政略結婚なんか知りません!私は、私の護衛騎士と幸せになります
父は厳かに告げる。
「レイラ。お前の婚約が決まった。相手はの名前はヒューゴ・コーネリア。コーネリア王国の第二王子だ」
「…はい」
私は、父の宣告に、声が震えない様に気をつけて、答える。
自分が政略結婚をする事。
それは、ずっと前から、分かっていた。
王族は、莫大な財と権力を得る代わりに、国民達に報いる責務を持つ。
政略結婚もそのうちの1つだ。
王族は、他国との関係を良好にし、国に貢献する為に、他国の王族と結婚をしなければいけない。
王族に、自由は無い。
それが、王族の宿命。
そんな事は、ずっと前から、覚悟していた。
けれど、いざ、婚約を言い渡されると、私は想像以上に、傷ついた。
怒りとか、悲しみとか激しい感情が、心の中で暴れているわけじゃない。
むしろ、その逆。
なんか、全部が虚しくて、どうでも良くなる感じ。人は、この感覚を、世界から色が消えると、例えるんだと思う。
灰色の世界の中、私は、しみじみと実感した。
やっぱり、私は、ルーカスが好きなんだなって。
※※※
婚約の決まった、その日の夜、私は、ルーカスに言って、王城の外へ連れて行ってもらった。
場所は、近くの浜辺。
私のお気に入りの場所だ。
私達は、砂浜を囲う、石製の塀に腰を下ろして、ぼんやりと暗い海を眺めた。
海には、月の光が漂っている。
「好きよ、ルーカス」
「俺もです。レイラ様」
言い合って、私とルーカスは、唇を重ねた。
頭がルーカスの事で、溶けていく様な、甘く静かな快感。少しの間、気持ちを確かめ合った後、私達は、唇を離した。
薄暗いあたりの中、少し赤くなった、大好きな人の顔が、近くにある。
その事に、幸福と感慨を覚えながらも、私は、少し感傷的になった。
「ねぇ、ルーカス、もし、私が王族じゃ無かったら、私達って結婚出来たと思う?」
「分かりません」
ルーカスは、私の胸をいちいち刺激する声で答える。
「レイラ様が、王族じゃなかったとしたら、身分は釣り合うのかも知りませんが、逆に、今ある接点が消えるので、知り合うすら出来なかったかもしれません。
だから、俺は、レイラ様と添い遂げる事が出来ないとしても、通じ合えたってだけで、身に余るぐらい、幸せなんですよ。
…、レイラ様は、どうですか?」
私は、ルーカスを傷つけるのを分かっていたのに、言ってしまった。
「私は、自分の事を不幸だと思ってるわ。ルーカス以外となんて、考えられないし。考えたくもないの。今が最高で、それを奪われるのが、嫌。月並みだけど、こんな思いをするなら、好きにならなきゃ良かったって感じ」
そこまで言って、私は自己嫌悪に陥った。
けれど、その自己嫌悪もすぐに消えた。
私を見つめる、ルーカスの眼差しが、あまりに真っ直ぐだったからだ。
「…レイラ様。俺はこの国にも忠誠を捧げました。けれど、1番は貴方です。貴方が不幸になるぐらいなら、俺にはこの国でも敵に回す覚悟があります。
レイラ様、もし良ければ、俺と駆け落ちしませんか」
――駆け落ち。
その言葉がどれだけ、私に甘美に響いたことか。もし、ここで頷く事が出来たら、どれだけ幸福だっただろう。
けれど、私は、首を横に振ることしかできなかった。
「ありがとね、ルーカス。でも、私は、王族。国の為に尽くすのが、私の生きる意味なの。だから、一緒には、いけない。ごめんね、ありがとう」
「そうですか…」
ルーカスは、複雑そうに、顔を歪めた。
会話が消えて、波の音が際立つ。
せめて今だけは、幸せを噛み締めていたくて、私はルーカスに口付けをした。
※※※
婚約者は、素晴らしい人だったのだと思う。
容姿は、完璧に近い。顔は整っているし、身長も高い。
少しの冷淡さを感じさせる雰囲気を持った人だったけれど、話すと、意外とユーモアのある人であることも分かった。
見た目通り、理知的ではあるんだけれど、涼しい顔で、サラッと面白い事を言う。
立場、能力、性格、そのどれもが、私とは、釣り合いのとれないぐらい、素晴らしい人だった。
けれど、私の心は冷めていた。
話が面白くないわけじゃないし、心が通じ合わなかったわけでもない。
共通の話題に盛り上がったり、笑わせてもらったりした。
でも、心の動きは、凄く表面的なもので、深い所にある心は、死んでいた。
婚約者との初めてのお茶会を終えると、初めて、自分がお茶会を苦痛に思っていたことが分かった。
