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8ー24 王太子

「王太子様に助けていただいたからって、いい気にならないで! あんたなんか──」


 ──そう言葉を投げつけられた時。ヘルガはショックでその後のモニカの言葉を覚えていない。


 マルが何かを隠している。そう疑いを持った時、ヘルガは、マルがいやに“叔父”なる人物についての話題を避けていたことに気がついた。その叔父なる人物の城は、かなり立派で。それなのに、その人物に挨拶もせずに入城してしまったのも変だった。まあそれは深夜ということで、『挨拶はまた明朝』というマルの説明も理解はできる、が。


「……そういえば、ここはホワイトベル修道院の近くなのよね……」


 修道院からは馬で移動したが、そこからの移動距離を考えても、そう大きく移動はしていない。ただ、ヘルガはいまいち方向感覚に優れていない。というか、方向音痴の気がある。あらどっちに進んだのだったかしらと考えて、うんうん困った挙句、ヘルガは頭の中に、修道院周辺の地図を思い起こそうとした。確か以前、図書館司書のオーディーに遠いから一人で行ってはダメだと叱られた時、地図を見せてもらった記憶があるのだ。


「あの辺りは確か……」


 両側のこめかみに指先を当てて思い出す。確かホワイトベルは、二つの領の境目にあったはず。しかしこのような大きな城を保有しているとなると……そう考えて、ヘルガはハッとした。


「…………まさか、フロッカ公のお城……?」


 思い当たってヘルガは目を瞠る。

 現在のフロッカ公は、王弟グンナール・ヒリヤード。


「え? ……でもマルさん、叔父っておっしゃっていたわ……? え……? マルさんは……王族の方……?」


 いや、そんな馬鹿なと思って。しかし、思い浮かんでしまった疑念は、答えがないまま放置していると、頭の中でぐるぐると渦巻いていき、どんどんヘルガを不安にさせていくようだった。

 いや、別にマルが王族でも貴族でも庶民でも、なんだって構わないのだ。でも、何故それを隠すのだろうと疑問に思った。ヘルガは普段からあまり他人の都合にあれこれ口出しする性質ではないが……流石にそれが、自分の意中の相手となると、話は別だ。

 何か隠すべき理由があるのかと不安に思い、どうしたらいいのだろうかと思って。でもその日のマルは、とても必死な様子で何かを誤魔化していた。ヘルガは、マルの身分のことについては何も知らないが、少なくとも、彼があまり素直な性格ではないことは知っている。いや、どちらかといえば、かなり捻くれていて、秘密が多いタイプだ。そんな彼が、あんなに必死に隠そうとしているものを、きっと素直には打ち明けてはくれないのだろうなと思い……──ふと思いついたのが、元伯爵令嬢のモニカなら何かを知っているのではないかということだった。

 モニカはヘルガとは違い、社交界の集まりにもよく顔を出していたはずだ。もし、マルが王族であれ、貴族であれ、年頃の者ならば、一度くらいは集まりに出てきているはずだった。何かと疎いヘルガでも薄々マルが容姿端麗な若者で、若い女性の目を集める存在だとはなんとなく(かなりうっすら)気がついている。

 もしやモニカたちグループの目にも止まっていたかもしれない。そしてその彼が、昨日モニカが捕らえられた現場にいたのだから、彼女も彼を目撃しているかもしれない。そう思うとヘルガは彼女に確かめずにはいられなかった。

 もちろん、今ヘルガがモニカのところへ行けば、きっと彼女は怒り狂うだろう。だが、逆にその怒りを利用すればもしかして、と思ったのだ。


 しかし。


「…………」


 モニカの牢獄前から立ち去って、少し歩いたところでヘルガは壁にもたれかかるように立ち止まった。たった今、モニカの口から出た言葉の意味するところを察し、それがあまりに衝撃的で。ヘルガは黙ったままため息すらつかず、俯いていた。

 そんな令嬢に、後ろに付き添ってくれていたグンナールが声をかける。


「大丈夫かね?」

「…………はい、閣下」


 そう呼ぶと、グンナールは、彼女が彼の甥のことを理解したことを悟ったらしい。公爵は申し訳なさそうに苦笑した。

 ヘルガはもちろん、グンナールが彼の名をただの『グンナール』と名乗った時に、もう彼がフロッカ公なのだとは分かっていた。しかし彼が家名をあえて出さなかったことに気がついて、彼女のほうでもあえてそう呼ばなかった。……しかし、もう、彼の甥が誰なのかということが分かった今、きっと彼にももう隠す理由は無くなっただろう。


