8ー26 ヘルガと王太子の対立
モニカを欲しいというヘルガの言葉には、メルヴィンは、一瞬耳を疑った。
「……どういうこと?」
幸せな気分が一転。いきなり頭から冷や水を浴びせられたような驚きに、メルヴィンはつい声が低くなる。しかし、ヘルガは落ち着き払っている。真っ直ぐに彼を見て、淀みなく繰り返す。
「言葉のままです。モニカさんを、わたくしに下さい」
「⁉︎」
「聞きましたよ、マルさん。今回のことは、表向きは伏せることになさったそうですね。──わたくしの、名誉のために」
ありがとうございますと礼を言われ、メルヴィンは複雑そうな顔をする。
ヘルガが誘拐されて。彼女が何も知らぬ下世話な人間たちにあれこれと憶測を並べ立てられぬよう、彼女が傷付かぬように、今回のことは表沙汰にせず、モニカたちは密かに裁きにかける。それがメルヴィンの考えだった。しかし……
「……誘拐を伏せるならば、表立ってモニカさんたちを裁くこともできないでしょう? ならば、あの方をわたくしにください。わたくしの家で働いてもらうことにいたします」
「働かせる⁉︎」
その発言に、メルヴィンはさらに愕然とした。
「ヘルガ……君もしかして、またモニカを憐れんでいるの?」
以前も彼とモニカの婚約が流れた時、モニカが修道院へ送られたのは自分のせいではないかと彼女は気に病んでいた。もちろんメルヴィンはそんなことがあるはずないと、モニカたちが裁かれたのは、自業自得だとヘルガを納得させたはずだったが──彼女はまた同じような憐れみで、これから前回以上に過酷な環境下に送られるだろうモニカを手元に置こうとしているのだろうか。それは出来ない相談だと表情を険しくし、青年は語気を強めて言った。
「……君を傷つけた者を裁かないばかりか、君の傍に置くなんて……それはいくらなんでも承服しかねる。罪のある者には罰を与えなければならない。表立って裁けずとも罪がなくなる訳じゃない」
裁く方法ならばいくらでもあるのだとキッパリ言うメルヴィンに、ヘルガは細いため息をついた。メルヴィンの瞳の奥には、激しい炎が見えるようだ。ヘルガにも、彼が自分のために怒っているのだと分かっている。でも、彼が自分のこと以外なら、もっと冷静であるとも分かっていた。
「マルさん……是非一度被害を受けたのがわたくしであることを忘れてくださいませんか。たとえ罪人であろうとも、人一人の人生が掛かっています。冷静になるべきです。その裁きは重すぎても軽すぎてもいけません。……大丈夫、あなたが迎えに来てくれたから、わたくしの恐怖は今はもう存在しません。傷もいずれ治ります。だから、あなたはそんなに怒らなくていいのですよ」
「っそんなわけにはいかない!」
メルヴィンは立ち上がってモニカたちへの怒りを露わにした。
「私が怒らないでいられるわけがないだろう? モニカ・デメローたちのやったことは許されることではない。君は確かに自力で危機を脱したかもしれないが──だけど、一歩間違えばどんな目に遭わされていたか……あいつらには思い知らせてやらなければ……!」
苛烈な怒りを滲ませる青年をヘルガは静かに見つめ、しかし引く気配は一切見せない。
「ええ、そうですねマルさん。モニカさんは、わたくしに暴力を振るった。その罰を受けるべきです。でも、それは国に裁きを委ねないのならば、わたくしが直接罰を与えても良いのでは? わたくしが、被害者なのですから」
「……!」
ヘルガの毅然とした態度には、硬い決意がこもっていた。メルヴィンは顔を苦悶に歪めた。まさか、モニカのことでヘルガと対立しようとは思ってもみなかった。
ヘルガは神に誓うように片手のひらを掲げて言う。
「もちろん、わたくしは私刑のような非道な真似はしないと誓います」
