8ー20 グラントの忿懣
メルヴィンの目が点になった。
今……何か……耳を疑うような台詞がヘルガの口から出たような気がして──いやまさかと思った瞬間、令嬢は冷静に言葉を付け加える。
「あ、これはわたくしが読んだ恋愛小説から学んだ手法です。小説では男女が逆でしたが、男性が良くて女性はやってはいけないということもないでしょう。──もちろん、わたくしやるとなったら唇で塞ぎます」
「えっ⁉︎」
毅然と言われ、メルヴィンは思わず叫んだが、ヘルガはメルヴィンの頭を掴んだまま、観察するような目を彼に向ける。
「──ふむ、なるほど。あなたがお座りくだされば、距離的にも十分可能です」
ヘルガだけが椅子を立てば、座っているメルヴィンの顔は彼女にとって見下ろす形となる。いつもは身長差で届かないがこれならいけると──ど真剣に言われたメルヴィンが衝撃を受けている。
「へ、ヘルガ⁉︎」
この状況で何故⁉︎ と慌てる青年の顔は赤い。その頭をまだ鷲掴んで捕まえているヘルガは、その体温上昇を手のひらで感じてにっこり笑う。
「大丈夫ですよマルさん」
「⁉︎」※全然大丈夫じゃないメルヴィン。
「わたくしも多分死ぬほど恥ずかしいことを言っているのだと自覚があるのです。けれども、わたくし、どうやら恥ずかしさが遅れてやってくるタイプみたいなんです」(※6ー3『タイムラグ赤面』参照)
「ど、どういうこと⁉︎」
令嬢はもっともらしいこと言っているような顔で微笑んでいるが──自分の言った台詞のせいでヘルガが倒れたことがあるなんてことは知らないメルヴィンには、途方もなくその意味が分からなかった。しかしヘルガはやはり謎に大丈夫ですと繰り返す。
「どうなさいますか? 当然のことながら、あなたには拒否権がございます。やってもいいのですか? やってもいいのですか⁉︎」
「⁉︎」
率直すぎる問い(脅し)に、メルヴィンは狼狽えた。思わずチラリとヘルガの薔薇色の唇に視線を落としてしまうと……カッと頭に血が上った。耳まで心臓の音が響いてくるようだ。──そんなの──……したいに決まっているが。
「〜〜〜っ‼︎ ちょっ──ちょっと待って!」
しかし。心の準備というものが、微塵も出来ていなかったメルヴィンはついに音を上げた。可哀想に……この直前までに、すでに十二分に胃痛に喘いでいたメルヴィンは、もう内臓への負荷に耐えることが出来なかった。心臓が破裂しそうなほどに痛くて。青年は、真っ赤な顔でヘルガに待ったをかけ、慌てて彼女の手から逃れる。
「わ、分かったから! もう怒らないから! ちょ、お願いだから、急にそういう変化球で精神(と内臓)えぐってくるのやめて! ほ、ほんと、心臓に悪い……」
「──あら、残念。ここまできたらやってみたかったです」
「⁉︎」
しとやかにため息をつかれたメルヴィンがギョッとしている。青年はドキドキし過ぎて息も絶え絶えだった……
「……き……君って案外横暴なところがあるよね……」
思わずそう恨めしそうに言うと、ヘルガがあらという顔をする。だが……もちろん彼は、その横暴さが彼女の優しさだと分かっている。自分のことで怒り狂った彼を止める為のヘルガなりの奇策だ。……分かっていたが、あえて皮肉るように言った。するとヘルガが朗らかに笑う。
「──左様ですか」
令嬢の表情は柔らかく、晴れやかだった。目の前の彼が、いつもの皮肉屋な“マル”に戻ったことにほっとしたようだ。──しかし令嬢は切り替えも鮮やかに、すぐにメルヴィンをジロリと睨む。
「でも、マルさんが悪いのですよ。あなたときたら、怒ってばかりで──わたくしがあなたを好きだと言ったことに、ちっともお返事くださらないのですもの」
「……え?」
その言葉にメルヴィンが、瞳を瞬いた。
「そりゃあわたくしが心配をおかけしたのが悪いのですけれどね。でも、お返事を待つにしても、せめていつまで待てばよいのか提示して欲しいですわ……」
拗ねたように言われて。メルヴィンは──そういえば、自分が、ヘルガの告白に返事らしいものを何もしていなかったのだと気がついた。──いや──すべてはヘルガの突拍子のなさにより、タイミングというタイミングが押し流されたのだが……。
しかしヘルガは、少しだけ不満げな頬に自分の手のひらを当ててため息をこぼしている。その薄い肩が小さく竦められたのを見たメルヴィンは慌てて椅子を立った。
「そ、そんなの……」
返事など決まりきっている。しかしとここでメルヴィンはまた困った。──本当なら、ヘルガには、もっとちゃんとした形で気持ちを伝えるはずだったのだ。場も最上に整えて、完璧なタイミングで……それなのに、まさかこんな形で打ち明けることとなろうとは。
しかし良い代案を考えようにも、彼は未だ唇塞ぐぞと脅された衝撃も治まっておらず、動悸だって上がりっぱなしで。とてもではないが思考が全然まとまらなかった。こんな状態ではいかに周到で気取り屋の彼でも、素晴らしい告白の言葉など咄嗟には出てきやしない。メルヴィンは心の中で頭を抱えた。
(……あぁ……なんてことだ……)
青年はげっそりしたが、ヘルガに『返事が欲しい』と請われているのに、時を改めて……ということもしたくない。とにかく、素直に気持ちを打ち明けてくれた彼女の為にも、自分も、ずっと彼女を想ってきたのだということを不足なく伝えなければならなかった。
