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8ー23 ヘルガと公爵

 

 こちらは少し時が戻り、ヘルガの朝。

 普段から彼女の朝は早い。どんなに疲れていてもだいたい毎朝同じ時間に目が覚める。本日も、きっかり同じ時間に寝台の上で目覚めた娘は、一瞬ぼんやりしたあと、


「そうだわ」


 と、つぶやいて。むっくりと身を起こした。

 そうして令嬢は手伝いを呼ぶこともなく、自分で洗面用のたらいに水を差して顔を洗い。寝巻きを脱いで、城の者が用意しておいてくれたらしい真新しいブルーのワンピースに袖を通した。そうして慣れた手つきで髪を結い、テキパキと身支度を整えて。ヘルガはさっさと部屋を出る。

 この頃にやっと、ヘルガが起きていることに気がついた城の侍女がやってきて、すっかり身支度の整った令嬢にちょっと驚いた顔をした。侍女は、彼女を侯爵家の娘だと聞いていたのだが、この公爵の城を訪れるような身分の高い娘たちはだいたいが自分だけでは身支度をしない。侯爵家くらいの身分であると、数人の侍女がつくのが当たり前なのだが……

 しかし、実家であまり構われず使用人たちにも侮られっぱなしのヘルガは、小さな頃から自分で身支度を整えることに慣れている。彼女は侍女の戸惑いには気がつかず、まずは朝の挨拶をしてから、尋ねる。──使用人にするには折目正しすぎる挨拶に侍女がやや怯んでいる。


「あの、ここから地下牢へはどうやっていけば?」

「え? 地下牢、で……ございますか?」


 地下牢と聞くと、侍女は更に困惑した顔をして。お客様にはそんなことは教えられないと言う。と、ヘルガが眉を悲しげにひそめる。


「あらぁ、困ったわ……わたくし別に牢破りをしようなどと不埒なことを考えているわけではありませんのよ?」


 本当ですと真剣な顔で訴えられて、侍女は尚のこと戸惑った。別に、彼女だって、公爵家の屈強な兵士たちが厳重に守る地下牢で、この令嬢がそんなことをできるとはカケラも思っていない。物見遊山のつもりだろうかと侍女は困ったような顔をして。するとヘルガは、侍女の戸惑いを察したのか、分かりましたと頷いて、無理を言ってごめんなさいねと言いながら、身体の向きを変えた。


「では城主様に直接お願いしてみます。城主様は、マルさんの叔父様……? なのかしら? どこにおいでかしら。取次はどなたにお願いすればいいのかしら?」

「あ! ちょっと待ってくださいお嬢様!」


 部屋の外へ出ようとするヘルガを、侍女は慌てて追ってくる。が、その時。ヘルガが廊下に出たところで、彼女は誰かにぶつかりそうになって。機敏に避けてくれた相手に、ヘルガはあら、と短く声を漏らした。


「申し訳ありません、お怪我はありませんか? わたくし少し視力が悪いもので──まあ、可愛いエプロン……」


 相手の身につけている白地に花の刺繍のついたエプロンに、ヘルガはついつい気を取られる。と、その頭の上に、低い声が降ってくる。 


「ん? おや、もうお目覚めかね、ヘルガ殿」

「あら?」


 名を呼ばれ、顔を上げたヘルガは、目を細めて相手を見た。薄ぼんやりと──大柄な年配の男が、手にちんまりとしたスコップを握り、カゴを腕に下げているのが見えた。一瞬誰かしらと思ったが……その瞬間今度は彼の持っているカゴの中身が見えた。ヘルガは瞳を輝かせる。