「そんなことは分かってる! ヘルガ……考え直して。君を誘拐した上、監禁したような女だよ⁉ 性根が腐っているとしか思えない。ここでしっかり裁いておかないとまた何をされるか……」
「……」
メルヴィンはヘルガの手を強く握り懇願した。その不安そうな顔に、ヘルガは少しだけ沈黙する。自分の手を悲しそうに握る青年の瞳をじっと見て。それから再び口を開く。
「マルさん……わたくし、昨日の昼間に見たんです……」
「え?」
「昼間──どうやって修道院の高い堀を越えて脱出しようかと考えていた時に」
そうしてヘルガは昨日、彼女がモニカたちの監禁を逃れたあとの出来事を語り出した。
その頃、時刻は真夜中。真っ暗な中を塀の外に出ていくのはさすがに危険と判断したヘルガは、塀の内側で朝を待った。しかし、明るくなっても門には門番がいて、塀は高く。どうやってそこから出ようかと茂みの中で考えていたのだそうだ。
すると、早朝、傍の畑に幾人かの女たちが出て来て畑仕事をはじめたと言う。物珍しさもあってついつい見入っていると、そこで一際頑張っている者がいたと、ヘルガは少しだけ表情を和らげる。
「……わたくし眼鏡がなかったものですから、皆さんのお顔がはっきりとは見えなかったのです。でも……その方は、誰よりもキビキビと動いていて。それが見ていて気持ちよかった。彼女のカゴにはどんどん地面から抜いた雑草が積み上げられていき。わたくしあんまり凝視しては失礼かなとも思ったんですけど、つい惚れ惚れしてしまって。ほら、わたくし草抜きをしたことがないでしょう?」
令嬢という立場上そのような機会はないし、おまけにと、ヘルガは突然両手を合わせ、少し怯えたような顔で、謎に何かを拝む。
「……大地という聖域には、わたくしが畏怖する方々がお住まいなもので……」
「……、……、……虫のことだね……ミミズとか」
こんな時ながら……相変わらずなヘルガ節。呆れつつ、メルヴィンがそう言ってやると、娘は大真面目に頷く。
「はい、左様です。ですから、わたくし本当にすごいと思ってしまいまして……それに、彼女は作業後にたくさんの農具を一人で洗い清めていらっしゃって。その時も、一つ一つ歪みがないのか確認して、丁寧に素手で泥を落とし、隅々まで綺麗に水洗いしておられたんです」
とても感心したと微笑まれて、メルヴィンが押し黙る。彼女の言いたいことが分かった。
「……、……それが、モニカだったってことだね……」
尋ねると、ヘルガはこっくりと頷いた。
「わたくしも、最初は彼女がモニカさんだとは気が付きませんでした。──でも、見ていたら、その方が急に嗚咽を漏らしはじめて。わたくし、自分が隠れているのも忘れてつい彼女に声をかけたんです。そしたら、ええ。その方はモニカさんでした」
泣いている彼女にハンカチを差し出して、そこでやっと彼女がモニカだと気がついたヘルガ。その時に、肩越しに彼女の手が見えて、その手がとても荒れているのにも気がついた。
ヘルガは真面目な顔でメルヴィンを見る。
「……性根が腐っているなんてこと、ないと思うのです。モニカさんの手はとても頑張っている方の手でした。あの方、色々恨み言をおっしゃっていましたし、わたくしをぶちました。──でも、修道院でやるべきことは確かにやっておられたのです」
「……」
真っ直ぐに視線を向けられたメルヴィンも、ヘルガをじっと見返す。
「……だから許すっていうの?」
そんなことは到底できないと青年は思った。よりにもよって、彼女はヘルガに手を出したのだ。彼にとって、この世で一番大事なひとに。
しかし、メルヴィンの想像に反し、ヘルガは首をふるふると横に振る。
「いいえ違うんですマルさん。わたくしは無条件に彼女を許そうとしているのではありません。もしかしたら……彼女にとってはこちらのほうが過酷かもしれませんよ?」
