8ー21 ヘルガの疑い
モニカたち一味を捕らえ騒動に一応のけりがつくと、時刻はもう日をとうに跨いでいた。
メルヴィンは、とにかくヘルガの安全を確保するために馬を駆ってきて。ここへは最低限の供と護衛しか連れてきていない。戦力は部隊を王都から引き連れて手間取るより、近隣領主の兵を借りた方が早いと判断したわけだが……この人数で、このような深夜に、ヘルガを守りながら王都に戻るわけにもいかない。彼女も色々あってきっと疲れはてているはずである。
そこでメルヴィンは、ひとまずヘルガを連れて領主の城へ身を寄せることにした。この土地を治めるのは、彼の父王の弟の一人、フロッカ公。メルヴィンにとっても信頼のおける身内であり、彼ならば──まだヘルガに身分を明かしていない甥が多少挙動不審でも、おそらく目を瞑ってくれることだろう……。
さて、そうと決めたメルヴィンは、まずは彼女の父へ手紙を書いた。もちろん──王太子の名前で。
内容は、ヘルガを数日前から、ここ、フロッカ公爵の城へ招待していて、今も共にいるということ。それは行方不明になった彼女が彼の保護下にあると知らせるためと……まあ、口裏合わせというやつである。
もちろん侯爵も、この手紙が真実ではないことにはすぐ気がつくだろうが……たとえ見え透いていても、きっと侯爵は文句を言わないはず。何故ならば、今回の一件が世間に露呈すれば、たとえ被害者だとしてもヘルガは王太子妃候補から降ろされる可能性があるからだ。それは侯爵とて望まぬはずだった。現に彼は、娘の捜索を王国には願い出ず、秘密裏に行わせている。……もしかすると、侯爵はまだヘルガが自ら家出をしたと思っているのかも知れないが……。それでもやはり自分の娘が王太子との婚約を拒絶して逃げたと知れれば、また具合が悪いわけだ。
ゆえにそれらを隠したい侯爵は、メルヴィンの手紙に違和感があろうとも追求するようなことはしないだろう。
メルヴィンの短い手紙の最後には、『こちらに任せれば貴殿の望みは叶うだろう』という旨の一文を添えてあり。文脈をよく読めば、王太子自身がヘルガを望んでいるということは読み取れるようにしておいたから──狡猾な侯爵はその意図をきちんと理解して、確実にこの口裏合わせに乗る。
──当然、誰かに尋ねられれば、前もってメルヴィンから許可を求められ、彼もちゃんと許可を出したと言い張るはずだ。
(と、とにかくあとのうるさい連中は、権力でねじ伏せよう……)
──と、メルヴィンは、冷や汗を拭いながら、今後のことを後回しにし、意識から放り出した。──何故かというと。彼は今、それどころではないのである。
目の前には訝しげなヘルガ。怪訝そうに周囲をちらりちらりと動く視線を、あれやこれやと注意を引いて。メルヴィンは、なんとか彼女がその事実に気がつくのを阻止し続けている。とてもではないが……のちに起こるかも知れない面倒ごとのことなど、今は考えている余裕がなかった。
と、不意にヘルガが彼を呼ぶ。
「マルさん……」
「え⁉︎ えっと……何……?」
引き攣った笑顔を顔に貼り付けたメルヴィンが応じると。ヘルガは迎え入れられたその城内を見ながら不思議そうに問う。
「あの、ここは──どなたのお城ですか? 何やら随分大きいような気がするのですが……」
そう彼女が尋ねているこの城は、つまり既に述べたフロッカ公爵の城である。公の城は石造りの大きな城で。内部も絢爛豪華な造りとなっている。ここに来るまでは、“マル”とようやく想いが通じたと嬉しそうに彼を見つめていた彼女も……この立派な城に入城してしまうとさすがに違和感を感じたらしい。いや、実は城下を馬で上がって来ている最中から徐々にヘルガの眉間には怪訝そうなシワが出来ていたのだが……そこはなんとかああだこうだと誤魔化して来たわけだ。が……
「このような深夜に受け入れてくださるなど……余程親しいお方がいらっしゃるのですか?」
「え? ええと……」
メルヴィンはギクリギクリと肩を揺らす。青年は、目の悪いヘルガには見えていないのだと分かりつつも、視線を泳がせて、空々しい調子で答えた。
「えっ……と……し、親類……?」
まあ、確かにフロッカ公爵は、彼の父王の弟なので間違ってはいない。親類と聞いて、ヘルガはなるほどと頷く。
「はあ、ご親類が……随分とご立派なお住まいをお持ちのご親類がいらっしゃるのですね……」
