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3ー2 



 三回目の遭遇は、道端だった。

 メルヴィンが再び王立図書館へ出かけて行った時のことだ。

 あれ以来、何故かヘルガ・アウフレヒトのことが気になっていて、彼はたびたび王立図書館へ出かけていた。

 


『──ん?』


 図書館へ続く小路を進んでいると、その真ん中に、誰かが立っている後ろ姿が見えた。

 他の人々が止まらずに行き交っていく中、その黒髪の娘らしき人物は、立ち止まり、腕を組んで立っている。そんな娘とすれ違う人々は、皆、何故か彼女を見るとギョッとして、彼女を遠巻きに足早に去っていく。


『……なんだあれは……』


 近づいてみると、メルヴィンにも人々の気持ちがやっと分かる。

 道のど真ん中で、口を真一文字に結んでいたのはヘルガ・アウフレヒト。令嬢は、地面を氷の瞳でじっと見つめて立っていた。腕を組み、まるで虫けらを見るような厳しい目付きで。


『…………』

『……あの、ヘルガ嬢。どうかされたんですか?』


 声をかけても返事がない。


『…………』

『?』


 不思議に思ったメルヴィンが令嬢の氷の視線の先を辿ると──地面に、一匹の青虫。


『? あれが……どうかしたんですか?』


 問いかけるとやっと令嬢が口をきく。青虫から目を逸らしもせず、重い声で。


『……考えていました……』

『?』

『あの子はあんなところに転がっていて大丈夫なのでしょうか……』

『……え?』


 あの子? と、メルヴィン。何やらどこぞの幼児にでも向けるような言葉だが──彼女が見ているのは地面の上の、小さな、小指の半分ほどの大きさの青虫である。メルヴィンはもう一度、『え?』と、言った。

 しかし、令嬢はあくまでも真面目な調子で青虫を睨んでいる。


『……このままでは誰かに踏まれてしまうのではないでしょうか。そもそもどうしてあんなところに? 踏まれるかもしれないのに、何故危険を冒し草むらから出てくるのですか? 道の反対側の草むらに行きたいのでしょうか? あちらにお好きな草がある? でもそれをあの子はどうやって察知しているのでしょう? 不思議です……』

『………………』


 え、この令嬢はいったい何を言っているんだとメルヴィンは戸惑った。

 どうやら──令嬢は本当に、真剣に地面の上の青虫について考えている。過剰なほどに。


『え──と、……つまり、君はあの虫が心配なのですか?』


 令嬢の目にどこか不安そうな色を見て。ああなるほどとメルヴィン。つまり、彼女はこのまま自分が立ち去っては地面の青虫が誰かに踏まれるのではと案じてここから動くことができないらしい。ではと少年。


『ならば、あの虫を移動させては?』

『!?』


 メルヴィンが地面からヒョイッと青虫をつまみ上げ、傍の草むらの中に戻してやると──……間近で突然、ひぅっ!? と、悲鳴が上がった。驚いて振り返ると、思いがけないことに──そこに澄ました顔で立っていたはずの令嬢の姿が──ない。いや──あった。令嬢は、傍の植木の中に肩から突っ込んでいた。それを見て、メルヴィンがギョッとする。


『どっ、どうかしましたか!? ご気分でも!?』


 駆け寄って肩を抱き上げると、ひっと言われた。


『え?』

『な、ぇ、……あ、あなた、な、な、なんてことを……! いいい今、あ、あお青虫を触りましたか!? そ、そんな怖い!』

『え……?』


 色白の顔を蒼白にして令嬢は。頭や肩に葉っぱをつけたまま、怯えるように後退って行った。まるで、今にも割れそうな氷の上にでも立っているかのように両手両足、それに顔を強張らせている。


『……え? もしや……君……青虫が怖かったんですか……?』

『……』


 問うと、途端令嬢の顔がハッと我に返る。すぐに令嬢の顔は元の無表情に戻り、恐々とメルヴィンを見ていた視線がスッと横に外される。


『いえ、別に? そのような事実はありません』

『……いや今怖いって言いましたよね』


 メルヴィンが先ほど青虫を摘んだ指をスッとヘルガに向けると、あからさまにその肩が揺れて。そこに載っていた葉が一枚地面に落ちた。


『じ、じじゅつ……っ、いえ。こほん。事実無根です』


 令嬢はすんとした顔でせきばらいして。それからさっと手荷物から群青色の扇を取り出して、それを自分の顔の前で広げた。が──しかし、ガタガタ震える令嬢の足はものの見事に丸出しな訳で。


『………………』


 メルヴィンはその足を、なんともいえない表情で見つめた。


(……変わってるな……)


 別に虫が怖いくらいは女性や子供にはありがちなこと。隠す必要も特にない。メルヴィンの周りには、むしろ『虫が怖いです殿下ぁ』と、わざとらしく怯えて甘えてくる令嬢もいる。

 それなのに、この令嬢は何故こんなに強がるのだろうと、当時のメルヴィンは不思議に思った。

 後々それを“マル”として親しくなったあとに尋ねると、どうやら父親である侯爵に、他人に弱みを見せるなと厳しく言いつけられていたらしい。


 そしてヘルガは澄ました顔で言った。──足はまだガタガタ震えていたし、頭の上にも葉っぱがついていたが。


『…………』

『こほん。しかしあなたは凄いですね……あの、あの子をあんなに簡単に手に乗せることが、おでき、おできになるなんて……』

『まあ……特に恐ろしいものではありませんからね』


 と、言うと、ヘルガも謎に対抗してきて『わたくしだって怖くなんてありませんけどね』と、見えすいたことを言う。そんな令嬢に、呆れつつ、思わず苦笑していると。不意に、その令嬢が扇の向こうで微笑んだ。


『……!』


 彼女が微笑んだところを初めて見たメルヴィンは息を呑む。

 令嬢は言った。

 

『しかも、あなたはあの子を放り投げたりなさらず、丁寧に葉の上に逃がしてくださった。……ご立派です』

『!』


 そう柔らかな声で少年を称賛し。令嬢は扇の向こうで更に目元を和らげた。

 尊敬と驚きに満ちた瞳だった。──悪い気が、しようはずがなかった。





お読みいただきありがとうございます。

虫が怖い誤魔化し嬢ヘルガちゃん(笑)を楽しんでいただけた方は、ぜひブックマーク、評価などをよろしくお願いします。本当に励まされます。

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