「まあ、美しいスミレですこと……! まるでマルさんの瞳の色のようだわ……」


 鮮やかな紫色の花を見て、マルを思い浮かべたヘルガの瞳はとても優しくて。それを見た年配の男──公爵がおやと相好を崩す。


「もう愛称で呼び合っておるのか? 随分と仲がいいようだ」


 微笑ましげにそう笑われて──ヘルガの眉間に一瞬、ん? と、シワが寄る。


「……、……、……愛称……?」


 だが、相手はそれに気が付かず。


「ヘルガ嬢よ、疲れてはおらぬのかね? まだ明け方だ、ゆっくりしておられよ」


 そう気遣われて、ふとヘルガは気がついた。


「……あら? もしや……マルさんの叔父様ですか?」


 尋ねると、見上げられた男は合点がいったというように頷く。


「おおそうか、昨晩は──」


 と、言いかけて。公爵は思い出した。昨晩、甥である王太子が何故かしきりに、彼女にここが公爵の城であることを隠そうとしていたことを。


「……──ふむ。私はマルの叔父のグンナールだ」


 察しのいい公爵は、あえて自分の名前だけを名乗った。家名を名乗ってしまうと、王族出身であることがすぐに分かってしまう。それは、つまり彼の甥“マル”も王族であると言っているのと同じである。

 するとヘルガはワンピースの裾をつまみ、礼法に従って膝折礼で返す。


「グンナール様、ご挨拶が遅れました。わたくし、アウフレヒト家の娘、ヴィンデ侯の四女ヘルガでございます。昨晩は突然夜更けに押しかけてしまい、申し訳ありませんでした」

「ははは、顔を上げられよ。昨日は随分と豪快な立ち回りをなさったらしいではないか。兵士たちの間でも評判になっておるぞ」

「あら、それはお恥ずかしいです」


 ヘルガはにっこり笑ってさらりと流しているが……実はその豪快で突拍子もない令嬢の噂は、結構な勢いで公爵領に広がっていた。まあそれはそうだろう。昨晩のヘルガの登場を目撃した公爵領の兵たちは、皆相当驚いたに違いないのだから。ただし、一応令嬢の名前は伏せられているから……まあ、色々ぎりぎりセーフである。


「──それで……ヘルガ殿はどこかにいかれるのかな?」


 公爵は説明を求めるように、令嬢の後ろに立っている侍女に視線をやる。


「あ、そ、それが……ヘルガ様が地下牢に行きたいとおっしゃっていて……」

「ほう? 地下牢とな?」


 侍女が困ったように答えると、公爵は目を少し見開いてヘルガを見る。その視線を受けたヘルガは、スッと姿勢を正し両手を重ねて、“マルの叔父”に訴える。


「大変不躾であることは承知しているのですが──わたくし、どうしても確かめておきたいことがあるのです。わたくしとマルさんのこれからの為に」


 ヘルガは真っ直ぐに公爵を見る。その瞳の奥には、平静さに隠れて、小さな不安が見てとれるようだった。公爵は考える。


「…………ふむ。確かに、客人がいきなり地下牢を見せろとはいささか無礼ではあるな」

「申し訳ありません」


 公爵が言うと、ヘルガは静かに頭を下げる。その佇まいから滲み出る真剣さと切実さに、公爵はしばし考え込んで。不意に、彼は頷いた。


「よかろう、それではヘルガ殿にはちょっとばかり庭の手入れを手伝っていただこうかな」

「え?」


 公爵の言葉にヘルガはキョトンとした顔を上げる。公爵は笑った。


「昨日花の苗が届いてな。すでにあるビオラの花壇に加えようと思っていたところだ」

「まあ──……素敵」


 急な提案にも、パッと表情を輝かせる令嬢に。公爵は内心で(変わっておるなぁ)と思いつつ目元を和らげた。そうすると公爵の眼光鋭い強面顔がいくらか優しくなる。まあ……その顔がどれだけヘルガに見えているかは定かではないが……。

 公爵はついて参れとヘルガを促した。


「作業をしながら話を聞くゆえ、事情を説明してご覧。地下牢へ案内するかどうかはその後決めるとしよう」


 そうして。ヘルガとガーデニングエプロンにスコップ装備の強面公爵は二人で城の庭へ向かった。

 それは──……


 のちにメルヴィンが引くほどに二人を意気投合させてしまう結果となる……。








お読みいただきありがとうございます。

なんだか平和?な回になりました( ´ ▽ ` )

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