「? どういうこと……?」
メルヴィンが怪訝そうに彼女の顔を見ると、ヘルガは困ったような目をして、そして口元で薄く笑った。
「モニカさん──あの方はとても気位が高い。わたくしの実家に下働きとして入れば、あの修道院よりも、きっととても苦労なさると思います。だって、わたくしの家は魔窟も同然です」
そう言い切る令嬢に、メルヴィンはちょっと目を瞠る。
アウフレヒト家は、血のつながりがある娘にすら厳しい環境だ。冷酷で打算的な家長に、その妻も見栄っ張りで傲慢。家に残るヘルガの兄たちも、妹にすら意地が悪く使用人たちにもつらく当たる。そんな環境下では、使用人たちにも鬱屈や堕落があっても不思議ではなく、きっとその一番下に入ったものの苦労は計り知れない。
「……」
「それに、あんなに憎んでいるわたくしに仕えるということほど、あの方にとっては屈辱的な罰もないでしょう」
そう薄く笑う令嬢の顔に、少しだけ狡猾なものを感じメルヴィンは意外そうな顔をする。
「……確かにそうかもしれないけど……」
そこに危険が伴うのなら、無理なのだと言おうとして。しかしメルヴィンは、ふと、ヘルガが何か言いたげであることに気がついた。その顔は、自分の中にある、何か重大な気持ちをどう言葉にしたらいいだろうかと考えるふうであった。それを察したメルヴィンは黙る。と、聞く姿勢を見せた青年に気がついて、自分を尊重してくれる姿勢にヘルガはそっと微笑んだ。
(やっぱり、マルさんは、マルさんですね……)
そうしてヘルガは、ゆっくりと、自分の中にある複雑な想いを彼に語った。
「わたくし……今回のことで色々分かったことがあるのです」
「分かったこと?」
「はい。わたくし、ずっと父の言いなりだったでしょう?」
侯爵家に生まれて、父の政略の駒として育てられた。娘はいずれ、誰か父の望む相手に嫁ぐ。それはアウフレヒト家では口にするのも馬鹿らしいほどに当然の話だった。
「……けれど、今回わたくしは初めて父に逆らい、あなたの元へ行こうとした。それは少しうまくいきませんでした。でも、わたくしは、自分の足で家を飛び出し、誘拐犯たちからも自力で逃げることができた。だから……わたくしは、こんな自分でも、成せばなるのだと分かったんです」
自分で考え、決断し、行動した。それが、今とても誇らしいですとヘルガは微笑み、そんな彼女の眩しい笑顔を見たメルヴィンは言葉を失くす。
「……」
「モニカさんがしたことはとてもいけないことです。でも、変に思われるでしょうが……この試練がなければわたくしはずっと父の駒のままだったかもしれないと思うと……王太子であるあなたに嫁ぐ前に、そのことに気がつく機会をくれた彼女には感謝に近いものを感じています」
もし、モニカがヘルガの名前を王太子のリストから外さなければ、何事もなく、ヘルガはストレートにそのままメルヴィンの妃になったかもしれない。しかしそうであった時、これまでの過程がすべて省かれていた未来、ヘルガは果たしてメルヴィンへ今と同じ気持ちを持っていただろうか。父に言われるがまま与えられた結婚だと、そのように小さな棘を胸に秘めてはいなかったか。
今回のこともそうだ。自分にも成せばなるのだ、選ぶことができるのだという気づきのないままに王家に嫁いでも、彼の傍であればきっと幸せではあったかもしれない。
でもやはり、と、ヘルガは思ってしまう。『父の政略の為』に嫁いだと思うのと、『自分で選んでメルヴィンの傍にいるのだ』と自覚するのとでは、人には些細な違いに思えても、ヘルガ本人にとってこれはとても重大な問題だった。
「……わたくしは、自らが選び行動することを学びました。押し付けられた愛ではなく、自分で選んだ愛だと感じられることは、きっとこれからのわたくしの人生を輝かせます」
ヘルガはメルヴィンに微笑み、だからと続ける。
