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06 エレミア・パールとお忍び客

 あれから数日。レナードは来ないが、彼目当ての女性客は毎日何人か現れるようになった。彼女たちは、体の具合はどこも悪くなく、華やかな格好をしているからすぐにそうとわかる。話しかけてくれば「ここには来ない」と言えるのだけれど、声をかけてこない彼女たちに、わざわざこちらから言うのも不自然だ。


「ねえっ! 昨日も治癒院の前で倒れてみたけど、虹の騎士様には会えなかったわよ!」

「それは……残念です」


 声をかけてくれるのは、ミナ。今日は胸元に橙のリボンを付けている、三つ編みの彼女である。嵐のような彼女は、毎日ここへ顔を出し、気さくに声をかけてくれる。すっかり常連だ。


「ああ、でもね、その後花屋の前を歩いていたら、虹の騎士様をお見かけしたの。足首を挫いたおばあさんに声をかけてらして、ほんと、お優しいわよねえ」

「素敵なお方ですね」

「そうなの! 騎士様って近寄り難い印象だけど、虹の騎士様は庶民にも優しいから素敵なのよねえ」


 両手を組み、頬を染めて話す姿はやはり恋する乙女。彼女の口から聞くレナードは、素晴らしく紳士的で、理想の男性である。

 そして。内心「そうなんだよなぁ」と共感してしまう自分が、浅ましくて恥ずかしい。私なんて、数回しか会っていないというのに。「騎士としての責任感が強くて、あれほどの疲労感を感じている」だとか、「その強烈な疲労感を少しも出さず、常ににこやかで紳士的」だとか、「街中で倒れた私を見つけ、家まで運んでくれる優しい人」だとか……ひとつひとつは事実だけれど、大して知らないのに、わかったようなことを考えてしまう。


「あーあ、恋の叶う薬草はないのかしら。ほら、物語だと、惚れ薬なんてものがあるじゃない? あたしが持ってたら、何としてでも虹の騎士様に飲ませるのに」


 薬草茶をひと口飲んで、彼女は唇を尖らせた。物騒な台詞も、ミナがきらきらした瞳で言うと、何だか夢見がちで可愛らしく聞こえてしまう。


「ミナさんみたいに可愛らしい人なら、惚れ薬なんてなくても、きっと想い人に好かれますよ」

「やだあ、エレミアったら。普通にしてたら、虹の騎士様の眼中に、あたしが入るわけないじゃない。惚れ薬くらいの卑怯な手を使わないと、ありえないわ」


 恋する乙女かと思えば、けたけた声を上げて軽快に笑う。ある意味で割り切った、さばさばした態度の彼女は、話していて好感がもてる。


「それにあたしは可愛くないわよ。『お前みたいな可愛くない女はいやだ』って、前の彼にふられてるんだから」


 目尻を吊り上げ、「前の彼」とやらの悪口を話すうちに興奮して頬が染まっていく彼女は、やはり可愛らしい。


「はあ、たくさん話せてすっきりした。そろそろ行かなきゃ。エレミアって聞き上手よね。ありがとう、また来るわ!」

「ええ、またぜひ」


 ミナは、街の居酒屋で給仕として働いているという。日が暮れる頃からが、彼女の働く時間だ。今日も、西陽になりかけた頃に、慌ただしく店を出て行った。

 ミナが帰る頃には、店は空になっている。私は箒を手に取り、1日のうちに溜まった埃を掃き始めた。

 カラン、と扉の開く音が鳴る。同時にぐっと腕に重みがかかり、箒が手を離れてぱたりと倒れた。


「こんばんは、レナードさん。……どうされました?」


 この強烈な重みには、覚えがある。腕だけではなく全身が気だるくなり、私は転ぶ前にカウンターの椅子に腰掛けた。

 レナード、である。他に、こんなに全身疲れている人を私は知らない。しかし今日入ってきた彼は、いつもと様子が違った。騎士団の服ではなく、大きな黒いフードをかぶっていて、顔が見えないようになっている。


「いやあ、驚かせてすみません。しかも、こんな遅くに」


 フードをあげて顔を出したのは、やはりレナードであった。銀髪に、緑の瞳。朗らかな笑顔。


「この時間にいらっしゃるのは珍しいですね」

「いつもは巡回のついでに寄っていましたが、今日は職務が終わってから来たんです。騎士服は何かと目立ちますから」


 入ってきたレナードは、向かいの椅子に腰掛ける。上着を脱ぐと、シンプルな白いシャツに身を包んでいた。かっちりした騎士服とは違い、ずいぶんと柔らかな印象である。


「何か変わったことはありませんか?」

「何か……いえ、特には」


 幸いにして、あれ以来盗みには入られていない。そう何度も泥棒に来られても困るのはもちろんだが、騎士が巡回してくれているからだろう。

 それだけでありがたいのに、こうしてわざわざ仕事帰りに寄ってまで気にかけてくれるなんて、本当に気の回る人だ。


「そう、ですか……。ご迷惑でなければ、薬草茶を頂いても?」

「もちろんです」

「ああ、俺が準備しますよ」


 振り向いて棚に手を伸ばせば、レナードの風魔法で、ふわふわとカップが飛んでくる。私はそれを手に取り、いつものように薬草茶を淹れた。


「……ご一緒に、クッキーはいかがですか?」

「いいんですか? ぜひ。腹が減って仕方がないんです」


 恐る恐る提案してみると、予想以上に無垢な笑顔が返ってきた。私はカウンターから、作り置きしてある薬草入りのクッキーを取り出す。

 この間倒れてしまった後、治癒院の近くを通らないようにして、薬草を買いに行ったのだ。全身の巡りを良くする効果のある薬草である。全身が疲労しているなら、巡りを良くすることで、多少の改善が図れるかもしれない。


「ああ、甘味がしみるぅ」


 ぼりぼり小気味良い音を立ててクッキーを食べたレナードが、喉奥から声を絞り出した。甘いものが好きだという見立ては合っていたらしい。ひとつ、ふたつと食べていく。


「……エレミアさんの傍にいると、不思議と楽なんです。どうしてでしょうか」

「どうして、って……。そうですねえ」


 私は、答えを知っている。そういう体質だからだ。けれど、彼の美しい緑の瞳に見つめられたら、その言葉が出て来なかった。


「疲れると、ついエレミアさんのことを考えてしまうんですよね。……こんな気持ちになったのは、初めてだ」


 絵に描いたようにはにかみ、掠れたような囁き声で紡がれた台詞は、物語みたいに甘やかだった。どきんと胸が高鳴り、頬が熱くなる。自分の変化が、ありありとよくわかった。


「またこうして、個人的にお邪魔しても良いですか?」

「もちろん、です」


 レナードが去っていくと、体がふわっと軽くなる。それでいて、胸の奥にちくちくした痛みだけが残った。

 彼の言葉に、何か特別な意味が含まれていそうなことくらい、私でもわかる。「つい考えてしまう」「こんな気持ちになったのは初めて」という言葉が何かを匂わせていることも。

 しかし、レナードが私といて気が楽なのは、気持ちではなく、体質の問題なのである。それが彼を誤解させているのだ。

 本当のことを言えば、きっとレナードは「申し訳ない」と言って来るのを止めるだろう。気にかけてくれているのだから、断るようなことをしたら失礼だ……と思っていたのだけれど、何だか騙しているみたいで、胸が痛む。

 何よりも。


「……また、来てほしい」


 確かめるために呟いた言葉が、自分の胸にしっくり来てしまった。思わずため息が出る。この身の程知らずな感情を、どう処理したらいいのだろう。

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