8ー12 スピーディーに痛覚に訴えます by女騎士オリビア
──時は少し戻る。
王城ではメルヴィンが、必死にヘルガの捜索を続けていた。
ヘルガ失踪の報せが来てから数時間。この事態に、わざわざ執務室のカーテンを開けようという者もおらず、内部の者たちにはよく分からなかったが……外はもう空が白みはじめているようだった。
「…………」
配下たちが忙しなく行き来する執務室中央、作戦台の前にメルヴィンが立っている。
台の上に広げられた幾多の報告書を厳しい顔つきでじっと見下ろし、彼はずっと何かを考え込んでいた。
彼が見ている報告書は配下たちに調べさせたもの。ヘルガが消えた当時の現場の状況や、居合わせた者たちのリスト、目撃談など。それら数多の情報を俯瞰してみながら、メルヴィンは違和感に眉を顰めた。
(…………おかしい、これは本当に家出、なのか……?)
メルヴィンはそこに違和感を感じはじめていた。
捜索と並行して居合わせた者たちを調べてみたところ、やはりヘルガが自身で会場を抜け出したことは間違いがない。
会場の使用人を買収し、護衛たちに薬を盛ったこと。その薬の出元が彼女の家お抱えの薬師であることは調べがついた。──だが、そこからが問題だった。その後のヘルガの足取りが、さっぱりとつかめないのである。
彼女の捜索は、ヘルガの体面を考えてできるだけ秘密裏に行われているのだが、それでもメルヴィンは動かせるだけの人員を投入し、かなりの人間が捜索に出ている。
あの見た目に反してのんびり屋な令嬢が──たとえ時にトリッキーな動きを見せてこちらを驚かせるような彼女だとしても。捜査網を掻い潜って市中に身を潜めるなど、果たして本当にできるのか。──青虫には足止めされ、眼鏡がないと言って石像にぶち当たり、カラスに気を取られて池に落ちるような彼女がである。
「…………」
それにとメルヴィン。そもそもヘルガが消えた会場となった客亭の周辺は、夜も賑やかな場所である。大通りも近く、人手も多かった。それなのに、ヘルガに気がついた者が誰もいないのは不可解だ。ヘルガは高貴な家柄と美しい見た目、それに事実とは異なるものの冷酷無慈悲という悪しき評判のせいで、社交界ではかなりの有名人である。その時間帯、着飾った彼女が一人で通りを出歩いていれば、必ず目立ったはずなのである。それなのに。
「…………ヘルガ……」
視線を作戦台に落としたまま、メルヴィンはつぶやく。
「君は……今どこにいるの……?」
──無論、それに応える声はない。それが悲しくて、胸が突かれるように痛い。心配で心配でたまらなかった。メルヴィンは苦悩したように、握りしめた拳を己の額に押し当てる。
……彼女が家出をしたと聞いて。彼がまずその行先として思い浮かべたのは、もちろん二人がいつも会っていた図書館である。
家出をするにしても、もしかしたら彼女がそこでマルを待っていてくれるのではないかと……それがたとえ最後の挨拶をするためにでも。唯一の友として、彼を待っていてくれるのではと期待したのだが──そこにヘルガはいなかった。
念のため。夜間は閉館している図書館周りや、周辺の宿や夜間営業の店、林の茂みの中までを隅々確認させたが……しかし、やはりヘルガの姿はどこにもなかった。
「……」
メルヴィンはとても嫌な予感がした。最初は図書館にヘルガがいなかったことにとても落胆した、が……考えてみればおかしいのだ。あの律儀なヘルガが、彼に挨拶もなしにどこかに行ってしまうなどということは、到底ないように思える。──いや、そのくらいの絆は確かに築かれていたと彼は信じたいと思った。
ふと時計に目をやると、もう早朝という時間。これまで努めて冷静に捜索の指揮を取っていたメルヴィンではあったが──その表情に浮かび上がる焦燥感は刻々と鮮明になっていく。
メルヴィンは、もう一度作戦台の上を埋め尽くす報告書を見据えた。それらに記されていた情報に思考を巡らせて──ある決断に、彼は重い声で側近を呼んだ。
「……グラント」
「え⁉︎ あ、は、はい!」
と、作業台の向こう側で、大柄な身体を椅子に乗せて、黙々と報告書と格闘していた男がハッと顔を上げる。彼は本来メルヴィンの護衛だが……今は買って出て、この執務室に次々に上がってくる情報を夜通し整理し続けていた。自分が主人に呼ばれたことに気がつくと、男は慌てて顔を上げる。
「お呼びですか⁉︎」
目が合うとメルヴィンは重く頷き、それから彼に静かに告げた。
「……ヘルガの捜索を、誘拐捜査に切り替える」
するとグラントが「え?」と、怪訝そうに目をまるくする。護衛は戸惑った声で訊ね返してくる。
