8ー18 令嬢の、とても胃に来る説明
「だって見えなかったものですから──自分の姿が」
と、令嬢は言った。
それはメルヴィンが、ヘルガを手当てする為に、修道院から借りた貴賓室へ彼女を連れて行った時のこと。令嬢は仕方なかったのだと難しい顔をする。
「眼鏡がなかったでしょう? 自分の格好など視界に入らなかったもので、必死なうちに忘れてしまったのです。状況も状況でしたし」
彼女はただ淡々と、未だ単なる町民“マル”だと思っている王太子メルヴィンに語る。すなわち、彼女が何故あのようなあられもない姿をするに至ったかの経緯を。
──因みに……そのメルヴィンは、傷の手当て用品を手に、彼女の前でげっそり項垂れて座っている。どうやら……色々衝撃的な出来事が立て続けに起こり、胃の腑に負担がきているらしい。
「ドレスは脱出に利用できると思ったものですから脱ぎました。そのあと自分がどのような姿になるなどということは小さき問題です。最優先はここから出て、あなたに会うこと、でしょう?」
「そ──そうかもしれないけど!」
そう微笑まれるとメルヴィンも弱いが。彼は青い顔で訴える。
「でもだからって……何もドレスを脱がなくても……!」
ヘルガの潔いところも好きだが、この潔さは本当に困る。
しかしそれでも彼は、とにかくヘルガの話を聞こうと胃痛を堪えて彼女を促した。その話は──こうだった。
──彼女は本日の未明頃、縛られていた縄を自力で解いた。
「ゆるゆるでしたの。わたくし、ものすごく警戒に値しないと思われていたみたいで……」
──それから、鍵の壊れた扉からこっそり出て、廊下で居眠りをしている男の口に、ポケットに残っていた睡眠薬を突っ込んだ。
「まあ、突っ込んだなんて。わたくし、ちゃんと丁寧に分量も計ったんですよ? あの方に健康被害が出ぬように。でも、そうなんです。夜会の会場を抜け出す時に使ったものの残りがまだあって。練り香水の入れ物に移し替えていたので取り上げられませんでした」
──そして、眠った男に自分のドレスを着せた……。
「……、……、……何故……」
とにかくここからが解せない。疲れた様子でメルヴィンが呻く。
「何故そこで君のドレスを着せようという発想が⁉︎」
しかしヘルガは、平然と言う。さも当たり前のように。
「何故って、わたくしがいなくなったと分かれば、すぐに追っ手がかかるじゃありませんか。だからわたくしの身代わりをしていただこうと。そうすれば多少の時間は稼げます」
「…………」
──そして倉庫の外に出て、そこで見張りをしていた男にも、男の飲んでいた茶の中に薬を入れて眠らせた。
「き、君が? よ、よくそんなことができたね……」
このヘルガに、よくもまあそんな暗躍ができたなという顔のメルヴィンに、ヘルガはどこか誇らしげである。
「わたくし、黙っていると案外闇に馴染むんですの」
それを後ろで聞いていたグラントは──確かに……黒髪で一見冷淡な容姿を持つヘルガには闇が似合うなと思った。暗闇にじっと佇む令嬢を想像して──ちょっと吸血鬼みたいだなと思った騎士は……まさかそのせいで、すでにここでひと騒動あったのだとは……当然分からない。
……因みにだが。ヘルガに睡眠薬を飲まされたその二人目の男は、上半身裸で彼女の白くふわふわなペティコートをはかされたうえ、その上からストッキングでぐるぐる巻きにされ、口にはリボンで可愛く猿ぐつわされるという……ものすごく哀れな姿で兵士たちに発見された。その無惨な姿を見た兵士たちは皆、大いに困惑したらしいが……ヘルガに言わせると、これにもちゃんとした(?)理由があったらしい。
「何故ペティコートとリボンと…………」
「だって、もう縄がなかったんですもの。そしたらほら、ストッキングと、コルセットにもリボンがあるじゃありませんか!」
「だ、だからって……!」
謎に嬉しそうに両手を合わせて微笑む令嬢に、メルヴィンは青ざめた顔で胃を押さえる。ドレスを脱いだ時点ですでに令嬢にあるまじき豪快さだが、その上ストッキングとは。ヘルガはなんでもないことのように話しているが、これは貴族社会の女性にとっては、とてつもなくとんでもない手法である。
だが、ヘルガは譲らぬ調子。彼女は、とてもつい先ほど彼に告白をしたとは思えぬ、いつも通りの塩風味な眼差しで、メルヴィンをじっと見据える。
