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平野の長寶寺

前に平野に行ったけれど、長宝寺に行きそびれたのが気になっていたから、2月のある日、行ってみることにした。暖冬で、ぽかぽかの春の陽気の日。おかあさんはこの年初めての日よけ帽。

坂上田村麻呂は、桓武天皇に重用された征夷大将軍。応神天皇の時、日本に渡来し、後にはイナツヒコの名をもらったアチノオミの子孫を自称。京都の清水寺や、茨木神社の天石門別神社(祭神はアメノタヂカラオ)を創建。

その息子(広野)は平野に土地を与えられ、娘(春子)は桓武天皇に嫁いで、源氏のそうそうたる顔ぶれの祖となる親王(葛井親王)を産んだ。

春子さんは桓武天皇が亡くなると、兄を頼って平野に移り住み、長宝寺を建立したのだって。

主だった源氏たちに坂上家の血が流れていること、平野には融通念仏宗の総本山がある(元々、広野さんの屋敷に建てられたのに始まるそう)けれど、宗教の形を借りて、平野がかなり政治に関わっていたのじゃないかって気がすること、そんなこんなで長宝寺にはぜひとも行きたかった。

前回は行きも帰りも歩いて疲れ切ったので、今回はバスを利用。シティバスで平野に行って、平野から天王寺まで歩いて、天王寺からは電車で帰るつもり。

南港通を東に走るバスに乗り、地下鉄平野駅の次のバス停(流町バス停)で降りてみた。和菓子屋さんがあって、南港通の向こうには教育大付属平野小学校。前に歩いたことがあるあたりだった。横断歩道を渡って、小学校の横の道を南下していったのを覚えている。

今回は北に、長宝寺から杭全神社へと歩くつもり。予定していた道はもっと東のほうだったので、とりあえず南港通を東に。

途中、北に向かう道に歴史の散歩道の舗装道が現れて、ここを北上してみることにした。

北上して行くと細い路地に入って行って、歴史の散歩道の舗装も消えてしまった。そのまま進むと駐車場につきあたって、右手に堺口地蔵と観音寺。

平野は中世、環濠集落だったところで、川(環濠)に囲まれた町だった。川に囲まれた町の出入り口は、いくつかの橋だけ。それぞれの出入り口には地蔵がいて、今も「〇口地蔵」として残っている。堺口地蔵ということは、ここは堺とつながる道に続く橋がかかっていたところ。堺と平野は中世、大都市といえる環濠集落の双頭だったそうだから、行き来も多かったのだろうけれど、今はちょっと町はずれ感があって、人の姿もほぼ無い。


右手に進むと光源寺につきあたって、左折して北上。すぐ商店街で、ここにおなじみの道標。

右折して商店街を東へ進んだ。商店街はシャッターがけっこう閉まっていた。

途中、薄茶色にカラー舗装された道と交差して、ここを左折。左折せずにそのまま商店街を抜けて行くと平野公園があって、アカルヒメ神社があり、東の環濠の跡が少しだけ残っている。

北上していく道の薄茶色のカラー舗装は、歴史の散歩道のニューバージョン。最初の四つ辻を左折。

平野郷には、古い建物が点在している。きょろきょろしながら歩いていくと、左手に本妙寺があって、その向かいが長宝寺だった。静かなところ。

お寺の前には説明があり、桓武天皇の妃、春子が平野に禁輪寺と長宝寺を創建したと記されていた。代々坂上家の女子が法灯を継いできたのだって。今も女性が丁寧に掃除中で、外から見るだけにとどめておいた。

最初、平野にやって来た時にはなにも知らなかった。まさか坂上田村麻呂の子孫たちが、環濠集落である平野郷をつくったなんてなあ。

平野区は、どうやらとっても古い土地柄らしい。長吉長原や瓜破あたりには旧石器時代から人の往来があり、弥生時代頃には集落があって船が行き来し、古墳時代には古墳群もつくられていた。

その頃、葛城氏や息長氏が平野あたりにいたって話もある。雄略天皇の母やその兄(その子孫が継体天皇)も喜連あたりで生まれたのかもって話も。

そして継体天皇のひ孫にあたる聖徳太子は喜連に喜連寺を創建(今の如願寺)。

雄略天皇のときには葛城氏の、蘇我氏の時代には物部氏の、強大だった力を削いだ朝廷は、大阪を支配下においたのかな。

更に蘇我氏も倒して、中臣鎌足、中大兄皇子、大海人皇子らによる大化の改新は難波宮で行われた。

その頃、道昭(行基の師で船氏)は瓜破に居住していたのだって。その後、遣唐使として唐へ(653~660頃)。三蔵法師の弟子になった。

最初、道昭が瓜破に住んでいたという話を聞いた時は、とんでも話に思えた。けれど、当時、喜連や瓜破は国際色豊かな都会だったのかも。

船氏は百済王の子孫が日本にやって来て帰化し、船氏、葛井氏、津氏と分かれたうちの1つ。

道昭の頃、百済は荒れていて、日本には百済王の息子たちが滞在。660年には百済がついに滅亡。再建すべく日本も手助けしたけれど、かなわなかった(白村江の戦い)。

そんなこんなで百済からは亡命者も多数来ていて、大阪あたりに住んでいたらしい。百済の最後の王の息子の一人(善光)もまた、日本にいて、百済の滅亡後も日本に留まり、大阪あたりに住んでいた。大阪に小さな百済ができていたのかな。その名残で、東住吉あたりには今も公園の名に百済がついていたりする。

