83.嫌な女
「今日は何のお話でしょうか?」
レミオと別れた後、アカデミーの教諭サンドラに聞き取りを始める。
「実はガバーとリッギルの件で、ハンスという人物の名前が出てきたんだ、何か知らないか?」
するとサンドラは不思議そうに首を傾げる。
「昨年卒業したハンス・ベローの事ですか? 大商家の息子で非の打ち所がない優等生というイメージですね。素行も良かったですし成績も素晴らしかったと思います」
想像以上にハンスという人の評価が高い、とてもジェッド教官の言っていた裏の顔があるとは思えない。
「それではもう1人、デミリーという生徒について聞きたいのだが?」
オリヴィエがデミリーという名前を出すとサンドラは一気に表情が曇る。
「デミリーですか?…知りません」
態度が一変してしまった。目が泳ぎ明らかに何かを隠しているようだ。
「それはおかしいな? こちらの手元にある第1騎士団の資料には貴女が受け持ったと書いてあるが?」
「…申し訳ありません、私は何も答えられません」
オリヴィエが追求するとサンドラは頑なに喋ろうとしない。
「ディネミス公爵家に口止めされているか? こっちはエルドラゴン家の腹心が暗部によって危険な目にさらされた、相手が我らと同じ8公家だとしても黙っているつもりはないぞ?」
ディネミス? 黒色を司る8公の一つじゃないか、そう言えばディネミス公爵家は暗部の元締めだという噂を聞いた事がある。
「この件はエルドラゴン家が今までアカデミーに無償で行ってきた善意に対し、仇で返されたと解釈するが良いかな?」
貴族らしい高圧的な言い回しにサンドラは狼狽え始める。オリヴィエのこういう2つの顔の使い方は本当に上手いと思う、ベネルネスだった頃の私では絶対に真似できなかったと思う。
「…私が喋ったと絶対に誰にも言わないと誓って下さい」
サンドラは諦めたように大きく溜息を吐く、そして今度は私達の方をチラチラと見ている。
「彼女達も同席させる。安心しろ彼女達は立派な騎士だ、誰にも口を割らない」
やはり私達には退席して欲しかったみたいだ、だがオリヴィエはそれを許さなかった。もしかしたら私に気を遣っているのかもしれないし、相手の言いなりにはならない駆け引きかもしれない。何があっても譲らない姿勢のオリヴィエにサンドラは諦めた様子で口を開く。
「デミリーは確かにアカデミーに在籍していました。卑しい賎民のくせに正論を吐いて正義ぶった嫌な女でした」
サンドラが毒のある言い方をする、明らかにデミリーに対して憎悪にも似た感情を抱いているみたいだ。
「他の4人もそう! 平民のくせに強い力を持って、大貴族に気に入られて、それだけで偉そうにして!」
どうやら憎悪の対象はデミリーだけではなかったようだ、他の4人と漏らしているという事はエルダも含めた全員が嫌いなのだろう。私に対しての敵愾心もそのせいかもしれない、特に私とエルダは顔も似ているし、目立つ赤髪だから姿が重なったのかもしれない。
「その大貴族とはディネミス公爵という事か?」
オリヴィエの質問にサンドラは首を横に振る。
「いいえ、力のある子供を囲おうとしたバーンヘイズ公爵やらクロムエル公爵やらロスウィルソン侯爵などが大きな顔をして出張ってきました。そんな彼等をディネミス公が卒業間近で横取りした感じです」
おそらく第一世代と呼ばれる存在は、当時としては珍しくて貴重だと思われていた、だから大貴族達が囲って教育していた。恩を売って味方につけ、後々に利用しようという魂胆が丸見えだ。
それにしてもロスウィルソン家も囲っていたのか、きっとグランマーレ家に教えると立場的に横取りされる可能性があると思ったんだろうな。
実際、バーンヘイズ公爵はウェットランド家からエルダを横取りした。ロスウェルソン家も立場的にグランマーレにそれをやられる可能性があるから黙っていたい気持ちは分かるけど、相変わらず疑り深くて狡賢いやり方だと思う。
「デミリーという女は5人の中でも農奴出身で1番身分が低く、教育が行き届いていなかった。だから誰よりも努力が必要でした、だから私達も厳しく躾けてあげていたのてす」
厳しく躾けてあげた? 少しずつだけどサンドラという人間性が見えてきた気がする。
「それなのに…あの女は私を蔑むように見下して」
ドス黒い感情を吐露して私を睨んできた。
あれ? でも何で私を睨みつけるんだ?
