宇治(三室戸)
それから宇治に行った。
応神天皇は仁徳天皇ではなく、本当はウジさん(ウジノワキイラツコ)に王位を譲りたかったのだって。そのウジさんに関わるらしい宇治に行ってみたかった。
2月の半ば、京阪電車で向かった。寒かった後の暖かい一日だった。少し前までは中国の家族連れが目立っていた京阪の急行列車だったけれど、今回はその姿は皆無だった。すっかり海外の人を見なくなってきていた。
おかあさんは、難波でも大きなスーツケースをあまり見なくなってきていると言っていた。皆無ではないけれど、大阪がこんなに観光地になる前のレベルに戻ってきているそうだ。日本でも少しずつ新型肺炎の患者が増えていて、避けられているのかな。
乗客もやや少なく、始発の淀屋橋駅で乗車率90%くらいだった。いつもは立つ人もけっこういるのにな。次の駅では100%を超えたけれど、ほとんどがビジネスパーソンのようだった。
乗車時間が長めなので、おかあさんはマスクを着用。マスク着用率は、それほど高くなかった。一時はもっと多かった気がするけれど、マスク不足と、マスクはそれほど予防効果はないって情報と、着用時の不快感のせいでか、減ってきていた。
京阪電車は懐かしい道を走った。橋本、石清水八幡宮、美豆の京阪の倉庫も見下ろして走って、京都競馬場、堤を歩いた宇治川大橋あたり、三栖閘門のあたり。随分歩いたものだなあ。
三栖閘門からすぐの中書島駅で宇治線に乗り換えた。宇治線は初めてだった。
本線はここから北の京都に向かうけれど、宇治線は東の六地蔵に向かった後、南に向かうみたい。終点は宇治駅。
途中からJR奈良線が並行して走り、宇治駅の先も南下を続け、井出(橘諸兄の本拠地だ)、木津と進んで、木津でJR関西本線(学研都市線)とつながっているみたい。
宇治駅周辺と、木幡駅周辺を歩いてみるつもりだった。
ウジさん(菟道稚郎子)が名を冠する宇治と、ウジさんの母の実家のあった木幡(宇治市)。
まずは宇治へ。宇治駅ではなく、1つ前の三室戸駅で降りたった。駅のそばにウジさんの墓と伝わる古墳があるらしくて。
けれど後で分かったことには、三室戸駅と宇治駅はむちゃくちゃ近くて(250mとかかな)、宇治駅からも古墳が近くに見えていた。宇治駅から見るだけでも十分だったかも。
小さな三室戸駅を降りると、住宅でいっぱいではあったけれど、他に降りる人もほぼいなかった。東に1kmで三室戸寺と案内されていた。西国第10番札所だって。広い庭園があって、あじさいが有名らしい。藤原犬飼なる人が宇治川の支流あたりで見つけた千手観音を本尊にして、光仁天皇の勅願で創建されたのだとか。
天智天皇の子にシキ皇子って人がいたのだって。天武天皇VS.天智天皇の息子で戦い(壬申の乱)があり、その後もごたごたしていて、シキさんは皇室とは距離を保って、文化人として生きたらしい。
その息子の白壁さんも、皇位とは全く無関係なはずだった。けれど急に話が降ってわいて、老齢になってから天皇に(光仁天皇)。その息子が、京都に遷都した桓武天皇。
光仁天皇の即位に尽力したのは、藤原百川、その兄(異母兄)の良継、従兄弟の藤原永手(左大臣)など。
気になる話だった。藤原永手、千手観音、桓武天皇、壬申の乱、そのあたりのことが、この頃、気になっていた。
藤原永手は、近つ飛鳥(安宿)に墓があって知った人だ。父は藤原不比等の息子(次男)、母は県犬養美千代の娘(橘諸兄の妹)。
藤原百川のことも調べてみるた。父は藤原不比等の息子(三男)、母は久米連の人、お墓は木津川市。藤原良継の母は石川某さん。
三室戸寺とは反対に西に進んでいった。道なりに進むと、右手には川が見えた。前方は宇治川の堤のようで、宇治川の支流か用水路かな(宇治発電所余水路だった)。
左手にこんもりした緑が見えて、左折。古墳の西側の道を南下。
この西側は宇治川の河川公園らしかった。今は工事中で、素敵につくりかえているところのよう。
菟道稚郎皇子御墓は、天皇じゃないから「陵」とはいわないのだって。ウジさんの墓はここに治定されているけれど、本当は「宇治の山の上」だったらしい。ところが川沿いのここをウジさんの墓ということにして、もとは円墳だったのを前方後円墳の形にしちゃったのだって。
道なりに進むと、道はカーブして古墳の南側を東に向かって行った。
「浮舟宮跡」とあった。円墳のそばに浮舟宮なるお宮さんがかつてあったそうだ。前方後円墳につくりかえるのに消滅しちゃったとかかな。
浮舟宮は、源氏物語に出てくる宇治の女性、浮舟さんを祀った神社だったらしい。
ここがウジさんの本当の墓じゃなかったなら、宇治駅から見るだけで十分だったなあ・・・。
菟道稚郎子は応神天皇の息子で、もっと年長の息子たちもいる中、応神天皇が次期天皇にしたかった人。家庭教師は王仁(応神天皇の時に渡来した博士)とか。
兄の一人、大山守皇子は自分が次期天皇になりたくて、挙兵。大山守皇子の母は、ホムタさんと尾張氏の娘との間の子。
宇治川あたりの「桐原の日桁宮」に住んでいた菟道稚郎子を倒そうとして、宇治川で水死。その後、菟道稚郎子も亡くなって(自殺?)、ホムタさんの娘(大山守皇子の母の姉)が産んだ仁徳天皇が即位した。
ただのイメージだけで言うと、河内には有力者たちがうじうじゃいすぎて、応神天皇は権力の分散をねらって菟道稚郎子を次期天皇にしようとし、けれど河内の力が大きすぎて、結局はまた河内に力をもつ人々を後ろ盾にした天皇が即位した・・・とか??