「我が甥が、何やら迷惑をおかけしたようだ。申し訳ない」

「……いえ……そんなことは……でも、少し……混乱していて……」


 ヘルガは困りきっていた。もしかしたら、マルが王族の誰かなのか、もしくはフロッカ公の妻側の義理の甥で、そちらの侯爵家側に連なる誰かなのか……とは思っていたが──まさか、マルが王太子だったなんて思いもしなかった。

 あまりのショックに足元がふらつくヘルガを、公爵が心配している。公爵は、ヘルガの額に滲むおびただしい汗を見て、眉間にシワを寄せた。


「本当に大丈夫かね? 医者を呼ぶか?」

「……大丈夫です。これはお医者様に治していただける類のものでは──……申し訳ありません閣下……今は思考がまとまりません」


 ただでさえ思考魔な彼女。頭の中には、いろんな疑問や感情が吹き荒れていて、オーバーヒート気味。考えすぎて、頭がクラクラした。


(マ、マルさんは何故──)


 その疑問に、ヘルガは途方に暮れる。



               * * *


 

 慌てたメルヴィンが、ヘルガたちが向かったという地下牢へ向かうと、牢へ降りる階段で、地下から戻ってくるヘルガたちと行き合った。ヘルガは心なしか、放心しているようにも見えた。


「! ヘルガ!」

「…………」


 声をかけたメルヴィンに、ヘルガは無言。慌ててやってきた彼に気がつくと、まるで信じられぬものを見るような目で青年を見る。メルヴィンは、その目に怯む。


「あ、あのヘルガ……」


 と、ヘルガは彼から顔を背け、彼女の傍に立っていた彼の叔父、公爵を呼ぶ。


「……閣下」


 その暗い言葉を耳にして、メルヴィンが息を呑んだ。俯いたヘルガに呼ばれた公爵は、うむと頷いてメルヴィンを見る。


「……マル様、ヘルガ殿は、今はまだあなたと話したくはないそうだ」

「!」


 叔父の言葉が重い。メルヴィンは、青ざめて身を強張らせた。それに今──聞き間違えでなければ、ヘルガは叔父を“閣下”と呼んだ。それは……彼女が叔父の身分を知ったからに他ならない。(……因みにこのやりとりを後ろで聞いていたグラントは、公爵と令嬢の何やら通じ合った様子を見て謎だと思った)

 メルヴィンは、自分を見ないヘルガに悲しくなりながら、問う。


「へ、ヘルガ……モニカに、何を聞いたの……?」


 恐る恐る問いかけるが、ヘルガはプイッと横を向いて表情を見せない。背けられた横顔の端に、彼女の怒りが見える気がして。メルヴィンは血の気が引いた。

 と、ヘルガが小さな声で言う。


「……閣下、わたくし御前を失礼してもよろしいでしょうか?」

「もちろん構わんよ。侍従に部屋まで送らせよう。ゆっくり休みなさい」


 公爵が言うと、ヘルガは公爵の気遣いに礼を言って膝折礼。


「ヘルガ……」


 メルヴィンが声を掛けるも、彼女はその顔を見ず、スッと横を通り過ぎた。彼には一瞥もくれない。残されたメルヴィンは愕然と、その拒絶するような背中を見送った。と、そんな甥に、公爵がやれやれと頭を振る。


「殿下、お気持ちは分かりますが、今は放っておいて差し上げてください。まったく……殿下ときたら……」


 叔父の顔で叱ってくる公爵に、メルヴィンは悲壮な顔を向ける。


「お、叔父上、これは……ヘルガは……知ったのですか?」


 すると公爵は眉間に険しいシワを寄せる。


「殿下、これは年長の者として言わせていただきますが……令嬢に王太子であることを隠して近づくなど、何をやっていらっしゃる」

「……、……、……面目ない……」


 メルヴィンは苦悶の表情で額を抑え、がっくりと肩を落とす。ヘルガの反応を見て、激しく気落ちした様子の甥に、公爵は、こんな王太子は初めて見たなと思いながらも、先程の甥の問いに答えるために、ええと頷いた。


「そうです殿下。ヘルガ殿は、モニカ・デメローの発言からあなたがどういう身分であるのかを知りました」

「っ」


 はっきりと告げられた衝撃は軽くない。メルヴィンは拳を強く握りしめる。

 ──公爵の説明によれば、ヘルガはモニカに会いに行き、彼の予想通り手荒い歓迎を受けた。モニカは、『何故来た』『嘲笑いに来たのか』と格子越しに噛み付くように言ったという。しかし令嬢はずっと静かにそれを聞いていた。