「しかし──ヘルガ嬢の護衛たちには、彼女に薬を盛られた形跡があります。侯爵お抱えの薬師も令嬢に請われて薬を渡したと白状していますし……買収された使用人も『ヘルガ嬢に会場を抜け出す協力をした』と……なのにですか?」
「ああ」
グラントの問いにメルヴィンはきっぱりと頷いた。
「この行方のくらまし方は、流石にヘルガだけでは無理だ」
と、そこへオリビアが執務室に戻ってきた。扉を豪快に開けた彼女は、メルヴィンの作戦台に並べられた資料の上に、持ってきたいくつもの分厚い紙の束を乗せる。
「殿下、王都にある市中のそれぞれの城壁門の通行者リストです。すべて確認致しましたが……どのリストにもヘルガ様の名前はありませんでした」
「……そうか……」
その報告を聞いて、メルヴィンの表情がいっそう険しくなる。
ヘルガがいなくなった区域は上流社会に属する者たちが住む一等地。夜会の会場もその中に位置している。その区域は一般都民の住む城下町とは市壁で区切られており、そこから出るには城壁塔の門のいずれかを通る必要があった。そこで人々は通行証を門番たちに見せ、それは記録される。──が、そこに彼女の名がない。
ということはとグラント。
「ヘルガ嬢は、まだ市壁の内側にいらっしゃるということですか? 家出にしろ、もし第三者に連れ出されるにしても……城壁門の通行の際は必ず検問があります」
ここは国の中核となる都である。それなりに警備は厳しい。
「……」
グラントの言葉に、メルヴィンは考え込む様子を見せた。すると、そこでまた執務室に誰かが駆け込んできた。側近の内の一人である。
「──殿下!」
慌てた様子で駆け寄ってきた男は、すぐにメルヴィンの前で片膝を突き、報告する。
「城下を調べていた者たちからの報告です! ヘルガ様の姿を見た者がいないか目撃者を探していたところ──会場近くの路地で不審な男たちを目撃した者がいたと……」
「──どこだ」
側近の言葉にグラントたちがハッとした顔をして、メルヴィンはすぐに地図で示すように配下を促した。立ち上がった男は、作戦台上の王都の地図のある場所に指を落とす。
「ここです。会場とは市壁の門を挟んだ外になりますが、時刻的には合致します」
「どこからの情報だ?」
「城下の酒場にいた男たちからの情報だと。彼らは昨晩話を聞いた時分は酔っていたようで……今朝もう一度、改めて話を聞きに行くと、この路地裏で黒づくめの男たちが数人、大きな──大人が入れる程度の大きさの袋状のものを、馬車に積みいれていたと……酔っ払いの話ではありますが、複数人の目撃があるので信憑性はあります」
示された場所を見て、メルヴィンが目を細める。
「アルバ門のすぐ外か……ヘルガが消えた会場から近いな」
アルバ門とは、城下町と貴族たちの住宅街との境にある西側の市壁門である。ヘルガが消えた夜会の会場はそのアルバ門のすぐ内側に位置する。場所を確認したメルヴィンは、男に問う。
「馬車の種類は?」
「中型馬の二頭立て。幌がけの荷馬車です。馬は立派なのに、馬車自体はかなり質素な作りだったそうで、それが気になって覚えていたそうです。変な馬車だと笑った覚えがあるそうで……」
「馬だけが立派な……幌馬車……」
考え込むメルヴィンに、注意深い顔のグラントが、ですがと発言する。
「しかし──その話は本当に関連がありますか? ヘルガ嬢が連れ去られたとしても……犯人たちは城壁塔の門をどうやって通ったと?」
もしヘルガが本当にその馬車に乗せられていたというのなら、犯人たちはその状態で検問を通り、見事門番たちを欺いたことになる。そんな手品のようなことが本当に可能なのか、人などそう簡単に隠しおおせるものだろうかとグラントは……どうやら王太子たる主君を、酔っ払いたちの不確かな証言を元に行動させていいものかが不安らしい。何かあれば、すぐに政敵から足を引っ張られる立場だ。彼は主君にもう一度問う。
「殿下……本当にこれはヘルガ様の家出ではないのですか……? 本当に、誘拐だと……?」
自分を案じる配下の不安な気持ちが分かったのか、メルヴィンは一瞬だけ苦笑し、そして表情を引き締めて目を細めた。
「……もしくは……その両方ということなのかもしれないね……」
「両方?」
グラントが怪訝そうな顔をする。と、傍で黙って話を聞いていたオリビアが鋭い眼差しで応じた。
「──つまり。機会を窺っていた者がいたのですね? 御令嬢が一人になる機会を狙っていた不届な輩が」
姉の言葉にグラントが顔を顰め、メルヴィンは憎々しげに頷く。
「──ああ、おそらくそうなのだろう……」
でなければ、そういいタイミングでことが運ぶはずがない。
