8ー22 強面公爵閣下の趣味はガーデニング
男は消沈し切った声で言った。
「……さっきのヘルガの顔を見たか……? あれは絶対に何かあると察した顔だ……」
公爵からせっかく立派な客間を借りたというのに……青ざめ、ハラハラしてとても眠れないという顔で、室内を行ったり来たりしているメルヴィンを、護衛騎士は呆れと気の毒さの入り混じった複雑な顔で眺めていた。
主君は、別れ際の令嬢の様子が気になって仕方ないらしい。……まあ確かに、先程のヘルガの顔はかなり訝しげであった。
「そうですねぇ……ご令嬢の普段からの目つきの悪さを差し引いたとしても、あれはかなりの警戒感でいらっしゃいました。直前まではあんなにニコニコしておいでだったのに……唐突にハッとなさって、『こいつ、また何か企んでるのか?』と……そのようなお声が聞こえてくるかのようで……まあでも、これは殿下の自業自得ですけどね」
「……」
すんっとしたグラントの指摘に、メルヴィンは沈痛の面持ち。
青年は、その通り過ぎて言葉もなかった。図書館で会っていた時、素直なヘルガが可愛くて、かまいたくて。色々と吹き込んだりからかったりしたのは自分である。ヘルガが『ある男性を射止めたい、どうしたらいいか?』と、相談して来た時も嫉妬から馬鹿げた策を与えて彼女の暴走を引き起こした。
「……、……、……反省してる」
諸々を思い出したメルヴィンは呻くように言った。神妙な顔でもうしませんとげっそり漏らす主君に、グラントは、この方は本当に仕方ないなぁという顔で言う。
「しかし殿下、流石にもうそろそろ潮時ですよ。せっかくお互い想いも通じられたことですし……身分を明かして、事情を説明して差し上げて下さい」
そもそも、メルヴィンが自分の身分を伏せたのは、気安い友の“マル”として彼女と仲を深めたかった為である。彼が彼女の愛を勝ち得たのであれば、これからは当然恋人になるなり、婚約するなりで二人の関係性を進めることになるはずだ。しかし、そこでいつまでも身分を偽っていてははじまらない。これは自分が王太子なのだと打ち明ける良い機会だろうと言うグラントに。しかしメルヴィンは青い顔のまま。青年は困り果てた様子で、俯きがちの額を手で支えている。
「分かっている……分かっているんだが…………きちんと打ち明けるのと、うっかりバレてしまうのとでは打ち明けられた方の受け止めもまた違ってくるだろう……?」
あれだけ疑り深い目でメルヴィンを見ていたヘルガである。きっと思考魔の彼女は、その違和感について現在あれこれ思考を巡らせているに違いないのだ。そんな彼女が、メルヴィンが打ち明ける前に、自分でその答えを導き出してしまったらと思うと……気が気ではない。なにせ、この彼の叔父である公爵の城にはそこここにヒントがある。メルヴィンのことを知っている使用人たちも大勢いて……勿論彼らには口止めをしておいたが……それでもどこから漏れるとも分からない。それでメルヴィンはハラハラしているらしかった。
グラントは言う。
「でしたら……もう早急にお話をなさるべきですね。……ですが、この時間はさすがに非常識なので、そうなると……明日の朝食の折にでも」
言ってやるとメルヴィンの顔がぎこちなく歪む。
「そ、そうだな……そうだ、早く打ち明けなければ………………」
と、言ったきり彼は黙り込んで頭を抱える。
「? 殿下?」
グラントが不思議そうに顔を覗き込むと、メルヴィンが青ざめた顔で言う。
「……もし…………それでヘルガに嫌われたらどうしよう……」
「………………」
まあ、結局気になるところはそこらしい。彼が実は、彼女が、婚約が嫌で逃げ出したその王太子本人であると知ったら──彼女が『射止めたい』と言った時、彼が『だったら虫取りに行ったらいいよ!』と、悪意を込めて要らぬことを吹き込んだ、その相手である男が、自分だったのだと知らされたら……
「………………、やばい、考えただけで吐きそう……」
「………………」
げっそりした顔で口元を手で押さえている君主に……グラントが、何故かプルプルしながら何かを堪えていた。
こう言ってはなんだが……グラントは内心では腹を抱えて笑いたくて仕方なかった。