 ヘルガが罵られたと聞いて、メルヴィンは表情に怒気を浮かべたが……公爵はまあ聞いてくださいと青年を宥める。


「殿下、彼女はそれを承知でモニカ・デメローに会いにいったのです。あの娘の罵詈雑言から真実を知る為に。お分かりになるでしょう? 興奮した人間というものは、えてして要らぬことをしゃべってしまうもの。ヘルガ殿は、その中から欲しい情報を、つまり──殿下が本当は誰であるかという情報を得たのです」


『王太子様から助けられたからっといって、いい気になるな』


 腹立ち紛れのモニカのその言葉で、ヘルガは、彼女の為に駆けつけたマルが、確かに王太子なのだと理解したようだと、公爵は言う。

 それを聞いたメルヴィンは、奥歯を噛み締めて苦悩する。自分が早く打ち明けなかったばかりに、ヘルガに嫌な言葉を聞かせてしまった。それも申し訳なかった。


「……私に聞いてくれれば……」


 メルヴィンが悔やむように息をつく。打ち明けるつもりだった、だから尋ねてくれれば素直に言ったのにとこぼすと、公爵は仕方のない甥だと言いたげに眉を顰める。


「殿下……ヘルガ殿に聞きましたぞ。殿下は彼女を散々からかい騙したこともあるらしいですね? 正直に答えてくれるのか、彼女に確信が持てないようなことを殿下がなさったのですぞ」

「……確かに」


 メルヴィンががっくり肩を落とす。これはひねくれたことを散々してきた自業自得である。


「この件に関しては……全面的に私が悪い。ヘルガが怒るのも当然です……」


 すぐにでもヘルガに許しを乞いたいが……あの様子では、今は聞いてはくれないのではないかと落胆する。


「まあ……少し待ってみることですな。彼女は今とても混乱しています。しかしあの者はどうやらとても理性的な性格の様子。落ち着いてから話をすればきっと聞いてくれるでしょう。……彼女を大事と思うなら、短慮は起こさずひたすら許しを乞うのですよ」


 重い叔父の言葉に、硬い顔のメルヴィンははっきりと頷き、そして真っ直ぐに叔父を見た。


「──はい、彼女は私にとって命より大切な人です。どんなことをしてでも償い、許してくれるまでいつまでも待ちます」

 

 切実な響きの言葉だった。その決意の眼差しに、公爵は密かに感心する。今のメルヴィンの瞳はとても真摯だった。公爵が知る、表面では微笑んでいても、その奥には常に暗い色を秘めていた頃の甥の目とは、驚くような差があって。厳しい視線を甥に向けていた公爵の目が僅かに細められる。


(……よほど大事と見える)


 グンナールは小さく苦笑する。そんな甥が嬉しくて、しかし若い二人のこと。


(はて、うまくいくといいが……)


 公爵は、やれやれと首を振り、若い二人の行く末を想った。



               * * *


 

 ふらふらとした足取りで客間に戻ったヘルガは──椅子に腰掛け考えていた。ひたすらに。

 周囲では城の侍女たちが、心配そうにあれやこれやと世話を焼いてくれているが……ヘルガは椅子に腰掛け、カクリと首を斜めに落としたままピクリとも動かない。まるで……血の通っていない人形のようだ。


「……………」


 眉間にはひどいシワ。令嬢はそのまま動かず──そしてだいぶん時間が経った頃。その唇が小さく動く。


「…………マルさんが……王太子様……?」


 それは、考えても考えても変な話であった。


「? ならばどうして……わたくしは婚約から逃げ出したの? というか……なぜ王太子様誘惑の相談をマルさんに……」


 つまりそれは王太子本人に『あなたを誘惑したい』と言い続けていたということではないか。それに思い当たった時、ヘルガはやっと身体を動かして──頭を抱えた。


「…………なんということでしょう……顔から火が出るわ……」


 その顔は、真っ赤だった。放心している間に引いていった汗が、また顔面から滝のように流れ落ちてくる。

 ──ヘルガは別にメルヴィンに対して腹を立てているわけではなかった。いや、厳密に言えば腹も立っているのだが、それよりも、ただ……ものすごく恥ずかしかったのである。

 ──大勢の前で下着姿になったのも、彼に再び会うためと思えば恥ずかしくなかった。

 ──自分の為に怒り狂っている彼を宥めなければと思えば、『唇奪うぞ』と脅かすこともやってのけた。だがこれは。

 

「…………」


 侍女たちがハラハラと見守る中、ヘルガは頭を抱えたまま、ゆっくりとテーブルに突っ伏していった。……侍女たちが、慌ててそこにあったティーセットと菓子の皿をどけている。

 ヘルガにとって、この羞恥はちょっと複雑である。








お読みいただきありがとうございます。


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