それにあの女というのはデミリーを指していない気がする、いったい何があったんだろう? オリヴィエもサンドラの視線に気がついたのか私との間に割って立とうとするが、私はそれを拒んで意を決してサンドラに話しかける。
「エルダ・ライアンという人をご存知ですね?」
「…やはり貴女は関係者なのね?」
過去に何があったのか知らないけど、やはりサンドラから敵認定されていたようだ。
「エルダは私の姉です。ただしご存じかもしれませんが、エルダは生まれつき魔力に濃い色を持った特別な人です。それに対して私は無色の凡人です、なので本当に単なる家族という関係だけです」
凡人と口にすると後ろのナフタ達がコソコソと何か言っているが今は無視しよう。
「実は姉のエルダが王都に旅立ってから、故郷に何も音沙汰がないので両親も兄弟もみんな心配しているんです。私の手の届かない場所にいるのは理解してるのですが、少しでも父や母に元気でいる事を知らせたいので何か知っている事があれば教えてもらえないでしょうか?」
極力刺激しないように言葉を選んでお願いする、するとサンドラは糸が切れた人形のように力なく椅子に腰掛ける。
「大した事はないわ…私は平民出身の子供に正論で説き伏せられて、才能の違いを見せつけられて何もかも敗北しただけ。上から押さえ付けても簡単に手を払われ、真っ直ぐな目で間違いを指摘してくる…あんな屈辱は初めてよ」
サンドラは手で顔を覆い涙を堪えるように呟く。
「デミリーは農奴の出身者で全てにおいて劣っていたわ、他の子達も才能はあっても勉強は出来ないしマナーも大した事はなかった、私もそこだけは優位に立てるものだと思っていた。だけどエルダ・ライアンだけは違った」
確かに、エルダはウェットランドで私達と一緒にマナーを学んでいるし、きっとバーンヘイズからも教育を受けたはず。
「エルダ・ライアンは1番出来損ないのデミリーを庇って私達のやる事にイチイチ文句を言ってきたわ。マナーのなってない子供への躾だと言ったら、あの女が全員をまとめてマナーや勉強を教え始めたわ。今でも覚えている、あの私を蔑んだ目を! 言うに事欠いて教師の私に対して教える気のない人からは何も学べないって言ったんだ! 平民の子供の分際で!」
あれ? これってエルダは一切悪くない気がするんだけど?
平民を馬鹿にして躾という優越感で蔑むサンドラに対し、エルダがみんなをまとめて教えてただけじゃないのか? 単にサンドラがエルダを逆恨みしているだけじゃないか。
私と同じ事を思っているのか分からないけど、後ろにいるナフタ、シェスカ、クラリスも微妙な顔をしている。
「そうですか…大変だったんですね」
サンドラの逆恨みに巻き込まれたくないので、心にも思っていない言葉を口にする。だがここで私が同情的な言葉を口にしたのでサンドラは表情を緩める。
「…デミリーは特にエルダに懐いていたわ。何をするにも金魚のフンのようについて回っていた」
サンドラは落ち着いたのか有益っぽい情報を口にする、エルダとデミリーは仲が良かったのか。
「エルダ、デミリー、マリッサ、ダルファ、アルラン、あの5人は常に一緒にいたわ。貴族の子息令嬢達の才能が霞むぐらいに飛び抜けて優れていた…だからこそ誰からも嫌われていた」
サンドラの言葉に息をのむ、私がアカデミーと士官学校の違いを肌で感じている事を言い表しているようだ。
士官学校では目標に向かって努力をしているから、みんなが同志という関係に近い。
逆にアカデミーではみんなと同じでなくてはならない、飛び抜けてはならない、やりたい事をやってはいけない、違う意見を言ってはならない。
平民としてこの世界を生き、ようやくその異常性に気がつく事が出来た…エルダはアカデミーにいた時、本当に肩身の狭い思いをしたんだろう。
読んでいただきありがとうございました。
明日も投稿します。