彼はこの美貌の王太子の護衛についてもう何年も経つが、彼がこんなに苦悩しているところはこれまで見たことがない。勿論その内容がもっと深刻なことならば彼もけして笑ったりはしないが……内容が内容である。ただただ、ヘルガに嫌われたくないと嘆き、やるべきことはしっかり見えているはずなのに、いつもなら、何事も断行するような彼が。それでもひたすら悩んでいる様はもう、面白くて仕方なかった。こんな王太子は、とても珍しく、そしてなんだかとても人間味があって……グラントは心の中でヘルガを拝む。
(……ありがとうヘルガ嬢。どうか末長く殿下の傍にいて下さい……あなた様がいてくだされば、殿下は闇堕ちせず、きっと人の心をお忘れにならないでしょう……配下たちの平穏な職場環境のためにも……)
しみじみと令嬢に手を合わせていた護衛騎士。しかしふと気がつくと、いつの間にか目の前にいた王太子が消えている。
「あれ⁉︎ 殿下⁉︎」
グラントが慌ててその姿を探すと──いた。メルヴィンは、真剣な顔で客間の奥のテーブルにつき、何やら紙に書き殴っている。傍へ行って手元を覗き込むと──思わずグラントの口がぷっと噴き出す。──どうやら王太子は……明日の朝、どうやってヘルガにその告白をするかのプランを練っているらしかった。うんうんと唸るその王太子の顔は、まさに必死である。それを見たグラントは、やれやれと笑う。
(さて、どうなりますやら……なんといっても、あのご令嬢は一筋縄ではいかないからなぁ……)
ふと、窓のほうを見ると、外はもう深い闇の色。けれどもおそらく、もう遅いから寝てくれなんて言っても、きっとこの必死な主君は聞き入れてはくれないだろう。仕方ない人だと思いつつ、グラントは主君に言った。
「ま……大丈夫ですよ殿下。ヘルガ様はお優しいですから。きっと、殿下のご事情も含めて受け止めてくださいますよ」
そうすると、主君はわずかに顔を上げて、安堵したような表情で彼に向かって苦笑するのだった。
──が。
翌朝。結局一睡もできなかったメルヴィンがジリジリしながらヘルガの客間を訪れると──……すでに彼女はそこにいなかった。代わりに対応した公爵家の使用人に、彼女がどこに行ったのだと尋ねると、使用人は思わぬことを口にする。……その内容に、メルヴィンが目を剥いた。
「え⁉︎ ……ヘルガが──……地下牢のモニカ・デメローに会いに行った⁉︎」
「は、はい……」
メルヴィンのあまりの形相に使用人の娘が怯えている。
「ど、どういうこと⁉︎ なんで……」
「それが……お引き留めはしたのですが……本日の早朝、ヘルガ様がそのお方に会いたいと言って部屋を出られた時……偶然、日課のお花の手入れの為にお庭に出られようとしてた公爵様と鉢合わせなさいまして──……それでその、閣下が、お花に詳しいヘルガ様をいたく気に入ってしまい……意気投合したお二人は、共にお庭の手入れをなさったあと、閣下がお礼にとご令嬢の願いをお聞き届けになり、お二人で地下牢へ……」
「な……」
それを聞いたメルヴィンは絶句した。あんなに酷い目に遭わされておいて、どうしてその娘に会いに行ったりするのだ。きっとまた酷い言葉をかけられるに違いないのに……。メルヴィンは、ヘルガが傷付けられてやしないかと、とても不安に思った。疲れているだろうからと、ゆっくり寝て欲しくて、少し遅めにヘルガを尋ねたのが裏目に出てしまった。いや、まさかあの体力のないヘルガが、あんな騒動があったあとに、スッキリ起きて、公爵と朝から庭の手入れなんかしているなどとは思わない。庭には虫もいるだろうに……。
「しかも、モニカ・デメローって……!」
メルヴィンは悔やむように言って。背後に控える護衛に声をかける。
「グラント! 私たちも地下牢に急ぐ──……」
ぞと、言いかけた青年の言葉が途中で消える。
「? 殿下?」
半端に呼ばれたグラントが、不思議そうに主君の顔を見る、と──主君は何かに気がついたような顔で息を呑み、そして──唐突に、駆け出した。
「え! 殿下⁉︎」
いきなり血相を変えて走り出した主君を、グラントも慌てて追いかける。
「ど、どうなさったのです殿下!」
「ヘルガ……!」
──これは今のメルヴィンにとっては由々しき事態だった。
なにせ、モニカは彼が王太子であることを知っている。その口からヘルガに、彼が王太子であるのだと伝わってしまったら、何もかも(※メルヴィンの告白プラン)が台無しである。
お読みいただきありがとうございます。
メルヴィン、必死です( ´ ▽ ` ;)やれやれ