喜連キレクレがなまった地名と言われている。雄略天皇の頃、呉人(難波津にやって来た呉からの客)が上陸して進んだという道(磯歯津路)が住吉、長居、喜連瓜破と通っていたみたいで、その頃から国際色豊かだったのかな。


天智天皇(都は近江など)となった中大兄皇子亡き後は、その息子と、大海人皇子(中大兄皇子の弟)との継承争い(壬申の乱)があって、大海人皇子が勝利(天武天皇)。

大海人皇子側についたのは、大伴さんや県犬養さん、坂上さんたち。坂上さん一族は、その後も代々天皇家を武力メインで護衛していたみたい。中でも坂上田村麻呂は桓武天皇(天智天皇のひ孫)に重用された。

そして娘の春子さんは天皇との間に息子(葛井親王)を産み、その子孫が源義家や源頼朝や足利尊氏や新田義貞や・・・有名どころばかり。武門の家系、坂上氏の血を継いでいたんだな。

806年、桓武天皇死去。その年、空海は遣唐使から帰国。数年のうちに春子は空海に帰依して出家し、兄のいる平野に長宝寺を建立。

817年、聖徳太子が喜連寺として創建していた喜連の如願寺を空海が再建。

825年、加美(渋川郡)に空海、正覚寺を建立。

空海も平野にはしばしば立ち寄っていたんだな。


そして長宝寺には「後醍醐天皇行在所跡」と碑があった。

鎌倉幕府を武士たちと倒した後醍醐天皇が建武の新政に失敗し、足利尊氏は朝廷を刷新。後醍醐天皇を廃位して、京に幽閉。新しい天皇もたてた。

ところが後醍醐さんは京を脱出。吉野に逃れ、我こそが天皇だと、そこに再び朝廷を立ち上げた。

朝廷が北朝(尊氏側)と南朝(後醍醐天皇側)の2つ存在して戦い合うという南北朝時代の始まりね。

その後醍醐天皇が、吉野に逃れる前にここ、長宝寺に寄ったんだという。坂上さん一族が後醍醐天皇側についていたってことかな。

平安時代のはじめ、坂上田村麻呂の息子の広野が平野の土地をもらってから、平野には坂上さん一族が住んでいた。すぐ近くには大念仏寺がある。融通念仏宗の総本山で、平安時代、鳥羽上皇の勅願で広野さんの屋敷内にひらかれた寺に始まるという。

その後、長らく忘れられていたのだけれど、1321年、石清水八幡宮との連携で再興。石清水八幡宮は源氏の氏神ね。

1321年は鎌倉幕府を倒す(1333年)前、後醍醐天皇が親政を始めた年だった。

野心家だっただろう後醍醐天皇。幕府を倒さんと、いろんなことを考えていただろう。

石清水八幡は絶対味方にすべきだろう。源氏の氏神だし、立地もいい。京から淀川で脱出する手助けになる。

「融通念仏宗の参詣道」ともいわれる中高野街道は、守口から平野、喜連、三宅、丹南、狭山、河内長野へと延びている。もしかすると、後醍醐天皇やその側近が、融通念仏宗の名を借りて、味方を配置させた道だったのかも。

船で淀川を下って守口へ、そこから平野、河内長野、そして吉野へと進んだってことは・・・ないかな?? そしてそれには、平野の坂上家も深くかかわっていたのかも・・・。


長宝寺の西側の道を北上して行った。

長宝寺ボランティア会館があって、すぐの辻は丘の一番の高台のようなところだった。緩やかな丘の。

右折すると古そうな文化住宅的なアパートがあって、その前に「坂上廣野麿屋敷跡」とあった。子孫代々平野殿と呼ばれ、ここにあった屋敷に住んでいたのだって。

この丘に、坂上田村麻呂も広野も春子も立っていた日もあったのだろうなあ。

そのまま東に進むと、刀の博物館が目立たなくあって、和菓子屋さん(亀乃饅頭)のある四辻に出た。南の全興寺から続く、薄茶色にカラー舗装された道と交差。

左折して北上。奈良街道歩きで歩いた25号線に出て、左手に鳥居が見えた。鳥居に向かって進んでいった。

坂上広野の息子が氏神として建てたのに始まるという杭全神社へ。

津守さんの庭と同じように、この一帯は坂上さんの庭だったのだろうな。そして中世には環濠集落となっていた。

津守さんの庭(細江川の南の一帯)も環濠集落になっていたのじゃないかな、と思った。そして沢之町にある出口地蔵は、平野の〇口地蔵と同じように、環濠を出る橋のあった場所だったのではないかな?

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