メルヴィンは、せめて表面だけも整えなければと、表情を引き締めようとしたが……それも跳ね続ける心臓のせいで上手くはいかなかった。青年は、赤らんだ目元をやや床に落とし、自分の銀の髪を気恥ずかしそうに耳にかけながら、言った。
「……ヘルガ……私も君が好きだよ。こんな私だけど……君と一緒にいたいんだ、ずっと」
──言った瞬間。メルヴィンは思いがけないほどに安堵していた。思わずため息が溢れる。あれこれ悩みもしたが、やっと、自分の本心を彼女に打ち明けることができた。──と、ヘルガと目が合った。その背筋を伸ばした毅然とした姿を見て、ああ、やっぱりこんな時でもヘルガは動じないんだなと彼は苦笑する。凛とした姿に惚れ惚れすると同時に、自分は、きっと彼女には一生敵わないんだろうなと思──……った瞬間。
唐突に、ヘルガが床に沈む。
「へ⁉︎」
いきなりその場で崩れ落ちた娘に、メルヴィンはギョッとして。咄嗟に彼女の腕を掴み、慌てて引っ張り上げて支えると。驚く彼の腕の中で、ヘルガの真顔が、どんどん、どんどん上気していく。
「ちょ、だ、大丈夫⁉︎ こ、今度は何⁉︎」
「ぁ……遅延型の羞恥が今……いえ? これは……もしや……ええ、現下に噴き出した感情によるものですね……」
「は、はぁ?」
難解な言い回しをしながらグッタリしているヘルガに、メルヴィンは困惑の顔。具合が悪いのかと問おうとしたが。ヘルガは彼の腕の中で祈るように両手を組んで弱々しく言った。
「申し訳ありません……あまりにもマルさんが可愛らしくて……ああ天よ……どうしてわたくし今眼鏡をしていませんの⁉︎」
もっとちゃんとマルさんの表情を見たかった! と、大いに嘆くその告白に、メルヴィンが寸の間目をまるくして言葉を失った。
「……、……、……ええと…………」
すると戸惑う彼に、ヘルガがはにかむような顔を見せる。にこにこと頬を赤らめて嬉しそうに言う顔が眩しくて。メルヴィンは、ふと心の中で、どっちが、と、思った。今のヘルガの顔こそ可愛らしくて堪らない。
(……死にそう……)
……可愛くて。その言動のすべてが。
と、そんなことメルヴィンの悶絶は露知らず。ヘルガは赤い顔のまま言う。
「ふふふ……ちょっと拗ねてみた甲斐がありました。マルさんの恥ずかしそうな告白を、わたくし、しっかり聴きましたからね」
「……はぁ……まったく……」
メルヴィンは、やれやれと複雑そうな顔ボヤく。
「ああ本当……君には負けるよ……」
「──え?」
メルヴィンがボソリとつぶやいた次の瞬間。令嬢はぱちくりと瞳を瞬いていた。メルヴィンの腕の中で。
「…………マルさん……?」
ぽかんと驚いたような声が顎の下から聞こえる。
「……ごめん、ちょっと駄目だ。……少しだけ、手当ては待って」
ヘルガの身体を抱きしめたメルヴィンは、なんだかとても泣きたい気分だった。──愛し過ぎて。
しかし抱きすくめられたほうの彼女はといえば、どうやらとても慌てているようで。彼の腕の中で、ソワソワと落ち着かぬ様子で身じろぎするヘルガをメルヴィンはとてもおかしく思った。自分はついさっき、唇だなんだとずいぶん大胆なことを言ったくせに。
けれどもヘルガは逃げ出そうとはしない。メルヴィンがぎゅっと腕に力をこめると、令嬢は逡巡したのち、そろりそろりと彼の背中に腕を回した。そのぎこちない感触に、メルヴィンの胸の中には尚のこと愛おしさが広がった。
顎の下には柔らかな髪の感触。そのほんのりとした温かさを感じて、青年はやっと落ち着いた。
「……ごめん、傷、痛くなかった?」
──しばらく無言で抱き締めたあと。少し腕を緩めて顔を見下ろすと、ヘルガはほんのり頬を薔薇色にして、にっこりと彼を見上げる。
「大丈夫です。もう腫れも引いておりますし、さほどでもありませんのよ」
「そう……」
その笑顔にホッとする傍らで、彼は思った。
いくら彼が自分を見失うほどに怒ったとしても。どうやら自分は、精神的な部分で心底ヘルガに屈服してしまっている。だから結局は……ヘルガの穏やかな世界に引っ張り込まれてしまうのだろう。
「……ま……なら、大丈夫か……」
メルヴィンは、ぽつりと呟く。
彼女の世界は優しい。
そんな彼女に負け続ければ、こんな腹黒い自分でも、きっと平和な世界で生きられるような気がした。
(……)
少し気が楽になったような気がして。けれども。優しい眼差しでヘルガを見つめていたメルヴィンの菫色の瞳が、やや伏せられる。
(……ただし……そうする為には、私は彼女に打ち明けなければならないことがあるよね……)
──それは彼の身分について。故意的に、彼が黙っていたことを彼女には謝らなくてはならない。今回彼女には、そのせいで大変な思いをさせてしまった。果たして彼女がそれを許してくれるかは分からないが……この先、共に永く生きていく為には、それは不可避な問題であった。
──因みに。これは余談だが。このあとすぐ、メルヴィンは、廊下で待機していたグラントに思い切り残念な顔をされる。配下は彼の顔を見た途端、憤懣やるかたないという大声でこう言った。
「……、……、……なんでして貰わなかったんですかっ⁉︎」
「……や、やめてくれ……お、お願いだから……」
今日はとても反論する気力のないメルヴィンであった……。
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