私は、お手洗いで吐いた。
年齢を考えれば、後1年もすれば、私はあの人と、結婚するのだろう。今まで、漠然としていた、ルーカスとの別れが、一気に、現実感を帯びたのが辛かった。
私は、改めて、ルーカスの事が好きな事を自覚した。
本当に苦しかった。
それから、ずっと、私は苦しみ続けた。
※※※
昔、私は、空っぽだった。
勉強に次ぐ、勉強。
私は、思考停止で、立派な王族になる為の勉強をこなし続けた。
だから、退屈し切っている自分にすら、気づきもしなかった。
それを変えてくれたのが、ルーカスだ。ある日、ルーカスは、私に言った。
「海を見に行きませんか?」
変わり映えの無い毎日を切り裂く、少し、やんちゃな提案。
私は、城を抜け出す事を悪い事だと自覚ながら、胸が高鳴ったのを、今でも覚えている。
「危ないわよ」
「レイラ様を守るのが、俺の仕事です」
ルーカスは、躊躇う私を、少々強引に連れ出した。
知らない物だらけの街を通って、海に辿り着く。
私は、息を呑む。
海は、途方もないぐらい広かった。
「やっと、いい顔してくれましたね」
「…はぁ?」
「レイラ様、酷い顔していたんですよ」
「失礼ね」
ルーカスは、追い打ちをかける。
「世界に、何も期待していない様に、目が虚で痛々しくて。本当に、見ていられませんでした。でも今は可憐ですよ」
「そう…」
本当に失礼。けど、本当に酷い顔をしていたんだろうなと思った。
ルーカスは、ポツリと切り出す。
「俺は、無力です」
私は、唐突な彼の言葉に、少し驚いた。
ルーカスは、波の音の様に優しい、静かな声で続ける。
「貴方が生まれながらに背負った責任を肩代りする事は愚か、貴方の境遇を理解する事すら、俺には、出来ません。きっと、貴方は、俺なんかに及びもつかない様な、苦痛を味わっているのでしょう。
それでも、俺は、世界の広さを伝えたかった。世界には、こんな綺麗なものがあるんだと伝えたかった。
俺は、レイラ様に、世界を諦めて欲しくなかった。
きっと、この世界の魅力を王族の貴方に伝えるのは、無責任で、非情な事なんでしょう。
でも、俺は貴方に、笑って欲しかった。
レイラ様、どうか、不敬を許しください」
「許すわ…。その代わり、また、私を城の外に連れ出しないさい」
私は、自然と、そう言った。
ルーカスは、少し目を見開いて頷く。
「勿論です」
ルーカスの笑みは、眩しいぐらいだった。
その日から、私は、時々、城の外に連れてってもらう様になった。
日々に、楽しみが出来た。
決して、楽しいとは言い難い毎日だったけど、初めて生きている自覚が芽生えた。
きっと、ルーカスのした事は、護衛騎士としては、全く褒められたことではないと思う。
護衛対象を護るどころか、危険に近づける行為。
たぶん、この事が露見したら、ルーカスはクビだけじゃ済まなかっただろう。
けれど、そこまでのリスクを犯してまで、私を喜ばせようとしてくれた事が嬉しかった。
あの日から、私は、すぐに、彼を好きになった。
ルーカスも、年齢差や身分差もあって、中々、振り向いてくれなかったけど、最終的には、折れてくれた。
この恋が成就しない事は分かっていた。
でも、その苦しみを私は、分かっていなかった。
※※※
苦しみの中、私の考えは、歪んでいった。
私が結婚しないだけで、そんなに、国が変わるの?私は恵まれているの?私に義務なんてあるの?
幾つも、言いたい事が浮かんで来た。
けれど、考え続けて分かった。
それは、全部言い訳で、結局、私は、ルーカスと一緒に居たいんだけなんだと。
それを自覚して、また考えて考えて、苦しみ続けた。
吹っ切れたのは、一週間後だ。
※※※
私は、国の為に生きろと言われて、育てられてきた。
ある時は、こう言われた。
「王族は、人より、恵まれている。先祖由来の、優れた才覚を持ち、国1番の環境に住んでいる。王族は、力を持っている。だからこそ、弱き民のために、その力を発揮する義務がある」と。
ある時は、こう言われた
「王族は人間ではない。国を動かす為の道具に過ぎない。当然、道具に自由は無い」と。
私は、そうやって育てられてきた。
きっと、正しいのだろう。
私の力は、国民を幸せにすることが出来る。
私の立場は、国民を幸せにする道具に出来る。
私は、自由なんか求めてはいけない。
分かってる。
全部、理解している。
だからなんだ!
