法の為、自分の意思で発動することが殆ど無かったのが原因だ。
今もこうして言われるまで、選択肢から抜けていた程。
実際これも発動できるかは分からないが、出来るならフェニックスを起点とした方が都合がいい。手を取り、ゲームで言うところのバフを付与する。
「コード:α、実行。」
俺達は魔法少女なんだから、いわゆる必殺技のような魔法も幾つか持っている。
その中でもαやβのように、変身やら強化やらなんやらの魔法とは別の識別子が割り振られている魔法には、その魔法少女固有の能力が色濃くでる。
俺のものであればこういう場合に使えるサポート系の魔法で、フェニックスの場合は他者を癒す炎。確か再生の炎がαに当たったハズだ。
その中でもα:AOEは俺の数少ない、サポート系の魔法のひとつだ。
細かい仕組みを話していくといろいろ入り組んだ制御があったりなかったりするのだが……
まあ早い話、「その場にいる全員の魔法の攻撃範囲が表示されるよ。」という説明が死ぬほど分かりやすい。
魔力の生き物である魔物は、一挙手一投足とまでは言わないが、なにかをしようとすれば予兆として文字通りAoEが表示されるという訳だ。
試しに、フェニックスが軽く手を構えると、その直線上の空間に攻撃範囲である事を示す灯りが投影された。
視覚が無いことが多い魔物には、こういうシンプルなアシストがとても効く。
……操るやつがいれば話は別だが。
「魔法は使える……って事は本当に変身だけが調子悪いのか。」
「なるほどね……ありがとう。避難も終わったから、浅葱は下がってて。」
「あ、ああ。」
非戦闘員の立場として、最後に避難する。
上着を借りたとはいえ、いよいよ寒さも限界になっていたのでとっとと暖かい場所に避難するつもりだったのだが……
「……開かない。」
「え?」
少しだけ勢いをつけて、扉のガラスをぶち破るつもりで蹴り飛ばした。
が、足に伝わるのは何かを壊した衝撃ではなく、まるで大地に着地したかのような力強い衝撃だった。
「……凍りついてるな。表面もちょっと氷で覆われてる。今まで大人しかったのはこういう事か?」
「下がって。」
物理で敵わなければ、魔法で吹き飛ばせばいい。魔法とはそういう時のための手段だ。
さらに今回、炎と氷という事で相性の有利はこちらにある。ゲームであれば曖昧だが、ここは現実。熱を加えればどうなるかなんてのは、文字通り火を見るより明らかで……?
「――危ない!」
再びフェニックスが手を構えたその時、不穏な気配を感じた。
咄嗟にフェニックスを抱えて扉から遠のくと、さっきまで立っていた位置に氷柱が不自然な形で生えていた。
「……あ、危な……ありがとう。」
「痛……っ。」
「あ、浅葱!?」
扉が氷で補強されていたせいか、蹴りの反動が思ったより残っており、フェニックスを助ける時の踏み込みが少し遅れてしまったのだが……
結果、生えてきた氷柱によって足をそこそこに切った。
「近くに居る!? でもそんな感じは……!」
「た、多分向こうは魔力を感知してる……! 氷が届きそうな場所で魔法を使うのは辞めた方がいいかも……!」
「って事は……怪我も?」
断言はできないが……治療魔法も同様の可能性は高い。
さっきAoEの魔法と、動作確認のためにフェニックスが魔法を発動した時は感知されなかった。
それが果たして向こうの準備が整っていなかったからなのか、感知外だったからなのかは分からないが……用心するに越したことはない。
「大丈夫。ちょっと寒いだけだから。」
「……分かったわ。直ぐに解決して来るから、無理しちゃダメよ。」
走っていくフェニックスの背中を見送った。
今回はもう俺の出る幕は無さそうだ。