「マルさん? そのようなことをガタガタ言っている場合だったと思いますか? わたくし、命がかかっていたのですよ? 生きる為には、時に恥じらいなど二の次にする潔さが必要です。女性だから清く慎むべきなどという教えを守って命を危険に晒すなど、あってはならぬと思います」
「わ、分かってる、分かってるんだけど……」
ヘルガの言い分はどれも正しい。もちろんメルヴィンだって、ヘルガにはどんなことをしてでも生きていてほしいに決まっている。が……
いやとメルヴィンは、青い顔を再びがっくりと項垂れさせる。そうなのだ、無事でいてくれたんだから、多少のことは……ヘルガの胸元や太ももを大勢の男たちに見られたなんだのという嫉妬心など小さなことだ。この際そんな邪心は捨てるべき……と、げっそり受け入れる覚悟を決めようとした時、ヘルガが言った。
「──でも……その時わたくしの手元にはストッキングとリボンがありました。本当ならば……幅的にも厚み的にもストッキングのほうが猿ぐつわには適していて──」
「⁉︎」
“ストッキングで猿ぐつわ”。そのパワーワードにメルヴィンは、ヒッと青い顔をする。想像したくもない。ヘルガの履いたストッキングをどっかの輩の口に突っ込むなど。偏愛的なこの青年にとってそれは、恐ろしすぎる言葉であった。
「や、やめてやめて!」
青ざめるメルヴィンに、だがヘルガは怪訝そうに続ける。
「何を慌てておいでなのですか? これはわたくしがそれでも少しは慎みを持っていたと証明するための話なのですよ? ──やはりわたくしも、流石に使用済みのストッキングを猿ぐつわにするのは失礼だと思い、ちゃんとリボンを選択したんです。幸いコルセット用のリボンは幅もそこそこありますし。──それに。リボンを外したあともわたくしのコルセットは、代わりに上衣を固定していたピンでちゃんと止めてありました」
ね? だから大丈夫です、と、そう胸を張る令嬢の言葉は……その時点ですでに世間様には秘すべきコルセットが剥き出しな点で、どこにも安心材料があるようには聞こえなかったが……
とりあえずとメルヴィンは、心底そのピンが外れなくて良かったと思った。もしそれらが外れていたら、ヘルガは先程の格好以上の薄着でその辺をうろうろしただろう。きっと平気な顔で。……ゾッとした。
が、青年には試練なことに、ヘルガの説明はまだまだ続く。
「それで……その方にペティコートを履いていただいたのは……ただストッキングで縛るだけでは、頼りない気がしたからです。ストッキングは案外伸びますし丈夫です、が……男性の腕力についてはわたくしも未知だったもので、一応、念の為」
……察するに、つまり令嬢は、男を簀巻き状態にしようという心算だったらしい……。げっそりしながら、それは分かったけどとメルヴィン。
「じゃああの男のシャツは……? なんで脱がせたの……?」
それさえなければ、男ももう少しまともな姿だっただろうに。ヘルガの手ずから男の服を脱がせたという事実ももちろん気に食わないが……その男が上半身裸に女性もののペティコートを着せられていたのを見て、さすがのメルヴィンも気の毒に思ってしまった。
しかし、そんな男の姿を、別におかしいとも変態的だったなどともカケラも思わなかったらしいヘルガは言う。
「ああ、それは……実は最初は、あの方の服とペティコートとを交換させていただいこうかと思っていて……わたくしも、多少は何か着なければと思った次第でして。でも──やめました」
「え……な、何故?」
どうせ脱がせたのならば、せめて着てやればよかったではないか。ヘルガ自身の露出軽減の為にも、脱がされた男の為にも。しかしそこでヘルガはふふふと笑う。
「その、少々匂いが……。ふふ、そのシャツは、あまりお洗濯、されていなかったみたいなんです。申し訳ないのですが、逃げる間ずっと鼻を摘んでいるわけにもいかなかったもので諦めました」
シャツを男に戻してやろうにも、もう男はペティコートとストッキングで簀巻きにしたあとで。その点に関しては申し訳なく思っていると言う。
「でも、のんびりしていては彼も起きてしまいますし。眠った彼が見つからないよう茂みに移動させたところでわたくしも力尽きてしまい……それで一応、シャツは畳んで頭が痛くないように頭の下に枕にしておいたんです。まあ、わたくしのほうは……その時は夜間でしたし。夜明けまでに何か着る物が見つかればいいなぁと」
「……」
が、そうした考えも、朝までにうっかり忘れた……と。つまりはそういうことらしかった。