私は、ルーカスが好きだ。
大、大、大好きだ。
王族の責務なんか知ったもんか。
国民の幸せなんか知ったもんか。
私は、ルーカスと一緒にいたい。
それ以外どうでもいい。
なんか文句ありますか⁉
あるんでしょうね!
でも聞かない!
私はルーカスが好き。
大好き。
私はルーカスと一緒に生きていきたい。
「ルーカス、私を幸せにして」
「勿論です」
こうして、私とルーカスは、駆け落ちをした。
※※※
リーズ王国宰相――ヴァルツ・ハイタインは、王城、国王――アデルバート・リーズの自室で、アデルバートに報告をした。
「先程、暗部から連絡が入りました。レイラ様とルーカスは、シエント共和国で見つかったとの事です。連れという事でよろしいですか?」
「いや、良い。放っておけ」
「よろしいので…?」
「まぁな」
アデルバートは、浸るように言った。
「…娘に、地位を捨て、この俺を敵に回してまで、添い遂げたいと思える様な大切な相手が出来たのだ。少々、ルーカスとやらには、思うところもあるが、喜ぶしかあるまいさ」
「意外な事をおっしゃますね」
「所詮、俺も人の子よ。娘が大事なのだ。…幻滅したか?」
「いえ、素敵です。しかし、レイラ様とーー様の婚約が破綻するとなると、コーネリアとの関係は、悪化しかねません――」
ヴァルツは、歳にそぐわない、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「――忙しくなりますよ、陛下」
「ヴァルツ、俺を誰だと思っている。俺は、リーズ王国始まって以来の名君――アデルバート=リーズだ。政略結婚なんぞに頼らなくとも、コーリネアとの国交ぐらい、保ってみせるさ」
「頼みましたよ」
「任せておけ」
「は」
アデルバートは、穏やかに笑う。
その表情は、王のそれでは無かった。
その顔をレイラは知らない。
※※※
駆け落ちは、拍子抜けするぐらい上手いき、私達は、駆け落ち決行の次の日の夜には、シエント共和国の首都にまで辿り着いた。
ここは、栄えているので、単純に住みやすいし、人の目を誤魔化すのに丁度いいんだとか。私達は、しばらくは、ここに根を下ろすつもりだ。
シエントにつくと、半日以上、何も食べていなかったこともあって、夕食を取ることにした。
「ルーカス、私、酒場に行きたいわ。憧れてたの」
「酒場?粗野な連中が多いから、危ないよ」
「ルーカスが、守ってくるんでしょ」
「…しょがないな」
ルーカスは、苦笑しながら、許してくれる。
ちなみにだけど、ルーカスの口調は、敬語を辞めて欲しいと伝えて、変わったものだ。
ただ、まだ慣れないのか、若干、不自然。
早く、慣れて欲しい。
ともあれ、私達は、酒場に入った。
中には、厳しい顔をした、おじ様方が、大勢いた。傷だらけの甲冑に身を包んだ、彼らは、好奇の視線をこっちに寄越してくる。
確かに、危なそう。
1人ならだけど。
私達は、小さな、丸いテーブールに向き合って、私と同い年ぐらいの女の子の店員さんに、注文した。
私は、勝手は、わからないので、全部、ルーカスにお任せだ。
注文が終わると、私達は、ようやく一息ついた。
「改めて、ありがとうね、ルーカス。私をここまで連れてきてくれて」
「こっちこそ、お礼を言わせてくれ。今回、レイラは捨てた物が多いと思う。地位、責務、家族との絆、レイラは、全部捨てて、俺と一緒に来てくれた。相当の覚悟が必要だったと思う。
だから、後悔はさせない。絶対に、レイラを幸せにしてみせる」
「約束ね」
「あぁ」
注文した物が運ばれて来る。
見慣れない食べ物が、いくつか。
小さな木の樽の様なジョッキと、柑橘系の匂いのする透明な飲み物の入った、硝子のコップ。
私は、コップを、ルーカスはジョッキを手に待った。
そして、乾杯をする。
明るい未来を願って。
最後まで読んでいただきありがとうございました!