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3ー4 眼鏡と胃痛

 

『……ふん、クズめ』


 その報告を執務室で受けたメルヴィンは、悪人ヅラでせせら笑う。その顔を見て、王太子付きの騎士になりたてのグラントが眼鏡の向こうで嫌そうな顔をする。


『…………殿下、まじやめて下さいその顔。悪人より悪人に見えます』

『知るか。長年、幼い令嬢から盗みを働き続けて、それを彼女のせいにしていたような奴らには、悪態どころか呪いをかけてやりたいよ』


 メルヴィンは吐き捨てて、ふんと鼻を鳴らした。


『はあ、まあ、いいっすけど。それにしても……陛下がお喜びでしたよ。殿下が不法な闇市を一つ潰したって。父も殿下が手柄をあげたと誇らしげでした』


 侯爵家へ盗人たちを捕らえに行った騎士は、グラントの父である。

 彼は、メルヴィンの剣術の指南役でもあり今回の捜索にも協力した。グラントの言葉を聞いたメルヴィンは少し微笑んで。しかしとため息をつく。

 その手には、騎士団が調べ上げてきた報告書。


『あいつらこんなに頻繁にヘルガ嬢の私物を売っていたのか……』


 そこに記されているビッシリと並んだ文字を見て、メルヴィンが憎々しげに報告書を握りしめる。


『しかし不思議です。玄人があんな素人を……侯爵家のメイドなんかを相手にするなんて』

『この盗品の数からするに、よほど上客だったんだろう。それに、どうやらメイドたちの元々の素性もあまりよくはない。その辺りからの付き合いもあったのかもしれないな。……バカな男だ。メイドを顔や身体で選ぶとは。それを己の娘に仕えさせるなど、愚かすぎて海にでも沈めたくなる……』

『やめてください』


 言いながら見ているものが薄ら寒くなるような冷たい顔をした主君に、グラントが冷たい顔で突っ込んだ。


 ──ヘルガから、気をつけているのによく物が失くなると聞いて。彼女自身はそれを自分の過失だと思っていたようだが、メルヴィンは、それはもしや盗難なのではと疑いを持った。

 彼はヘルガの扇を見て、彼女の花印を確認すると。すぐに配下に命じ、令嬢周辺の使用人を見張らせて、不審な動きをする者を泳がせた。

 しかしもちろん闇市のほうでは念入りに警戒をしていたようで、調べるのはなかなかに骨が折れたが。が、メルヴィンは、長年闇市の存在に頭を悩ませている、城下市場の組合にも協力を申し入れて根気強く捜査を続けた。

 結果、闇市の元締めが捕まり、そこからヘルガの印入りの盗品も出てきたという訳だった。芋づる式に様々な犯罪も明らかとなり、今回メルヴィンは大きな手柄をあげたことになる。


 けれども。メルヴィンは浮かぬ顔だ。

 捜索では、闇業者のアジトから、これまでの長らくの盗品買取の帳簿が出て来て。アウフレヒト家のメイドがヘルガの私物を盗んだ記録も残っていた。その年月の古さと、盗品の数にメルヴィンは怒りを感じた。

 あのメイドたちは、古くはヘルガ生誕の際に贈られた品物まで売り捌いていたのだ。


『まったく……許し難いな……』


 そう言ってため息をついて机の上を見た少年の視線の先には、布の上に置かれた眼鏡が一つ。明らかに高価な作りのその眼鏡には、細かい細工でアウフレヒト家の紋様と、ヘルガの花印が刻まれている。これが、一番最近売られた盗品だ。つまり、ヘルガはこの眼鏡もどこかに置き忘れたのではなく、メイドたちに盗まれていたのだった。

 メルヴィンは本当に腹立たしかった。


『かわいそうに……こんなものまで盗むとは……』


 そんなことをすれば、主人であるあの少女が困るとは思わなかったのだろうか。

 しかしまあ、とメルヴィン。

 罪人には罰をしっかり受けてもらう。そう薄暗く笑っていた少年は、しかし眼鏡を見ると晴れやかな笑顔になる。


『……これで少しはヘルガ嬢のうっかりも直るだろう』


 微笑むメルヴィンを見て、グラントが不思議そうな顔をした。


『? 殿下?』

『さて』


 そんな配下をスルーして。メルヴィンは机の上の眼鏡を上等な布に包み、小箱に入れると椅子を立つ。


『出かけてくる』

『え? また王立図書館ですか?』

『少しばかり働きすぎた。手柄を立てたんだ、外出くらいいいだろう』

『で、でも王太子が頻繁にチョロチョロしてるってバレたら、図書館の司書たちにだって迷惑が……』


 慌てて追ってくるグラントに、メルヴィンは、はぁ? と、嫌そうな顔をする。少年は何かを考えている様子だったが、不意に、止めるグラントの顔から彼の眼鏡をスッと奪い取った。