右手に「宇治川太閤堤跡」と碑があった。宇治川は大阪に入ると淀川と名を変える川だものな。伏見城から、宇治川の堤道、淀川の堤道と通って大阪城に行けるようにしていたのだろうな。秀吉さんは、伏見城をつくるにあたり、大きな治水工事を行ったらしい。
ここを右折して南下し、宇治駅方面に向かうつもりだったのだけれど、大規模工事中で道路も封鎖され、通れなかった。
線路沿いまで進んで、線路沿いを南下。
工事は線路沿いまでの広い範囲で行われていて、(仮称)お茶と宇治のまち歴史公園として2021年春オープンをめざしているらしかった。
すぐの宇治駅まで工事はつづいていて、宇治駅を降りてすぐに素敵な公園のある街になるのかな。そばではお茶も栽培されていた。お茶畑って、初めて見たかも。
それにしても三室戸駅と宇治駅は至近距離にあって、どうしてわざわざ2つ駅をつくったんだろうと思うくらいだった。大きな駅の北口と南口くらいしか離れていない。
線路沿いを道なりに進めば、JRの線路を陸橋で渡って、すぐ宇治橋のはずだった。けれど、この陸橋も工事中。京阪の宇治駅構内に入って行き、中を通って宇治橋方面へ。
宇治駅の構内がなんだか素敵だった。地下のような感じなのだけれど、実は一階だから日差しが通って、その感じが素敵だった。どうして地下のようと思ったのかは分からなかった。天井の高さでかな。
駅の南口から出ると、「わんちゃんもOKですよ」と若い男の人に声をかけられた。なにかと思えば人力車。テレビでは見るけれど、駅を出たところにすぐいらっしゃるなんて、ここってそんなに観光地?とちょっと驚いた。おかあさんとわたしが散歩に行くところってマイナーなところが多いから、こんなのは初めてだった。
新型肺炎のせいでか、電車の到着時間とずれているからか、他に観光客らしき人はいないし、人力車が場違いな感じがした。
人力車には乗らず、バス停を通って進むと、目の前に駿河屋(帰りに水無月を買って帰る予定)、右手に宇治橋。下を流れるのはもちろん宇治川。
橋の横に杭みたいなのが数本立っていて、それが時代劇みたいで素敵だった。木除杭といって、増水とかで木が流れてきても、橋に直撃するのを除けるためのものなのだって。
橋を渡りきると左折。次の信号で道がいくつかに分かれていて、一番宇治川沿いに近い道へ。
このあたりは観光客らしき人々もいて、狭い道をバスが通っていくのも、ちょっと観光地っぽかった。古い建物や、グリーンのソフトクリームの大きな模型も。
進んだ道は石畳の参道で、お店がいっぱい並んでいた。「おちゃのかんばやし」ってところが、いい匂いだった。女性同士で歩くのに面白いところだろうな。短い距離の間に女性が好きそうなお店が多く並んでいた。
そしてすぐが平等院だった。かの有名な平等院。
ところがすぐに門があり、10人くらいの列ができていて、600円払っての入門らしかった。600円払わないと何も見せてくれないらしい。
本堂に入るには有料とかは多いけれど、まったくすべて隠して門からお金を求められるのは観心寺以来かな。庭園は犬もOKらしく、建物にも入りたければ+300円だけれど、犬はNG。
せっかくここまで来たからにはという気もしたけれど、とりあえず他に回ろう。
考えてきた散歩コースは、どうやらとっても狭い範囲らしい。地図の縮尺率を間違えた感じ。三室戸駅からここまで、思ってもいなかった近さだったし、ここからはこの近辺をくるっと回って宇治橋に戻るつもりなのだけれど、それも距離はそうないのだろうな。