「機会を窺っていた者がいて、そこへ王太子の妃候補になるのを嫌がったヘルガが飛び出して行ってしまった。……だとすればヘルガの足取りがつかめない理由もつく」
「では──やはり護衛を任されていた我々の落ち度ですね……本当に申し訳ありません……」
悔しそうな顔をしながら深々と頭を下げた女騎士に、メルヴィンは、労うような顔で無言のまま彼女の肩を軽く打つ。それからメルヴィンはすぐに、戻ってきた男に、出払っている配下たちへの命令変更の通達を命じる。と、グラントが主君に問う。
「侯爵家の密偵からは、今のところ侯爵に身代金の要求などがあったなどとは連絡が来ていません……もしこれが本当に誘拐ならば……これは、ヘルガ様を殿下の妃の候補から外すことが目的なのでしょうか……? ヘルガ嬢が候補になったばかりです。関連がないとは……」
思えませんと言いづらそうにつぶやいた護衛騎士の言葉に、メルヴィンは苦く頷く。
「ああ。おそらく」
身代金目的ならば金の要求があるはず。それがないというのならばヘルガの父、侯爵の敵の仕業か、もしくは……そう考えて怒りを感じたメルヴィンは、憤ったようにため息を吐く。未来の王妃を決める大事だ。大きな利権も絡む事柄ゆえに、混乱が起こっても仕方ない。だが、そこに巻き込まれてしまうヘルガに、なんとも言えず申し訳なかった。それは、自分が彼女に想いを寄せてしまったせいである。
──そんな苦悩を滲ませる彼に、グラントはもう異論を唱えなかった。だが困惑した顔で続ける。
「しかし殿下……アルバ門の問題は残ります。犯人たちは検問をどうやってすり抜けたのですか?」
門番たちもヘルガの顔を見れば覚えているだろうし、もしくは彼女が気絶でもさせられて“荷”として隠されて検問を通されたのだとしても……市壁の検問は、王城の門までとは行かずとも、検めは厳しいはずであった。果たしてそこを人一人隠して通過できるものなのか。
──と、その瞬間のことだった。グラントの問いを耳にした途端メルヴィンは──見ている者が薄寒くなるような笑みを浮かべた。口元は笑っているのに、冷たい目はカケラも笑っていない。瞳の奥には恐ろしい強さの殺気が揺めいている。
「ぅっわっ、こわ!」
思わず跳び退いたグラントにメルヴィンは鼻を鳴らす。
「ふん、つまり……門番の中に、それをすり抜けさせた奴がいると言うことだ」
「ぇ……ぁあ、なるほど……」
その言葉を聞いて、グラントは引き攣った顔のまま納得したように頷く。メルヴィンが嫌悪したような顔をする訳である。つまり彼は、門番の中に犯人たちに袖の下でも握らされた者がいたのだと言っているのだ。
「まあ……中には貴族や金持ちに金を握らされて融通を利かせるような者もおりますからね……」
グラントが渋い顔で言うと、その隣でオリビアが動いた。冷たい顔をした女騎士は、主君が何も言わぬうちに承知しましたとメルヴィンに言う。
「え、姉上?」
「では私はその金に汚い門番を割り出して参ります」
「クソ……」
「ああ、頼めるか?」
「ええ。迅速なヘルガ嬢保護のためには、拷も……いえ、少々荒っぽく痛覚に訴えるやり方も必要かと思いますので、何かあったらよろしくお願いします。責任問題とか、ふ……」
「…………」※弟
姉騎士は、では、と、冷酷な顔でメルヴィンに敬礼して。そのままキレのいい足音を床に響かせながら颯爽と執務室を出て行った。その後ろ姿を見送って、グラントがげっそりした顔をしている。
「…………拷問って言いかけてましたよね……」
頭の痛そうな弟に、メルヴィンは暗い顔のまま、フッと鼻を鳴らす。
「──オリビアは相変わらず頼りになる……ヘルガを見つける為なら拷問くらい。は! どんどんやるといい!」
責任など幾らでも取ると豪語し、敵に対する怒りを瞳に宿らせたまま姉を称賛する主君に──グラントが尚のことげっそりしたのは言うまでもない。──この二人、本当に敵に回したくないと彼は心底思った。両手で頭を押さえた護衛騎士は、ため息を漏らす。
「はぁ……早くヘルガ様が見つかってくださらないと王都に血の雨が降りそうで……」
「? 当然だ」
何を当たり前のことを言っているんだと怪訝そうな顔の王太子は、グラントを一瞥すると、そのままさっさと執務室を出て行こうとする。それに気がついたグラントが慌ててそれを追いかける。
「え⁉︎ 殿下⁉︎ どちらへ⁉︎」
「──確かめるべきことがある」
メルヴィンはきっぱりと言い、追ってくる護衛騎士を振り返りもせずに部屋を駆けるように出て行った。
──どうか無事でいてくれと、強く願いながら。
お読みいただきありがとうございます。
…王太子と姉騎士、実に怖い主従です。