よく見えないながらに顔を上げ、エントランスの天井を豪華に飾るシャンデリアをしげしげと見ているヘルガに、メルヴィンはとてもハラハラした。
彼女の鈍感力に賭けてここに連れてきたが……流石にこれはまずかっただろうか。
しかしこんな深夜に城下の宿に入ることはできないし、罪人も連れている。兵を借り受けたこともあり、そのまま公爵の城に入ったほうが都合が良かったわけだ。度々ミラクルを起こすヘルガなら、それでも何も気が付かないのではと楽観視した彼は、やはりヘルガを侮りすぎだったらしい。
(ぅ……どうしよう……)
メルヴィンは困った。
もう彼女に自分の正体を打ち明けなければと決意はしたものの……しかし……それは何もこのようなバタバタしたあとでなくともいいはずだ。
少なくとも日は改めるべきで、場所も、こんな人様の城のエントランスで立ちながらなど。せめてヘルガの疲れと、メルヴィン自身の胃痛を和らげてからにさせて欲しかった。絶対に、今後、またその一件で、彼の胃は激しく痛むに違いないのだから……。
そんな思いもあって。ひとまず今日はまだ打ち明けないと決めた彼は、強ばった顔に、(ヘルガには効果が薄いと分かっているが)精一杯の微笑を作る。
「ま、まあ気にしないでよ! 叔父はとても気楽な人だから!」
内心必死で、ヘルガに向かって手を振るメルヴィン──の、その背後には。
「…………」
ズズーンと重い覇気を漂わせながら佇む強面の髭の男が。位が高そうで上質な服を着たこの威圧感のある御仁は──件の公爵閣下である。
その隣で神妙な顔で立っているのは我らが苦労人グラント。十人に尋ねれば、おそらく十人全員が「恐ろしい」と答えそうな……とても気楽なお人柄に見えない、精悍な顔に古い斬り傷のある公は、隣で冷や汗を掻いているグラントに問う。
「……グラントよ……殿下は令嬢に何を言っておいでなのだ? 何故あのように必死に? ……もしや痴話喧嘩中か?」
公爵閣下はなんともいえぬ微妙な面持ち。不審げに視線を向けられたグラントは、神妙な顔で項垂れ恐縮しきり。
「あの……すみません、とりあえず温かく見守っていただけると……」
……因みに。裸眼のヘルガは、背後に立つ公爵にまったく気がついていなかった。無理もない。メルヴィンが必死で、彼女が公爵を見ないようにガードしているのだ。その姿は……冷静沈着な甥しか知らぬ公爵にはとても異様な光景に見えた。公は思った。あの冷徹で頼りになる甥も、惚れた娘には弱いのだなと。……とりあえず公爵には、ヘルガを特別歓待せねばならぬのだなとは伝わったらしい……。
しかしそんな必死の甥、メルヴィンの苦労も虚しく。さすがのヘルガもこの状況には異変を感じ取っていた。
「…………何かがおかしいわ」
通された客間に落ち着いたヘルガは、難しい顔でベッドに座る。色々と慌ただしく考える暇もなかったが、改めて考えるとさまざまな疑問が浮かぶ。周囲を見回すと裸眼の目にぼんやりと見えるのは、豪華な客間。広々としていて、ヘルガが座っている寝台の他にも、色々と調度品が揃っているようだ。廊下でも幾人も使用人らしき者たちとすれ違って……このような深夜に申し訳ないと思った彼女は、その全員に律儀に「ご面倒をおかけして……」と頭を下げてみたのだが……なんだかその数も多すぎな気がした。
「……ここはどこ? それに……そういえば、先ほどマルさんの後ろにぞろぞろいた兵士たちは? そして何故わたくしは頻繁にマルさんから耳を塞がれたの?」
それはもちろん公爵の兵たちが、メルヴィンのことを『メルヴィン様』やら『王太子殿下』と呼ぶのを聞かせない為である。
「……明らかにマルさんが不審よ……、……やっぱり何かがおかしいわ……こんなお城にマルさんのご親戚が? ……叔父様とおっしゃっていたけれど……」
ヘルガはなんだか嫌な予感がした。何やら……またマルに騙されているような気配がぷんぷんする。
「…………どうしましょう、また碌なことではなさそうな気がするわ……」
最愛のはずのマルへ対するヘルガの認識がかなり謎だが……
ヘルガは腕を組み、いったいこれは何事なのだと難しい顔で考えはじめるのだった。
──そしてこちらは別室。こちらでは、その“マルさん”ことメルヴィンが、苦悩した顔で頭を抱えていた。
「……どうしよう、ヘルガに思い切り怪しまれている気がする……⁉︎」
お読みいただきありがとうございます。
ちょっと時間がありませんので、チェックが甘いですが。またそれは後ほどさせていただきます!(^ ^;)