「わたくしは、そう思うきっかけをくれたモニカさんを傍に置きます。同じ過酷なら、わたくしのもとで責任を取らせようと思います。……あの方、あのままではどこへ行っても、きっとわたくしへの恨みは晴れぬでしょう。でも傍で交流すれば、和解の道もあるかもしれませんわ」
ヘルガはそうすっきり言い切って。メルヴィンはもうなんと返していいか分からなかった。もちろん彼の中には、モニカたちへの怒りも、ヘルガの考えの穴を突き、言い負かすだけの言葉はある。だが、
(……言い負かしたところで……)
それがなんになるだろうとメルヴィン。そうしたところで、ヘルガが納得しなければ、彼女はずっとモニカに思いを残したまま。この先、モニカの行く末を思い、暗い顔を見せるようになるのだろう。そんな悔恨をヘルガに残すことは嫌だった。
……メルヴィンは困り果てる。
「……もう、どうしたらいいんだこのお嬢さんは……」
しかし苦悩するメルヴィンに、ヘルガは目を細めてチラリと冷え冷えとした視線を送る。
「あら? 王太子殿下、あなた様は先程、わたくしに許してもらう為ならば、なんでもするとおっしゃいませんでした……?」
「⁉︎」
その言葉にメルヴィンがギクリと肩を揺らす。
「っ、い、や、でも!」
「あらぁ、先程のお言葉は“また”嘘だったのでしょうか……? そうですの、残念ですわねぇ……でしたら第一条件の婚約もなかったということになるのかしら……」
「⁉︎ ⁉︎」
『また』という言葉をやけに強調し、やや芝居がかった調子で首を傾ける令嬢。そういえばと続ける。
「以前上の姉の夫が、わたくしにちょうどいい縁談があると言っていたような……」
「ちょっ、ヘルガ勘弁して!」
しかしツーンとそっぽを向く令嬢に。メルヴィンは頭を抱えて呻く。
「ああああ! もう! 君ときたら!」
もうこうなってしまえば……まったく歯が立つ気がしないメルヴィンであった……。
そうして。
結局、ヘルガはメルヴィンの代案──他のものならなんでも──宝石でも、大きな庭のついた屋敷でも、図書館でも、土地でも好きなものを用意するからとか、一生絶対服従しますとか、なんなら国の名前をヘルガの名前にしますとかいうメルヴィンの必死な懇願を、「結構です」と一蹴した。
そしてヘルガは、ほとほと困り果てた男に、戦いにでも臨むような顔で熱き闘志を見せるのだ。
「そういうわけで、わたくし今回、誘拐犯たちに立ち向かって俄然自信をつけましたから」と、ヘルガ。
「ふふ、まあ本当のところ、わたくしモニカさんに大変興味があるのです。あそこまで人を憎み、執念を燃やせるとは……わたくしにはない情熱です」
「⁉︎」
「わたくしは、モニカさんを観察、研究し、そしてきっとその怒りを昇華させる術を見つけます。そしてそこを皮切りに、ゆくゆくは問題だらけの我が家の悪しき環境の改善に挑むつもりです。まずはモニカさんで、次はじわじわと使用人たちの襟を正し、さらには強欲な両親や兄たちの意識の改革に取り組みます。あら、母の散財もなんとかしたいわ」
「…………」
何やら壮大な野望を語り出したヘルガに、メルヴィンは圧倒されて言葉もない。と、その令嬢が、気がついたようにメルヴィンを見た。
「──あ、そのような訳で、婚約後もしばらく結婚をお待たせするかと思います。ご了承ください」
「へ、ヘルガ⁉︎」
一区切りついてから結婚しましょうね、多分、三、四年ほどのちに。と、にっこりと微笑むヘルガに、メルヴィンは──血の気が引くほど愕然とした。
「そんなに待てないよ! へ、ヘルガ!」
もう明日でもいいくらいなのに、それだけは絶対に嫌だと。王太子殿下は悲壮な顔で訴えた。
お読みいただきありがとうございます。
次…くらいで一区切りとなりそうです( ´ ▽ ` )