『へ!? ちょ……殿下!?』

『じゃあ、今日はちょっと変装してくことにする。ひとまず、これを借りておくからな』


 お前はスペアを持っているから大丈夫だろう? と、にっこり言われ。しかし今がやや大丈夫でないグラントは、目をシパシパさせてメルヴィンを追おうとする。


『え、ちょ……ま……』

『何やってるんだよ……まったく……』


 メルヴィンは、傍に控えていた侍従に、グラントの眼鏡のスペアを取りに行くようにと伝え、それから眼鏡屋を王宮に呼ぶように言った。


『は! そうだ……フレームをヘルガ嬢とお揃いにしようかな……』

『で、殿下!』

『じゃあ私は先に行っているから』


 視界が悪いまま追ってこようとするグラントに、メルヴィンはしれっと『ちゃんと眼鏡をしてから追いかけておいで』と、言い残し、さっさと私室を出て行く。まあ王立図書館は近いし、行き先も分かっているのだから、グラントもすぐに追いつくだろう。


 そうしてメルヴィンは王立図書館へ向かったのだが──




『…………っ、あ、申し訳ありません。ぼんやりしていて……お怪我はありませんか? あらずいぶん硬い……』


『…………』

 

 王立図書館へ向かう道すがら。それを見かけたメルヴィンは、思わず言葉をなくして立ち尽くした。

 メルヴィンの見ている先で──ヘルガが道の脇に設置されている石像に向かって謝っていた。


『…………』


 そんな令嬢を見て……。

 どうしたことだろうとメルヴィンは思った。


 ──何故だか、とても胃が痛い気がする……。


 いつも傍にいる護衛にそれが何故なのかを問いたかったが──残念なことに、その護衛は今いない。


 メルヴィンは、王宮という特殊な場所で生きてきた自分が、ある程度精神的には強いという自負がある。

 しかし、ヘルガを見ていると、なんだかとてもハラハラする。

 

 そうして、どうやら彼女は眼鏡があってもなくても相当にぼんやりしているのだと察し、思いがけず人生初めての胃痛に苦しむ少年の視線の先で。ひとしきり石像に謝り倒したヘルガは、悲しそうな顔で、反応のない石像を見上げている。


『返事をしてくださらないなんて、よほどお怒りなんですか……? そんなに痛かったんですか? 確かに、わたくしもなんだか額がひどく痛くはありますが……』


 と、途方に暮れた顔で己の額のタンコブを撫でているヘルガ。──に、そっと後ろから近づいたメルヴィンは、彼女の顔に眼鏡をかけてやる。


『……あのね、それは石像ですよ』

『!? ……あら? 本当だわ……』


 一瞬、突然視界が明瞭になったことに驚いたらしいが。ヘルガは目の前の石像を見てポカンとしている。と、気がついたように、ヘルガが『あら』とメルヴィンを振り返った。


『? あら? どちら様?』


 キョトンとした令嬢の眼鏡姿。メルヴィンは、息を呑む。


 ──これが、初めてメルヴィンが彼女の視界にくっきり映った瞬間だった。


 透明なレンズ越しに、綺麗なアイスブルーの瞳がしっかりと自分を捉えてくれたことに、メルヴィンは、自分が意外な程に喜びを感じていることに気がついた。


『…………』

『?』


 無言の少年に、ヘルガは首を傾げている。

 その表情を見たメルヴィンは、微笑んだ。


『ふふ』

『? あの?』


 不思議そうな少女に、メルヴィンは言った。


『お嬢さん、私は“マル”と申します』

『……マル、さん?』


 名乗ると少し戸惑ったような顔の令嬢が自分の愛称を繰り返す。メルヴィンはくすぐったそうな顔をして。彼女の手を取った。


『額がひどくコブになってますよ。王立図書館はもうすぐそこですし、あちらの事務所で手当ての道具を借りましょう』

『はぁ……』


 令嬢はまだ戸惑ってはいるようだったが、それでも素直な少女らしく、ヘルガは『恐れ入ります』と言って大人しくメルヴィンについて来た。


 ここから、少年と少女の、おかしな“読書仲間”関係がはじまったのだった。



 ……──が。

 この時あまりにも大人しく自分についてくるヘルガに、メルヴィンは尚のこと胃が痛かったらしい。


『……この子、こんなに素直で大丈夫なの!? 放っておいたら……誘拐されるのでは……』


 この日以来、王太子メルヴィンは懐に胃薬を忍ばせるようになった。





お読みいただきありがとうございます。


過去の出会い編はここまでです。

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― 新着の感想 ―
面白いんですが、眼鏡が無いと困る様な度数の眼鏡をかけて王太子はよく平気だな? 裸眼だと石像を人と間違える程の目の悪さなのに、眼鏡忘れてよく本が読めてたな? と、どうしてもツッコミたい。
[一言] ヘルガも王太子も可愛い〜! こういうお話、心がほっこりしてとっても大好きです(´▽`)
[良い点] ヘルガがどこまでもかわいいです! 本当に、よくぞここまで無事に育ってくれましたね。 人を疑わないのは怖いけど、人の悪意をあまり感じずに生きてこられたのはいいことなんでしょうか。 王太子妃に…
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